第五章

 車が駐車される場所には山積みにされた薔薇があった。そのすべてが赤く、そしてどれも萎れてもいなければ、折り目もついておらず、咲き誇ったばかのりのように瑞々しかった。

 数メートル先に、赤い箱がある。

 さきほど、さっさと教え手が話していた殺し屋びっくり箱であると思われる。

 その上に人間の骸骨が腰を乗せていた。膝に肘を乗せた前傾姿勢であり、頭蓋骨には当然眼球はない。ただ影を抱えたくぼみがこちらを見ているような気がした。白い骨に黒い影はコントラストとしては抜群である。今まで何体もの怪物を見てきたというのに、これだけはどこか特別に感じるのか平面なイラストのようにも見え、それがまた不気味さを加速させる。

「あんたさー、昨日の夕食は何を食べたの」

 私は声の発信源を探す。

「目の前の骸骨が喋ってるんだよ。悪かったな、骸骨で」

 骸骨は右足を上にして足を組むと左手で顎を掻いた。皮膚や肉、神経がないように見えるので、痒みや痛みといったものを感じているような仕草は驚きだった。もちろん、怪物であるので単純な人間の骸骨なわけがないのだが。

「で、あんたは昨日の夕食は何を食べたの」

「えぇと。」

「あぁ、いい。もういい。俺さ、そういう何を食べたかちゃんと覚えてないやつって、好きじゃないわけよ。だって、飯ってめっちゃ重要じゃん。俺、骸骨だけど結構食べるんだよね、昨日の朝食はコーンフレークと豚の角煮丼だった。昼食は生春巻きにペペロンチーノとマルゲリータ。夕食はカツカレーと、卵スープと、ワンタンメン。それでデザートにパイナップルパイとチョコレートパフェとカスピ海ヨーグルト。めっちゃ美味かった」

「大食漢なんですね」

「タイショクカンって、何」

「沢山食べる人のことです」

「沢山食べるって言えばいいじゃん。なんで、タイショクカンって暗号みたいな感じで言うの。それに、俺、人じゃなくて怪物だし」

「それは失礼しました」

「そうやって面倒臭くなったらすぐに謝るタイプでしょ。それ、友達なくすよ」

「忠告ありがとうございます」

「いや、その前にそもそも友達がいないやつだったりして。もしかして、結構当たってたりする感じでしょ」

 私は苦笑いをした。

 体が骸骨ということは食べたものはどうなるのだろうか。そのまま下へ落下するのか。

「あと、体が骸骨なんだから租借したものは地面に落ちちゃうだろ、みたいなツッコミ入れるやつは、センスないからね」

 初対面の骸骨になんでここまで言われなければならないのか。別に気分が落ち込むとか苛々するというようなことはなかったが、話が前に進んでいないような気がして面倒だとは思っていた。

「あぁ、紹介しとくか。俺の尻の下にいるこの箱が、殺し屋びっくり箱。相手を驚かせてぶっ殺すんだけど、なんだか今日は出てこないんだよね。あんたにビビってるみたい。まぁ、前に別の人間を殺そうとした時も、顔が怖いとか、背が高いから怖いとか、顎髭の剃り残しが青くて怖いとか言って、外に出て来なくなったことがあったからさ。変なところでこいつビビりスイッチ入っちゃうタイプだから気にしないで」

「そうですか」

「見た感じ、あんた怖そうじゃないけどさ。まぁ、こいつが一度こうなっちゃったら当分は出てこないから、俺が応援に来たってわけよ。いつもはバラバラに行動してるんだけど、仲がいいからさ。助けに来てやってもいいかなあってくらいだよ」

「なるほど。よく分かりました」

「じゃあ、ここからは俺の紹介」

 骸骨が立ち上がると腕を組み、こちらを左目で睨むようにして顔を傾けてみせる。表情に一切の変化はないが、私が睨まれるという感覚を味わった以上、威圧的であることは間違いない。

「俺の名前は、飯食い骸骨。いつもお腹が空いてるし、とにかく飯を食っていたいし、飯を食ったまま死にたい。痩せの大食いなんだよ。骸骨なだけに」

「あぁ」

「今の笑う所だぜ」

「そうですね」

「相槌力、マジで全然ないな」

「よろしくお願いいたします」

「俺と会っちまった以上は、俺の遊びに付き合ってもらうぜ。しりとりの達人と遊んだんだろ。あれと同じようなことをするからよ」

「ゲームですか」

「そ、ゲーム。単純だよ。しりとりよりは遥かに単純だぜ」

 骸骨は自分の頭を掴むと、そのまま首と引き離し、両手で胸の前に抱えた。肩甲骨を回すように動かす。頭蓋骨はまるで何かガムでも噛んでいるかのように口を動かすと、唾を床に向かって吐き捨てた。

 大食漢でゲームが好きで、下品な骸骨のようである。

「俺が今、何を食べたいのか。それを当ててくれよ。制限時間は三十分で、質問は十三回まで。質問には、はい、いいえ、分からない、部分的にそう、この四つから回答するぜ。この四つ以外じゃないと回答できないような質問は、カウントはしても答えないからそのつもりで。料理が分かったら、回答してもいいけど質問の回数を消費するからな。まぁ、頑張ってみなよ」

 質問の回数は最高でも十二回。回答の回数は最高でも十三回。

 たったそれだけで、この世に無数に存在する料理から当てられるのか。冷静に考えて、しりとりよりも難しいのではないか。

「もしも、外れたらどうなりますか」

「それは、死に方を知りたいってことだよな」

「すみません。結構です」

「さあ、俺は何を食べたいでしょうか。当ててみな」

 先ほどいくつかの料理名が出たわけだが、そのすべてに共通点がなかったのである。こうなると骸骨がどんな食材が好きで、どんな食材が嫌いなのか、どんなジャンルが好きで、どんなジャンルが嫌いなのかが一切分からない。何一つ絞ることができないのだ。

 骸骨は私からの質問を待っている。

 十三回の質問が終わるまでは何もしてこないというのを逆手に取ろうかとも思ったが、制限時間があった。ルールの穴は中々見つからない。考えはあるのだ。例えば、私の服のポケットにチョコがあったら、チョコと答えて、そのチョコを無理やりその骸骨の口の中に放り込む、であるとか。いや、何を食べたいかというゲームなので抜け道として機能することはないか。なんにせよ、私の手元に食べ物はない。

 結局のところ正面から戦うほかないのか。

「質問しろって」

「少し考えさせてください」

「暇なんだからさっさとしろよ」

 怪物を怒らせて、いいことなどないだろう。良い質問を思いついたわけではないが、とりあえず狭めていく。

「それは麺類ですか」

「いいえ」

「なるほど、そうですか」

「そうですかじゃねぇよ。次の質問だよ、次の質問」

「白米は使用しますか」

「はい」

「和食ですか、洋食ですか」

「気になるか、やっぱり」

「えぇ、まぁ」

「このゲームをするやつ、大体それを聞いてくるんだよな。えぇと、じゃあ答えない」

 私は一瞬思考が停止した。体も同時に硬直する。

 それは、ありなのか。

「まぁ、質問のカウントはしねぇからさ。もっと面白い質問しろって」

 このゲームに敗北する人間が多いとしたら、おそらく理由はここにあるのだろう。質問者にとって非常に重要な質問だったとしても、骸骨が面倒だと感じると答えない。暗黙かつ鉄壁のルールとしてこれが存在する限りは、九割九分九厘、答えには迫れない。

 ほかの道を探るほかない。

「じゃあ、そうだな。次から三回分の質問は、はい、とか、いいえ、じゃなく、どんな質問にも答えるぜ」

「今まで食べた中で、一番美味しかったものはなんですか」

「あぁ、それもよくあるんだけど。まぁ、いいか。えぇと、ニラとニンニクと豚肉を炒めて、それに焼き肉のタレをかけて、炊き立てのご飯に乗せたやつ」

「それが答えであった場合は、豚肉と野菜の丼ものと答えた場合は正解になりますか」

「なるわけねぇだろ。食材を全部言わなきゃなんでもありじゃねぇか。野菜で一括りにできるかよ」

 じゃあ、もう当たらねぇよバカ。

 私は骸骨を笑顔で見つめたまま、あと質問は最高でも八回しかできないことに絶望していた。

 質問と回答の回数を合わせて十三回というのには何か意味があるのだろうか。

 素数。

 十三階段。

 十三日の金曜日。

 トランプで一番大きい数字は十三。

 漢数字かつ縦書きにすると西洋風のお墓に見える十三。

 十三の二乗は百六十九。

「質問、よろしいですか」

「前置きはいいから、さっさと質問しろよ」

「今までに当てられた人はいますか」

「あれだな。お前、ちょっとは賢い質問とかできるんだな」

「ありがとうございます」

「このゲームに勝った奴はいるぜ、百人中十人くらいだったかな」

「凄いですね」

「これはしりとりみたいに性格の悪いゲームじゃねぇからよ」

 十分、性格は悪いと思うが。

 今まで、骸骨が口に出した料理名は。

 コーンフレーク。

 豚の角煮丼。

 生春巻き。

 ペペロンチーノ。

 マルゲリータ。

 カツカレー。

 卵スープ。

 ワンタンメン。

 パイナップルパイ。

 チョコレートパフェ。

 カスピ海ヨーグルト。

 一番好きな食べ物は、ニラとニンニクと豚肉を炒めて、それに焼き肉のタレをかけて、炊き立てのご飯に乗せたもの。

「回答します。あなたが今、一番食べたいものは、ニラとニンニクと豚肉を炒めて、それに焼き肉のタレをかけて、炊き立てのご飯に乗せたものです」

「ブッブー。好きだけど、今はそんなに食べたくねぇな」

 これが駄目だとすると。カロリーが高く、味が濃くて、お腹いっぱい食べられるもの。このあたりを攻めるのが普通だ。

 だが、このままでいいのだろうか。根本的にこの問題への取り組み方を間違えているような気がしてくる。食べたいものを当てるということが、そもそも正解なのだろうか。というか、食べたいものなど時間の経過ともに変わったりするのが普通ではないのか。そう考えたら、一秒前の質問に、はい、と答えてもその次の瞬間には別の料理を思い浮かべて、同じ質問に、いいえ、と答える可能性もあるのではないか。

 答えが一つである。答えが固定されている。答えとなる料理が存在している。

 そもそも前提が違うのではないか。

「ということは、そういうことですか」

「何だよ。そういうことって」

「二郎ってご存じですか」

「人の名前か、それ」

「いえ、正確にはラーメン二郎なのですが、あるラーメンを提供するお店の名前と言いますか、ラーメンの種類と言いますか。私もそこまで詳しくはないのです。ただ、通っていた大学の近くに、そういう類のラーメンを出すお店があったのです」

「美味しいのか」

「まず、超大盛です。そのうえで、スープは濃厚で、油はこれでもかと乗っています。甘みを感じるほどの量の油です。そして、そこに、チャーシュー。これがまた美味しいのですが、一口、二口、三口でも食べきれない厚さで、何枚も乗ります」

「いいなあ、肉も好きだし、大盛も好きだし、何よりラーメンは大好きだぜ」

「忘れてはならないのはニンニクです。衝撃的な強い香りでありながら、嗅ぎ続けたくなってしまうのは、もはや麻薬と言えます。そこにこれでもかと盛られる野菜」

「何の種類の野菜なんだ」

「もやしが多いと思います」

「しょっぱさと、大量の油、そして大きく踏み出してくるニンニクという中で、そこまで野菜としての主張をしてこねぇ、もやしをトッピングか。あぁ、想像してみると、おう、中々悪くねぇな」

「やってきた器に盛られた、超大盛のラーメン。そこから顔全体を包むように立ち上る湯気と、含まれる油とニンニクとしょっぱい香り。唾液が口の奥からあふれ出てきて、それと比例して湧き上がる食欲。あふれるほどの量を箸で一気に掴んで乱暴に口の中に突っ込んでいく」

「麺はどうなんだ」

「太麺であり、ゴリゴリの固さです」

「随分と罪深いな」

「全くです」

「それ、なんていうラーメンだっけ」

「二郎と呼ばれています。他にも、インスパイア系であるとか、直系であるとか、色々な呼ばれ方をしているお店があるそうです。ただ、私は好きで食べていたというだけなので、マニアや常連を名乗れるほどのものではありません」

「いや、まぁ、その、なんだ。旨いってことを知ってるなら、上等だとは思うけどよ」

「私は無知です。これが余りにも美味しいラーメンであり、食べている最中には幸福の波が何度も何度も押し寄せてくる以外の情報は持っていません。本当に好きな方がいたら、こんな説明では怒られてしまうかもしれません。しかし好きです。今でも、忘れられません」

「二郎か」

「はい、二郎系とでも言えばいいのでしょうか。そのようなラーメンです」

「大盛りの麺に、濃い味付け、大量の油に、ジューシーなチャーシューと、鼻孔をくすぐるニンニクに、根性のある太麺。見てみてぇな。食べてみてぇな。腹にぶち込みてぇな」

 なるほど。こういうゲームということか。

「では、回答します。今、あなたが食べたいと思っているものは、その二郎というラーメンですね」

 骸骨が口元を右手で払うように拭いてみせると、わざとらしいほどに喉を強く鳴らして見せた

「あぁ、それが食いてぇよ」

 このゲームはつまり、骸骨が何を食べたいのかを当てるのではなく。骸骨が食べたくなるような料理のプレゼンをして、今すぐ食べたい料理を固定するというゲームだったのだ。

 当たるわけがないルールなのにも関わらず、正解者が十人もいるところ。骸骨が質問という要素をそこまで重要視していない点。質問以外では会話をいくらしても咎められないという抜け道。さらには、これだけ理不尽なことをしておきながら、しりとりほど意地悪なゲームではないというヒント。

 骸骨は自分の頭をもう一度首の上に乗せると、螺子のように回して、顔を正面に向け、そこで手を止めた。

「かなり、意地悪なゲームだと私は思います」

「そうか。むしろ、ここで参加させられるゲームの中じゃ一番簡単だと思うけどな」

 骸骨は愉快そうに笑った。

「このゲームの本当の意味が分からなくて、質問をしまくった挙句、数が少なくなってパニック状態になる奴が多いんだよ。もうそうなったら、さっさと殺すようにしてるけどよ。まぁ、お前はどことなく根性がありそうだったから、美味しい料理の一つや二つ、紹介してくれるんじゃねぇかと思って期待してたんだぜ」

「それは何よりです」

「で、その、二郎とかいうのはどこに行くと食えるんだよ」

「東京都の三田駅の近くです」

「ふうん。腹減ってきたしなあ。じゃあ、ちょっくら行ってくるぜ」

 頭蓋骨が下を向くと、自分の骨を口の中に入れ始めた。そのまま首の骨やあばら骨、腕の骨、恥骨、足の骨をまるで煎餅のように食べていく。骨の粉や滓も、吸い込みながら噛み砕いているので、地面に一切残っていない。

 僕の足元に転がってきた頭蓋骨。

 僕はそれを見下ろす。

「じゃ、美味しいお店を教えてくれありがとよ。さっさと教え手と痣らしいアザラシを誘って一緒に行ってくるぜ」

「仲が良いんですね」

「良いっていうか、ほら、あいつらもラーメンとか好きだからさ」

 頭蓋骨の下顎が徐々に上がっていき、前歯をかみ砕き、頬骨をかみ砕き、とうとう下顎だけが残る。そして、その下顎も見えない何かにかみ砕かれるかのようにして、消えてしまった。




 ねぇっ。ちょっと、ねぇっ。

 いいっ、落ち着いて聞いてねっ。

 帰れるの。

 あたしたちは、このわけの分からないところから帰れるのよっ。

 凄くないっ、あたし見つけたの。どうしたら帰れるのか。私分かったの。

 実は、私、ここに連れて来られた時に携帯を持ってて、それがね、ポケットに入ってたの。間違いなくあたしの携帯なんだけど、ずっと圏外だったわけ。で、さっきよ、さっき。

 電話がかかってきたの。出た、すぐに出た。

 そしたら、誰が出たと思う。ねぇ、誰が出たと思う。

 妹だったの。あたしと一緒にここに連れて来られて、最初の段階でおっきいマシーンみたいなやつに押しつぶされて殺された妹だったの。あたし、最初は信じられなかったんだけど、話せば話すほど妹だし、嘘じゃないなって分かったの。その後は、お母さんとかお父さんとか、かわるがわる電話に出てあたしのこと心配してくれたの。最後は警察まで出てきて。

 ね、すごいでしょ。

 しかも、あたしの目の前で死んだ人がほかにもいたんだけど、その人が電話に出たの。今、警察に事情を説明して、この異世界みたいなところについて調査をしてるんだ、みたいな話になったのね。

 そうなの。

 ここ、死ぬと出られるのよ。

 凄い単純でしょ。死んだら、死ぬんじゃなくて、あっちで生き返るの。だから大丈夫だったの。もう、めちゃくちゃ安心した。

 ね。この電話、いつでも元の世界とつながるの。ほら、安心させたい人とかいるなら、いいよ使っても。いるでしょ。遠慮することないから、どんどん使って。困ったときはお互い様だもの。

 え、いいの。

 あら、そうなの。

 いや、家族とかいるでしょう。それに、警察にだってちゃんと話した方がいいと思うし。どうかしら。

 あ、泣いてる。そりゃ、そうよね。だって帰ることができるんだもんね。こんな狂った世界にずっとい続けるなんて絶対にありえないものね。やっとよ、やっとこの戦いは終わるの。遠回りだったけど、本当に安心した。

 ね、だから、泣いてるのよね。

 ねぇ、そうよね。そうなのよね。

 あの。

 あなた、大丈夫な人なのよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る