参拾玖・荷置転送

 講習会が終わり、ひとまず、昼ご飯を食べることにした。

「待って、どうしよ、昼ご飯買ってないんですけど……」

「えぇ? そりゃあ大変ですね。事前に言っておくべきだったなぁ。ごめんなさい」

「いやいや、全然大丈夫なんですけど……」

「どうしましょう? 残念ながらこの近くにコンビニとかスーパーないんですよね。車で二十分ほど行かないとダメなんです。どうしよ。大衆食堂ならそこらにあるけど……」

 本気で璃子さんは狼狽えている。

「ちょっと遅い昼ご飯だからなぁ。譲渡会の開催は一時から。つまり、残り三十分と少し」

「マジですか」

 結城さんが思案顔になっているが、様子から見て何も名案は浮かんでい無さそうな。

 何か、魔法が使えないだろうか。

「……あ」

 名案が浮かんだ。


 トイレの中でエマは魔法を唱えることにした。

 トイレ行ってきます、とだけ言ってるんだから誰も怪しまないだろう。さすがに外で盗聴するような人もいないだろうし。

「リック、どこ行ったのかな……」

 少し、ボソッと呟いた。ヴェフォーンという日常茶飯事の声が聞こえなくなって数時間。どこに行ったのか……?

 途端に胸騒ぎが襲ってくる。頼むから早く帰ってきてくれ。

 と。

 グゥゥゥゥゥゥ……。

 今度は胸ではなく腹が騒いだ。

「いいや。今は食べよう……」

 この胸騒ぎを沈めたくって、自分に呼びかける。

「魔術覚醒——荷置転送。ええっと……日の丸弁当で」

 と、手元にポンッと弁当が置かれた。この魔法はズバリ、欲しい荷物をすぐに手に入れることができるというドワーフ王国の魔法の基本となるものだ。

 ちなみに、日の丸弁当というのは何回か食事を買いに行ったコンビニエンスストアで見つけた弁当の名前だ。

「よしっ」

 何もしていないのに便座の水を流して、エマは立ち上がった。


「ただいまです……」

「あ、はいおかえりなさいエマさん……てえぇぇっ?!」

 ラフな格好をしたスタッフさんと話をしていた璃子さんはふっとコチラを振り返ると、目を見開きものすごい声を上げた。

「なんで……? どこにあったんですか、このお弁当」

「え?」

「あ、ごめんなさい、ちょっと話があるので……」

 幸いにも、璃子さんはそのスタッフさんとの話に戻ってくれた。

 ――ヤバい、急に弁当なんか出てきたらそりゃビックリするよね……。何にも言い訳考えてなかった……。

 どうしよ、どうしよ……必死に頭を働かせる。

 と、一つの魔法の存在が浮かび上がってきた。

 ――そーだ。


「はい、じゃあ、はい、そういうことです。ちょっと遠いですけど、お願いします。ペット探偵としての役割、本当に期待していますよ」

「柴犬はなんか私得意なんで大丈夫です。体力的にもね、時間的に全然まだまだいけると思うんで。問題は……結構車通っとるところやから、車に轢かれてないかなんですけどね……大丈夫だと信じて、行ってきます」

「お願いしますよ」

 話の内容からして、さっきの経理部の電話で言っていたペット探偵さんらしい。探偵と言うと、ドワーフ王国ではスーツを着た人なのだが……日本ではあんなキャンプにでも行くような緑の格好が探偵の正装なのか……。

「はい、それじゃあエマさん、お待たせしました。お弁当はどこで手に入れたんですか……?」

「ええっとですね、あのお弁当持ってきてるの忘れてて、トイレ行ってからふと思い出して取りに行ったんですよ」

「え……? どこに置いてたんですか」

「ええっと、入口に忘れてました」

「……?」

 璃子さんは訝しげに目だけでエマの顔を見回したが、やがて諦めたように溜息をついた。

「まあ、取りあえず食べますか……」




「それでは、ご入場下さーい」

 受付のスタッフさんが呼びかけると同時に、璃子さんがコーンバーと言うらしい赤い三角のものに取り付けられた棒をのけた。

 二十人ほどの行列が一列になって青空の元の会場に入ってくる。

 てっきり私は屋内で行うのかと思っていたが、このおおさか新生アニマルセンターでは譲渡会はワンちゃんやネコちゃんのことも考えて、気持ちがいい生芝の空の下で行うことになっているらしいのだ。

 コーンバーで出来た道を通り抜けたお客さんはたくさんのワンちゃんやネコちゃんが並ぶ机の上へ一直線に向かって行った。

 二十人ほどだったのが森の中を通り抜けてきた人は想像以上にいるらしく、ゾロゾロと入場していく。

「新聞とかなにわTVで宣伝しておいてよかった。チラシを撒くのってって意外と効果あるんだな……」

 結城さんは一人ぼそっと言った。

 新聞やテレビの人間と粘り強く交渉をし、街頭で必死にチラシを配り続ける結城さんは璃子さんたちスタッフの人が脳裏に浮かぶ。

 ――この譲渡会の裏にはお客さんの想像以上の、たくさんのスタッフさんの苦労があるんだ。


「キャー! カワイイー!」

 エマは璃子さんに付き合って、会場の見回りをすることにした。動物を引き取ろうとする人がいれば話を聞き、その子の話を、前もって整理された会議室でするということだ。

「あの、すみませーん」

「はーい! 今行きまーす!」

 若い母親と幼稚園ほどの女の子に呼ばれ、私と璃子さんは急いで向かって行く。

「あの、この子引き取りたいんですが……」

 母親がこう伝えている間、女の子は“ウォルシュ・テリア(成犬)”と書かれたゲージの中にいるワンちゃんと指遊びをしていた。

「分かりました。それでは、お話しますね。少し、会議室に来てください。あなたは、この子のリードを握ってあげて」

 璃子さんはゲージを開け、前もってポケットに入れていたリードと言う紐をワンちゃんの胴回りの服に取り付けた。

「それじゃあ、ちょっとだけお散歩しよっか」

「うん!」

 女の子にリードを渡し、センターへ向かって歩き出す。

「……あれ?」

 と、私はゲージの列の隅っこにいた、車椅子を付けたミニチュアダックスフンドに目を奪われた。

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