肆拾参・覚復映写

 目の前に、あのカニがいる。確かにニカだ。カワイイカワイイメガネオウギガニだ。

 割れていた腹は縫われ、取れていた右の三本と左の一本も何があったのかくっ付いている。

「これが最新の獣医療ですよ」

 看護師さんが誇らしげに胸を張る。

「ニカぁーっ!」

「ヴェフォーン!」

「キャンキャン! キャン、キャンキャン……ハッハッハッハッハッハッハ……」

 このカニが何なのかをマカロンは知らない。それでも、何か感動的なシーンだということは理解しているのか、大人しくしている。

「目、潰れてるけど大丈夫なの?」

「あ、ここは残念ながら治せませんでした。すみません、本当に、せっかくのかわいい目なのに……それにしてもね、すごいんですよ」

 獣医さん、というか、恐らく院長さんはニヤリと笑った。

「何がですか?」

「この子ね、本当にすごくて、実はこの子を色々治療するときに、マットを敷くわけなんですよね。そのマットが、地元の人が送ってくれたあいうえおの書かれたものなんですけど、治療した後に、このカニ……ニカちゃんって言うんですか? そのニカちゃんが歩き回り始めまして。どうしたのかなぁと思ったら、かの文字に留まってはいの文字に留まり、ぬの文字へと行く。最初は何やってんのかさっぱり分かんなかったんですけどね、彼女が何かメッセージを伝えようとしているのではないかと気づきまして」

 えへへ、と看護師さんがはにかむ。

「まあ、それでニカちゃんが留まる文字を追って、順番につなげて行ってみると、『か、い、ぬ、し、は、え、ま』となったんですよ。さらには、『ま、え、こ、こ、に、き、た、お、ん、な』と。これで我々は確信したんですよ。まあ、違うかったら誰かに引き取ってもらうか野生に返すかするかしようと思いまして、一応電話したわけですよ。そしたら見事ヒット。いやぁ、すごい。ホントに。どこか知り合いの科学者に報告して論文にしてもらいましょうかねぇ。一体どんな教育をカニに施したんですか?」

「えぇ? いや、別にそんな特別なことは何も。ただの偶然じゃないですか?」

 多分魔法をかけたから、とは死んでも口にできない。

「……それにしても、どこでどうやって何でニカを見つけたんですか?」

「あぁ、それはですね、ちょうどその日にちょっと彼女が『あの人があそこで何をやっていたのか知りたい』ってちょっと行ってみたらしくて、その時にニカちゃんを見つけたんですよ。それで、まあ治療することにしてね」

「……じゃあ、何で見つけた時には何の関係も無かったカニを治療することにしたんですか?」

 失礼な質問かもしれないが、聞かずにはいられなかった。


「……そうですね。単に、良心が騒いだから、としか言えないかなぁ……? でも、宝屋さんの話をした後でこれだったので、宝屋さんのことを思い出したのもありますね」


「というか、まあ命は平等ですからね。道端に人が倒れていたら見過ごすわけにはいかないと思いますが、それと同じで、同じ重さの命なのだから、助けないわけにはいかないんですよ。私はそう考えています」


「……すごいですね」

「キャンキャン!」

「あ、賛成してくれてますね」

 ハハハハハ、と狭い部屋で笑いが響く。

「お二人とも違いますけど、どっちも正しい気がします。やっぱり、獣医さんってすごいなぁ」

「まあ、どうでしょうね。本当にまあ、そういうただの生き物好きの延長戦みたいなもんですからね」

 看護師さんが言う。

 と。

「ヴェフ、ヴェフ、ヴェフ、ヴェフ」

 何かを訴えている声が聞こえる。

「あ!」

 ふと思い出したエマは急いでポシェットからスマホを取り出す。と。

「ヤバい、もう時間だ。実は、これから……ええっと、あの、ちょっと用事で飛行機に乗らなきゃいけないんです」

「あ、そうなんですね。そうか。じゃあ、長居してると危なかったですね。これからもニカちゃんを可愛がってあげてください」

 院長さんがにっこりと笑った。

「もちろんです! 本当にありがとうございました」

 私が病院から出るときも、外まで、しかも他の患者さんがいるにも関わらず見送ってくれた。

 ニカの手を持ち、手を振っている感じに動かしながら私は天王寺の駅へと歩いて行った。

「あ!」

 ――魔術映写、忘れた!




 すごい。魔法って本当にすごい。

「覚復映写」という謎の魔法をニコラ王太子が腕時計から授けてくれたらしく、それを使ってとることができた。

 収穫だ。

 そして、もう一つ。

 日本と言う国はどれだけ進んでいるのだろう。

 ゴォーという音が響く。

 今、エマは電車に乗っている。しかし、それはただの電車ではない。“ちかてつ”である。天王寺駅からちかてつを使って大阪駅へ行き、そこからまた地上の電車で空港へ向かうわけだ。

 ――地面の中をこんな大きな乗り物が進むなんて。

 それが何よりも衝撃的だった。


 ――まだあるのか!

 興奮しっぱなしのまま、二度目の大阪駅をかなりウロウロしながら電車に乗り、空港へ向かう路線に乗り、そこから乗り換えると着く――わけなのだが。

 ――何だこれは!

 ちかてつよりもさらにインパクトがあった。

 電車が空を飛んでいるとは、どういうことなのか。

 音もなく景色が流れて、いよいよ空港が見えてきた。

『本日も、大阪モノレールをご利用くださいまして、ありがとうございました。間もなく、終点、大阪空港、大阪空港です。お出口は……』

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