数日経て、その間に小津町は

Twitterを見たのか、将又誰かから

連絡があったらしく、

全てを話すと言ってくれた。

それからは順調すぎると言えるほどに

とんとんと物事が進んでいき、

土曜日の午後2時に

小津町の家の最寄駅で

一旦は集合する運びとなった。

そして、そのまま小津町の

家に向かうことになる。


グループLINEにて住所も送ってくれた。

特筆することがあるとすれば、

かえの言うことを守って

土曜日までに行動していること。

そして、小津町の態度が

妙に淡々としていることだろうか。

昨日は会うことは叶わず、

寧ろ会わないほうがいいかもしれない

とまで考えていたので

無理に探さなかった。

木曜日に顔を合わせて以来で、

これまでのどの時よりも

高頻度で顔を合わせていると言うのに、

いつとの時よりも緊張して止まない。


それはみんなも大体同じようで、

顔が引き攣っている人が多かった。

けど、空元気だろう、

明るいふりをしている人も多かった。


梨菜「ごめんなさい、遅れましたー!」


波流「すみません!」


愛咲「だっはは、いっつも賑やかだな!」


羽澄「愛咲ほどではないと思いますよ。」


愛咲「そうかぁ?」


麗香「そうだね。」


愛咲「なっ!ここで追加攻撃だと!?」


歩「ちょっと、あんま騒がないで。」


愛咲「えへへ、すまんすまん。」


美月「歩、方向わかる?」


歩「ん。今見てる。」


羽澄「時間は大丈夫そうですか?」


麗香「…ま、ちょうどに着くくらい。」


梨菜「ふう…よかった。」


波流「いっつも準備が遅いんだから。」


梨菜「善処はしてる!」


歩「こっち。」


唐突にひと言行ったかと思えば

それが合図だったらしく、

みんな揃って住宅街を歩いた。

戸塚あたりの大きく

有名な駅というわけではなく、

その間にある住宅の連なる

小さめな駅だった。


そこから十数分歩けば

もうそこには小津町の家。

中途、電信柱だとか

郵便ポスト、小学校が目に入る。

地元と深く繋がっていそうだと

無意識のうちに感じ取っていた。


ついてみれば、何とも意外だった。

小津町はマンションか一軒家に、

少なくとも洋風の家に住んでいるとばかり

思っていたものだから、

着いた先が木造の平家で

本当にあっているのか不安になった。

表札もないものだから

特にそう考えてしまったのだが、

インターホンを押して少し待てば、

ラフな格好をした小津町が出てきた。

首元の緩いTシャツに

1枚羽織を羽織っているような。


花奏「来てもらっちゃって、ごめんね。」


愛咲「いやいやぁ、こちらこそ押しかけちゃってすまねえぜ。」


花奏「どうぞ、上がって。」


歩「…。」


誰もが緊張していた。

みんな言葉少なく玄関を通って

リビングらしい場所へと通してもらう。

すると、そこには

笑っている若い女性の遺影と

お仏壇があった。

あまりじっと見るのもおかしいかと思い

すぐに目を逸らす。

家族…姉やお母さんに

当たる人だろうか。

思っている以上に小津町は

大変な人生を送ってきたのだろうと

想像するに容易くて

心臓がつままれたような気持ちになる。


座布団を用意してくれていて、

低く大きい机を

囲むように座った。

長束先輩や嶋原さんあたりは

暗くさせないようにしているのか、

家の中や天井を見回しては

感嘆を漏らしていた。

確かに木造の平家は

今でこそなかなか見ないものだから

物珍しいのだろう。


小津町も言葉少なく座った。

すると、一気に静まったのだ。

びりびりした空気が苦手なもので、

うっと声が漏れそうになった。


花奏「…今日集まってもらってありがたいんだけど、多分すぐに終わると思う。」


そう前置きをした後で、

スマホを簡単に操作した。

何について話さなければ

いけないのかを確認したのか、

ふう、とひとつ息を吐いた。

きっと、覚悟を決めたんだろうと思う。

皆して息を呑んで、

小津町の言葉を待った。


花奏「…えっと…そうだな。まず、放火と動物埋蔵…あたりは……うん、むしゃくしゃしてやっただけだよ。」


小津町は目を逸らしながら、

苦しそうにそう言った。


花奏「ストレス発散方法がそれだっただけ。それでいうならリスカも入るか。」


麗香「…ストレスっていうのはかえが原因?」


花奏「ん?…うーん、少しはそう。」


歩「少しってどういうこと。」


花奏「先に言うけど、私にはかえが誰だか分かってないよ。何となくこの人当たりかな、とまでは行くんだけど。」


羽澄「分かっていない…んですね。」


花奏「田舎とはいえどそこそこに人はいるんだもん。分からないものは分からない。」


まるで、切るように。

切り離すようにそう呟いた。

あぁ、何だ。

何なのだ。

この違和感は。

この気持ち悪さは。


花奏「根性焼き…は、ただの火傷の後でさ。ほら、料理の時とかにぼうっとしてると火傷しちゃうじゃん?あれ。」


彼女はそっと

自分の左腕を掴んでいた。

まるで悔いていることがあるように。


花奏「ストラップは、ちょっと焦げてて。その焦げた匂いが好きで持ち歩いてたの。」


愛咲「あれだな!ガソリンとかマッキーの匂いが好きっていうのと一緒だな!」


麗香「ちょっと先輩、声が大きい。」


愛咲「ああ、ごめんごめん。」


波流「…まあ、不思議ではないけど…持ち歩くほど好きな匂いかぁ…。」


梨菜「私はあんまり想像つかないや。」


花奏「あはは、まあ特殊な方やろうね。理解されないで当然だよ。」


歩「…。」


花奏「それで…後、性交…に関しては、普通に。…彼氏さんと、その友達と…だったよ。」


麗香「…未遂の件は。」


さっさとその話題から

逸らしたいと思っていたら

自然と口から出ていた。

自分で分析するに、

気恥ずかしくてたまらなかったのだと思う。


花奏「それは、誰だってするもんじゃない?」


麗香「…。」


花奏「誰でもいっときの感情で死にたいくらい思うじゃん。…それが行動に移せちゃっただけ。」


歩「…そう。」


三門先輩は静かにひと言だけ呟いて、

下ばかりを見ていた。

誰にでもあること。

それはあてが言ったことだった。





°°°°°





麗香「私さ…私もあるよ、自殺未遂。」


花奏「………ぇ…?」


麗香「意外ー?」


花奏「え……うん、まぁ…。」


麗香「にしし、そう。珍しいことでもないとは思うよ。みんな死にたいくらい思ったことあるし。」


花奏「…。」


麗香「…誰でもあるよ。」





°°°°°





誰でもあるとは言った。

けど、小津町はその背景まで

話すつもりはないのだろう、

そこでぱたりと口を開くのはやめ、

暫くしてからやっと言葉を紡いだ。


花奏「…これだけだよ。」


梨菜「え?」


花奏「これだけ。」


美月「待って。納得いかないところが多いわ。」


波流「そうだよ。花奏ちゃんが放火とか動物を殺すとか考えられないよ。」


梨菜「それに、かえって人の恨みを買ってる理由だって…。」


花奏「それは、やっぱり私が色々とする段階で恨み買ったんだと思う。」


羽澄「色々と、とは…。」


花奏「あぁ、さっき言った動物埋葬だとか、放火とか。その中にかえの大事なものがあったんだろうね。」


淡々と。

そう。

ずっと淡々と受け答えをしていた。

まるで心をどこかに

置いてきてしまったかのように。


麗香「…じゃあ、何でそんなに好き勝手してたのに死にたくなんてなるの。」


花奏「え?」


麗香「自分の思い通りにストレス発散して、好きに動いて。それで何で死のうなんて思えるの。」


花奏「それね。自由にし過ぎたからだよ。」


麗香「…。」


花奏「ちょっと仕返しされて、それで。」


麗香「それで、死にたくなるものなの?」


花奏「人それぞれ理由も違えば物事に対しての捉え方も、耐久度も違うもんじゃない?」


確かに、と呑みかけた。

例えばの話、ポジティブな人と

ネガティブな人によって

捉え方は大きく違う。

耐久度も違う。

…そうではある。

全て違うものが他人なのだから。


花奏「それだけだよ。」


小津町は念を押すように

ぽつりと言葉を漏らした。

小津町本人の口からそう伝ったのだ。

それ以上何がある。

嘘をついているかもしれない。

けれど、全てが事実かもしれない。

認めているあたり、

これが本当なのかもしれない。


皆が押し黙ってしまう中、

三門先輩は唐突にその場を立った。


美月「…歩?」


愛咲「どうしたんだ?トイレか?」


各々が三門先輩を見上げる中、

不意に小津町の胸ぐらを掴んだのだ。

ぐっと引き寄せて、

小津町のことを睨みつけるように見つめた。

流石に暴力はいけない。

そう思って数人かが動く

影を視界の端で捉えた。


羽澄「ちょっと待ってください!」


美月「歩っ!」


歩「私は友達に対して殴りも叩きもしたくないからしないけどさ。」


きゅう、と心臓か、

それとも小津町の服かが鳴った。

胸ぐらはしわしわに歪んでも尚、

力を加えたことがわかった。

あぁ。

この人、怒ってるんだと

漠然ながら思った。


歩「嘘の説明して何が解決するわけ。」


花奏「…。」


歩「私は何に納得すりゃあいいわけ?」


梨菜「本当とも限らないけど、嘘とも限らないんじゃ…。」


歩「小津町は言ったよ。「学校に行きたくない」って。」


花奏「…っ!」


愛咲「んー…それはさっきの話の流れ的にまあある話なんじゃねーのか?」


麗香「自殺未遂の話と絡めればってこと?」


愛咲「そうそう。別におかしなことでもないと思うけど。」


歩「それから、手首の傷を見てどうしたのって聞いた。」


花奏「歩さん!」


小津町が、漸くのこと。

人間らしい声を出してくれた。

それと同時に三門先輩の、

その胸ぐらを掴む腕を

ぎゅっと両手で握った。


歩「…。」


花奏「離して。」


歩「あんたさ、わかってるんなら」


花奏「離して、お願いだから。」


歩「…。」


弱々しくそう告げると、

三門先輩は手を離してくれる。

そう思ったのだろう。

あてすらそう思った。

けれど、手を離すことはなく、

しかし責め立てる様子もなく。

ただ、事実をなぞるような口ぶりだった。


歩「…「切られた」って言ってたじゃん。」


花奏「…っ……。」


そこまで口にしてやっとのこと、

三門先輩は小津町から離れた。

駆けつけようとした数人も

三門先輩の態度に気圧されたのか

元の位置へとそそくさと戻っている。

リスカをした。

それなら、切られたなんて表現

するわけがないだろう。

他人からされたからこそ

出る言い回しではないのか。


麗香「……どういうこと?」


歩「私はあの時の話、大体覚えてるよ。」


花奏「…。」


歩「あんたが唯一、聞かずとも離してくれた自分のことだから。」


波流「あの時のことって何ですか。」


歩「…私と小津町が初めて会った時のこと。もう2年くらい前だけど。」


美月「そんなに前に会ってたのね。」


歩「1回だけ。」


それ以上は語られないものだと思った。

2人の間のことだ。

あまり、関係のある話とは

思えなかったのだが。


歩「話しても差し支えないよね、小津町。」


花奏「…っ。」


歩「いいね?」


花奏「…止めても話すでしょ。」


歩「…小津町のためになると思ってない。ただ、嘘の説明に納得がいかないだけ。」


そう、横目で小津町を見た後、

三門先輩は姿勢を正して息を吐いた。

それは、今から2年ほど前の

11月あたりのことだったらしい。





°°°°°




私と小津町は1度だけ会ってた。

それも、成山ヶ丘高校で。


その日は特に何もない日で、

授業後、バイトまで時間があったものだから

ある程度暇を潰さなくちゃならなかった。

偶々気が向いて

学校内を歩き回ることにした。


すると、最上階を回ってる時のこと。

ある教室に私服のままの人がいた。

その人はベランダに出て

ぼうっと外を眺めているようで、

何をしてるんだろうと思ってた。

夕方もいいところだったから

定時制の生徒だろうと思い、

そのまま無視しようとしたところ。


ふと。

その影は手すりを越えようとしたのか

まるで鉄棒をするように

ジャンプをしたの。

はっとした。

目の前で人が死ぬかもしれないと思ったから。

よくよく見てみれば靴だって脱いでた。

何で飛び降り自殺しようとする人は

靴を脱ぐのか分からないなんて

どうでもいいことを考えながら。


歩「待って。」


そう、気づいたら声をかけていた。

声をかける気はなかった。

死ぬなら勝手に死ぬだろう。

私は何も見ていない。

そういうことにしようと思ったけど、

何故か無視できなかった。


「…。」


身長の高いその人は

肩を越したくらいの髪を

結ぶこともなく風に揺らしてこちらを見た。

いつまでもないよね。

その人が小津町。

出会いは割と最悪だったのかもしれない。

第一印象は陰湿な雰囲気の漂う人だった。

第二に、視線の鋭い人。

睨むようにこっちを見てたのを覚えてる。

結局次に出会うまで

名前は教えあわなかったから

名前で呼ぶことなんてなかった。

何ならまた会うなんて思ってもなかったし。


徐に近づいた。

何を言おうか迷ったけど、

考える間も無く次が出てた。


歩「そこ、先生たちが言うには出ちゃいけないらしいけど。」


花奏「…。」


すると、力が抜けたのか

その場に座り込んでしまった。

駆け寄ったよ。

流石に失神とかはしてなさそうだったけど

口を開くことなく下を向き続けてた。

それから窓際に座らせて、

少しだけでもと思い風にあたらせた。

私は近くの席を拝借して

座ってた気がする。


当時の小津町は今からは考えつかないほど

暗い印象だったよ。

だから、多分好き勝手に

ストレス発散だのなんだのしてたなんて

嘘だと思ってる。

今年の4月以降何度も話してから

小津町がどんな人間か知った。

より確信を持って言えるよ。

そんなことする人間じゃない。

こんな優しい人間に

そんな惨い事ができるはずがない。


靴は酷く黒くなっててぼろぼろだった。

死のうと意気込んでいたのか知らないけど

腕を捲ってたらしくて、

そしたら左腕に夥しい数の傷を見つけた。

横に長く、瘡蓋になっているんだろうけど

痛々しくて見てられないような傷。

すぐにリストカットだろうなって

想像はついた。

相当な心の傷を負っているであろうその人に、

小津町になんて声をかければいいのか

本当に思いつかなかった。


すぅ、はぁ。

そうした音が段々と時間を経て

ゆっくりゆっくり治っていく。

まだ呼吸は荒いのかもしれないけれど

心が、ぎっ…と痛むような響音は

しなくなっていた。


歩「暇つぶしに私の話を聞いてって。」


花奏「…。」


歩「聞きたくないなら寝るなり帰るなり好きにして。私が勝手に話すだけ。」


花奏「…。」


歩「あんたを傷つけることをさらっと言ってしまうかもしれないから先に謝っとく。ごめん。」


きっと綺麗事を言えば

心は揺らぐんだろうけど

生憎私はそんな事が言えない。

今まで辛かったねとか

頑張って生きてたんだよね、とか、

今まで本人の生き様を

見てきたわけでもないのに

言えるわけがない。

それは例え、話を聞いたとしても

私は言えないんだと思う。


生きろよ、だとか。

辛かったね、だとか。

そんな正論や同情は必要か。

傷つけやしないだろうか。


歩「…まぁ、私が小学生の頃の事。」


小津町の事を聞こうと思ったけど

先ずは落ち着くのが先かなって。

ただ、無言を圧ととられてしまうのは嫌で。

考えた結果、何でだろうね。

自分の話をすることにしたんだ。

何故このチョイスをしたのかは

いまいちぴんとこない。


歩「年下の仲良かった子がいるの。泊まり会とか放課後に遊ぶとか沢山の時間を一緒に過ごした。」


ほんと、今思えばずっと一緒にいた。

勿論家では別々だけれど

明日は何して遊ぼうとか何処に行こうとか

よく考えてた覚えがある。

言ってしまうけど、それが美月。


美月。

話してもいい?

…ありがとう。


歩「でも、とある日に私はその子からいじめを受けた。」


花奏「…!」


…いじめ。

……。

やっぱり、その辺りの事は

あんまり思い出したくないね。

自分の不甲斐なさを思い出すから。

過去のことを他の人に初めて話した。

こんなにも変な気分になるんだって思ったよ。

こんなにも。

…。

…嫌だけれど、淡々と喋れてしまうもので。


歩「それ以前から他の奴らに嫌がらせは受けてたけど、それだけは耐えれなくて信じたくなかった。でも事実でさ。そいつは興味で、好奇心で、面白そうってだけで私をひょいといじめたの。」


花奏「…。」


他の奴らは確か私が煩いだのうざいだの

小学生にありがちな悪口とか、

あとはわざとぶつかってこられたり

ノート破られたり物を取られたり。

そんなの、全然気にしてなかった、

気にならなかった。

当時は確かこう思ってたんだっけ。

…美月がいるなら全部平気だ、

なんて事ないって。

そんな中での出来事だった。


恨みとか嫌味とかじゃなくて、

多分好奇心だとか、

そういったものもあったんだと思う。

たった1回の過ちって言い方が

結構すんなり来るのかもしれない。


どれ程心の中でぐるぐると

どす黒いものが回っていたとしても

声色は不思議と保ってた。


歩「今ならたかが小学生の所業って思えるけど、当時は苦しくて苦しくて仕方がなかった。」


当時は。

そしてそれ以降も。


そこまで思い詰めた自分も馬鹿だと思うが。

結局その沼から抜けれなくて、

今も半身以上浸かったままだった。


歩「だから私はそれ以降の人生で人と関わらないって…言い換えるんなら、友達なんて作らないと決めた。」


花奏「…。」


歩「中学でやり直そうと思ったけど無理だった。それからは諦めて一人に篭って。」


聞いてなくてもいい。

全然いい。

むしろ聞かないで欲しいまであった。


歩「例の子に虐められてから何かと吹っ切れて。先生に堂々と虐められてる証拠を突きつけた後転校した。」


花奏「……転校…?」


か細くぽろっと落ちた言葉。

床にころころと転がって

漸く私の足元までたどり着く。


歩「そう。元々転勤族なのもあって結構簡単に引越せたの。まぁ、そこで性格がひん曲がったお陰で転校先では親しい人なんていないけど。」


花奏「…。」


歩「その子、のちにどうしたとかは何にも知らなかった。悔やんでるのかも喜んでるのかも。」


花奏「………その後はどうなの。」


歩「別に。会いすらしてない。」


こうやって小津町が

質問をして来るなんて思ってもなかったから

内心驚きつつもそのまま淡々と返す。

裏を返せば返事なんて

期待してなかったって事になるけれども。

だからこそ意外で驚いて安心して、

何処となく嬉しかった。

…のかもしれない。


歩「あんたってこの学校の人?」


花奏「…ううん。」


歩「家近いの?」


花奏「…大阪。」


歩「………は?大阪?」


その日はオープンスクールの日でも

なかったことは確か。

だからどうしてここにいるのか

当時も今ですらも

あまり分かってない。


歩「私も大阪に住んでる時あったよ。」


花奏「……転勤族?」


歩「そう。方言よくない?」


花奏「…煩いだけだよ、あんなの。」


歩「そうかもしれないけど、私は憧れあったな。またすぐに引っ越したから定着しなかったけど。」


花奏「…。」


歩「あんたも喋ってみれば、方言。」


花奏「嫌。」


歩「ん。まぁひとつ言っとくなら私は嫌いじゃないよ、例え煩くても。」


花奏「…いいな。」


そんな、憂う様にひとつ。

ほと、ほと、と。

教室の壁にぶつかって跳ね返る。

ほわほわと篭って反響した。

何がいいのか、とは聞けなかった。


歩「…それ。…その腕の傷…」


花奏「………切られた。」


歩「……え。」


花奏「…。」


確かに、切られたって言った。

私は覚えてるよ。

小津町。

あんたも覚えてるでしょ。


それから何を思ったのか、

小津町はすくっと立って窓を閉めた。

靴下のまま、靴は隅に置いて、

それから私の隣の席に座った。


歩「…。」


花奏「…………私ね…学校、行きたくないんだ…。」


ひと言。

それが全てだった。


歩「……そっか。」


花奏「…行きたくない。」


歩「ならいっそ引っ越せば?」


花奏「えっ…?」


歩「引っ越せば、明日にでも。身寄りがあるならお金だけ持って…家具とかは…うーん、後日どうにかして。」


自分でも無理な話だと分かっているけれど、

小津町自身ここまで追い込まれているなら

こういう大きな決断もありだと思う。

私が小学生の頃引っ越したというのは

流石に次の日とかじゃなくて

1ヶ月くらい空いたけれども。


花奏「明日………?」


歩「そ。まず家族に話してみ。」


花奏「………………あの…さ。」


歩「何?」


花奏「…私、変われる…かな…。」


歩「…。」


花奏「幸せ、に……なれるのかな…。」


小津町のいる環境が

かなり過酷であることは

容易に想像できた。

想像出来てしまって狼狽えたけど、

ひとつ言い切れる事があった。


歩「全部変わるよ。」


花奏「…!」


歩「先ずは色々な事を声に出してもいいって知る事からかな。寧ろ今ここで言わない方が迷惑くらいに思っていいんじゃない。」


花奏「………ん…。」


歩「負けるな。」


花奏「……………ぅん…っ。」


最後にそう、声をかけた。

負けるなって。

私なりの応援の仕方だった。





°°°°°





歩「誤解のないように行っておくと、美月とはその後和解してるから気にしないで。」


そうひと言付け加えた。

そんな心身ぼろぼろの状態で

成山ヶ丘まで足を運んで。

…学校に行きたくないと、

腕は切られたと吐露して。


…さっきの話は、

小津町が話した過去の話は

段々と本当だとは思えなくなっていった。


歩「小津町。」


三門先輩が名前を呼ぶと、

びくっと肩が上がった。

今、小津町は一体

何を思っているのだろう。


歩「…私は、あの時の小津町自身の頑張りを無かったことにしたくないわけ。」


花奏「…っ。」


歩「……。」


愛咲「…うちらはさ、たかが他人だぜ?」


麗香「えっ…?」


愛咲「たかが他人。だから、深入りするだけ無駄…って考える人もいるだろうな。」


急に何を話し出すかも思えば

いつしか見たことあるような、

それこそ、あての自殺未遂の現場に

立ち会った時のような口ぶりだと

いうことに気がついた。


愛咲「けど、うちにとっちゃあ花奏ってもう大事な人なんだよ。大切な友達で仲間なんだよな。」


羽澄「そうであります!簡単には離さないですよ!」


愛咲「今、みんなが集まってんじゃん。それが1番の証拠だって。」


花奏「…っ。」


愛咲「みんな花奏のことが心配で、花奏のこと信じてここにいるんだってこと、伝わってりゃいいな。」


花奏「…。」


麗香「…正直、小津町のことは嫌いだったよ。」


波流「嶺さん…?」


麗香「馴れ馴れしいし、タメ口だし。けど、ちゃんと人間らしいところがあるって分かった。」


梨菜「うん…。」


麗香「それに…かえってやつより断然信頼してる。」


花奏「………ぅ…。」


麗香「ひとつ。…かえなんかに屈しないでほしい。怯えてるのか何なのか何も知らないから分からない。」


美月「…。」


麗香「けど、全て鵜呑みにして頷くだけなのは、私たちもみんなやだ。」


歩「小津町。」


花奏「…。」


歩「……私からもお願い。諦めないでほしい。」


花奏「…っ!」


皆、きっと思ってることは同じ。

違う人間で、考え方から何から何まで違えど、

皆心優しいところのある人たちだから。

だから、怖くないよと

伝えることができればそれでよかった。


小津町はぎゅ、と

自分の手を握ったのか、

肩に力が入っているのが窺えた。

それから、決心がついたのか

ゆっくりと力を抜いていく。


花奏「………聞きたくないような話もあると思う。辛かったり、気持ち悪くなったりしたら耳塞いでね。」


どこか別の部屋に逃げたり、

帰ったとしても全然いいから。


か細く、か細くそう伝えてくれた。

そして、こちらを見ることなく

机を見つめたままに口を開く。


そして、小津町はぽつりぽつりと

凄絶で惨憺たる過去を吐露し出した。





°°°°°




どこから話せばいいんだろう。

まず、大阪に引っ越す前から、かな。


私は元々神奈川に住んでいた。

生まれてからずっと、育ちもここ。

今とは全く違う家だけどね。

その間に、伊勢谷真帆路先輩と出会ってて。

私は頭が良くなかったから

真帆路先輩と同じ学校に、

成山ヶ丘高校に入学するなんて

当たり前だけど出来なかった。

適当な高校に入って、

それからたった数ヶ月だけを

その高校で過ごした。

友達は一応出来た。

ただ、挨拶だけするような仲であって

遊びに行ったり休み時間に集まったりと

俗に言う友達らしいことはしてなかった。

学校に通わせてもらってることには

相応に感謝はしてたけれど、

楽しいかと問われればそうではなかった。

勉強だって出来なかったし、

休み時間に話すような人もいなければ

やんちゃそうな人たちが

タバコを吸い出すものだから

煙たくって仕方なかったのを覚えてる。

いい記憶というものはないままに

夏へと差し掛かっていった。


6月か7月頃のこと。

唐突に父さんの転勤が決まった。

その先が、大阪の山の方。

何がどう転じて

そんな方向へと引っ越すのか

疑問に思ったのだけれど、

その町で事業を始めたいといった話が

上がっただとかなんとか。

初めは左遷されたのかと思ったが

どうやらそうではないらしかった。

私は1人暮らしをするなんて考えもなく、

父さんについていくんだろうと

漠然と確信してたの。


大阪の山奥には町があった。

神奈川とは比べ物にならないくらいで。

中学と高校がひとつずつあるのは

事前に調べていたけれど、

ここまで木々が生い茂っているような

場所だとは思ってなかった気がする。

家と家の間に田んぼがいくつか

挟まっているところもあり、

コンビニや駐車場はやたらと広かった。

空気は美味しかった。

都会とは比べ物にならないくらいにね。


学校は転校という形で扱ってもらって、

人生で初めて転校生というものを味わった。

初めて教室に入った時の空気は

未だに色濃く覚えてる。


先生「今日からこの学校に通うことになりました、小津町花奏さんです。」


花奏「よろしくお願いします。」


震えそうな声をなんとか押さえつけて、

出来るだけ明るく挨拶をした。

すると、都会から来たことが珍しかったのか

方言がないのに興味を惹かれたのか

ぽかんとしていた気がする。

物珍しいことには間違いなかったはずだ。

町は神奈川と比べれば狭く小さい世界だった。

私の目にも珍しく映った。


入学して初日は女子からは

神奈川や東京について

やたらと問われた覚えがある。

ずっと田舎で暮らしていると

他のものには興味津々になるものかと

なんとなく呑み込んで受け答えしてた。

その中で、多分この人が

学校内でのカーストのトップなのだろう

と言う人がそれとなく分かった。


それが、森中だった。

下の名前は…ごめん、忘れた。

忘れたくて忘れたわけでもなくて、

多分、自然と。

…こう、フィルターがかかったんだと思う。

思い出さないようにって。


森中は明るい女の子だった。

みんなが一斉に口を開いて

質問しようものなら、

いい雰囲気を保ちながらも

順番に聞くよう促したり、

私が返答に困るものがあれば

困ってるよと代弁して救ってくれたり。

いい人だって思った。

周りも慕っているのか

笑顔に朗らかさが

あったって感じたんだっけ。

容易に抱きついたり肩を組んだりする人で、

愛嬌のある人だったと思う。


会ってすぐから抱きつかれたんだけど、

ポケットにとあるものを入れていて

それを気にされたっていうことがあった。

ハンカチだと言って適当に流したけど

実際、嘘だってばれていたのかな。


初日にてぎょっとすることがあった。

それは、質問攻めも終わり

下校する直前のこと。

クラスの子と帰ろうと言う話になり、

外に出た瞬間のことだった。

校庭の隅でかしゃん、と音がしたの。

何かと思ってみてみれば、

クラスにいた男の子が数人いて、

ボウガンのようなものを持って

それを空に向かって撃ち放つ姿だった。

何かと思って少し見てたら、

次に放った一発が見事に

飛んでいた鳥に命中した。

鳥は何かしら声を上げて落ちていき、

男子達はそちらの方向へと

嬉々として向かっていった。


そんな光景なんて

これまでに見たことがなかったから、

内心ぞっとしていた。

けれど、周りの女子達は


「ああ、いつものことやで。」


「気にせんといて。」


「男子って何であんなのが好きなんやろー。」


「子供っぽいねんなー。」


と、気にしていない様子だった。

気にするどころか、

日常と化しているようで。

田舎は猪が出る等聞いたことがあるから

もしかしたらその関係で

耐性があるだけなのかも。

猟銃を持っているところだってあるだろうし、

その練習だったのかも知れない。

そう思えばおかしいことでも

ないような気がして、妙に納得したんだっけ。


それからは何気ない日々が続いた。

高校の偏差値としても

あまり前のところと変わらなかったのか、

授業についていけないのはいつもだとして

周りの雰囲気もほぼ変化はなかった。

授業をちゃんと聞く人は聞いて、

他は喋ったり寝ていたり。

驚いたことがあるとするなら、

高校だと言うのに小学校の時のように

1人の先生が複数科目を担当していることも

あったってくらい。

後は、いくら生徒が騒いでいても

何も注意しなかったくらいかな。

そのくらいなら神奈川でだって

見たことのある光景だったし、

その時は特に気にならなかった。


それと、一緒に帰ることはまずなくなった。

実はみんな、全然方向が違ったらしい。

1週間くらいは一緒に帰ったんだけど、

自然とそのようなことはなくなっていった。

けど決して不仲になった

というわけでもなく、

みんな名前で呼び合うくらいには

仲は良かったよ。

私も含めて、ね。


大阪で出来た友達と

遊びに行くことこそなかったものの、

休み時間には話すことが増えた。

1度方言を会得しようとした時もあったけど、

ずっと関東だったこともあって

どうしてもエセっぽくなっちゃって

真似るのは早々に諦めた。

すると、大抵森中あたりが

「いつまでも初々しいやん」

と茶化してくるんだけど、

それでもいじりの程度だったし

私も話してて楽しかったのは確かだから

微々すらも気にならなかった。


森中はいつも気にかけてくれたよ。

いい人だった。

仲間はずれがいること自体嫌なのかな、

クラスで物静かな女の子にも

声をかけて容易に肩を組んで話しかけてた。

男子にも分け隔てなく接してて、

時に汚かったり

悪かったりする言葉も飛んだけど、

それだって都会でも、

ましてや今、成山ヶ丘でだって

あることだから聞き流してた。

普通のことだと思ってるから。

ただひとつ気になったのは、

その物静かな女の子は

森中に絡まれるとどうにも

引き攣って見えたこと、かな。


ある日のこと。

夏前だったかな、半袖を着てた気がする。

クラスの男女双方、

粗方ひと言くらいは話をしたんだけど、

唯一その物静かな女の子にだけは

話しかけれてなかった。

話しかけようとすると

森中がわざとらしく私を誘って、

その子を遠ざけているようだったから。

それから、その子の名前も

教えてもらえなかった。

何かしら闇があるなとは感じたんだけど、

それ以上は流石に

踏み込めなくて流されてきてた。

けど、その子はほっとしている

ようにも見えたものだから、

不思議と気になって。


その子は放課後に

体育館に向かっているようで、

後ろ姿を何度も見てた。

だからある日、放課後に教室を出た

その子を追って聞いてみたの。


花奏「待って!」


「…。」


花奏「えっと…名前、何て言うの?」


「……。」


花奏「嫌なら全然いいの!その、気になって…。」


「…ーーー。」


花奏「へえ、ーーーちゃんって言」


森中「花奏ちゃーん、何してるんー?」


緩く首元に腕が巻かれるのがわかった。

ぞくっとした。

こう、言葉ではなかなか言い表せないけど、

嘘を見透かされた時みたいな感覚に似てる。

見つかったらいけないような気がしてた。

タブーのような気がしてた。

けど、森中の声色はいつも通りで、

明るい調子だったはず。

それなのに、心臓に触れられたような

悍ましさを感じたの。


花奏「え?あぁ、名前、聞いてて。」


ただの友達だし

怯えることなんて何もないと思ってたんだけど

声が自然と上ずって、

しどろもどろになってしまった。

それに気づいてか否か、

肩をとんとんと2回叩き

ぱっと手を離してくれた。


森中「そーなんやぁ。良かったなぁー、ーー。」


「…。」


森中「うち、こいつと遊ぼって言うててん。な?」


「…う、うん。」


森中「だからちょっと借りるわ。」


花奏「そうだったんだ。楽しんでね。」


森中「おうー。」


森中はその子と肩を組んで

距離が近いままにどっかに行ってしまった。

それこそ、体育館側だったっけ。

そちらの方向に靴箱があるものだから

どこか遊びに行くんだなと

漠然と捉えてた。

そして、ふと振り返って

教室に戻ろうとした時。


花奏「…っ?」


私のいた教室から

何人か覗いていたのか、

すっと頭を引く影が

いくつかあったような気がした。

これに関しては気のせいかも知れない。

けど、当時は事実だと思った。

監視されてる、と直感的に感じたの。

教室に戻ってみれば

特に変わったことはなく、

森中と仲のいい人達こぞって

私の元に来て話しかけてくれた。

そのどれもが物静かな子に対しての

ことではなかったってだけ覚えてる。


それから、その物静かな子の名前も

ごめんなさい、忘れた。


感覚で伝わるかな、異様だったの。

微妙な違和感が気になって仕方なくて

あまり日を空けずにもう1度

その子に話しかけようって思ったんだ。

怖いもの知らずだよね。

今思えば馬鹿だなって思う。

周りのみんながいい人だったが故に

物静かな子の微々たるガタに

目が行っちゃったのかな。

人柄的に苦手なんだろうなって

鈍感に捉えておけば、

今頃こうはなってなかった。

多くの選択肢を間違ってきたんだ。


数日後、今度は誰にも

見つからないようにと思って、

物陰にそっと隠れてた。

放課後、学校が終わって以降は

物静かな子や森中、

その他の女子がこぞって

体育館へと向かっていった。

時折男子も体育館へ

入退場していくのも見えた。

遠くにいたものだから

声こそほぼ聞こえなかったけれど、

笑い声は多かった気がする。


そしてしばらくすると

皆が一斉に出てきて

笑顔で挨拶をして解散した。

人は10人弱くらいだったかな。

その中に物静かな子はいなかった。

途中で抜けたのかも知れないと思ったけど

念の為と考えて体育館を

確認しようだなんて思い付いた。

足音をできるだけ立てないようにと

力を込めながら歩いた。


周りを何度も確認して、

誰もいないことを確かめた。

誰もいなかったよ。

草木に隠れてるような人も見当たらなくて

内心胸を撫で下ろして

体育館の中を覗いた。


するとね、その子はまだいたの。

体育館の中に1人だけ。

…。

ぼろぼろの状態で。


綺麗にひとつにまとめていたはずの髪は

ぐしゃぐしゃに絡まっていて、

近くには転がったままの

バスケットボールや

空のバケツまで転がってた。

よくよく床を見てみれば

幾分か濡れているようで、

彼女の制服もしとしとと濡れそぼってた。


花奏「…!大丈夫…!?」


「…。」


花奏「…ひどい、こんな…っ。」


「…。」


花奏「立てる…?」


手を伸ばしたの。

立てるようにって。

そしたら、何も言わないままに

たし、って薙ぎ払われた。

自分が見下されてると思ったのかな、

それとも見られたことが嫌だったのか、

こちらをきっ、と鋭く睨んで

唇を噛んでたのを覚えてる。


そして何をいうわけでもなく

鞄を肩にかけて、

ぼさぼさの髪のまま、

濡れた服のまま体育館を出ていった。

ひと言も喋ってくれなかった。


その日はとてつもなく悶々とした。

皆して彼女のことを

いじめていたのだろう、と。

10人弱の中に森中がいたのを思い出す。

他の人だっていた。

優しく笑ってくれる子、

明るくて気さくな子。

いろいろな子がいたけれど、

その皆がいじめの加害者だと、

そう考えれば考えるほど

吐き気がしてくる。

いい人だと思ってた。

だからこそ、ショックが大きかった。

共に過ごした時間の全てが

表面上で作られたものだなんて、

私はまだ信じることができなくて。


けれど、それらを嫌でも

信じるしかできなくなる

ようなことが起きた。


それは、その出来事があった

僅か翌日のこと。

朝から森中は私の元に寄ってきては

楽しげに日常会話をしていて。

私は物静かな子に対して

体育館で会って以降

何も声をかけられないままでいた。

放課後になってまで

何も声をかけることが

できないまま過ごしていたら、

森中は突如、話を変えたの。

ゆるり、と肩を組んでくるのは

一種癖なんだろうと思う。


森中「かーなでちゃーん。」


花奏「…!な、何?」


森中「今日さ、暇?」


花奏「え…?」


森中「え?って…あはは、暇かって聞いてるだけやん。」


花奏「あ、うん。何も予定はないよ。」


森中「おっけー。」


昨日の全てを見ていたわけではないが、

その可能性を、

森中達がいじめているかもしれない

可能性を見ていたから、

声は自然と上ずってた。

自分でもわかるくらいに不自然だった。

それから森中は態々クラスの人に

聞こえるような声で言い放った。


森中「花奏ちゃんも参加するってー。」


花奏「…え、参加…?そこまで言ってな」


森中「暇なんやろ?来いや。」


花奏「…!」


森中「な?うちらの仲なんやからさ。」


花奏「…う、ん。」


森中「あとさぁ、昨日の放課後、何してたん?」


花奏「…っ………家でってこと?」


森中「おもろいな、馬鹿言うなや。学校が終わってから暫くして、体育館行ってたやろ。」


花奏「…何で知ってるの?」


森中「そりゃあ教えてもらったからや。」


花奏「誰から…?」


森中「おいおい、そんなに気になるかぁ?てか、あいつと関わりたいんならさっさと言ってくれればよかったんに。」


漸く気づいたよ。

森中はちゃんと笑ってなかったって。

口角をきゅっと上に上げていたけど、

そんなの恐怖でしかなかった。

あぁ。

もしかしたら。

いや、もしかせずとも

昨日の出来事が誰かに

見られていたのだと悟った。

声をかけちゃ駄目だったのか、

それとも放課後、

体育館に踏み入れたことが駄目だったのか、

いじめの一部を確認したも

同然なことをしたから駄目だったのか。


標的は私になったのだと

思わざるを得なかった。


気が気でないままに放課後を迎え、

最後尾を森中と歩いた。

何人もがぞろぞろと

体育館に向かう姿は異様だったろう。

他学年ももちろんいるのだから

この異常性に気づいていてほしいものの、

誰も何かを発することはなく

黙認しているようだった。

廊下を通る時、横目でこちらを

見てくる視線が痛くて仕方がない。

肩は緊張からか上がりきっていて

下がることはなかった。

すると、また森中は肩を組んでくる。


森中「ねえ、別に花奏ちゃんで楽しもうってわけじゃないんよ。」


花奏「…?」


森中「一緒に楽しめたらええなぁ、って話や。」


花奏「…っ!」


森中「そしたら平和に過ごせんで、この先。」


言っていることを

理解したくなかったからか、

頭が動いていなかったのか。

冷静に考えればいい言葉を

すんなりと受け取ることができず、

延々と口の中で咀嚼し続けていくうちに

味がしなくなっていった。

気づけば、力が入りすぎていたのか

口の内部の皮を噛みちぎっていたようで

血の味がしてた。


そして、体育館に着くや否や、

中途別行動して戻ってきたのか

バケツに水を汲んで

持ち運んでくる子が見えた。

今は男子はいないようで、

完全に女子だけの空間。

空気が異様で、

肌がピリつく感覚が忘れられない。

昨日まで散在していたボールらは

体育でもあったのか

綺麗に仕舞われているようで。

それらを1、2個取り出して

たたん、たたんと

ボールをつく子もいた。

そのままボールをゴールへと投げ、

しゅば、と音を鳴らす。


「ひゅー、ナイスー。」


「今日も調子いいわー。」


たたん、たたん。

ボールを取りに行って、

そして次にまた投げた。

バスケをするときのフォームではなく、

ドッジボールをする時のような

本気の投げ方だった。

今度は、その、物静かな子に向かって。


「…っ………。」


その子はふらりと傾いて

衝撃が故か尻餅をついた。

それに笑う周りの人たち。


ぞっとした。

背筋が凍ったよ。

何を見せられているのか

まるで分からなかった。

初めて目の当たりにした。

現実ではない、と思った。


いじめだ、と漸く分かった。


森中「花奏ちゃーん。」


花奏「…っ!」


森中「あっはは、そんな脅えへんでもええやろ。」


見ているだけの森中だったが、

バケツを持ってきていた子から

それを引ったくるように取り、

す、と私に手渡した。

それが意味すること。

この先に発せられるであろう言葉。

全て、全てにおいて

予測できてしまった。


森中「やれ。」


花奏「…っ。」


森中「やれや、こいつに。」


再度強く手渡され、

お腹にぐっと圧を加えてくるほど

無理矢理に渡すものだから、

受け取るしかなかった。

バケツの中身はなんだか濁っていて、

お世辞にも綺麗とは言えない。

水が汚いのか、バケツが汚いのかまで

私にはわからなかった。


森中はひと言だけ。

やれ、とだけ言った。

それが命令であることくらい

分かるはずなのだけど、

当時の私は事実が受け入れられなかったの。


バケツを持ったままその子の前まで行った。

脅えてた。

怯えてた、というよりも

いっそ、諦めてた。

目を逸らして泣くこともせず、

全てを悟っているのか

握り拳を作ることもせず。

もう、分かりきっているからと

抵抗すらしていなかった。


どうしてだろうね。

バケツを、上に持ち上げて、

ひっくり返そうとしたところで

思わず床にそれを置いた。


森中「…。」


花奏「…おかしいよ。」


森中「さっさとやれや。」


花奏「おかしいよ、こんなこと。私はやらない!」


言い切ったの。

そう、思ったままに。


子供だった。

非常に、子供。

そのまま流されていればよかっただろうに。


そのまま私は全てが

なかったことになるようにと

願いながら体育館を飛び出して

家へとまっすぐ帰った。

その日は家から出ないようにと

早い時間からカーテンも窓も閉めて

部屋の布団に包まった。

がたがた。

そう、歯が鳴っているのがわかった。

家に帰ってそこまでして

漸く今の感情に気づいたの。

怖かったんだって、気づいた。


ここが大きな間違いだったのかもしれないと

今でも時に思うことがある。

この時、森中に従っていれば

…いや、結局同じ末路を辿ったかな。

従っていたら従っていたで

いつか罪悪感でいっぱいになって

もうできない、と言い出していそうだなって。

ただ、ひとつ。

ここで加担しなかったことで

人間として大切なことは

守れたんじゃないかなって思った。

思ってた。


…もう分かるだろうけど、

この翌日から私の生活は激変した。

無論、悪い方向に。


翌日、学校に行けば

不自然に多くの人から視線を浴びた。

とはいえ、主にはクラスの人に。

他学年の人達はそうでもなかった。

まだ、そうでもなくて。

教室に入った途端、

獣っぽい匂いに混じって

鈍臭い何かもあった。

嗅いだことのないような異臭に

背筋がぞっとしたのを覚えてる。

鼻がそこそこにいいものだから、

気持ち悪くなって仕方がなかった。

ただ、匂いだけなら。


花奏「…っ!?」


分かったよ。

分かった。


これが、いじめかって

漸く分かった。


私の机の上に、

血みどろでぐしゃぐしゃになり、

ひしゃげたまま動かなくなった

黒い塊が置いてあった。

丁寧に、私の使っていた机の上を

血で満遍なく塗ったくっていた。

臭かった。

臭かった、とても。


よく見てみればカラスみたいで、

目をかっと開き口すらも開いたまま

翼は通常曲がらない方向へ

ぽっきりと曲がってた。

恨みがあったのか知らないが

何度も刺されたようで

いくつか体に穴が開いていた。

抵抗し暴れたあとなのか、

羽が幾分も取れている気がする。

私の席の下にも数枚散っていて。


とつ。

机の端から生臭く黒にも近い朱色が

音を立てて床に跳ねる。

靴に血が滲んじゃったんだ。


信じられなかった。

容易にも生き物を殺して

このように扱うなんてことが。

信じられなかった。

この様子を見てくすくすと笑っている人が

いるだなんて言う現実が。

信じられなかった。

誰もが味方すらしなくて、

そして。


森中「あー、登校したんやー。」


花奏「…。」


森中「わ、酷いなぁ…こんなことして。」


花奏「…っ。」


森中「小津町が困ってるやんなぁ?」


クラスに聞こえるように

大きな声でそう伝った。

周りは男子も含めて

信じられねーと声を漏らしてて。

そして森中はあろうことが

無残な状態で死んでしまったカラスを

手で鷲掴んでから、

そのまま窓の外へと投げ捨てたのだ。


どす、と鈍い音がした。

元から死んでいるとは言え、

言葉にし難い苦しさがある。


森中「お前らいい加減にしいやー。」


花奏「…ぇ…。」


森中「気ぃ悪かったやろ?さっさと机の上拭いて雑巾洗ってき。」


花奏「…ぁ…うん…。」


森中「その間、消臭剤でも探してきてあげるわ。手ぇくっさ。うちも洗ってこよー。」


「誰か消臭剤持ってへん?」


「ひとみせんせーとか持ってるっしょ。」


「いやいや、あれは香水やろ。」


「がははー、ほんっとくっせぇよなー。」


「いーやん借りてこれば?」


森中は、助けてくれたんだと思った。

ただ、昨日のことを忘れていないものだから

どうにも矛盾に見えて仕方がない。

やれ、と言った。

昨日、いじめろと言った。

彼女はいじめの加害者ではある。

けど、私を守ってくれた。

助けてくれた。

助けてくれたんだ。

それには感謝をしたかった。

私には死体をそのまま

素手で持つような度胸なんてない。

窓から投げ捨てるなんて考えもない。


ただ、たった今助けてくれた。

それだけは事実だと思ったの。


けどその日から、森中は私を呼ぶ時に

小津町って言うようになった。

気づくべきだよね。

でも目の前のことにいっぱいいっぱいで

流してしまっていた。

雑巾が1日で使い物にならなくなったのは

いい思い出だな。

…。

よくはないか。


ひと通り拭いた後、

カラスがそのままになってるだろうことを

考えるとどうにも放っておけなくて、

結局下に降りてカラスを眺めた。

より不恰好になっていたけれど、

出血しきっていたのか

あんまり地に染みてなかったよ。

田舎だからか分からないけど

花壇には大きめのスコップが

投げ捨てられていた物だから、

それを拝借して朝のホームルームが

始まる前にカラスを埋めた。

場所は、裏山に入る手前の方。

あまり人が立ち入らないだろうと

思ってそこを選んだ。


けど、そんなことなかった。

埋めたすぐ先の草むらからも

異様な匂いがするものだから、

少し背伸びをして見てみたの。

ああ、やっぱりって思った。

いくつもの動物と思われる残骸が

無残にも転がってた。

中には骨が見えているのもあって

白骨化しているものだってあった。

原型がないものも多々あって

何の動物かわからなかった。

そのいくつかに棒が

刺さっているように見えた。

後に考えれば、矢の端だったのかなって。


臭かった。

とても。

鼻がねじ曲がるかと思った。

見なきゃよかった。

見なきゃよかったって思った。

夏場だったからかな。

匂いが立ち込めてたんだ。

それ以降も死んだ動物は定期的に

私の机の上に置かれた。

コウモリ、猫、鳥、その他諸々。

段々と土に埋めるのは得意になっていったよ。

何回もされたものだから慣れたんだ。

多分、かえが言っていた動物埋葬は

そのことなんだろうと思う。


学校になんて来たくないって思った。

こんな学校、行く価値ないって。

高校は辞める選択肢があるのだから、

いざとなれば辞めればいいと考えてた。


…。

あはは…凄いよね。

だってまだ、その選択肢が見えてるんだから。


翌日も、翌々日も

世間一般で言われるようないじめが

続いていった。

はじめの方はよかったよ。

全然ましだった。

靴を隠されるとか、物が別の場所に

捨てられているだとか。

全然いい方だった。

体育館に呼ばれることはなく、

ただ日常の中での嫌がらせが続いた。

それでも学校には通い続けた。


何でって?

…。

簡単だよ。

父さんに迷惑かけたくなかったんだ。

それだけ。


そんなある日のこと。

夏が始まった頃だったかな。

いつものように学校に登校したの。

その頃にはホームルームが始まる

ぎりぎりの時間を狙ってた。

登校中や靴箱で誰かに会うなんて

したくなかったから。

それからいつものように

靴箱を開いて、靴を履き替えて

教室に向かおうとした。

でもね、その日は酷かった。

…いや、まだいい方なんだけど、

それまでと比べると段階が違ったなって。


花奏「ひっ…!」


靴箱を開いて靴を手に取って

すぐそれを投げ捨てる。

靴の中には、虫や何かしらの動物が

ぎちぎちに詰められてた。

手に取った瞬間何かと思ったが、

もぞ、と動いて確信した。


投げ捨てられた靴からは

わなわなと虫が這い出てきた。

ぱっと見ただけでもダンゴムシや蜘蛛、

ミミズに芋虫は見えたっけ。

それから、怪我しているけれど

微妙に息をしている

血だらけのネズミとか。

そろそろと靴箱からも

虫が這い出てきてた。

気持ち悪くなって

その場をすぐさま離れたかったけど、

頭がショートしてしまったようで

動くことができなかった。

虫が蠢くのを眺めるだけ。

さっさと靴をはたいて、

さっさと洗って履けばよかったんだろうけど、

どうしてもそこまで出来なくて。


だから、暫くそこで待った。

ホームルームは始まってしまったけど、

その時間の間には虫も散在していって、

靴に詰まってたのは

残るはネズミくらい。

靴箱も開けっぱなしにしていたら

残るは移動速度の遅い芋虫が

数匹転がっている程度だった。

殆どが靴箱を伝って地面へ着き、

校内なり外へなり

好きな方向へと進んでいった。

流石に学校内に入った虫を

外に逃すまでの気力はなかったな。


泣く泣くネズミを靴から引っ張り出すと

さらに奥にも虫がつっかえているのが

見えたものだからうんざりした。

はたき落とすのは無理だと察したもので、

靴は外に並べて立てかけておいた。

蟻程度なら靴の中に入っていても

なんとも思わないだろうから、

靴箱の中に閉まって虫を

密閉するよりはこの方がいいだろうって。

履いていた外靴は空いていた靴箱を借り、

その中にそっとしまった。


幸い、その帰りには

外靴への被害はなかった。

それ以降は、ないと言えば嘘になる。

何回か買い替えたけど

途中から面倒になって、

切られてぼろぼろとかじゃない限り

使うようにしてたかな。

裸足で帰ったこともあったよ。


周りの人の目は冷たかった。

学校の人だけじゃない。

町全体がそう。

助けようなんて考えはさらさらなく、

否定するような言葉を並べるの。

こそこそと、聞こえるように口に出してた。

都会から来た、ほらあの人だ、って。

理解する気なんて毛頭なかっただろうな。

町は、部外者を受け入れよう

なんて考えなかったんだ。

…田舎にもよると思うけど、

私がいたところは特に

そういう思想が強かった。


その辺りにはいじめといえば

お馴染みとも言えるような、

机に死ねだのなんだのは

既に書かれていたと思うし、

教科書は破られたり暴言書かれたり

するだけなもので、

早々に持っていくのはやめたかも。

何で学校に行くのか

意味が見いだせなくなってゆく日々の中で、

遂に遠回しないじめではなくなっていった。


ある日のこと。

学校に向かって、教室に入って、

ひと通り授業を受けた後。


森中「なあー。」


花奏「…!」


森中「今日暇かー?」


花奏「…いや、今日は…」


森中「ええよな?時間あるな?」


花奏「…っ。」


森中「はいかいいえくらい言えや。」


花奏「……。」


森中「暇やんな?」


花奏「…はい。」


森中「よしきたー。お前ら行こうぜー。」


これまでの遠回しのいじめは

森中がやっていたのかもしれないし、

その他の人間がやっていたのかもしれない。

もしかしたら、森中はこれまで

私に対しては何も手を下していなかった

可能性だってあるって信じてた。

けれど、きっと違う。

主犯だったんだろうなって不意に思った。

ぎゅっとスカートを握りしめた。

怖かったから。

どうしようもなく怖かったから。

最近、周りに目を向ける暇が

なかったせいで、物静かな子が

どうしているかは知らなかった。

ただ、その日学校裏の山へと向かった時、

その子はいなかったっけ。


森中「相変わらず酷い匂いやなぁー。」


「英樹らがここらで狩してってるからやろ。」


「後あれやん、そいつが動物埋めてるやん。」


森中「あっははー、そうやったそうやった。」


花奏「…。」


数人に囲まれて

どうにも逃げたくても逃げれなくて

肩が上がったままその場でじっとしてた。

匂いは森中の言う通り

相変わらず酷くって、

早くここから立ち去りたくて

仕方がなかった。


森中は何を思ってから知らないけれど、

彼女も彼女で相変わらず

肩を組んできたの。


森中「あのさあ、前々から気になってたんやけど、ポケットの中のそれハンカチやないよなぁ?」


花奏「…っ!…何で」


森中「だってお前、鞄からいっつもハンカチ出すねんもん。スカート、何回か触って確認したけどいっつも何か持ってるよなぁー。」


花奏「…。」


森中「出してみいや。」


花奏「……嫌…」


森中「今更そんなこと言えるんや。はえー、凄いもんやなぁー。」


花奏「…。」


森中「そのいらへん正義感、いつか自分殺すで。」


花奏「…。」


森中「言ってる意味分かるかぁー?」


花奏「……何で、こんなことするの。」


森中「へ?…あははっ、おかしなったん?お前。」


花奏「理由を知りたい。」


森中「仕方ないなぁ。無知なお前に教えたる。」


その時。

すっと取り出される凶器を

見逃さなかった。

相変わらずお馴染みって感じなんだけど、

カッターをこちらに向けて、

首に沿わせて言われた。


森中「理由なんてないからや。あって暇つぶし。覚えとき。」


そう言ってた。

いくら脅しで刃物を使うとはいえ、

実際に使うなんてことは

出来ないだろうと踏んでた。

そこまで度胸のあるような人は

早々いないから。

森中も例外なくその範囲に留まっているのか

カッターをしまった後、

ポケットの中に手を突っ込まれた。


花奏「…っ!やめてっ!」


薙ぎ払おうとしたけれど、

それを見ていた他の女子たちは

当たり前のように私のことを拘束して、

身動きを取れないようにしていった。

本当に気持ち悪かった。

気持ち悪かった。

何がと言われるともう

あまり思い出せないし

思い出したくないんだけど、

夏だからかな、湿気った空気が染み付いてた。


そして、森中はぱっと

ポケットの中身を取り出したの。

それは、水色のイルカのストラップだった。

あみぐるみとでも言うんだろうか。

大事な、大事な宝物。

大切に手元に置き続けて、

ずっと身近に感じていたくて

持ち歩いていたものだった。

こうなることが想像するに容易かったんなら

さっさと置いてこればよかったものを、

何故かそうしなかった。

忘れてただけかな、

生活にいっぱいいっぱいすぎて。


ストラップ。

それは、真帆路先輩から

もらったものだったんだ。





°°°°°





真帆路「はいこれ、プレゼント。」


花奏「これ…ストラップ?」


真帆路「そう!あたし手芸得意だからさ、作ってみたんだ。」


花奏「え、これ、先輩が作ったんですか!?」


真帆路「うん!どう?」


花奏「可愛いし素敵です!わあ、イルカだあ!」


真帆路「確か前にイルカ好きだって聞いたからさ。」


花奏「それで作ってくれたんですか…?」


真帆路「まあね。何かプレゼントしたいなーって思って。」


花奏「先輩…ありがとうございます!今度は私が作ってお返しします!」


真帆路「お、期待しちゃうよー?」


花奏「えへへ、任せてください!…約束です!」





°°°°°




私が引っ越すから、と伝えると、

直近では疎遠だった先輩は

態々作ってくれたのだ。

その年は、確か先輩は受験が

控えているというのに、

時間を割いて作ってくれた。

そう考えると胸がいっぱいになって、

知らない土地でもどんなことが起こっても

私は頑張れるって思ったの。


森中「何これ、子供っぽ。」


花奏「嫌!やめて、離してっ!」


森中「なぁー、これ大事なもんなん?」


花奏「…っ!」


森中「あ、そーなんや。ごめんなー子供っぽいとかいうて。」


花奏「…あ…」


森中はそれを近くにいた人に投げると、

その人はどこからかライターを取り出して

かち、と音を鳴らした。

もう想像できる。

当時の私だって出来た。


花奏「やめて、やめてっ!」


何度も叫んだよ、一応ね。

無駄だってわかってたけど

はちゃめちゃに暴れて

拘束を解こうとした。

けど、誰かもわからないけれど

何度か胴体を殴られたっけ。


それ以降のことは

あんまり覚えてないんだけど、

気づいたら爛れた手の中に

大部分が黒く焦げたストラップがあった。

周りはいつの間にか

誰もいなくなっていて、私1人だけ。

燃えてるままのものを

手で拾い上げて火を消そうとしたのかな。

皮膚が大きく捲れていて

生々しく衒った肌が見えた。

部分部分、血がじんわりと滲んでは

手の皺にすっと潜り込む。

それだけでとても痛かった。

その上、ストラップは砂を

くっつけていたせいで、

それがぱらりと掌に

落ちるだけで激痛が走った。


でも、よかった。

形は少しだけ残ってたから。

だから、まだ頑張れるって思った。

この辺りからおかしくなりつつあることに

自分で気づければ尚よかった。

…って、今は思えるかな。





°°°°°





花奏「…そのストラップがこれ。」


ずっと手元に置いていたのか、

小津町はすっ、と

小さなジップロックのようなものに入った

ほぼほぼ黒い物体を、ストラップを

机の上に出した。

一部分だけ、くすんだ青っぽい部分がある。

…これは、小津町が必死に守った

一部分なんだろう。


とんでもなく胸が痛んだ。

これまでの話で十二分に

辛いと思っているというのに、

これでまだマシだなんて口にしているあたり

恐ろしくて仕方がない。

小津町は、小津町は何を思っているのか

淡々と告げるだけ。

泣くことも、苦しそうな顔を

するわけでもなくって、

寧ろ時折うっすらと

笑みを浮かべていた。

それに対して恐怖を

感じずにはいられなかった。


花奏「その日以降も今のままの形で持ち歩いたよ。やっぱり、もう少し頑張っていたかったから。」


そう言い、優しくストラップの上に手を重ねた。

その所作は慈愛に満ちているが故に

どれほど大切なものか

嫌でも気付かされる。

皆の顔を見ることは出来ないけれど、

数人は息をすることも忘れて

俯いてしまっている人もいるようで。

それでも、最後まで聞くという

覚悟があるのか、

この場から席を外す人はいなかった。

あても含めて、皆。


花奏「森中達は流石に翌日以降もこれを持ってきてるとは思ってなかったのか、もうこれに触れることはなかったんだ。」


燃やされてぺしゃんこになったから

気づかれなかっただけかも、と付け加えて。


花奏「けど、多分気づかれてはいたんだろうなって思う。ツイートを見る限りね。」


実際、焦げ臭いのはそうだったし。

と言う。


花奏「これが、ストラップの話だと思う。」


ここまで話しているのに、

かえという人物からの条件のうち

7つ中2つしか満たしていないことに

背筋が震える他なかった。

そもそも、かえは小津町が事実を

こうして話すと思っていたのだろうか。

もしかしたら、最初小津町がしたように

作り話を話させることだけが

目的だったのではないだろうか。

小津町は怯えるがあまり

本当のことを話さないと

踏んでいたのではないだろうか。


そしてその後は

Twitterにて正誤判断をすれば良いと、

小津町が話した内容と事実が

異なっていないかどうかテストをすれば

いいだろうというツイートを見かけた。


例えばの話、小津町が嘘の内容を話だとしても

あて達が聞いた時適当に嘘をついても

正直なところかえはわからない。

ただ、ひとつ相手側からして分かるのは

小津町は事実を

吐かないだろうことだったのではないか。

どちらにせよ、事実とは異なったことを

回答する羽目になったとする。

そうすれば、もしかしたら

小津町に対して、他、

もしかしたらあて達にまで

被害があったのかも。

…なんて想像してしまった。


…先まで、まんまとそれに

はまりかけていたのではないか?


実際、小津町は事実を話す気など

全くもってなかったのだから。

それを、三門先輩が打破してくれたお陰で

今はこうなっているけれど。


花奏「…この先の話は多分、もっと嫌な話だろうから…辛かったら耳塞いでね。席を外してもいいから。」


訛りのない彼女の言葉。

それが、その事実が、

たった今彼女はその田舎にいるのだと

主張してやまなかった。


ああ。

あのかえという人物が提示した、

話すよう命じた条件達。

それらは、事実を話すことにするのであれば

小津町の傷を深く抉るものばかりだったのだ。

どちらにせよ、茨の道しかないのか。





°°°°°





ストラップの一件があって以降、

本格的に直接手が下されるようになってきた。


ドラマやアニメとか、

創作物で見られるような出来事が

実際に起きるようになっていった。

例えば…そうだな、

お弁当を持っていっても

捨てられたり、水浸しにされたりとか。

自分で作ってたから

まだ罪悪感は少なかったんだけど、

もったいないなって思うようになって

お弁当を持っていくのはやめた気がする。

学校に一体

何しに行ってたんだろうね。


授業内に手を下されることは少なくて

それは安心していたけれど、

ある大雨の日、遂にか、

と思うようなことが起きた。

大雨の中登校して、

教室に入った時だった。

周りは相変わらずくすくすと

陰湿に笑っていたのを覚えてる。


花奏「…?」


少し歩いて気づいた。

私の机がなかった。


森中「あー、それなぁ、誰かが捨てよったで。」


花奏「…。」


森中「早よ戻してこうへんと授業遅れるでー。」


森中は周りとけたけた笑ってた。

流石にこの頃までにはちゃんとわかってたよ。

森中はいい人ではないって。

カラスを投げ捨ててくれたり、

私を庇うような行動を時々してたりと

理解できない部分もあるけど、

確実にいい人ではないって、やっと。

ただ、ひとつ。

森中は直接私に対して

手間をかけるようなことはしなかった。

ストラップの時だってそう。

ひったくりはしたけど、

燃やしたのは他人。

昼休みの間に水をかけてくるのだって別の人。

森中は、見てるだけだった。


机を取りに行こうと廊下を歩き、

随分とぼろぼろになった靴を履いて

傘を差そうとした時だった。


花奏「…あ。」


傘が真っ二つに折れてた。

真ん中から綺麗に。

ビニール傘だったから

あまり損した気分にはならないものの、

雨に当たらなきゃいけなくなったことに

心底面倒だなって感じた。

濡れて帰ることくらい

その頃になればざらにあったから、

いつものことか、で済ましてた。


大丈夫。

まだ、頑張れる。

まだ。


教室の真下の地点に辿り着き、

その惨状を目の当たりにした。

机は血や水を吸いまくっていたおかげか

濁った色へと変色していて、

今回は大雨のせいで土がぬかるみ

泥まで被っている。

これをいちいち拭いて

上まで戻すのには気が引けたけど、

そうする他なくて

泥まみれの机と椅子を持った。

形は幸い酷くは変わっていないよう。

平面においたら小さく揺れる程度の

ものはあるだろうけれど、

たったそれだけだから。


玄関でひと通り拭いて教室に戻る。

手を洗いに、1度教室を後にする。

そして戻ってきたらびっくり、

机がなかったの。

流石に驚いたな。

また捨てられてたみたい。

その日はなんだか心が折れちゃって

…漸く心が折れてくれて、

鞄を背負って外に出た。

それから再度泥を纏った机と椅子を、

暴言の染みついたそれらを

校舎の隅に寄せて、

雨で泥が落ちるのを待った。


途中まで裏山の麓で動物の死体を眺めたの。

死体、ちゃんと増えてた。

土に埋まってる分も勿論増えてたけど、

その辺りに放置されてるのだって増えてた。

よくこのあたりの動物は

絶滅しないななんて考えて。

夏前あたりに見た肉肉しいそれらは、

その頃にはちゃんと骨になってたかな。

多分、この時期くらいのこと。

漸くの話、自分の死について

考えることが出てきた。

漸く、異常だってことに気がついた。

エスカレートしてるって気づいた。

漸く、本当に漸く。


大丈夫じゃない、と。

もう頑張れないと不意に思った。

何気ないきっかけだったよ。

机を捨てられたくらいで。

…。

たったそれだけでさ。


そう気づいてすぐに

担任の先生の元へ向かった。

担任の先生はその時間、

たまたま授業をする時間ではなかったらしい。

1限目は確か私のクラスで授業して、

2限目が空いていたんだっけ。

私の机がなかったことも

私がいなかったことも

知っている状態であることは確かだったはず。


制服は泥だらけ、全身濡れたままだったけど

何か言葉を突っ込むわけでもなく

相談室へと案内してくれた。

担任の先生は瞳先生っていって

女性の先生だったよ。

いつも生徒達からは馬鹿にされているタイプで

正直頼りなかったけれど、

頼らないよりはましだって思ったから。


そして、これまでのことと

その日起こったことを話した。

いじめられている、と話した。

辛いことを話した。

苦しいって思ってることをほぼ全部話した。

先生は頼れる人だから。

大人は、守ってくれるから。

そのはずだから。


先生「なるほど…。」


花奏「…。」


先生「ねえ、小津町さん。」


花奏「…はい。」


先生「この学校にはね、いじめはないのよ。」


花奏「……………ぇ…?」


先生「学校にも、私のクラスにもいじめはないの。」


花奏「…でも、これまでだってーーーさんは…」


先生「いい?ないのよ。」


花奏「違う、私、今だって…っ!」


先生「これ以上荒らさないでちょうだい!」


花奏「…っ!」


先生「今ね、平和なのよ。」


花奏「…平和………?」


先生「ええ。そうよ。」


花奏「……。」


先生「いじめなんてものないわ。」


言い切ったよ、先生は悪びれもせずに。

今だから思うんだけど、

きっと森中を中心に

弱みでも握られてたんじゃないかなって。

けど、当時は許せなかった。

怒りを通り越して呆れて、

それから悲しいすら思わなくなって。

ああ、なんだ、って。


なんだ、そんなもんかって。

人を信用するんじゃないって。

本当のことなんて話すもんじゃないって思った。

話すだけ無駄だから。

信用したって無駄だから。

どうせ利用されるだけ、

どうせ遇らわれるだけだから。

さっさと嘘をつけない性格をやめたかった。

人を利用して馬鹿にすることが

出来るような人間になればよかった。

善意とか思いやりだとか

そんな甘ったれたものに

しがみついていなければ。

それを思うたび、既に亡くなってたお母さんや

遠くで頑張っている真帆路先輩の顔が浮かぶの。

優しさを教えてくれた人たちの顔が。

ここで全てを捨て去ってしまっては

それこそ人間として終わるって思った。

だから、捨てきれなかったのかな。

そんな自分も憎いなって

思うようになってっちゃって。

結局、こんなになっちゃった。

人を信頼、しづらくなっちゃった。


今回、私の昔の話について

話すのを渋ってたのは多分、

こういうことがあったからっていうのも

理由のひとつだったのかな、なんて。

…。

ごめんね。

ごめん。

私だってすぐに信用したかった。

でもすぐには出来なかった。

正直、今だってそうかもしれない。

出来てないのかもしれない。


怖い。

まだ、怖い。


先生は颯爽と席を立ち、

その場を後にした。

その時、何故だか真帆路先輩に会いたくなった。

屈託のない、悪意のない笑顔で

ただ笑いかけてくれるだけで十分だから。

人を信頼するってことを

教えてくれた先輩に会いたくなった。

けど、その時思ったの。

きっと先輩のことすら疑ってしまう。

大好きな先輩のことすら

きっと、きっと信じられない。

絶対裏では私のことを

馬鹿にして笑ってるんだ。

そう思ったら自分がどんどん醜く見えて、

先輩に会うことなんて

出来ないって思っちゃった。

ここで彼女に会いに行っていれば

また未来は変わってたんだろうなって思う。


先生がいなくなっても

ぼうっとしてそのまま座ってた。

髪が徐々に乾いてきて、

制服についた泥がぱさぱさになってくる頃。

気づいたら、知らない女の人がいたの。

この学校の生徒のようで、

少なくとも私のクラスではなかった。

ふんわりとした外はねのボブが

特徴的な人だった。

先生が座っていたはずの場所に

彼女が座っていて。


その人の名前、覚えてるの。

凄いよね。

奇跡だよね。

クラスの人も碌に覚えてないのに。

その人は、深見さんっていうの。


学年は分からなかったけれど、

多分年上だろうなとは思った。

当時私が1年なだけあって

ほぼ先輩に当たるから。


深見さんは終始柔らかい口調で

私に話しかけてた、んだと思う。

独り言だったのかな。


深見「小津町さんって言うんだよね。」


花奏「…。」


深見「町で有名になってるよ。都会から来たんだって。」


花奏「…。」


深見「何かね、話題が小津町さん達のことで持ちきりなの。大人は特にさ。」


花奏「…。」


深見「ほら、あなたのお父さんが新しい事業持ち上げてる、みたいな。」


花奏「…。」


深見「それで倒産するかもって会社もあって、結構ごたごたしてるみたいなの。」


花奏「…。」


深見「まあ、私は聞いただけだから分からないけど。」


今でこそ思い出せるけど、

当時はその話、ほとんど耳に入ってなかった。

思い返せば相当重要なことを

話してくれていた気がする。

誰も町のことや大人達の間柄、

今の事情なんて教えてくれなかったから。

ずっと自分の手を見てた。

皮がだいぶ治ってきて

やっと綺麗になってきた掌を。


それからひとつの違和感があった。

その人は、方言を話さなかった。


花奏「…。」


深見「…この学校、辛い?」


花奏「…。」


深見「私ね、この町なんてくそだと思うよ。」


花奏「…。」


深見「この町出よっかな、いつか。」


花奏「…。」


深見「…私とずっと一緒に育ってきた、妹みたいな子がいるんだけどね。その子が言ったの。この町を出るって。」


花奏「…。」


深見「その子、こっちの訛りで話さなくなって、標準語になったんだ。」


花奏「…。」


深見「私もついて行こうと思ってさ。だから標準語勉強中。どう?上手い?」


花奏「…。」


深見さんは淡々と勝手に

自分の事情をつらつらと話しては

こちらをちら、と覗いた。

変な人だった。

絶対、裏があると思った。


花奏「…。」


深見「小津町さん。私、あなたのこと凄いって思ってるよ。」


花奏「…。」


深見「学校、休んでもいいんじゃないかな。」


花奏「…。」


深見「何回も実は見かけてたんだ。水をかけられ」


花奏「じゃあ何で止めてくれなかったんですか。」


深見「…。」


花奏「止めれてくれれば、よかったのに。」


深見「…そうだね。それは私の弱さだね。」


花奏「…。」


深見「夏休みになっても私はここの教室にいるつもりだから、暇だったら…いや、辛くなってもここにおいでよ。」


花奏「…。」


深見「勉強を手伝うとか、そのくらいのことなら出来るから。」


そう言い残して

深見さんはどこかに行った。

そうか。

夏休みか、って漠然と思った。

少しばかりの休息がくる。

こんなのが3年間続くのかな。

ああ。

さっさと引っ越したい。

…いや。

さっさと消えたい。

そう思うようになっていったな。


翌日。

夏休み手前だったろうか。

直前と言ってもいい気がするほどの頃。

私は漸く学校を休んだ。

机と椅子を元に戻すことも、

折れた傘を持って帰ることも忘れて

何もせず帰ってきた挙句、

次の日に学校に行かなかった。

父さんにはお腹が痛いとか

適当言って誤魔化した。

父さんがいつも帰ってくる前に

お風呂や洗濯を済ませてたから

いじめられてるってことは

バレてなかったと思うんだよね。

休むことに関しても

深入りして聞かれることなんて何もなく。


休んだ日は罪悪感に苛まれて止まなかった。

休んでしまった、って。

このまま休み続けたら

どうしようかと未来にまで

不安を感じ出してしまって。

でも、なんだか気が楽だった。

何もない日は久しぶりな感じがした。

布団に寝転がったまま

1日を過ごしたっけ。


午後のこと。

不意にインターホンがなった。

何かと思って出てみようとしたところ、

森中の影が見えたことに

背筋が凍って、動けなくなった。

それでも何回かインターホンを鳴らしたり

軽く戸を叩いたりするものだから、

出るしかないって考えに陥って。


森中「よ。」


花奏「…な、何…」


森中「なぁん、調子がどうか見にきただけやろ。」


その言葉には裏がある。

確信してた。

間違い無いって思った。

森中は特に、善意だけで動くような

人間では無いのだから。


周りにもいつものように

取り巻きがいると思ったのだが、

どうやら森中だけのよう。

本人の口からもそう聞いた。

ただ、信用なんてできないけれど。

玄関に押し入ってきては

後ろ手で扉を閉めた。

そして、どうすればいいかわからず、

自分の唯一安全でいられる場所にまで

足を踏み入れられて

しまったことで動転してて。

耐えることができずに

背を向けたところで、

森中は後ろから抱きついてきたの。

怖くて仕方なかったな、あの時。


森中「なあ。」


花奏「…っ!」


森中「辛かったよな。」


花奏「………ぇ…っ?」


森中「うちの先生、クズやったろ。」


花奏「…っ!?」


森中「知ってるかぁ?田舎ってな、情報がありえへんくらい早く、考えられへんところにまで広がっていくねんや。」


花奏「…。」


森中「特にここはそう。みんな暇なんやろうな。」


花奏「…えと…何が、言いたいの。」


森中「んー?あぁ、無駄話は嫌いけ?」


花奏「…じゃ、なくて」


森中「あー、ならしゃあないなぁ。本題入ったるわ。」


そういうと、未だに抱きついたまま

しゃがめと言うものだから、

それに従うだけ。

人質に取られている気分だった。

息が吸いづらなかった。

首に巻かれる腕が

別の生き物のように感じて仕方がなかった。


森中「左腕貸してな。」


花奏「…あ、え…?」


森中「掌上に向けろや。そうそう。そのままなー。」


次に後ろから伸びてきた手。

その手には、カッターが握られてた。

ああ。

あの時のだろうか。

ストラップを燃やされた時、

脅される時にて見たあれと

一緒のものなのかな。


妙なほど冷静な頭の中、

もう抗えないことを悟った。

ここで暴れた方がきっと

私は酷い目に遭うと分かったから。


森中「今日の本題はな、ストレスの発散方法や。」


花奏「…。」


森中「うちが手伝ってあげるから、今度自分でしてみい、ええな?」


終始口ぶりがいつもよりも

何倍も柔らかかったものだから、

ああ、優しくしてくれてると

勘違いしてしまいそうだった。

森中は片手で私の腕を、

もう片手でカッターを手にして

それらを接した。

左の手首だった。

リストカットか、と

脳裏の中で浮かんだ。

そして、ゆっくり優しく

カッターを引いていくの。


1番最初は弱すぎるが故に

全く傷なんて入らなくて、

小さなささくれのようなものが

少し飛び出ただけ。


森中「あんれー、加減が難しいな。」


花奏「…。」


森中「どうや、痛みはあったかー?」


背中前面で森中の体温を

感じながらそれが行われてるもので、

気持ち悪いにもほどがあったはずなのに、

人の体温を感じて

安心している自分も

いたような気がした。

自分が自分でなくなるような感覚に

甘えてしまいたくなったけど、

けど、けどね。

それ以上に怖くて仕方なかった。


次。

少し強めに肌に食い込ませてから

すうっと勢いをつけて引かれた。


花奏「い゛っ…。」


森中「癖にならへんか?」


花奏「…痛い。」


森中「そうなんやぁ、うちは好きなんやけどなぁ。」


花奏「…。」


森中「うちもたまーにすんねんで、リスカ。」


花奏「…。」


森中「すっきりすんねん。血を見てるとさぁ。」


花奏「…。」


森中「うちらほんま、恵まれんかったな。」


私まで含めて一括りにして

話を大きくしているのには

微々ながら反抗したかった。

私がこうなっているのは

お前のせいだって。

森中さえいなければ

恵まれてるとまで言えずとも

程よい幸せに包まれて生きていたって。

でも、哀愁の漂う言い方に

森中も何か別のものを見てる気がして

何も言わなかった。

…それだけが理由じゃないか。

もう聞いてなかった。

森中の話を一切、聞いてなかった。

聞く気も起きなかった。


それからもう1回、

愛でるように私の腕に

傷を増やしていった。

偶にリスカをすると言っていたのは

嘘では無いのか、

綺麗に横線を増やされる。

だんだんじんわりと

痛みが滲み出し、

ぽつぽつと赤い斑点が

顔を出し始めるの。

どくんどくんって傷周りから

心臓に響くまで煩くて。

初めてだったな、リスカ。


森中「夏休み、しっかり遊びいや。」


花奏「…。」


森中「うちらもあんまお前と関わらへんやろうしな。」


花奏「…。」


森中「田舎でしかできひんこと沢山あるで。」


花奏「…。」


森中「なんならうちと田舎まわるか?」


花奏「…っ………い、かない…。」


森中「あっそ。ならええわ。」


花奏「…。」


森中「じゃ、また学校でなー。」


かちかち、とカッターを閉まって

何もなかったように帰っていった。


結局私は夏休みが始まるまでの数日間、

逃げるように家に引きこもって、

そのまま夏休みを迎えた。

高校生になってから初めての夏休みだった。


夏休みの1ヶ月間は

森中の言う通りクラスの人たちは

ほぼ関わってこなかった。

時折見かけられた際に

唾を吐かれるだとか小さいことはあったけど

たったそれだけだし

害はないと言っても過言じゃなかった。

初め2週間くらいは

ずっと家にこもってた。

家にいる間はカーテンすら開けなかったから

天気も時間も分からなかった。

ふと気づいたら2週間経ってたんだ。

このままじゃ腐っちゃうとも思ったし、

そもそも段々と飽きてしまって

外に出る決心がついた。

そして、何となく行きたくないはずだった

学校へと向かっていった。

田舎は空気が美味しかったよ。

天気がいい日は順当に暑くて

夏を感じる他なかった。


学校に行って教室に入っても

誰もいないのが何だか快感だった。

それから、まだ外に出しっぱなしになっていた

机と椅子を持って再度教室に向かった。

砂がうっすらと被っていたもので

手触りは最悪だったな。

泥も何もかも固まってしまってるあたり

晴れの日が何日か続いていたらしいことに

気がついたんだっけ。

綺麗に拭いてから教室に戻して、

なんとなく席についてみたり。

胸の中がざわざわしたから

すぐにその場を離れて、

そういえば、と思い出した場所に

足を運んでみた。

それが、相談室。


花奏「…!」


深見「お、やっほー。待ってたよぉー。」


花奏「…本当にいた…。」


深見「ん?いるよ。当然じゃん。」


花奏「……何で?」


深見「んー…ここの方が安心できるんだよねぇ。」


花奏「…。」


深見「安心してよ。決して小津町さんにここに毎日いるからって言ったから義務感で来てることはないからね。」


花奏「…。」


深見「言うなれば、小津町さんのためじゃないよ。」


花奏「…でも、さっき待ってたって。」


深見「そりゃあ、来てくれた方が嬉しいけどね。」


花奏「…そう…なんですね。」


深見「この言い方は寂しかった?」


花奏「安心、しました。」


表面だけで良さそうだったから、

安心したんだろうな。

私のためじゃないことが嬉しかった。

関係を持つとしても信頼関係じゃなく

利害関係って言葉が合うくらいの関係が

1番ちょうどよかった。

都合の良い捉え方だから。


残りの2週間は深見さんと

過ごすことが多かった。

相談室に行けばその狭い空間に座って

こちらを向いて迎え入れてくれた。

笑いかけてくれるものだから

お母さんや真帆路先輩に重なって

妙に心苦しかったっけ。

深見さんは宣言通り

私に勉強を教えてくれた。

とはいえ、今思えばレベルは相当低いもの。

けど、できたら褒めてくれたし、

裏があるだろうと考えてはいても

それは素直に嬉しかった。

だから、それ以降勉強自体が

嫌いになるってことはなかったな。

深見さんのおかげだと思う。


時には深見さんが持参していたか

図書館や図書室で借りていた本を貸してもらい

蝉の鳴く中読んだりした。

深見さんは終始眠そうだったけど

気づけば読み終えて別の本を手に取ってて。

他の日はボードゲームをしたりもした。

チェスとかオセロとか。

騒ぐようなタイプのものではなくて

黙々とするタイプのものが多かった。


深見「…。」


花奏「…。」


深見「…。」


花奏「…。」


深見「…小津町さんはさ、楽しい時ってある?」


花奏「…。」


深見「例えば、映画を見てる時、ご飯を食べてる時、寝てる時、とか。」


花奏「……ない。」


深見「そっかぁ。」


花奏「けど、気が楽な時はあるよ。」


深見「気が楽な時?」


花奏「うん。…夏休み。」


深見「学校がない時ってことかな。」


花奏「そう。」


深見「私といるのは気が楽?」


花奏「…ずっと気張ってる。」


深見「…ふふ、あはは。そりゃあいいね。」


花奏「…。」


深見「私も。」


花奏「え?」


深見「私も、同じ。」


かたん。

何かを置いたんだけど、

何だったっけ。

チェスか、将棋か…それこそ

オセロのコマだったか。


深見「人って信用ならないよね。」


そう言ってたな。

もしかしたら、深見さんにも

事情があるのかもしれないと思った。

きっと私が学校に来ていなかった

前2週間も、彼女は学校に来ていた。

家の方がまだ環境はいいだろうに。

家で何か事情があるのかと勘繰った。

けど、他の可能性を見るに、

深見さん自身もいじめられている

なんてことがあるのかもしれないと

ふと思ったんだっけ。


その時だけ、深見さんとは

距離が近づいたような気がして。

それは、紛れもなく心の距離。

それが嫌で嫌で仕方がなくなって、

私は何かコマを置いた。


そうして夏休みは呆気なく終わった。

高校生初めての夏休みが

これで良いのかと思ったけど、

深見さんと会っていたし

何もしなかったわけじゃない。

だから、いいかと思った。

勉強だってしたし、

それ相応に遊びだってした。

ずっと室内だったけれど。

でも十分。

その頃には腕の傷はとっくに無くなっていて

跡になることもなさそうだった。

深く切ったわけじゃなかったからかな。

掌の治安も良くなって、

ここに引っ越してくる前のように見違えた。


そして、学校が始まった。

まあ、想像の通りというか、

将又想像以上だったと言うべきか。

通常通りいじめはあったね。

夏休み始まる前と内容はほぼ一緒。

それ以上内容的に悪化することなんて

ないだろうと思ってた。

ボウガンの的にされることくらいは

あるかもなって思ってたけど

それは最後までなかったな。

またこれまでと同じ日々を送れば良いだけ。

大丈夫、って。

元に戻るだけだって、考えてた。

深見さんには会いに行かなくなった。

放課後は森中らに捕まることが多かったし、

何だか気分じゃない日が多かった。

だから、これ以降深見さんが

何をしていたかなんて知らないんだ。


学校が始まって2週間ほど経った頃。

再度始まった学校に通う日々も慣れてきて、

毎日水浸しなり泥だらけなりになった制服を

洗うのだって慣れてきた頃。


それはあまりにも突然だった。

真帆路先輩が亡くなったって知らせが来たの。


慌てて父さんにも連絡して、

一時的に神奈川に戻ることにした。

信じられなかった。

未だに信じられない。

真帆路先輩が亡くなったことだってそう。

先輩の死因が自殺だったなんて

噂を聞いたことだってそう。

信じられなかった。

信じたくなかった。

学校は暫く休むことになって

嬉しいはずではあるのに、

それ以上に何だかぽっかり穴が空いたようで

大切なことの殆どが

抜け落ちちゃったような。

お母さんが亡くなった時って

こんな感じだったっけって思い返しても

多分、違っただろうなとは思った。


葬儀の時ですらまだ現実だと思ってなかった。

嘘だと思い続けてた。

けど、参列していた皆が

静かに、時に泣いて

真帆路先輩との別れを惜しんでた。


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「うぁ…ぇ………。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…ぐずっ……ぅぅ…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


花奏「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


「…。」


異様だって思った。

どうしてこんなにも愛されてる人間が

いなくならなければならないのか。

分からなかった。

分からなかったよ。


けど、もう耐えられなくなる気持ちや

心が折れそうな時、折れてしまった時。

その時の気持ちがわかるから。

消えたくなるような気持ちがわかるから

先輩を責めることはできなかった。

泣くことだって出来なかった。

唯一できたこと。


花奏「………………ぁ…はは…。」


笑うことだったかな。

どうしようもなくって笑っちゃった。

周りで聞こえてる人がいたら

きっと大層不快だったと思う。

今思えば思うほど申し訳なくなってくる。


葬儀を終えて、少しして田舎に戻った。

それは良いものの、

完全に抜け殻のようになってしまって

学校に行くどころか布団から

出れない日が多くなった。

布団から出れないってあるのかと、

こういうことかと思い知った。

動かそうと思っても

何故だか全く動いてくれないの。

重たくて、感覚がなくなっていくような

気にもなっていって。

指先ひとつすら動かせずに固まる。

でも、ふとした時に、

それこそ心を構えすぎない時には

案外すっと起き上がれるんだ。


父さんは私と真帆路先輩が

えらい昔からの仲であることは知ってたから、

学校を休み続けることに対して

口を挟むことはなかった。

寧ろ、気が済むまで休めと言ってくれた。

ありがたかった。

家族に理解があったことが

唯一の救いだったかな。

ただ、その頃は既に自分のことで

いっぱいいっぱいなものだから、

父さんの状態を気にかけることなんて

出来てなかった。

多分、父さんも会社で酷い仕打ちを

受けてたんじゃないかなって思うよ。

全部勝手な想像だけどね。


不登校になってまた半月ほど経った頃。

もう9月は終わろうとしてた。

もしかしたら10月に入っていたかも。

夏休みよりも早かった。

尋常じゃないほどのスピードで

時間が経っていたの。

気づいたらもう秋で。

その頃には少しだけ気力が湧いてきて、

家の椅子に座ってみたり

テレビをつけてみたりと

布団から徐々に抜け出すことが

できるようになっていったっけ。

父さんは変わらず仕事に行っていて

私1人が留守番をしている時だった。

ぴーんぽーん、って

インターホンが鳴った。


学校は終わっている時間だったし、

また森中かもしれないと思うと

震えが止まらなかった。

けど、「すみませーん」って

聞こえた声が明らかに森中ではなくて、

宅配便かと思って玄関に向かった。

すると。


「…。」


花奏「あ…ーーー…さん…?」


「…ぁ、ぁ、あの、ずっと学校休んでるから、何してるのかなーって…。」


物静かな子が、ドアの前に立ってた。

変に挙動不審で、

夏休み後までひとつにまとめていたはずの

髪の毛はばっさりと切られていた。

随分とがたがたしていて、

自分で切ったのではないかと思うほど。

それか、美容師さんがとんでもなく

下手だったのか。


「え、えっと、その、元気?」


花奏「え?まぁ…うん。少しずつ。」


「か、風邪?」


花奏「…そんな感じ…かな。」


「へぇ、そ、そうなんだ。」


会話も疎で私はさっさと

切り上げてたかったんだけど、

その子は帰りたくないのか

ずっとおどおどしたまま

玄関前に居座ってた。

流石に不審に感じて

何が目的なのか聞こうとしたところ、

漸く彼女は口を開いた。


「つ、次。次、いつ学校来るの?」


花奏「…次…考えてないよ。」


「もうこ、来ないってこと?」


花奏「ううん。…その、落ち着くまでっていうか。」


「いじめが?」


花奏「え?」


「いじめがお、落ち着くまで来ないの!?」


花奏「えっと、そうじゃなくて…」


「は、早く来いよぉ!」


花奏「…!」


「あ、あんたが来ないと、わ、私がターゲットになるんだよ!だ、だから、早く来いってば!」


捲し立てるように急に

つらつらと話し出すものだから、

疲れてまだ回復し切っていない脳には

ちょっと刺激が強かった。

結構長く話されたものだから

簡単にまとめると、

要は身代わりになれってことだった。

私がここに来るまで

ずっとその子が標的だったらしく、

私が来たことで初めて

空を飛ぶような気持ちになったんだとか。

やっと平和な生活が出来ていたのに、

私が休んで以降、

それこそ夏休みの間ですら

碌に生活できなかったと溢してた。

夏休みの間、比較的安全に

過ごせていたのは、

陰でその子がいじめられていたから。

私の代わりにね。


だからかって思った。

森中が、私に向かって

夏休みの間はそんなに

関わらないだなんて言っていた理由が

やっとそこでわかった。

そんなの知るかって思ったけど、

あちらも同じような考えなんだろうな。


「あんたのせいで、あん、あんたの!」


花奏「…戻るだけじゃん。」


「…は…?」


花奏「全部戻るだけじゃん。今まで通りに。」


最後にそう言ったのは覚えてる。

鳩が豆鉄砲を食ったような顔してたな。

その後は流石に帰っていったっけ。


お見舞いというお見舞いではなく

文句を言いに来ただけのようで、

とんでもなく精神力を使った。

きっともう、彼女は忘れてるんだと思う。

私が話しかけたこととか、

いじめに加担しなかったこととか全部。

その子も人間を人間として見ることができず

敵さ身代わりかでしか

見ることができなかったんだろうな。


ああ。

そんなもんかって。

先生に対して以来だったかな、こう思うの。

見返りをどこかで求めていたのかもしれない。

あの時加担せずに

どちらかといえば味方であるような

態度を取ったのに。

何で。

…って。

やっぱり他人って信用するに足らない。

信用したって、他人のために

何かしたって自分が不幸を被るだけ。

幸せになんてなれない。

私は、そうなれない。

流石に分かった。

胸に刻んだ。

信頼なんてものは無駄なもので、

心の繋がりなんて見えなくて

不安定なものは何の役にも立たないって。

だから、他人を信用するなと。


部屋に戻って、カーテンも朝開いてから

そのまま開きっぱなしで

とりあえず布団に潜った。

何にもする気が起きなかった。

学校に行くか行かないか。

そんなこと考える以前のこと。

何もしたくなかった。

本当に何もしたくなかった。

この考えは数日休んでいれば

治るようなものではないって決めつけた。

治らない。

治らないんだ。

なら。

それ、なら。


花奏「…。」


そしたらさ。

思い出したんだよね。


不思議とすっと起き上がって

家の中を物色したら出てきた。

紐と、後刃物。

カッターだったかな、

リビングにいつも置いてあったから、

それを持ってきた気がする。


思い出したの。

森中が教えてくれた、

ストレス発散方法を。

自分で、少しだけ引いてみた。

すると、森中にしてもらうより

断然自分でする方が緊張した。

だって、選べるから。

諦めるとか、抵抗出来ないとかではなく

自分で選べる段階にいたから。

自分でやってみたよ。

でもね、力が入らなかったの。

薄皮がほんの少し剥がれただけだった。


それから紐を切って固く結んで、

取手に固く結んだ。

すうっと上に伸ばして

扉の裏側へと持っていく。


昔何かで見た事があった

家の扉を使って首吊り自殺をする方法を

試してみようって思っちゃった。

それは確か刑事の特番とか

そう言う類だった覚えがあって。

記憶の通りにやったものだから

正直ちゃんと出来ているのか

分からなかったな。


ごめんね。

こういう手の話、苦手な人いるよね。

無理して聞く必要はないから。

本当に。


…。

…。

それから、首をかけたよ。

少し圧だってかけた。

このまま足下にある台を蹴れば、

きっといなくなることだって出来た。

考え事も悩み事もせずに済んで、

真帆路先輩の元にも近づける。

それこそが幸せじゃないか、って。

でもね、できなかった。

怖いって急に思ったんだよね。

こんなところで勇気を出すくらいなら

別の場所で発揮すればいいのに。

そう思ったら馬鹿馬鹿しくなってやめた。

けど、圧がかかった時確実に

少しは苦しかった。

間違いない。


これが、自殺未遂の話だと思う。

カーテンを閉めてなかったから

誰かに見られてたんだろうね。

歩さんと話した時のことは

流石に監視の目なんて届いてないはずだから。


その後はぱぱっと片付けて

全てをなかったことにして、

また布団に潜ったかな。

父さんにはばれなかった。

紐は怪しまれると嫌だから

捨てずに引き出しの奥に入れた。


何もなかった。

…。

何もないことにした。


その翌日のこと。

放課後の時間、今度は森中がやってきた。


森中「よぉー。」


花奏「…。」


森中「昨日は厄介やったろうに。」


花奏「…。」


やっぱり、森中は、

周りの人間は全てを知っているようだった。

昨日に物静かな子が来たことすら。


森中「うちらもさ、あいつのこと好かんのや。」


花奏「…。」


森中「分かるかぁ?」


花奏「……なら、私もだよね。」


森中「は?あっはは。お前は可愛がってんねや。」


花奏「……。」


森中「あいつにはこんなふうに家に行ったりせえへん。1対1で話すこともあらへん。」


花奏「…。」


森中「あいつは目障りやねんなー。思うやろ。」


花奏「…。」


森中「思うやろって。」


花奏「…。」


森中「あぁ、でもお前に取っちゃ好都合か。代わりにいじめられてくれてる分、お前は平和やもんな。」


花奏「…っ。」


森中「あはは、意地悪やったな。悪いことしたわ。」


花奏「…。」


森中「ちょっと来いや。玄関先でええから。」


花奏「……ゃ…」


森中「はよ来い。」


花奏「…。」


そのままついていって

玄関から少し足を踏み出した。

久しぶりの外のような気がした。

その日は曇りだったかな。

そこでまたしゃがんでと言われた。

ああ、またかと思ったよ。

言われる前から腕を出したら

ぐしゃぐしゃと犬を褒める時のように

頭を撫でてくれたの。


森中「ええ子やなー。」


花奏「…。」


森中「うちな、お前と似てるところがあると思うねん。」


花奏「…ない。」


森中「あるで。そうやな、環境に恵まれてへんところとか。」


また後ろから抱きつくような形で

体重をかけられて、

そして腕を掴まれる。

耳元で森中の声がした。

刃物を手首に添えられる。

やっと、傷跡もなく治ったのに。


森中「信頼できる人が居らへんところとか。」


花奏「…!」


その瞬間。

森中は思いっきり力を込めて

皮膚に食い込ませて引いた。

はじめ、何が起こったのか

理解できなかったけれど、

直ちに溢れる血を見て

理解しなきゃならなかった。

ぱっくりと、割れている。

今こそ血で見えないけれど、

乾いた頃には脂肪の色が

見えてくるんだろうなってくらい。


痛かった。

痛くて痛くて仕方なかった。

声を上げた。

嗚咽が漏れた。


森中はその間ずっと独り言を

言っていたけれど、

何も入ってこなかった。

森中は、自分の中に溜まった鬱憤を

晴らすように私の腕を

何度も何度も深く切った。

肘に渡るまでとは言わないけれど、

中腹くらいまではいったかな。


このリストカットはこの日以降

定期的に行われた。

だから、傷が完治することなんてなく

跡が今でも消えなくなった。

森中のいっていた時々リスカをする、とは

他人の腕を使って

ということだったのかもしれないと

今になっては思う。


去る間際、また頭を

ぐしゃぐしゃと慈愛を込めて撫で回した。

何が何だか分からなかった。

きっとこれを玄関で行わなかった理由は

外なら掃除をせずに済むから。

私のことをどうでもいいと思ってるなら

家の中で切って、掃除を私に、

勝手にしろと言い放ってもよかったのに。

そのところどころの優しさで

訳が分からなくなっていった。

森中は頭を撫でながら

お利口やな、とひと言呟いて。


森中「明日、学校来いや。」


夕方だったかな。

曇りだったんだよ。

変わらず。


森中「チャンスあげたるわ。」


利口なんやから分かるよな。

そう囁かれた。





°°°°°





花奏「…これが証拠。」


薄い羽織を着ていた小津町は

袖をまくりながらさっと左腕を見せた。

そこには、夥しく太めの

白い線が刻み込まれている。

この傷が治るまで

随分と時間を要したはずだ。


花奏「普段はコンシーラーやファンデーションとかで隠してる。水に濡れても大丈夫なようにして。」


触ったら結構ぼこぼこしてるところがあるから

分かる人には分かるしバレるんだけど、

と溢した。


花奏「流石にこのまま学校には行けないから。」


そう言って袖を下ろし、

腕を下ろした。


ふと、自分の指を見てみた。





°°°°°





麗香「お母さん、おかしいよ。いっつも神様の子供だのああだの言って恥ずかしくないの?」


母親「……そうね、そうよね。」


麗香「…もう付き合ってられないんだけど。」


母親「分かったわ。」


麗香「…。」


母親「お母さん、分かったことがあるのよ。麗香、あなたには何か悪いものがついてるんだわ。」


麗香「何言ってるの。」


母親「今からお母さんがその悪い悪いものを追い出してあげるからね。」



---



麗香「…っ!」


母親「教祖様はね、仰ってたのよ。鋭利なもので手の甲をちくっとしてあげれば悪いものは出ていくからね。」


麗香「やめて、来ないで。」


母親「こら、暴れないの。」


麗香「やだ、嫌だっ!」


それでも全く聞く耳を持ってもらえず、

あてもあてで暴れた結果

右手の親指の付け根に

傷を負ったのだ。

母親はおかしかった。

ずっと前からおかしかった。

いろはの家族と付き合いを持つようになって

少しは人間らしくなったんじゃないかと

淡い期待を持っていたが

そうではなかった。

化け物はいつまで経っても

所詮化け物なのだ。


当時切られた傷は今でも

跡として残っている。

白っぽい線になっていて、

誰かが見ても気づくことは

早々ないだろう。

それこと、手を握られて隅から隅まで

舐めるように見たら分かる程度。





°°°°°





親指の付け根に刻まれた傷跡。

切った後の傷跡は

誰でも白っぽくなるものなんだと

漠然と感じていた。

…小津町の持つ重い過去から

どこか逃げ出したい気持ちが

出てきたのかもしれない。


花奏「これが、リストカットの話かな。」


小津町はやはり諦めたように

話すことを止めなかった。

けれど、時々ながら

あて達に対して

苦手なら、辛いなら聞かなくていいと

促しているあたり、

彼女なりの優しさが窺えた。

…それか、聞いてほしくないかの

どちらかだろう。





°°°°°





次の日から学校にまた通い始めた。

何でって…それは、腕を切られた後に

明日から学校に来いって言われたから。

行くしかなくって、

腕に包帯を巻いて、

それからカーディガンを羽織って登校した。

もう秋口だったから

ちょうどよかったっけ。


つい先日に自殺未遂をしてから

変に勇気が湧いてるところがあった。

あの時死ぬよう勇気を振り絞れたのなら

別のことに対して勇気を使えるだろう、と。

1度、頭や心をリセットして、

この学校に来て初日だと思おう。

そう考えた。


馬鹿だなって思う。

反抗しなきゃいいのに。

そこで反抗するんだったら

学校に行かないっていう方法で

反抗すればよかったのに。


森中「はい、貸したるわ。」


連れていかれたのは体育館。

目の前には、物静かな子。

あれ、見たことがあるなと思った。

そう。

夏前と全く同じ状況に立たされていた。

それも何故かというと、

森中がいうには最後の

チャンスをあげるとのこと。

手渡されたのは水の入ったバケツでも

動物の死体でもなく、

森中がいつも手にしていたカッターだった。


森中「リスカ、手伝ったれ。」


花奏「…っ!」


森中「無理やったらこいつの制服でも切ってやりいや。」


じり、と1歩詰められる。

距離を取りたくても、

取り巻きが背に回ってきた。


森中「この前のこと、言われたままでええんか?」


花奏「…。」


森中「お前、迷惑したやろうに。」


花奏「…。」


森中「こういう奴はな、痛い目みいひんと反省せえへんねんや。」


花奏「…。」


森中「やから、やれ。」


花奏「………やら、ない。」


森中「は?もう1回言ってみい。」


花奏「やらない!私はやらない!」


もう本当に救いようのないほど

学ばないのはこちら側だと思った。

チャンスを台無しにして反抗して、

森中から渡されたカッターを

床に投げ捨てた。

分散することはなく、

からりからりと音を立てるだけ。


その時はっとした。

その場の空気が異様なほど

冷め切っていることに。

やってしまったって思った。

逃げるようにして背を向け、

通せんぼをしていた人を無理やり退けて

そのまま走って帰った。


翌日以降。

当たり前だけどいじめの標的は

しっかりと私へと戻っていった。


助けたって何もなく、

何なら物静かな子はしめしめと

思っているだろうことをして

一体何になるんだろう。

悪人になりきれれば

絶対違った未来があった。

中途半端に自分を持たなければ

絶対違った未来があった。

全部流される人生であれば

絶対違った未来があった。

それを、全部全部捨てた。

自分で幸福を捨て去った。


その日以来、男子もいじめに対して

絡むようになってきたのを見て

遂にか、と思ったよ。

力では絶対に勝てないから

怖いなんて等に超えてしまって

震える他なくて。


近いうちに放課後、

裏山の方に連れていかれた。

何人かで後ろから羽交締めされたっけ。

森中に腕を酷く切られた後だったし、

大抵のことなら多分

大丈夫だろうと思ってた。

けど、その日誰かが持ってきたのは

手持ち花火だった。


…。

歩さん、そんな顔しないで。

大丈夫。

歩さんのしてくれたことは

全部苦じゃなかったから。


何人かが集まる中、

男子も含めた皆で楽しげに話してた。


「なあなあ、根性焼きしたらん?」


「がはは、ええやんけ。」


「どこにする?」


「顔はやめとけやー。」


「ええ?でも良くね?」


「ひとみせんせー流石に怒んでー。」


「あっはは、あいつは怒らへんやろ。」


「役立たへんしなー。」


「おいーーー。」


「…。」


「やったれや、お前のせいで夏休み散々でしたーいうてさ。」


「っぱ顔はそそらへんよなー。別のところにしようやー。」


そんな会話があったんだっけ。

しっかりとは覚えてないけど、

何も言わずとも流れで

顔はやめてくれた。

それはありがたかった。


少しの間正規の楽しみ方をした後、

物静かな子だっけな。

制服の上からそのまま焼かれた。

制服やカーディガンは

ぼろぼろになってしまったけど、

それでよかったと思ってる。

素肌じゃなくてよかったって。

それに加えて何がよかったって

まだ隠せるところだったってこと、

それから数回でやめてくれたところ。

思ったより拘束は短かった。

女子達は流石に火を使うまでのいじめには

怖気付いているのか

見ているだけの人が多かった。


肩を、左肩を焼かれたんだけどね、

そこら一帯を何回かだけで済ませてくれた。

腹部とか背中とか、

別の場所にはしないでいてくれた。

…ありがたかったよ。

翌日以降、水膨れが酷くて

まともに鞄すら背負えなかったけど。





°°°°°




花奏「私は火傷跡って思ってるけど、このことが根性焼きの話だと思う。」


そう言って小津町は来ていた羽織を

少しばかりはだけさせ、

首元の緩いTシャツを

軽くくいっと引っ張った。

すると、光の関係上見にくいが、

あまり焼けていない白い肌に

茶色っぽい染みが広々と

残っているのが見えた。


花奏「一応、証拠ね。」


普通であれば同性だったとしても

内心慌ててしまうような格好を

しているというのに、

今回ばかりはそんなどぎまぎするような

感情は湧いてこなかった。

湧いてくるはずがなかった。

ほんの少しして手を離し、羽織を正す。

元より全てを話す気も

少しくらいあったのだろうか。

傷跡を見せやすいような

服装を着ていることに気づいてしまった。


花奏「…あと何だっけ。…放火と…あぁ、あれか。」


小津町は再度、気持ち悪くなる前に

ここから少し外れるよう

促してから話を続けた。





°°°°°




花火での一件があって以降、

私が反抗しないよう

徹底的に躾けようとしたんだろうね。

放課後、森中に声をかけられて

珍しいことに2人で体育館に向かった。

それから、いつもは体育館で

何か色々とされるのだが、

今日はそこにある準備室へと

入るよう促された。

初めは何が何だか分からず、

また腕を切られるのだろうと思った。


けど、少ししてから

男子生徒が2、3人入ってきた。

物凄く嫌な予感がした。

そして、その嫌な予感はあたった。


さっきも言ったけど、

男子の力になんて敵うわけがないの。

いくら身長があってもね。

その頃は特にご飯も碌に

食べれてなかったから体重が安定してなくて

力以前の問題だった。

暴れたよ。

離してくれるよう目いっぱい。

そしたら、森中がぐっと

まだ治りかけの左腕を掴んだの。

そして、壁際まで追い詰めて。


森中「いい子やから分かるよな。」


花奏「嫌、やだ、やだっ!」


森中「分かってくれるんならこんなことせんで済んだんや。」


花奏「嫌だ!い、やっ。」


森中「最初から楯突かんとーーーに水かけときゃこんなことにならずに済んだんやで。」


花奏「離してっ!痛い、いだ」


森中「お前がこの町にこんとけば、なんにも起こらへんかったんやっ!」


花奏「いぎっ……っ!嫌…離して…離してぇっ…。」


森中「…ほんま、うちら不幸よな。」


最後にそう吐き捨てて

森中は離してくれた。

…離してくれて、

それからカッターで制服を割いていった。

凄いよね。

信じられない光景がずっと続いた。

それこそ、暴れたら脇腹や諸々に

刺さってしまいそうだったから

大人しくしてしまったけど。

どうやって帰るんだろうなって

考えれるくらいには冷静だったな。


特筆することなんてないけど

…あ、そうだ。

幸いだったこと、あったよ。

幸いにも子供はできなかった。

これだけは本当に本当によかった。


森中はね、見てたよ。

終始見てた。

ずっと、同じ空間にいた。


ある程度の時間が経た頃かな。

もう夜が近かった気がする。


「はー。あ、俺帰るわー。」


「おつー。」


「森中も入れよ。」


森中「せえへんわ。」


「はぁ?お前ノリ悪。」


森中「彼氏おるの知ってるやろ。」


「え、そうなん?」


「おるおる。けどお前だって乱交するやろが。」


森中「今は気分やないって言ってんねん。分かれ。」


「お前俺らに対してもその口かよ。」


「な。」


森中「お前の妹、勉強頑張ってるんやって?ええんやで、今から人生めちゃくちゃにしに行ってあげても。」


「…ちっ。」


「こいつ虚言で済まさへんから厄介やねんなー。」


森中「お前のとこのお母さんは何やったっ」


「はー、冷めたわ。」


「ほんまクズ。」


森中「よう言えるな。その達者な口があるんやからその分頭に使えや。」


そんな会話が少しばかりあったんだっけ。

男子生徒が1人、

そして森中が先に退出したあと、

気が済んだのか知らないけど

他の残った人らも出ていった。


1人で体育館の準備室で

小さくなることしかできなかった。

切られた制服を手でぎゅっと持って、

どうやって帰ろうか考えた。

けど、どう頑張っても

そちらの方に頭が働かなくて、

いつまでも震えてた。


動こうと思っても動けずにいる中、

唐突に閉まっていた準備室の扉が

ぱっと開いたの。

そこにいたのは紛れもなく森中だった。

腕がぴりぴりした。

まだ何もされてないのに。

何かをされると思って

さらに小さくなって目を瞑ったら、

何かで頭から覆われるような感覚がした。


森中「それ着て帰るんや。制服使えへんやろ。」


そう言って渡してくれたのは

冬用のコートだったと思う。

丈が長くて暖かそうなもの。

暖かくて、ぎゅって握った。

どうして森中が戻ってきたのか

てんで分からなかった私は、

次来るであろう恐怖に

震えることしかできなかった。


森中「さっさと帰るで。」


花奏「…っ……っ…。」


森中「分かっとるやろうな、帰るでって。」


花奏「………ぁ…ぅ…。」


森中「何や、立てへんのか。」


花奏「…っ。」


するとあろうことか、

森中は横に座った。

そして、重心を微かに傾けて

私の肩に頭を乗せた。

左側だったせいで

傷口が痛み、ぴくりと反応する。

まるで甘える子猫のようだった。


森中「震えてるやんけ。最近ずっとそうよな。」


花奏「…。」


森中「…お前はなぁー、頑張ってんで。」


花奏「…。」


森中「頑張りすぎてんねん。」


花奏「…。」


森中「それから、優しすぎるんや。」


花奏「…。」


森中「他人なんて見捨てりゃええんに。」


花奏「…。」


森中「泣くことさえしてくれれば考えたんに。」


花奏「…。」


森中「弱音吐けば、また違ったんに。」


花奏「…。」


がしがし、と可愛がるように

ぼさぼさになった頭を撫でてくれた。


森中「この町はええとこやったんやで。」


花奏「…。」


森中「この前までな。」


花奏「…。」


森中「けど、お前は町から出て行くなよ。」


花奏「…。」


森中「もうひとつ試す。そこで分かってくれるんやったらもうお前には何もせえへん。」


花奏「…。」


森中「お前が助けたーーー、今は普通に過ごしてんねんで。」


花奏「…。」


森中「嫌にならへん?逆やったのにって。」


花奏「…。」


森中「同じ目にあわせたらへんか。」


花奏「…いい。」


森中「それはどっちの意味でや。」


花奏「……しなくて、いいや…。」


森中「そうかいや。」


花奏「…。」


森中「ほんま優しいなぁ、お前。」


花奏「…。」


森中「もっともっと昔におうてみたかったわ。」


花奏「…。」


森中「やっと弱ってくれたなぁ。お疲れさん。」


花奏「…。」


また、ぐしゃぐしゃと

撫でてくれたの。

わけが分からなかった。

ただ、森中の体温が優しくて

なんだか心地よささえ感じ始めて、

ついにおかしくなってしまったんだって

直感で感じ取った。


その帰り道は妙に覚えてる。

森中は私の手を握って

家まで送ってくれたの。

その間、会話という会話は

なかったと思うけど、

手の温もりだけ生々しく残った。

父さんは幸いにもまだ

帰ってきていないみたいで、

玄関に入って早々

コートを脱がされた。

持って帰るのだから仕方ないかと、

家までは返してもらったんだから

全然よかったと思って。

翌日から学校に通うのは

もうやめようと思った。

制服もずたずただから

縫ってまで登校しようとは思えなくて。


森中「なぁー、明日、夕方に学校来いや。」


花奏「…。」


森中「私服でええから。最後な、明日。」


花奏「…。」


森中「期待してんで。」


花奏「…なんで…こんなことするの。」


森中「は?何がや。試すことか?今家まで送ったことか?」


花奏「…全部。」


森中「はぁー…言わずとも分かれや。うちはな、お前のこと気に入ってんねん。」


俯く私を、また撫でる。

負った傷分癒そうと、

否、誤魔化そうとしているのか、

今日はやたらと触れてくる。

でも、それでも怖かった。

その時は、性別関係なく怖かった。


森中「明日な。ゆっくり休めや。」


ひと言優しく愛情を込めたように呟いた後

私の家から離れていった。

その晩は1番眠れなかったな。


翌日、夕方になってから

私服で学校に向かった。

すると、校門のところで

森中が待っているようだった。

何時という指定までなかったから

気儘な時間できたけれど、

もしかしたら長い時間

待たせたんじゃないかと思って

一気に恐怖が押し寄せてきた。

けど、森中の第一声は

思ってもみないもので。


森中「おうー。よう眠れたか。」


花奏「…え…。」


森中「あはは、えっ?って何やねん。」


花奏「…。」


森中「ま、気が気でないよなぁ。」


花奏「…。」


森中「さ、行こうや。」


手を繋ぐこともなく、

ただただ森中の後を歩いた。

咎めの言葉が降るとばかり思って

身構えていたというのに、

決してそんなことはなかった。


森中「うちのお母さんはなぁ、水商売してんねや。」


花奏「…。」


森中「ああ、他の奴らには内緒やで?」


花奏「…。」


森中「んでさぁ、毎晩酒臭くなって帰ってくるんやわ。たまったもんやないで。」


花奏「…。」


森中「酒は飲まんと煙草は吸おうと思うねん。あいつ、煙草の匂い嫌いやからな。」


花奏「…。」


森中「いい報復やと思うやろ。」


森中は笑ってたっけ。

煙草が嫌いというあいつに関して

それは物静かな子なのか

森中の母親なのかまでわからなかった。

頭が回らなかった。


着いたのは、誰かの家。

来たことのない方面で、

表札を見てぞっとした。


森中「さ。一緒にやろうや。」


手にはチャッカマンだったかな。

それが森中の手の中にあった。

無理矢理私に持たせた後、

私の後ろに回って何度かされた、

抱きつくような形になって。

そして、それを持つ手の上から

手を重ねられた。


森中「外にある自転車にかかったカバーだけでええんや。」


花奏「…っ!駄目、こんな」


森中「お前なら分かってくれると思ってたで?」


花奏「は、ぅ…。」


森中「お前は知らへんかもしれんけどな、ここに住んどった父親、とんでもないやつやってんな。」


花奏「…?」


森中「娘の友達に手を出したり、この町の女に手を出したり。」


花奏「…。」


森中「それ、何人にまで被害が及んだと思う?」


花奏「…。」


森中「逆に聞こうか。うちや家族、学校の奴ら。何人免れたと思う?」


花奏「…。」


森中「1番の被害者はこの家の娘やな。」


花奏「…っ!」


森中「ほんまに可哀想。」


かち、と上から押されて

意思とは関係なく火が灯る。

その家の表札を、再度確認した。

深見って、あったんだ。


花奏「…やっぱり駄目だよ、出来ない。したくない。」


森中「…。」


花奏「やだっ…したくないっ!」


振り払った。

すると、半ば事故のような形で

カバーには火がついてしまったの。

振り払う中ですら森中は

手を離してくれなかったからかな。


からんと音を立てて

それが地面に落ちる頃、

目の前には小さく火が上がった。


花奏「は…は、ぅ…。」


森中「はぁー。」


花奏「…!」


森中「しゃあないな。消化器持ってきたるわ。離れえや。」


そう言って深見さんの家に無言で立ち入り、

消化器を持って出てきた。

田舎だからか鍵を閉める習慣が

なかったんだろうね。

そして、森中が火を消すまで見届けると

律儀やなといってまた撫でた。

気持ち悪かった。

何がしたいのか分からなかった。

その裏表についていけなくて、

どうしようもなく気持ち悪くて、

私は走って帰った。

もしかしたら犯罪者に

なったのかもしれない、と思って。

結局森中は警察にもどこにも

連絡しなかったようで、

何事もなかったかのように

次の日はやってきた。


そこで、いっぱいいっぱいに

なっていることが分かった。

制服もないし田舎にもいたくない。

誰とも顔を合わせたくない。

誰も、知り合いのいない所に行きたい。

逃げたい。

逃げたい。

逃げたい、その一心で

真帆路先輩が通っていたという高校まで

足を伸ばしたの。


そして、さっき歩さんが話してくれた

一件があって、帰って早々

父さんに話をした。


腕と、火傷跡のある肩を見せて、

辛いから逃げたい、と。

この町を出たいと伝えた。

すぐにでも、今日にでも、と。

すると、父さんも父さんで

辛いことが続いていたのか、

「そう言ってくれて助かった」と。

「決心がついた」と。

それから、

「仕事よりも大切な家族を

守ることの方が大事だ」と。

その言葉ひとつひとつが、

ちゃんと裏のない言葉で、

正面から受け取っていい善意だと

知っているからこそ

嬉しくてたまらなかった。


その日の夜には荷物をまとめた。

大きな家具は持っていけなかったから

最低限のものだけ。

幾らかの服と、勉強道具と、

父さんはお金やら何やら色々と。

そして、町を出た。

おばあちゃんが亡くなって以降

使われてない家があるといい、

そこに一旦は逃げ隠れすることにした。


車に乗ってすぐ

後ろを振り返ってみた。

すると。


花奏「…っ!」


森中「…。」


遠くで、森中が見えた。

何やら重いものを持っているようで。

暗がりだったものだから

見にくかったけど、

多分、ポリタンクだったと思う。

ガソリンが入ってたのかな。

だとすると、もし私が今日

この話をしていなければ、

死んでいたかもしれない。

そう思うとまた、震えが止まらなかった。

けど疲れ切っていたのかな。

目を閉じて、開くともう神奈川だった。

懐かしの神奈川。

もう安全だ、って思った。

やっと、やっとだって。

11月に入ってたかな。

怒涛の4か月だったよ。

たった4か月だったんだ。


けど、そこからそう簡単に

生活に慣れることはなかった。

夜になるとやはり情緒的に不安定になって

何度も何度も思い出した。

家から出れない日々が続いた。

学校も退学して、何もすることがなくなって。

前の高校の制服は置いていった。

もういらなかったから。

その分、中学のジャージとかは

持ってきてたっけ。

その中で、ふと思い出して

鞄に詰めたストラップを手に取ったの。


あぁ。

真帆路先輩のいた、歩さんのいた高校なら

きっとこんなことなんてなくて、

楽しく過ごせるんだろうな。

もし、今頑張ったら

歩さんはまだ在学生だろうか。

もしも、また会えるなら。

やり直しができるなら。

勉強に対しての苦手意識は

深見さんのお陰で随分となくなっていた。


また、頑張ってみよう。

やり直してみよう。


そう思えたのは、

神奈川に戻ってきてから

また4か月程経ってからだった。

気づいたら季節は回って

冬も過ぎて春になってた。


振り返ってみて何度も思う。

その年1年間は只管に大変だったなって。

沢山傷を負った、沢山逃げて来た。

逃げて来た結果0からのやり直しになった。

こういうぎりぎりな生活を

送る事を強いられたのも

全部私のせいだった。

全てを置いて、捨てて逃げて来た。





°°°°°





花奏「その後1年間勉強頑張って、それで晴れて成山に入学したの。だから今18歳って話も事実。」


ふう、と小津町がひと呼吸

置いたのが分かった。


花奏「これが、残ってた他の話。」


麗香「…。」


花奏「…これが、全部…です。」


私の現実、嘘のような、本当の。

そう付け足した。


言葉が、出なかった。

なんて言葉を掛ければいいか

まるで分からなかった。

正解はないんだろう。

けど、最良すら見つけられずに

固唾を飲み込んだ。

迷っていると、ひと言。


歩「…ありがとう、小津町。」


三門先輩は小津町を見て、

そっと優しく言ったのだ。


歩「………ありがとう。」


振り絞るように、細々と。

今まで、ここまで明るく、

または明るそうに振る舞えていたのか。

それは、三門先輩が

大きく関わっていたのだろう。

三門先輩の存在自体が

一種支えになっていたのだろうと感じる。


ぐず、と誰かが鼻を啜る音が聞こえた。

無意識のうちに顔を上げていて、

ぱっと見回すと遊留さんだと気づく。

人一倍感受性や共感力が

強いんだろうと感じた。


花奏「あはは…波流さん泣かないで。」


波流「……だってぇ…。」


花奏「…。」


波流「…ぇぅ…偉いよ、花奏ちゃんぅ…ぐず…。」


花奏「……。」


偉い。

それが何を意味するのか。

どのくらいの意味を持つのか。

小津町は表情を

大きく変えることなく

その言葉を受け取った。


人の過去に触れるのは

いつだってとても大きく力を使う。

話す側だってそうだろう。

つらくて息苦しくて辛いはずだ。

ましてや、話の中で

信頼しづらくなったと語った彼女だ。

そんな小津町が、

少しばかりだろうと信用して

こんなにも話してくれたのだ。

偉い、以外の言葉で

どうやって表せばいいだろう。


美月「…。」


梨菜「…。」


羽澄「…。」


皆、口をつぐんでいた。

何をいうべきか、分からなくて。


…あても、何を思ったのだろう。

三門先輩の真似をしてみようと

唐突に思ったのだ。

話すことに、困ったから。


麗香「自殺未遂、私もしたことあるよ。」


愛咲「…!」


麗香「…小津町には先に話したことあったけどね。それから、まぁ…色々あって、実は長束先輩と関場先輩の前ではまともな喋り方はしてない。」


羽澄「麗香ちゃん…?」


愛咲「…。」


長束先輩は止めることをしなかった。

あてが決めたのなら

それでいいと言っているようで、

その判断をしてもらえたことが

嬉しいとすら感じた。

ああ。

自分のことを話すって

こんなにもどきっとすることなのか。

それから、こんなにも淡々と

話せるものなんだなって。


麗香「一人称はあてって言うし、語尾にけぇって付けてる。変でしょ。」


梨菜「ぜ、全然気づかなかった!」


麗香「そりゃあ2人の前でしかしてなかったからけぇ。」


羽澄「…。」


麗香「笑いたきゃ笑えばいいし、変な人だって思って距離とりたきゃ取ればいいけぇ。」


花奏「…!」


羽澄「麗香ちゃん、よかったんですか?」


麗香「あては、ここにいる人は一応そこそこには信頼してるけぇ。それでも離れる時は離れる。そんなもんけぇ。」


そこまでつらつらと口にして、

その場の空気がさらに

形容し難い空気になっているのは感じた。

それでもいい。

気まずさが分散したのなら別に、それで。


歩「ま、いいんじゃない。」


そう口にしたのは

意外にも三門先輩だった。

1番三門先輩が気持ち悪いだのなんだの

罵倒するものだと思ってたから。


歩「流石に最初は引いたけど、そっちの方があんたらしいよ。」


麗香「…馬鹿にしてるけぇ?」


歩「褒めてる褒めてる。」


麗香「ああー、適当言ってるけぇ。」


愛咲「だっははー、三門らしいなー!」


歩「だーから声がでかいっての。」


梨菜「あはは、賑やかでいいじゃないですか。」


美月「ふふ。…それなら私だって隠してたことがあるわ。」


雛さんは人形のように

初めから一切姿勢を崩すことなく

まるで御令嬢のような佇まいのまま

淑やかに口を開いた。


美月「さっきの歩の話でいじめをしていたのもそう…隠してたことね。」


歩「ま、あれは正味すぐ終わらせたし。」


美月「それでも物凄く後悔したわ。その話の他にもあるの。」


波流「…!」


美月「今年に入って以降だけれど、人や動物の血を定期的に口にしないといけないの。」


波流「…。」


歩「言ってよかったわけ?」


美月「いいのよ。引かれたって構わないわ。」


麗香「にしし、いいねぇ。」


美月「でしょう?今でも波流にその手伝いをしてもらってるわ。」


梨菜「え、そうだったの!」


波流「あはは…まあね。」


美月「それから、歩にだって助けてもらったわ。」


歩「そんなこともありましたねー。」


愛咲「だはは、本人他人事だぜ?」


美月「本当に救ってもらったのよ。こんな態度してるけど。」


歩「ひと言余計な。」


美月「けど、これに関しては正直不可解な出来事の一環だったんじゃないかって思うの。」


麗香「…ん?」


不可解な出来事。

それは、突如として宝探しが始まったり、

長束先輩が行方不明になったり、

海の底に街があり呼吸ができたりしたことと

似たような類の話だと言うのだろうか。

あてが今も尚まとめ続けている

あの資料らと同類の。


美月「…あと、歩と仲直りできた一件だってそう。」


歩「あー、あれは明らかにおかしかったね。」


麗香「それ、後で教えてほしいけぇ。」


美月「えぇ、いいわよ。何だって話すわ。」


羽澄「太っ腹ですね!」


梨菜「はいはい!私はね、妹が大好きすぎるの!」


波流「あははっ、梨菜らしいや。」


愛咲「いいことじゃねぇかよぅ!」


梨菜「それ以外思いつかなくて…えへへ。」


波流「私も…お父さんが単身赴任してるとか?…うーん…それこそさっきのことに繋がるけど、美月ちゃんの食事の手伝い…とか。」


歩「食事って。そういやどうやってんの?」


波流「ちょっとだけ指先を切って、それをティッシュに染み込ませて渡してる。」


麗香「吸血鬼っぽくがぶり、じゃないけぇ?」


美月「吸血鬼じゃないんだから。」


梨菜「それだけで足りるんだ?ティッシュ食べるの?」


美月「食べないわ、人間なのよ。流石にそれだけじゃ足りないから、生肉のドリップとかトマトジュースで紛らわせてるわ。」


愛咲「不思議なこともあるもんだな。」


羽澄「愛咲がそれいいますか…。」


愛咲「だっははー、確かに!」


梨菜「長束さんにも何かあったんですか?」


愛咲「ああ、うちさ、行方不明だった間海の底にいたんだよ。」


波流「海の底?」


愛咲「そう!んで、大きな花にくっついてんだ。」


歩「随分と奇怪なことで。」


愛咲「だろぉ?流石にビビったぜ…。」


羽澄「あはは…ですね。」


麗香「誰でもビビるけぇ。」


羽澄「それで言うと羽澄は…そうですね、実は今も児童養護施設に住んでますよ。」


梨菜「擁護…?」


羽澄「そう。親がいなかったり、虐待にあったりして家で暮らせない子が集まって暮らす場所です。」


歩「あ、そうだったんだ。」


羽澄「えへへ、実はです。こんな大人数に話すのは初めてなのでちょっと緊張しますね。」


愛咲「だよなぁ!わかるぜ…。」


麗香「長束先輩は別の場所で相当話し慣れてるから多分ダウトけぇ。」


愛咲「んなこたぁねーよぅ!」


美月「歩は何か話しておきたいことある?」


歩「何その雑なフリ。」


美月「歩ならいいやと思って。」


歩「はあ…さっきも話した通り美月にいじめられてたことと、後人間不信。以上。」


麗香「人間不信ー?あれだけ小津町に愛を伝えておいてー?」


歩「は?うざ。」


麗香「にしし。わーあ、毒舌けぇ。」


愛咲「こりゃあ麗香と張るな!」


麗香「別に戦いはしないけぇ。」


歩「……ま、小津町。」


三門先輩はいつの間にか

肘をつきながら小津町の方を見てた。


今の話で、皆何かしら

変なことを体験したり

あまり人には話せないような

過去があったりすることを知った。

無駄じゃない。

無駄じゃなかった。

あて達の出会いも、

今日集まって話したことだって全部。

だってほら。

みんなの表情を見ればわかる。


歩「人間、いろんなことがあるもんだよ。」


花奏「……ぅ、ん。」


歩「離れる時は離れるかもしれない。信じられないとか言って一蹴するかもしれない。」


花奏「…。」


歩「でも、少なくともここにいる人らは間違いなく小津町の味方。」


花奏「…………うん…。」


歩「私達は信じてるよ。小津町のこと。」


花奏「……ぅ………んっ…。」


小津町は泣くことこそなかったものの、

胸がいっぱいなのか俯いてた。

そしてひと言。


花奏「………ぁ…りがと…。」


歩「ん、こちらこそ。」


そう絞り出してくれた。

それに反して先程とは違った

三門先輩の言葉の軽さに

救われるものがあった。

さらっと言うあたり、

やはり上級生だな、なんて感じた。


歩「てか、18なら私と同い年?」


花奏「ぇ………ぁ、多分そう…。」


歩「なら呼ぶ時さん付けやめなよ。」


花奏「……え…?」


愛咲「そーだよぅ!てかさ、年齢関係なく呼びタメってやつで行こうぜ!」


梨菜「呼びタメ?」


波流「名前で呼ぶ、タメ口で話す…みたいな感じだったはず!」


梨菜「わ!それいい!」


愛咲「だろぉー!」


梨菜「わあい、愛咲ちゃん、羽澄ちゃん、歩ちゃん!」


愛咲「いいねいいねぇー、おじさんにっこにこになっちまうぜーい!」


羽澄「光栄です!」


歩「…。」


梨菜「えっと…あれ、駄目でした…?」


歩「いや、自分の名前にちゃんづけって合わなすぎて引いてた。」


梨菜「そうですか?」


歩「呼び捨てで。」


梨菜「歩……ちゃん…っ!」


歩「あー、駄目だこれ。治んないやつだ。」


美月「まあまあ、いいじゃない。」


梨菜「だってずっと人を呼ぶ時はちゃんづけだったんだから…!」


波流「あはは…最早癖だよね。」


梨菜「そう!」


麗香「あるよね、抜けない癖。」


愛咲「それ麗香!うちのこと呼んでみな!」


麗香「愛咲先輩。」


愛咲「ぐふうっ!…ダメージはそこそこだ!」


麗香「先輩呼びはなかなか抜けないけぇ。」


羽澄「仕方ないと思います!」


歩「はいもう煩い煩い。」


愛咲「んだ歩、やろうってのか!」


歩「いや待って、本当に煩いからね。」


愛咲「それは申し訳ねぇ!」


羽澄「学ばないのが愛咲の良さです!」


波流「あはは…。」


歩「…ま、これからはそう言うことで。どう?小津町。」


あくまで三門先輩は…

歩先輩は元より苗字呼びが多いのか

名前で呼ぶことはなかった。

けど、これまでのどの時よりも

柔らかく包み込むような響きをしていた。

歩先輩はこうやって

小津町のことを気遣って、

幾度となく助けてきたんだろう。

それと共に、その反対もあったと思う。

小津町が…花奏が、歩先輩を

救ったことだって。


花奏「……ありがとう、歩。」


花奏は、儚く小さく笑って、

そう彼女に手向けた。

歩先輩は満足したのか

ふん、と鼻で息をして

視線を逸らしていた。

精一杯の照れ隠しなのだろう。


花奏「…ありがとう、みんな……っ…。」


言葉は切れそうになりながら

あて達の元まで届いた。

届いたのだ。


花奏に限らず皆、優しい。

だからこそ多くの傷を抱えてた。

傷を抱えたもの同士が

偶々不可解な出来事を

きっかけに集まっていたのだ。


この出会いが何かしら

未来に良い影響があったのなら

よかったのではないかと思う。


花奏視点で語られることがあるとすれば、

あてとは大きく違った内容だったろう。

彼女のその時その時思っていたことを

あて達が100まで知ることはできない。

それでもいい。

それでも、いいのだ。

あて達はあて達なりのつながりで、

あて達なりの距離感でいい。


今日が花奏にとって、

幸せだと思える1日にになったのであれば

それでよかった。

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