5. そろそろ人生限界な人が分かっちゃうのですが、どうしたらいいですか?
寝たきりだった祖父が他界する少し前、幼い僕は母に言った。
「おじいちゃん、光がなくなって、真っ暗になったよ」
その日、祖父は息を引き取った。
母は奇妙な顔をして、あんなことは二度と言うなと僕に口止めをした。
だから僕は、それから誰にも話していない。
どうやら僕は、人の生命力が光の形で目に見える。
生命力に満ちている人は眩しく輝いているし、衰えると光が弱まっていく。
皆が皆、燦々と輝かれると眩しくて仕方ないが、そういう人は稀で、多くの人はたぶん普通の人が見えている光景と同じだと思う。
一方、生命力が減っている人は、輝いている人と同じくらいすぐ分かる。その人の上にだけ光を遮る傘でもあるかのように、うす暗い影がかかるのだ。それは、命を削るほど身体か心が弱っているサインだった。
闘病中の人や、明らかに疲れた様子の人は当然そうだろう。ただ、中にはものすごく元気で笑っている人の中にも、影が落ちている人がいた。最初は見間違いかと思ったが、後で入院したと聞き、背筋が寒くなった。
仲の良い相手なら健康診断をすすめたり相談にのってみたりもできるが、それでも医者ではないので正確な判断や対応はできない。面識のない人なら尚のこと声をかける勇気さえなく、なにより街中では人が多すぎて手に負える数ではなかった。
だから僕は「仕方ない」を発動することにした。
つまり、見て見ぬふりだ。
すっかり「仕方ない」が定着し意識さえしなくなっていたのに、どうして思い出したのかというと、目の前にいる松岸佑介さんがその理由だ。
松岸さんは、一言で説明すると、職場にいる完璧上司である。
社内の出世頭で高給取り。気遣いもできて見た目も良い。育ちも学歴も良く、上品で人望も厚く、いつも穏やかに微笑んでいて、学生時代はインターハイに出たとかなんとか……ああ、言ってて虚しくなってきた。
とにかく、もはや嫉妬さえおこらないレベルで神様に溺愛されている人だった。
そんな松岸さんが、僕は入社した頃から気になって仕方ない。
なぜなら、暗いのだ。
何度も我が目を疑ったが、明らかに松岸さんにはずっとあの影が落ちている。
もし自分が彼ならば、それはもう毎日キラキラ世界が輝き楽しくて仕方ないと思うのだが、人というのは分からないものだ。
この日も、松岸さんはいつもと同様、午前は社内でスマートに仕事をこなし、午後は重要な取引先との打ち合わせで外出、ノーリターンの予定だった。
「それじゃあ、行ってきます」
新入社員の僕にさえ、松岸さんは笑顔で丁寧に挨拶してくれる。
曖昧な挨拶を返しながら、僕は高そうなスーツを見事に着こなす松岸さんの背中から目が離せなくなった。
なぜなら、過去最高に限りなく真っ暗になっていたから。
あれはさすがに、やばくないか?
祖父の最後の日を思い出す。
いやでもだからと言って、親子ほど年の離れた職場の上司に対し、新人に何ができるというのか。
やっぱり何もできないよなと結論づけようとした時、松岸さんが思い出したように戻ってきて、僕に声をかけた。
「そうだ、吉野くん。さっき送ってくれたあの資料、よくできてたよ。頑張ったね。ありがとう。ちょっとだけ修正したものを返信したから、確認して明日先方に送ってくれるかな? もし不明点があれば何でもきいてね」
僕は呆然とした。
この人、自分自身は限界まで真っ暗なのに、こんな風に人に気を配るんだ。
「……松岸さん」
「どうしたの?」
「あの……相談したいことがあって、よかったら今夜とか、飲みに行きませんか?」
突然の僕の申し出に、松岸さんは驚いた後、いいよと快諾してくれた。
「真剣な顔で急に誘われたから、てっきり退職の相談かと思ってドキッとしたよ」
飲み屋で向かい合って座り、松岸さんはそう言って笑った。
たしかに新人が部長を突然サシ飲みに誘うなんて、あまりない状況だろう。
しかしあの時、約束を取り付けなければ、もう戻ってこない気がしたのだ。なんとなく。
どうやら松岸さんはお酒が弱かったようだ。疲れもたまっていたのか、ビール2杯であっさり泣きながら心の内を吐きだした。
つまりはこうだ。
元々持病てんこもりで年々辛くなるし、実家も色々めんどくさい。学生時代にやってたスポーツも含め、人生挫折だらけ。今の仕事だって毎日必死。取引先からいつも無理難題をふっかけられるし、板挟みだらけで正直こんな責任背負うの無理。完全にキャパシティを超えている。周囲から期待されるレベルが高くてしんどすぎる。今すぐ逃げたいが、他に行くパワーもない。でも社会の役にたたない自分はいないほうがマシだとも思う。気がついたら気軽に相談できる相手もいないし、楽しいことなんて何もない。希望もない。毎朝泣きそう。全部終わりにしたい。
職場の完璧上司は、実際のところなかなかに弱っていた。
絶対強者に見える存在にも色々あるのだなと発見する反面、だからといってやはり自分にできることなど何一つさっぱり思い付かない。
ただ、遠そうに見えていた距離が、案外近いのかもしれないと思った。
その日はとりあえず一緒にご飯を食べて話を聞いて、自分の趣味の話なども適当に語りつつ、最終的にこれまで見たことがないほどぐだぐだになった松岸さんをタクシーに放り込んだ。
翌日、いつも通り完璧スタイルの松岸さんから、深い謝罪と共にコーヒーをご馳走になった。
思いがけず部長の弱みを握った形となったが、だからといってどうすることもない。
ただ酔っ払った松岸さんが可愛かったので、またご飯いきましょうと、おやつとして買っていたチョコレート一個と共に誘ってみた。
いやいやいやと松岸さんは恐縮したが、心なしか彼の影がほんの少し薄くなった気がした。
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