第四章

 コロコロすずめと、一坪の雪山。

 別に大したものではないのだ。

 一つ一つであれば。

 私は猛吹雪の中、立つこともできない。雪の上でもがきながら、どうにか脱出を試みていた。体に乗った雪を払おうとするが、すり抜けるばかりである。降ってくる雪が幻想であることは分かる。だが、寒さによって体が震え。指先の感覚がなくなっていく。

 この寒さも気のせい。そう、気のせいだ。

 だが、どうしてもそれを振り払うことができない。白く染まった視界の中で、自分が本当に雪山で遭難していると思ってしまう。

 結局のところ、私はどれほど危険なのかを身をもって経験しなければ、まともに注意することもできないようだ。自分の無能さを恨んでいる最中である。

 一坪の雪山という怪物の正体は、一辺約二メートルの正方形の雪が積もったスペースである。真ん中には三十センチほどの小さな雪だるまが置かれ、黒い石によって目と口が作られている。

 能力は単純だ。このスペースに足を踏み入れた人間を強制的に遭難させるのである。猛吹雪に遭っているという幻想を見せ、寒さもまるで本物のように感じさせてくる。脱出の仕方は簡単だ。歩いて出ればいいのである。どんなに大変であったとしてもまっすぐに進めば、外には出られる。

 だからこそ、とある怪物と手を組まれると厄介なのだ。

 コロコロすずめ。

 ただのすずめのように見える。ただし、飛ばない。移動は歩きかコロコロと転がるのみである。前に後ろに、右に左に転がって、少し歩いて転がる。行動はそれだけである。小さな足を懸命に動かして歩き回り、疲れたら転がって、それでも疲れたら少しばかり休憩する。

 このすずめの能力は、近くにいる者を転ばせる能力である。正確には立たせなくするのだ。

 すずめが転がる時、近くにいる者は急激な眩暈に襲われて立つことができなくなり、必ず転ぶ。そして、それはその者がすずめを視認できていなくとも同様である。

 私はこの一坪の雪山で遭難し、寒さに震えながら猛烈な眩暈に襲われている。

 この一坪の雪山に踏み入れたきっかけもすずめなのだ。雪を踏まないよう避けて歩いていたのに、柱の影から大量のすずめが急に転がりながら出てきたため眩暈を起こし、雪を踏んでしまったのだ。

 もっと遠くを歩くべきだった。踏み入れなければ大丈夫だと思い、好奇心が勝って少しばかり近づいたのがいけなかった。

 おそらく今現在、すずめたちは一坪の雪山の周りを囲うようにして転がっているのではないだろうか。どこに逃げようとしても転ばせるのであれば、その布陣が一番適切だろう。

 すずめのくせに、一坪の雪山と組んで襲い掛かるとは中々に卑劣である。

 死ぬ、と思った。少しずつ肥大化していくのが分かる。心の底から嫌になる。殺されるとしたら、できたてのナポリタンのような即死系であると思っていた。まさか、こんな怪物に命を奪われることになるとは想像していなかった。

 私の頭の中にこの未来はなかった。

 立体駐車場で、すずめに屠られながら遭難する。

 こんな意味の分からない状況があってたまるか。しかし、事実なのだから致し方ない。




 私に助けてもらってよかったですね。

 一坪の雪山からあなたを引きずりだすのは大変だったんですよ。私に手があったからよかったものの。

 というか、見ての通り。私、手しかないんですけどね。

 はじめまして。私、さっさと教え手という怪物です。

 地面から腕が生えていて、しかもそれが自由に動き回ることを非常に不気味に感じる方もいるようですが、我慢をしてください。

 私の手の甲を見てください。小さな痣のようなものがあるしょう。これも怪物です。名前は、痣らしいアザラシ。アザラシの形をした痣です。よく見ると、髭や、可愛い目なんかも確認できると思います。

 このアザラシは生き物の肌を通して移動し、敵として認識した相手の肉を食らいます。前に、このアザラシに目をつけられた人間は、肩をかじられて腕を落としました。その前は確か、下半身を食い破られた人もいましたね。当然ですが、首をかじられると、頭が落ちますから気をつけてください。

 私とアザラシはこのようにしてタッグを組んで相手に接触します。さきほどの一坪の雪山とコロコロすずめと同じです。

 逃げなければ危害は加えません。

 目的はシンプルです。私の知的好奇心を満たして欲しいのです。つまり、私の質問に答えてくれればいいのです。

 大抵の人間は、私が現れただけで恐れをなして会話をせず逃げようとします。私はただ会話ができればいいのです。時間はかかりますが、協力してください。私の手の甲にいるアザラシをあなたの体に移動させられたくはないでしょう。

 では、始めます。

 まず最初にお聞きしたいのは、あなたは私たち怪物に何故勝とうとするのかということです。他の人間に話を聞いたときは、元の世界に帰るためだと言っていました。

 それはつまり、どういう理屈なのでしょうか。

 どのような状況で、どのような現象が起きて、この世界に飛ばされたのかも分かっていないのに、帰る方法が明確というのもおかしな話ではありませんか。正しいのか間違っているのかも分からないのに、妄信するのはどのような理由からなのでしょうか。

 もし、勝ったとして。

 それで、なんなのですか。

 お聞きしているのです。答えてくれませんか。

 はい、分からない。それが答えということでよろしいですか。分かりました。なるほど。

 目的を持つのは良いことではあります。ですが、目的がないと行動に移せないことと、その目的が正しいものであるかを判別する能力を持っていないことは致命的でしょう。単純に、目的をもって行動をしていない自分に自信が持てず、目的をもって前に進んでいる実感にすがって生きているだけでしょう。それは、ただの目的依存症でしょう。

 生き方が気持ち悪いですよ。

 では、次の質問です。

 分からないとお答えになりましたが、今後もこの世界で怪物に勝つことを目指すということでよろしいですか。目指さないのであれば、何をしていく予定なのか教えていただけますでしょうか。

 それも、分からない。

 それが答えですか。それで本当によろしいですね。

 なるほど。

 あなたって本当につまらないですね。

 では、そうですね。

 もう少し、話をしましょう。

 まず、一度でも勝つことができれば元の世界に戻ることができるというのは、明らかな間違いです。怪物を一体だけではなく、二体、三体も倒したところで何も起きません。残念でした。

 そして、もう一つ報告。

 人間はいつでも帰ることができます。

 いいですか、もう一度言いましょう。あなたは元の世界に帰れるのです。

 ここは、確かに特殊な世界であり、ある条件を満たした場合、人間がここへと飛ばされてくるということになっています。しかし、帰るのはとても容易なのです。

 この立体駐車場のエレベータを使えばいいのです。途中で何度も何度も見かけたはずです。それに乗ってどこかのフロアのボタンを押せば、元の世界に戻れます。別に罠がしかけてあるとか、エレベータ自体が怪物ということもありません。

 乗れば、帰れます。

 拍子抜けしましたか。

 では、ここで質問です。

 あなたはエレベータに乗ろうと思いますか。

 乗れば帰れます。では、乗りますよね。

 これも、分からない、ですか。

 なるほど、いや、これについても分からないと答えるのは非常に興味深いことです。私からすれば、帰還は当たり前の選択であると思っていたものですから。

 分からないと答えたその理由はなんですか。

 勝負に勝つということですか。負けてばかりだからということですか。それは、怪物に勝ちたいという意味ですね。

 何でもいいから、とにかく怪物に勝ちたいと。

 目的がずれていませんか。

 帰るために怪物に勝とうとしていたわけですから、怪物に勝つことが目的ではありませんよね。

 帰ることと、怪物に勝つことが全くの無関係であることが証明されたわけです。怪物に戦いを挑むことはリスクですし、実際何人も殺されているわけです。

 それに、何人かは意図的にしろ、そうではないにしろ、エレベータに乗って元の世界に帰っています。

 気づいていない間抜けだけがまだ残っています。

 そして。

 気づいても帰らない狂人が残る可能性があるということですね。

 あなた。ここに住んでいる怪物たちと同じくらい狂っていますよ。

 知っていますか。ここがどのような経緯で作られたのか。

 ここにいる怪物たちはすべて人工物なのですよ。ある集団によって作られたデザインボックスおよび、カラーサークルのサンプル集なのです。悪ふざけなのか、それとも真剣に作られたものなのか分かりませんが、そういうものが全部、この立体駐車場に押し込まれているのです。

 おかしな話です。

 誰も評価しないし、誰もここを活用しに来ない。大量に余ってしまったテストの残骸でしかないのに、廃棄もされない。その上、ここにいる怪物たちの体積をすべて足すと、計算上はこの立体駐車場には入りきらないのだそうです。不思議な話でしょう。まぁ、本当なのか分かりませんが。

 他にもあります。例えば、この立体駐車場に屋上が存在していることさえ分からないし、地上に降りられるかも分かりません。無限に伸び続けているとも言われていて、そのことについて怪物同士で話すこともあります。でも、結論は出ないのですよ。分からないし、誰も知ろうともしない。

 私は好奇心を常に抱えて生きていますから、知りたいとは思いますよ。

 でも、私の好奇心をどれだけ積み上げても、到達できません。

 好奇心を使ってどれだけ掘り下げても、行き着けないのです。

 この立体駐車場の外の景色もまた格別です。

 ネオン街。

 ビル。

 車の光。

 それらがすべて遠くにあって、しかも誰かが生きているという証明にまでなっているのに、人間の影は確認できない。まるで、光だけがそこに存在しているだけで、一切の意思などないように見えてくる。人間の中には外ばかり見つめる者もいます。ほら、こういう冷たい立体駐車場の中を見ていると、明るい光で視界を満たしたくなるでしょう。

 けれど、それも段々と演出のように見えてくるのでしょうか。夜景も見なくなる。

 そうすればその人間は末期です。

 立体駐車場から地面に向かって飛び降りるのです。

 しかし。

 肉の叩きつけられる音は聞こえない。

 この立体駐車場が高すぎて、その音さえも聞こえてこないのか。もしくは、地面が下がり続けて永遠に落下し続けるのか。ここの怪物ではありますが、さきほど言った通りです。その理由は分かりません。

 一応、聞きますが、ここから飛び降りますか。

 飛び降りない。それが答えですか。そうですか。

 まぁ、あなたならそうでしょう。

 元いた世界でのあなたは一体どんな人間だったのですか。怪物に一度でも勝ちたいという思いに囚われている理由は、そもそも勝てない人生が続いていたということではないのですか。

 勝ち慣れていない人って、童貞臭いですよね。

 あなたのことですよ。

 ただ、一度勝ったとして、あなたは元の世界に戻りたいと思うのでしょうか。そこがとても気になります。

 一度でも勝ちたいと思っている人は、二度、三度と繰り返すものでしょう。ギャンブルでもそうではありませんか。これで最後と言いながら、次から次へと金をつぎ込んでいく。今回に限って言えば、怪物と戦うわけですから、自分の命を際限なくつぎ込み続けるということが正しいと言えるわけですね。

 依存していませんか。敗北にも、勝利にも。

 結論が出ていないことがそんなに怖いのですか。

 何度も言いますが、勝つことで得られることはほぼ経験だけであると思います。あなたが思うほど、この経験に価値はありません。ここに社会などはありませんから、社会的名声も手に入らないし、当然金銭的利益もありません。

 それでも勝とうとするのは、戦おうとするのは、敗北から脱却しようとするのは、ここに来るまでの人生のせいですか。

 今までの人生がそんなにつまらなかったのですか。何かで一発逆転したいとか、そう思ってきたということですか。努力して、頑張って、結果を出して。何かが変わる、きっと変わる、大丈夫だ。自分はまだ大丈夫な方だ。だって、毎日成長したいと思っているからと言い聞かせて生きてきたのですか。

 そういう考え方が、あなたのつまらない人生を作り出した一番の要因だとは思わないのですか。

 勝たなくても、生きていけるし幸せになれます。

 負けても、生きていけるし幸せになれます。

 あなたが幸せになれないのは、勝負に勝ってないからではなくて、人生を歩むのがただ下手糞だからですよ。

 もしもの話ですが。

 ここには神様がいるのです。名前は、タクシー運転手の名を騙る神様。自分をタクシー運転手であると言い張るのですが、その正体は神様です。なんでも欲しがる神様ですから、あげてしまえばいいのです。あげれば大抵のことは叶えてくれます。

 もしかしたら、勝ちたいという願いを叶えてくれるかもしれません。何を欲しがるかは分かりませんけれども。あなたの腕なのか、あなたの靴なのか、あなたの眼球なのか、あなたの髪の毛一本なのか。嫌なら断ってもいいので気にしなくてもいいと思います。

 あなたの旅はどこかで終わると思われます。怪物たちと戦い続ける限りは、命が幾つあっても足りません。どこかで必ず死にます。

 きっと、そんな旅の最後で、あなたは神様に会えるのではないでしょうか。私はそんな気がします。

 そしたら、そこで願いを叶えてもらえばいい。何もかも捧げて勝利を手にすればいい。それがあなたにとって本当に幸せだというのなら、そうしてください。

 まだ先に進むのであれば、次に出てくるのは、殺し屋びっくり箱です。四十センチ四方の赤色の立方体の箱から飛び出してくるびっくり箱です。ワープを多用するので捕まえることは難しいでしょう。そのうえ、びっくり箱という名前の通り、急に飛び出してきてこちらを驚かせてきます。

 絶対に驚いてはいけません。

 驚くと、あなたの体の内側にある心臓が、肉を、皮膚を突き破り、飛び出します。即死です。

 よく漫画の表現で、驚いたキャラクターが目を飛び出させたり、心臓を体から飛び出させたりすることがあるでしょう。あれが、実際に起こります。

 殺し屋びっくり箱は、相手を驚かせることで、心臓を飛び出させるという能力を持っているということです。回避方法は気付かれないように通るか、視覚と聴覚を一時的に不能にする、もしくは、驚かないように心を固く保つ。それ以外にはありません。

 勝とうとするのではなく、生き残るように心がけてください。

 喋り過ぎました。すみません。

 では、最後にもう一つ質問をさせていただきます。

 ここには、怪物に襲われ、殺された人間が数多くいるわけです。だからこそ、怪物に勝てば帰れるのではないか、という妄想も加速したと言えます。では、その殺された人間の死体は、今どこにあるのでしょうか。

 ここに来るまでにあなたは人間の死体を幾つ見かけましたか。生きている人間か怪物にばかり会っているのではありませんか。

 怪物がこれだけいて、人間が数多く転生させられているというのに、あまりにも不自然だと思いませんか。

 それについてどのように思いますか。分析してみたことはそもそもありますか、教えてください。

 分からない、ですか。

 分かりましたこれで以上です。有難う御座いました。私の知的好奇心は満たされました。私と痣らしいアザラシは退散します。さようなら。

 ご武運を。それが駄目なら偉大なる死を。

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