交錯
次に小津町に会うことができたのは
あれから2日後である今日だった。
台風も過ぎ去り、いっときの平穏な日々が
舞い降りてくるだろう頃だというのに、
そんなことはなくあて達の間には
大雨が常に降り注いでいる。
この2日間の間に、
さらにかえからは暴露がひとつ。
小津町花奏は処女ではない、と。
ただ、高校生ともなれば
そのくらいの話がひとつやふたつ
あってもおかしくないだろうし、
あてだって恋愛の話のひとつやふたつある。
だから、あてはあんまり
衝撃という衝撃は受けなかった。
他社からの暴露という形なもので
不快感は驚くほどあったけれど。
衝撃を受けなかったとは言え、
他の人は違うのだろうと思う。
え、と内心距離を置きたい
といった感情を持ったり、
あの人はふしだらなことをしたのかと
蔑むような視線を注ぐ人もいたりすると思う。
あては普通だろうと思うことは
案外他の人からすれば
異常だったりする。
みんな違うことくらい普通なのに。
それを受け入れられないと
そこの友情関係は決裂するのだ。
麗香「…。」
この感情の名前はなんだ。
名前をつけて、言葉を使い分けて
すっきりしたいというのに、
出てくる単語は困惑や同情といったもののみ。
違うのだ。
そんな単調なものではなく、
もっと入り混じっている何か。
それらを手探りながら
ぼうっと廊下を歩いていた。
帰りのホームルームは既に終わっており、
長束先輩からの猛攻もないために
鍵の壊れた部屋に行く意味も見出せず、
帰る気にもなれなかったのだ。
小津町を探そうだとか
そんなことは考えになかった。
気が向いた時でいい。
その時に話してくれれば、程度。
花火大会の時もそうだったが、
あんな顔をされてしまっては
聞く気も失せるというもの。
だから、いつだっていい。
しかし、小津町から見た事実を、
そして今の気持ちを知りたいというのは
当然変わることはなかった。
廊下を歩いていると、
不意に最上階まで来ていることに気がついた。
適当に左に曲がってみる。
すると、最上階にも曲がり角があり
突き当たりには窓が、
そして2、3つ程の教室があった。
がたがたと徐に手に取って鳴らす。
鍵は開いていなさそうだと理解した。
麗香「…ま、そっか。」
何となく声に出してみて
あからさまに落胆の声を落としてから
その場を離れようとする。
その時だった。
『はい。』
麗香「…え?」
扉の奥から、くぐもった声がする。
声から性別を判断するに男性だろうか。
特に用事などあるわけもなく
むやみやたらに鍵の壊れている
教室を探していただけに
こんなことになるとは思ってもいなかった。
言い訳を考えている刹那、
がちゃりと音が鳴ってしまったのだ。
とはいえ、扉を全開にするわけでもなく
少しばかり開いて片目だけを覗かせ
こちらに視線を向けた。
黒髪のショートカットで、
やはり男性かと無意識のうちに認知している。
麗香「あ、すみません。人がいるって思ってなくて。」
「…そうですか。」
無愛想にそのひと言だけ言うと
何か加えて口にするわけでもなく
扉をそっと閉じていった。
麗香「…。」
どきっとしたのか
心臓が軽く跳ねている。
そりゃあ、こんなところに
人がいるとは思わないだろう。
部室だったのだろうか。
将又この狭い教室の中で
授業の補修とか…それはないか。
他にも教室なんて数多にあるのだから
先生も生徒もわざわざこんなところ
使いたがらないだろう。
麗香「…変なの…。」
部屋の中の人には
聞こえないようにひとつ溢す。
我慢ができなかったのだ。
それから右側の方も見てみようと
足を向け歩いていった。
あては授業の関係上
なかなか最上階に来ることがない。
それこそ、何かしらの集会がある時に
講堂へと向かうくらいで。
これまでにも何回かは
今のように探検したことがある。
けれど、その時はざっとみるだけ。
今回はひと通り扉が開くかまで調査する。
何かしていないと
気が済まなかったんだろうなと
自分でさえ感じ取ることができた。
要するに気晴らしだ。
意味をほぼ持たない、
時間の浪費でしかない。
そんなことくらい分かりきっている。
けれど、こういう何も得られない、
何もない時間こそ大切だと
長束先輩に教えてもらったから。
…全てが全てあての過去や
小津町の件に直結する中で、
右側の端が見えてきた。
同じペースで歩みを進めていると、
例の目的地であろう場所から
声が聞こえてきたのだ。
麗香「…?」
何事かと思った。
それも、責め立てるような声が
聞こえてきたものだから。
知らない声っぽいもので、
ちらと覗き見してから
何事もなかったかのように
戻ろうと考えたのだ。
正直、人の炎上等々を追うのは面白い。
どういう経緯でやらかしたのか、
いつからだったのか、等。
それらを身近に置き換えれば
簡単な話喧嘩だ。
学校でやんちゃな人間が
喧嘩なり先生に抵抗するなりで
授業が止まるとする。
生徒は先生に怒られる。
その様を見るのは好きだった。
当事者になるのは勿論ごめんだが、
側から見ている分には興味がある。
時に、双方の言い分や言い返し方に
感心する時もあった。
俗に言う、安全圏から危険を
見ていたいタイプなのだろう。
今回もその一環だった。
興味本位で覗いてみると、
そこには見たことのある影があったのだ。
…あってしまった、と言った方が
いいかもしれない。
歩「あんたはそれで本当にいいわけ。」
花奏「…いいって。」
歩「…っ…あのさ、何が理由で認めてるんだか知らないけど、それが嘘ってくらい分かる。」
花奏「…。」
暫く話しているのか、
それともたった今話し始めたばかりなのか
あてには勿論知ることはできない。
2人にしか、わからない。
小津町から何か綴られることがあるのであれば
一体今は何を思っているのだろう。
小津町は只管に俯き視線を逸らし、
三門先輩はじっと小津町を
見つめているようで。
話を聞く、と言うよりも
追い詰めているように見えた。
それと同時に、三門先輩は
声を張り上げるようにして
話すこともあるんだなって思った。
今のところ、長束先輩も関場先輩も
小津町に会えていないと溢していた。
それと同時に、彼女達はこの件に関して
時間を置いた方がいいと判断したのか、
将又受験が近づいているので
後回しにしたのか知れないが、
一旦は追うのをやめているらしい。
実際のところどうなのかは
正確には分からないけれど、
距離を置くこと、時間を空けることの
重要性を知っていそうな2人だからか
その言葉は信用できた。
だから、小津町を執拗に探しているのは
あてと三門先輩の2人だけ。
花奏「…。」
歩「嘘をついてまで守りたいものでもあんの?」
花奏「…。」
歩「どうにか言って。」
花奏「…本当だよ。」
歩「…っ。」
花奏「全部、本当だから」
刹那。
がく、と小津町の顔が下がったもので
何があったのかも思えば、
三門先輩が制服のネクタイを
引いているようだった。
あては、酷く怯えた顔が露わになるのを
見逃さなかった。
見逃すことができなかった。
歩「何で言っても分かんないのって」
麗香「ちょちょ、待って。」
歩「は?」
思わず、だった。
口が、体が動いてしまったのだ。
小津町を放っておけなかったから?
三門先輩の言動が気に入らなかったから?
自分の感情すら明確でないままに
相手の感情に踏み入ることを
無意識ながらに決めてしまった。
隠れていたものの
1歩、2歩と踏み出して
2人の間に入った。
何をどうすればいいのか迷ったが、
とりあえずは三門先輩を
剥がすところからだと思い、
彼女の方を思い切り押した。
こう言う時にコミュ力があれば
また違った対応ができたのだろう。
自分のこの話す才能のなさに
恨みを抱えることしかできない。
改めて対峙してわかる。
三門先輩は思っているより小さかった。
歩「何。」
麗香「何って…流石にそこまでしなくとも。」
歩「じゃああんたは全部信じてるわけ?かえってやつの言ったことを、全部。」
麗香「…別に、全部が全部をそのままの言葉の意味で信じてるわけじゃないです。」
歩「なら」
麗香「どうしてそこまでするんですか?」
花奏「…っ。」
あてが押しても離れてくれなかったのだが、
不意にするりとネクタイから手が離れる。
小津町はいつまでも罰が悪そうに
下を見つめるばかりだった。
あてが来たとしても
こちらを見ることなんてなかった。
そこに、諦めの念を感じてしまって
どうにもできないもどかしさからか
きゅう、と心臓が鳴る。
今、小津町は一体
何を思っているのだろうか。
歩「誤解したままは嫌だから。」
麗香「それが理由?」
歩「そ。曲げて捉えたままが嫌。」
麗香「救いたいとかじゃなくって…?」
歩「…私が嫌なだけ。こいつは広い意味で捉えてそうとも言えるって部分ですら全部認めてる。それが腹立つ。」
麗香「…。」
言い分はわかる。
それに、小津町が広い意味で捉えて
認めているであろうこともわかる。
ただ、自分の意志だけで
そこまでできることには
まだ理解できそうにない。
あては、何かと他人を
軸にして生きてきたから。
だからこそ、ここまで自分を持って
自分を貫き通す姿勢のある人間に対して
どのような言葉を渡せばいいのか、
否、突き刺せばいいのか考えつかない。
長束先輩だって関場先輩だって、
ある程度は自分を持っている。
けどそれは、相手に合わせることが
出来る程度の自分の強さだ。
相手が弱っていたら
突き刺すことを止めることが
出来る自分の強さ。
三門先輩はそれらとはまた違って、
相手が弱っているからこそ突き刺せる
自分の強さなのだと知った。
それに救われる人もいれば
傷つく人だっている。
何もかもタイミングと相性なのだ。
自殺未遂の話が過ぎる。
勿論、小津町と一昨日話した内容のこと。
°°°°°
麗香「小津町はどうして未遂で止まれたの?」
花奏「…。」
---
花奏「………ぁ……歩さんに、助けてもらった…。」
麗香「…そっかぁ。」
花奏「…ぅ、ん。」
麗香「だからかぁ。」
花奏「…。」
°°°°°
三門先輩に助けてもらった、と
溢していたあの姿が浮かび上がる。
あれは、相性もタイミングも良かったから。
しかし今はー
歩「だから全部聞きたい。事実を、広い意味で本当のことじゃなくて、ひとつの意味しか持てないありのままのことを聞くの。」
麗香「覚悟があるのは素晴らしいことだと思います。でもさ、本人見て。怯えてるよ。」
歩「…。」
麗香「それでも問い詰めることが正解なんですか?」
歩「正解なんてないよ。」
花奏「…っ……。」
麗香「…そうかぁ…。」
歩「そんなものない。」
麗香「でも、最善はあると思うんですよ。」
歩「あるだろうね。」
麗香「それは、最善?」
歩「…分からない。分かるわけがない。ただ、放置が最善とは思えない。」
花奏「…何で…。」
不意に、小津町が口を開くものだから
こちらを食ってかかりそうなほど
鋭い目つきをしていた三門先輩ですら、
彼女の方へと目を向けた。
俯いたままだったが、
今だけだろう、三門先輩を見たのだ。
それから柔らかく笑ったような気がした。
花奏「…何で放ってくれないの?」
歩「…っ!」
だん、と三門先輩は彼女に1歩踏み出した。
既に壁際まで押し込まれていると言うのに、
逃げ場がないあまり
肩をすくめることしか出来ない姿。
それを、止めるまでの勇気が湧かなかった。
今日も手を使いたくない気分だった。
そんな気分になった。
ただ、凄いなと思った。
あてには出来ないのだ。
そこまで踏み入る気力も勇気もない。
ただ見ていることしか出来ない。
歩「私は、知り合いを傷つけられても何事もなかったように接せられるほど、本人は無理してもう解決したような素振りをされるからって黙認できるほど大人じゃない!」
花奏「…っ…ぅ…。」
歩「ひと言でもいいから吐いてみなよ。辛いでも、苦しいでも、死にたいでも助けてでも何でもいい。」
花奏「…。」
歩「ひと言じゃなくても、どれだけでも吐いたっていい。」
花奏「…。」
歩「ただ、少なくとも私や、心許せる人の元で吐いて。」
花奏「…っ………。」
歩「あんたの嘘偽りない、今の本当の気持ちを知りたいだけ。」
麗香「…三門先輩、やりすぎじゃ」
花奏「……………ぅ…。」
歩「…。」
花奏「……………ごめ、ん…っ。」
小さく、とても小さくだが
確かにそう言っていた。
それだけでどこにあるのかすら
分からない心というものが
きゅう、と声を上げた。
嘘だと思うかもしれないが、
実際に聞こえるほどに収縮したのだ。
今の本当の気持ちに対しての答えが
後ろめたさというものなのか、
それとも事実を言えないことに対しての
謝罪だったのか。
あてには、判別などつかない。
絞り出すようにひと言だけ発すると、
ふらりと三門先輩の横を通り抜けて
そのまま角を曲がり姿を消した。
背を丸めて、小走りで。
まるで、逃げるように。
流石の三門先輩も
これ以上追うことはせず、
呆然と立ち尽くしたまま
小津町の背中を見つめるだけ。
目をかっ、と開くわけでも
申し訳なさそうに俯くわけでもなく、
見つめるだけだった。
何を考えているのかを読み取れるほど
人の感情に聡くないし、
三門先輩も感情を読み取ってもらえるほど
表現の豊かな方ではない。
たった今、お互いに
同じような顔をしているのだろうな。
歩「…。」
麗香「追わなくていいんですか。」
歩「やめろって言ったのはどっち。」
麗香「やめろとは言ってないですよ。」
歩「遠回しに言ってたようなもんでしょうが。」
麗香「…まぁ。」
歩「それに、もう追っても無駄だろうなって思ったからいい。」
麗香「諦めるんですか?」
歩「んなわけあるか。」
あてとの会話は言葉少なく、
そのまま横を通り過ぎようとする彼女。
横目で追ってみれば、
やはりあてより少し身長は小さい。
歩「時間を置くだけ。」
そうひと言、独り言のように
呟いて去っていった。
すぐに戻るわけにもいかず、
意味もなく時間を潰すために
とりあえず壁へと凭れかかった。
元々何しに来たんだったか。
…。
…。
あぁ、そうだ。
他の場所も鍵が壊れてないかどうかを
調べようとしていたんだったっけ。
そんなことなど、
もうどうでも良くなってしまった。
今わかるのは、確実にあて達と
小津町の間に深い深い溝があるということ。
それは簡単に埋められるものではなく、
ましてや時間を置くだけでは
解決しないものでありそうなくらい
あてでも予想がついた。
時間を置くと置くほど、
かえという人物が言ったことが
全て正しいと確実に固まってゆく。
すると、犯罪歴のある人だの
不名誉なレッテルを貼られて
人から距離を置かれていく。
レッテルというのは1度定着すれば
何とも剥がしづらい。
後から訂正しようとしても
どうにもならなくなってゆくのだ。
°°°°°
麗香「あーそぼー!」
「あ、ううん…ごめんね、麗香ちゃんとは遊ばないでって、ママから言われたの…。」
「うちも…。」
麗香「…えっ…。」
「だってさー、お前のかーちゃん変じゃん!」
「ちょっと、言い過ぎだよ…。」
「わ、私は知らないけど、ママが…。」
「あのお家とは関わらないでって言われたの。」
°°°°°
そのことを知っている。
経験したことがある。
実際のところ、今もその渦中にいる。
それは、環境といって
簡単には変えられないものであり、
黙って認めるしかなかった。
反抗しようものなら
あての一応の平穏が崩れるから。
けれど、小津町はどうだろうか。
否定できるはずだ。
変えられるはずだ。
たかがネットだ。
なのに、全てを認めてしまった。
ネットなのだから
そんなもの全て作り話だろ、と
一蹴すればいいものを。
…。
反抗できないのかもしれない。
あてと同じように。
それこそ、誰からかの言葉が浮かんだのだ。
確かTwitter上で憶測が飛び交う中
見つけてしまったものだと思う。
麗香「………いじめ、ね。」
抵抗できないものなのだろうか。
……。
…。
きっと、そうなのだろう。
親に置き換えれば
容易に想像出来てしまうのも嫌だが。
徐にスマホをポケットから取り出して
Twitterを開いた。
小津町は発言していないだろうが、
他の皆の発言や、
それこそかえのツイートを見るために。
すると、たった今のこと。
タイミングが悪いとしか
言いようがなかったのだろう。
麗香「…っ!」
かえから、ツイートが流れていた。
それも、
『放火、動物埋蔵、リストカット、
自殺未遂、性交、根性焼き、ストラップの
ことについて全て話せ』
と言った内容であり、
期限は明後日の9月10日であるとのこと。
こんなもの無視すればいいに決まっている。
無視して、話したことにすれば
いいのではないか。
そう思った。
しかし、かえのツイートには続けて、
『小津町以外の誰かに質問して
答えて貰えばいいじゃないか』
という内容のツイートがされていた。
逃げ道は用意したくないのだろう。
徹底的に小津町を追い詰めるという
覚悟のみ、恨みのみ深々と伝わる。
何がそんなに気に食わないのだ。
あては未だ、未だに理解ができない。
そこまでの憎悪を抱きながら
復習を試みようとしている姿勢に
理解を示すことなどできなかった。
無意識のうちに
スマホをぎゅっと握りしめた。
普段は冷たい癖して、
今はじんわりと手中を温めてくれる。
そんなこと、今は望んでなどいないのに。
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