第三章

 立体駐車場。

 立ち尽くす私。

 本来、車が停めてあるべき場所には、巨大なテディベアの人形が置かれていた。天井に軽々と達しているので顔が曲がっており、非常に窮屈そうである。

 目の前には錆びついたパイプ椅子が置いてある。

 その奥に高級そうな木製の椅子がある。

 そこに黒いスーツに、黒いロングコート、黒い中折れ帽子をかぶった三十代前半くらいの男が座っていた。口は大きく、そして笑っている。丸眼鏡をかけているがレンズは反射のために白く光っており、瞳を確認することはできない。長い足を組んでおり、黒い革靴が非常に威圧的である。

「座りたまえよ」

 中折れ帽子の男が指でパイプ椅子をさす。

 人型の怪物に会ったのは久しぶりであった。

 私は、無表情のまま男を見つめる。

「私から一勝をあげて元の世界に帰りたいのだろう。だったら、このチャンスを逃すべきではないというものだ。私は親切であり、理不尽なことは一切しない。ルールに則ってゲームをするだけだ。単純な怪物だよ」

 私はパイプ椅子へと静かに座ると、男の表情を確認する。

「私の名は知っているね。そう、しりとりの達人だ。ルールは簡単だ。これから、しりとりを行う。最後に、ん、が付いたら負けで、中に、ん、が付いてもいいということにする。あぁ、そうだ、濁点と半濁音については自由でいいとしよう。取ってもいいし、付けてもいい。どうだろうか」

 私は頷いた。

 達人も満足そうに頷いた。

「せっかくのゲームがだれてしまってはいけない。持ち時間は四十五秒以内ということにしよう。相手の言葉を聞いてから四十五秒以内に返す。そして、罰ゲームについても話しておくとしよう。君が負けた場合は、その瞬間に体がひらがながデザインされた積み木へと変わる。つまりは即死だ。他に何か質問はあるかな」

 私は手をあげる。

「ルールが変更されることはありますか」

「基本的にない」

「そうですか」

「ただし、よりよい勝負を行うために下らない要素を排除するようこちらから提案する場合はある。それが結果としてルールとして組み込まれてしまう可能性があると断言しておく」

 実は、私はこのしりとりの達人という怪物のことを知っていた。なんとなく、どこかで聞いたことがあった。

 無敗なのだそうだ。

 ただし、しりとりの実力は普通。

「私は、まだ敗北を知らない。名も知らぬ君こそがこの私に敗北が何たるかを教えてくれることを信じている。では、り、からスタートだ。君から始めたまえ」

 しりとりと言えば、る責めだろう。

「では、しりとりの、り、から。リール」

「流浪、だな」

「ウール」

「累積、でいこう」

「キャッチボール」

「留守」

「ズルをする、の、ズル」

「る、る、累進課税」

「イコール」

「ルッコラ、だ。どうだ」

「ライバル」

「る、じゃあ、ルールだ。どうだ、これで、る攻めは効かないぞ」

「ルーズボール」

「待ちたまえ」

 ほら、来た。

 これなのだ。本当に注意すべきは、この達人が行う一時中断なのである。最も厄介であり、勝負を挑んだ人間が敗北する最大の理由なのだ。

「る、が最後の言葉になるものも負けにしよう。うん、そうするべきだ。ほら、る、という言葉は言いにくい。別に負けたくないからそう言っているわけではない。勝負を面白くするために重要なことだ。異論は認めない。いいな」

 やはり、かなり昔に聞いた噂通りの怪物である。

 この達人はこのようにして、負けそうになるとルールを変更してくるのである。

 故に、しりとりの達人。

 ルールは勝負が続けば続くほど増えていき、しかも、なぜかこの達人のほうはその追加ルールを一切忘れない。挑戦者側は一方的に増えていくルールを覚えられずに必ずどこかでルール違反をして負けることになる。当然ながら、挑戦者側がルールの追加を申し入れても受け入れてはもらえない。

 この一方向からの権利の主張が通ってしまうという、変則しりとりだからこそ、しりとりの達人は勝利を重ねているのだ。

 しりとりというか、こういうゲームなのだと思うしかない。

「では、少し戻って、君の、ら、から始めるとしよう」

「ライヘンバッハ」

「それはなんだね」

「私が元いた世界にある地名です」

「今回は良いが、地名は禁止にする。は、か。えぇと、灰皿」

「ランボルギーニ」

「それも地名か」

「いえ、車の名前です」

「よし、次からは車の名前、いや、乗り物すべて禁止だ。に、に、如意棒」

「ウサギ」

「次からは動物の名前も禁止だ。教会」

「イブラヒモビッチ、人名です」

「人名も禁止だ。チャイ」

「井草」

「草木の名前は特に地味だ。次からは、草木の名前を禁止にする。三千世界」

「医療事故」

「幸運を使いこなす殺人鬼」

「すみません、それはなんですか」

「この世界にいる怪物の名前だ。ちなみに、この世界の怪物たちは高貴な存在であるので、同じく高貴なしりとりというゲームにおいて使ってもいい」

「人名や、動物の名前が含まれている怪物もいますが」

「それは、怪物の名前ということにして良しとしよう。判断が面倒になってはゲームが面白くなくなるからな。しりとりの達人、も使っていいぞ。ただし最後が、ん、だがな。どうだ、使ってみるかな」

「き、きびだんご」

「食べ物は次から禁止だ。あと最後が、き、になるのも禁止しよう。氷枕」

 ここまでだけで、追加ルールは七つ。

 る、禁止。

 地名禁止。

 乗り物禁止。

 動物禁止。

 人名禁止。

 草木禁止。

 食べ物禁止。

 き、禁止。

「な行、と、は行、で終わるのも禁止にするべきだな。音が汚い」

 な行、禁止。

 は行、禁止。

 このペースで行くと追加ルールの数が二十や三十、五十、百など、すぐに到達してしまう。時間の問題だ。しりとりをしながら、記憶できる量ではなくなってくる。

「ラク」

 そう口にして、途中で止めた。

 ラクレット、と言いそうになっている自分に気が付いたのだ。これは食べ物だ。

 まずい。本当にまずい。気を抜いたつもりではないのに、いつものしりとりの調子で言葉を発しそうになっている。

「四十五秒以内に言えなくても負けということをお忘れなのではないかね」

「ら、来客」

「管」

「だ、ダンス」

「す、に濁点を追加して、図工」

「う、う、う、浮き輪」

「どうしたんだ。ずいぶんと、言葉に詰まるようになってきたようだが。輪投げ」

「げ、け、毛玉」

「升」

 ルールが増えた時の方が、この達人、頭の回転が速くなっている。一体、どういう理屈なのか。

「す、水晶」

「臼」

「す、す、水槽」

「うんてい」

「井戸」

「どさくさ」

「あの、少しを話してもいいですか」

「構わないが、それも四十五秒に含まれていることをお忘れなく」

「少し前に、変な食べ物の怪物に会ったんです。白いお皿の上に乗せられていて、赤い色をしていました」

「あぁ、知っているよ」

「名前はできたてのカルボナーラというものだそうですね」

「違う違う、君はちゃんと見たのかい」

「見ましたよ、でも名前については自信がないのです。できたてのポモドーロでしたっけ」

「しりとりに興じる人間が、言葉を忘れるとはなんとも嘆かわしい話だ」

「分からないんです」

「分からないなら教えてやろう」

「さっさと教えて」

「できたてのナポリタン、だ」

 次の瞬間、立体駐車場にサイレンが鳴り響いた。

 達人に勝つとこういうことになるのか。

 達人が組んでいた足をほどき、あたりを見回す。明らかに驚いている様子である。

「待ちたまえ、私は別にルール違反はしていないぞっ。なんだ、これは」

「いえいえ。今、ん、を最後に言いました」

「できたてのナポリタン、とは言ったが、そもそも今は君のターンだろう。君が、さ、で何を言うかという所だったじゃないか」

「だから私は、さ、から始まる怪物の名前。さっさと教え手、と言ったではありませんか」

 泣き虫なビニール傘に襲われた後に会った人が、怪物の名前を言っていたのを思い出したのだ。他にも一坪の雪山やコロコロすずめと言っていたような気がする。

「え、いや。あれは、その会話の延長だと思ってだな」

「私は会話の延長ではなく、しりとりの延長だと思っていました」

「わ、私をひっかけたな。こともあろうに、このしりとりの達人をひっかけるとは、なんたる暴挙だ。許せないっ、絶対に許せないっ」

「どうしますか」

「これは純粋なるしりとりの勝負ではないっ、引き分けだっ、まともな勝負と認めるわけにはいかないっ」

「こちらに落ち度があるとは思えませんが」

「じゃ、じゃあ。こっ、今回は見逃してやるっ、くそっ、もう二度としりとりなどと口にするなよっ、汚らわしいっ」

 確かに、ひっかけであるからして、勝敗が決したとは言い難いかもしれない。惜しいことではあるが、生き残ったというところを評価するべきだろう。

 サイレンが鳴りやみ、目の前の達人が荒い息遣いをしていることが伝わってきた。

「あの、引き分けついでに教えて欲しいことがあるのです」

「まぁ、私を引き分けに追い込めた者などいないからな。致し方ない。手短にしろ」

「幸運を使いこなす殺人鬼というのは、なんですか」

 達人がわざとらしくため息をつく。

「幸運を使いこなす殺人鬼というのは、人型の怪物だ。血まみれのシャツを着て、気安く話しかけてくるらしい。自分に幸運が降りかかるように自在にコントロールする能力を持っているのだそうだ。いわゆる、ラッキーを起こして自分にとって有利な状況を作りだしたり、相手にとって不利な状況を作り出すようだ」

「会ったことはないのですか」

「ここに怪物が何体いると思っている。一万体以上だぞ。会ったことのない者もいるし、いがみ合っている者も、協力体制をとっている者もいる。分かったか、もういいだろう。私はとにかく不愉快だ。これで帰る」

「教えてくださって有難う御座いました」

 立体駐車場の電気が一度切れる。

 また電気がつくと、しりとりの達人の姿はどこにもなかった。




 しりとりの達人と引き分けたって、すごいね。

 でも、勝ちにしてもらえなかったのが正直残念だよね。勝ちを拾える勝負であったことは間違いないんだし。

 僕、僕はね。まぁ、人間じゃないよ。人型の怪物だね。この世界に住んでる側の存在っていうか。あぁ、そうだ、当ててみなよ。僕が誰なのか。正直、君が当てられるのか滅茶苦茶興味があるんだよね。

 うん、ヒントはあるでしょ。

 まぁ、こんな服を着ていたらね。白いシャツにスキニーのジーンズに革靴。で、それ以外に何か発見できるところはあるかな。ほら、イケメンとか、声がカッコいいとか、今流行りの声優さんと声が似ているとか、瞳が超綺麗とか。

 え。あぁ、まぁそっちに興味が行くよね、普通は。ふふふ。

 このシャツのことだろう。

 確かに、僕の着ている白いシャツは血まみれだね。でも、これは僕の血じゃないんだよ、僕がどこかで怪我をしたんじゃなくてね。まぁ、たぶんだけど、誰かの返り血を浴びたんだろうね。うん。

 ただ白いし、ただのシャツだし、ブランドものじゃないし。でも、血まみれだから、そのおかげでどこを探しても見つからない、オリジナルシャツになった。汚れたおかげで価値が生まれたのさ。

 凄いよねえ。

 君は、怪物たちと戦っているみたいだけど、それは勝ちたいからだよね。勝つと何かもらえたりするの。ねぇ、教えてよ。例えば、お金を超もらえるとか、他にはそうだなあ、不老不死になれるとか。立体駐車場の中を走り回って、戦って、情報収集してるところは、ずっと遠くから見てたからねぇ。必死にならなきゃならない理由があるんだろうとは思ってたんだけどさあ。

 で、僕と戦ってみる。

 どう。

 僕、本気出したら君のこと殺しちゃうけど。

 ねぇ、どうする。

 やめとくの。あぁ、やめちゃうんだ。

 いや、別にやめるとかやめないとかは君の自由だからいいんだけどね。でも、なんていうか、最近誰とも戦っていないから、自分の腕が鈍ったんじゃないかって不安なんだよね。

 お喋りは好きだよ。とってもね。でも、お喋りだけじゃねぇ。それで潰すことのできる時間なんて限られているだろう。それより、殺した、殺された、なんていう方がハリがあるだろう。死んだ、死んでない、生きてる、生きてないとかでもいいけどさ。

 僕は自分の実力を過大評価も、過小評価もしないからさ。油断もしないんだよ。そうなるとねぇ、負けないし、死体の山を築いちゃうんだ。変わらない世界が過去にも現在にも未来にも広がってしまうわけだよ。

 退屈なの。

 もし、君が何かしてほしいなら相談に乗ってあげてもいいけど、どうする。

 え、そういう感じじゃないんだ。じゃあ、君に協力してあげて時間を潰すというのもできないのか。ううん、残念だなあ。

 僕って、こんな血まみれの汚い服を着てて変な怪物だと思われてるかもしれないけど、結構、楽しく生きている方なんだよね。分かりやすく言うと、僕って、わりと運が良いっていうか、幸運そのものっていうか。

 神様に愛されちゃってるわけよ。ふふふ。

 あ、鼻につくかな、この喋り方。ごめんね。でも、ほらこういうのって癖だしさ、直すより周りに慣れてもらった方が早いっていうか。嫌われないように生きるより、好きでいてくれる人と一緒に生きる方が楽しく過ごせるでしょ。

 なんとなく分かったと思うけど、僕って自己愛強めなんだよね。鼻につくほどのナルシズムが僕のアイデンティティそのものってこと。

 君はあれでしょ。怪物に勝つために、まだ進むんでしょ。

 この先に行くと何がいたかなあ。

 あぁ。確か、すずめと雪だよ。ふふふ。

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