第2話 家ネコが一匹で出歩けるほど安全じゃない

 俺は、アデルとケンと共に、廃墟となった魔王城を離れた。

 魔王城は、険しい山脈の剣ヶ峰にそびえていた。

 隠れられる場所は多く、俺とアデルは2人だけで乗り込んだため、ほとんどの魔物たちとは戦闘を避けることができた。


 魔王との戦いに備えて、俺もアデルも最高レベルの99まで上げていたため、これ以上強くなることはなく、余計な戦闘は消耗するだけだったのだ。

 魔王城のある場所を中心に、かなり広範囲まで人間の住む場所はない。


「ケン、この世界で何をして暮らしたい?」


 俺は、腕に抱いた茶色いネコに尋ねた。ネコは自然の中を飛び回るのが得意かもしれないが、俺もアデルもレベルに合わせて身体能力は異常なまでに発達している。

 抱いてやらなければ、俺たちのペースに付いて来られるはずがない。


「どうして、そんなことを聞くんだ?」

「俺とアデルは、異世界から転移したばかりの移住者をレスキューすることにした。命は助けたが、ケンがこれからどうしたいかで、どう助ければいいのかも変わる」


「カロンとアデルは、この世界に来てどうだったんだ?」

「生きることで精一杯だった。それでも、俺は人間に転生した。だから、強くなることを目標にした。アデルは……元々強かったか?」


 俺は、アデルの昔のことを知らない。本当は知っているはずだが、忘れたのだとアデルからは聞かされている。


「何言っているんだい。あたしは、カマキリに転生した。この体は、エルフの秘法で悪魔族の体に転移した結果なのさ。この世界で毎日虫を捕まえて食べていたよ。虫をいくら殺したって、レベルなんか上がらない。カロンと話ができた時、どんなに嬉しかったかわからない。本人は忘れやがったけどね」

「……悪かったよ」


 アデルは、途中で出くわした地面トカゲを殴って従わせた。以前の世界なら、白サイほどもある巨大なトカゲだ。

 俺も乗せてもらう。アデルを乗せて走れるトカゲなら、俺が何人乗ろうと問題ないはずだ。もちろん、俺は1人だけだ。


「強くなるってのは……無理だなぁ。何しろ俺はネコだし、転生した元々のゲームは、経営シミュレーションだ」

「レベルとか、スキルとかないのか?」


 トカゲに揺られながら、俺は腕の中にたずねた。


「ステータスか……職業は農夫になっているな。村人から移ったのかな? 農耕レベル1、肥料知識レベル1、植物知識レベル1、所持金0……」

「魔法とかは?」


「経営シミュレーションで魔法を使って、どうして現代社会に活かせる?」

「それもそうか……でも、農夫だと人間の街に行かないと、何もできないな。農作物を売ることもできないし、育てる植物のタネもないだろう」

「……人間の街まで、連れて行ってくれるんだよな?」


 ケンが上目遣いで俺を見る。


「アデル、どれぐらいかかる?」

「山を降りるとこのトカゲは使えないね。歩けば一月かね……途中で乗れる魔物を捕まえられればいいけどねぇ」


「遠いな」

「仕方ないだろう。魔王に刃向かう人間なんて、もう誰もいないと思われていたぐらいさ。魔王城に近い国ほど、どんどん滅びて行ったからね」


 つまり、この世界の標準的な国10カ国分ぐらいが更地になってしまったのだ。


「じゃあ……街に着くまでは、することがないのか?」

「安全に移動できるだけで、ありがたいと思う世界だけどな……だが、その時間に何をするかは、ケン次第だろう。転職とかできないのか?」


「待ってくれ。おっ……できそうだ。まだ農夫としてなにもしていないからかな」


 ケンが嬉しそうに言った。


「猟師になったらどうだ? 狩をしてくれれば、食事を探す手間も省ける」

「そうだな。狩で捕まえた獲物を取っておいて、街で売るか。ようやく、経営シミュレーションらしくなってきた」

「シミュレーションじゃなくて、実践だろうけどね」


 この世界でもっとも長く生きているアデルが、ぼそりと言った。


 ※


 平地に出て、地面トカゲと別れた。俺もずっと抱いているわけにもいかず、ケンを地面に下ろした。

 肉体はかつての仲間だったララのものだが、もはやララはそこにはいないのだと、俺ははっきりと理解した。


 俺もアデルもこの世界の存在にしては異常にステータスが高く、一月歩き続けるぐらいは苦でもない。

 だが、ケンは違う。


 頻繁に歩けなくなって、俺が抱くか、アデルが頭の上に乗せて歩いた。

 魔王討伐から10日ほどしてから、アデルが言った。


「鍾乳クマの足跡がある。こいつなら、しつければソリぐらいは曳けるだろう。まあ……カロンなら走った方が早いかもしれないけどね」


 俺が野営の準備をしていた時、周囲を探っていたアデルが言った。アデルは体が鉛でできた悪魔族であり、体も小さいため、走るのは得意ではない。


「ケンはどうした? 一緒じゃなかったのか?」


 俺は、火にかけた鍋にアイテムボックスから魔物の肉を入れながら尋ねた。俺のアイテムボックスは、この世界に来てからずっと使用しているが、いっぱいになったことはない。プロの料理人が作った食事も大量にしまっておいたが、魔王討伐に行く過程で食べ尽くしてしまっていた。


 魔物の死体を入れると、勝手に解体して食べられる部位をわけてくれるので、実に重宝している。


「あたしは知らないよ。ケン自身はともかく、体は夜行性だ。狩りでもしているんじゃないか? なにしろ、あれでも猟師なんだろ」

「この辺りはまだ、家ネコが一匹で出歩けるほど安全じゃないだろう。大丈夫かな……」


「仕方ないだろう。あたしもカロンも、戦闘系のスキルしかないんだ」

「……わかっているよ」


 仲間と逸れた場合、仲間を探し出す便利な能力は持っていないのだ。

 俺が火にかけた鍋に水を注いでいると、視界の端でなにかが動いた。

 茶色い、小さな影だった。


「ケン、一人で離れると危ないぞ」

「獲物だ」


 茶色いネコは、小さな死骸を口にしていた。


「ネズミか?」

「ああ」


 ケンは誇らしげに座った。地面にネズミの死骸を置く。


「猟師として、最初の獲物だな」

「ああ。ようやくだ」

「じゃあ、これを解体して、肉と革に分けないとね」


 アデルが言うと、ケンは首を傾げた。


「ネズミなんか解体してどうするんだ?」

「この世界の人間はね、食べ物も毛皮も不足している。ネズミの肉だってありがたく食べるし、ネズミの皮で服を作る。経営シミュレーションなんだろう? 猟師なら、獲物を捕まえるだけじゃなくて、加工して販売することまで考えなきゃいけないだろう」


「……ふん。6次産業化か……まだ、生活の基板も確立していないんだ。気が早くないかな」


 ケンが、ネズミの死骸を見た。俺が口を挟む。


「早く独り立ちしたがっているのも、狩をしてきたのもケンだろう。ケン、アイテムボックスに入れれば、獲物の解体は勝手にやってくれる。やってみたらどうだ?」

「アイテムボックス? どうやるんだ?」


 茶色いネコが首を傾げる。

 結果として、ケンにはアイテムボックスが存在していないことがわかった。


「在庫管理も、重要な課題だってことだろう」


 アデルが、ケンの背中を撫でて慰めた。

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