最終章

 一辺が一メートルの立方体から、黄色いスーツを着た人間の手足が飛び出ている。あれは、最強の引き籠りという怪物である。

 その隣には、赤い色をしたブランウン管のテレビがあり、画面は斑のない黒一色である。あれは、何も映らないブラウン管テレビ。画面に映し出された砂嵐を見た者に、砂嵐に巻き込まれているという幻覚を見せる怪物である。

 後ろに控えているのは、高さ四メートル、横幅十メートルもあろうかという、ジャンクパーツの塊に機械の手足を生やしたような怪物だ。名前はクラッシュヘヴン、またの名を超絶コーラ製造機。

 三体の怪物は襲ってこない。

 私はクラッシュヘヴンから、瓶詰された作りたてのクラフトコーラをもらうと、一気に飲み干した。

 美味しかった。

 空の瓶をクラッシュヘヴンに返す。

「とっても美味しかったよ」




 やあ、久しぶり。

 僕のこと、覚えてるかな。ほら、しりとりの達人に勝った後に会っただろう。血まみれのシャツを着ている人型の怪物がいたじゃないか。

 ね、それが僕だよ、僕。

 結構印象に残っていたと思うんだけど、どうかな。

 で、あの後も上へ上へと進み続けたわけでしょ。色々な怪物に会ったと思うけど、楽しかったかな。僕もこの世界の怪物だから、そうやって楽しんでもらえたなら結構嬉しいんだよね。

 え。もうそういう感じいらない。

 あ、そう。

 いやあ、すごいなあ。それってやっぱり特殊なんだろうね。初めて怪物相手にやったことだったから、どうなるかと思ったけどね。

 でも、願いを叶えてほしいとやってきたのは君の方なんだよ。

 一つ目の願いを叶えてあげた時は、僕は対価として君の着ている服を欲しがったんだよね。それで、君は裸になって、僕は服が余ったからもともと着ていたタクシー運転手の制服を君にあげたわけだ。本当にサイズがぴったりでよかったよ。元は君が着ていたこの血まみれのシャツは、中々かっこいいデザインだから気にいっているんだ。返り血なんて、ダメージ加工みたいなもんだしね。

 ちなみに、一個目のお願いって、どんな内容だったか覚えてるかな。あぁ、やっぱりそっちは思い出せないんだね。

 で、人間の記憶が欲しいという君の二つ目の願いを聞いて、僕はその対価として君の怪物としての記憶をもらったわけだ。

 君の、幸運を使いこなす殺人鬼としての記憶をね。

 人間として生きてみて面白かったんじゃないのかな。だって、幸運を使いこなす殺人鬼としての記憶を失ったってだけで、幸運を使いこなすその能力を失ったわけじゃないからね。誰でも絶対絶命のピンチになったら幸運を祈るものだろう。君の場合は、祈れば能力が発動するから、きっと無意識のうちに能力を使って都合よく幸運なことが起きたりしたんじゃないのかな。

 逃げ回っているだけで相手の弱点を突いたり。

 誰かの何気ない発言が解決の糸口になったり。

 偶然、通りがかった怪物に助けてもらったり。

 自分と相手の料理の好みが何故か一致していたり。

 ねぇ、こんなの幸運としかいいようがないでしょ。さすがに、ここまで起きたら気付くよね。記憶を失った君でもさ。

 で、また僕と会ったわけだけれども。

 どうする、また何か願いを叶えてあげようか。

 たとえば、こんなのはどうだい。ここにいる怪物を引き連れて人間たちのいるところに行き、人間を滅ぼす。中々面白いと思うんだよ。だって、人間なんてみんな死にたいって思って生きているだろう。殺してくれることに感謝する奴らも出てくるんじゃないかな。そうしたら。君、救世主だね。殺人鬼のはずなのに、幸運にも崇められる存在になれるかもしれない。

 最高じゃないか。

 そうだろう。

 目立ちたいんだろう。本当はさ。

 ただの人間たちの中にいる間は、自分のその幸運が発揮されて一目置かれた存在になれることは間違いないわけだ。でも、怪物の中にいたら僕みたいな神様もいるわけで、君レベルじゃ影が薄くなっちゃうよね。

 自分が一段高い所に立てそうなステージを、記憶を失ってまで求めちゃったわけだね。

 ねぇ。それさあ。さすがに必死過ぎじゃない。ねぇ。

 君って案外そういう狡い計算しちゃうタイプなんだね。表情に出さないだけで、自尊心さえ満たされればいいなあ、とか思いながら行動に移しちゃうタイプなんだね。

 あぁ。分かるよ。その気持ち。そういう人ってたまにいるよね。

 あぁ、いいよ。大丈夫だよ。もう隠さなくてもいいよ、伝わってるから。

 そもそもここは、人間がいる世界から離れたところに存在しているわけだ。あくまで主となるのは、こっちじゃない。ここは所詮、デバッグルームだよ。ほとんどの怪物たちは、人間たちが当たり前に生活をしている主たる世界に乗り込もうとしているけれど、実現していない。

 実際に起きていることと言えば、こちらの世界に人間が何人か紛れ込むだけの一方通行。こちらから向かう道はまだ見つかっていないわけだ。あったとしてもそれを活用できるのは紛れ込んだ人間たちだけで、怪物たちは使用できないようになっている。

 さて、君は記憶を失うことで、暇を潰している。でも、賢いせいで結局またここに戻って来てしまった。

 神様はここにいて、怠惰な信者もここにいる。報われない努力を続ける集団から逃れたが、問題の解決には至らない。むしろ、遠ざかっている。

 僕は君にもう一つ提案がある。とても簡単なことだよ。

 もう一度、記憶を塗り替えるのはどうだろうか。

 猶予を作り出すことに対価は必要ない。僕は何度だって君のためにこの能力を使っても良いと思ってるから、気にしなくていいんだよ。また記憶を塗り替えられて死にそうになっても、その幸運を使いこなす殺人鬼としての能力で、ラッキーを幾度となく起こし続ければ死には至らない。

 そして、また僕のところに来ればいい。

 何度も何度も、繰り返し繰り返し、これからのことを考えればいいのさ。

 それにさ。どうせ、君はそんなに深く悩んでいないんだろう。いやいや、隠さなくたっていいじゃないか。

 ちょっとくらい大変な目に遭うかもしれないけど、大きく被害を受けたり損をするようなことはなさそうだなあ、とか思っているんだろう。

 大丈夫だよ。大丈夫。

 躍起になって否定する必要はないよ。

 だって、その通りなんだから。

 君はね、君が想像するよりも遥かに無力で役立たずだよ。やる気のあるなしで未来を変えられるほど、君のこれからに伸びしろなんかないんだ。

「はい」

 じゃあ、記憶の塗り替えをするってことでいいかな。

「はい」

 じゃあ、どんな人間の記憶がいい。

「なんでもいいです」

 ははっ、だろうね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思想連盟八夜教会 エリー.ファー @eri-far-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ