参拾弐・通話終了
はっ? ニコラ王太子? 狂っちゃいました? いや、私としては当然頭爆発するくらいうれしいんだけど……。
予想外の出来事にエマはただただ困惑し、目を泳がせる。
『どうした、エマ?』
「あ、いいえ、なんでもございません」
『そうか。ひとまず、最終的に何とかなる、これは間違いない。それじゃあ、明日も頼むぞ。だが、働きすぎるな。それで倒れられては我が気分悪い』
「え、あ、はい……」
我が気分悪い、って私が倒れたら悲しむからやめてくれ的なこと? それなら、ニコラ王太子は私に気があるってこと……?
『それじゃあ、今日はこのへんでな。よろしく頼む』
「え、は、了解いたしました!」
『その意気なら、やってくれそうだな。期待している』
ハハハ、と乾いた声が腕時計から耳へと届き、通話は終了となった。
――もし、そのカニが犬によって殺されていたら、お前は犬のことを恨むか?
犬じゃなかったら恨むのだろうか、私は。人間にやられたらダメなのか。あるいは誰も恨めないのか。恨めないことはニカに悪いのか? あのワンちゃんを憎むことは、ニカを愛しているということの裏返しなのか?
ニコラ王太子のあの唐突な質問の意味について、ずっと考えていた。
――分かんないや、私。
分からなくていいのだろうか? ニコラ王太子……。
と、ポシェットからピコンという電子音。スマホの着信だ。
「えぇっ?! ニコラ王太子、なんでぇっ?!」
なんと、そこにはニコラ・ドゥ・メニルの名前が記されていた……!
「ヴェッフォーン♪」
リックは朝から元気をはじけさせて、部屋を飛び回っている。
それに対して、エマは大体一睡もできなかった。
ニコラ王太子は本当に私のことが好きなのか? 王室の人間がなんでこんな召使いのことを? というか、私が任命されたのはそういう意味があるのか? なんで王太子は私のメッセージアプリに追加できたんだ? なんでアカウント知ってるんだ?
知りたいことは山ほどある。
そんなことを考えるたびに、私とニコラ王太子が一緒にベッドに寝転がり、口づけを交わしているという映像が脳裏に映し出されて――。
「ハァッ、静まれ、私の心臓……フワァッ」
この調子なのである。
もう、そんなこと考えてもダメか……はぁ。
「ヴェフォォォン?! ヴァフヴァフヴァヴェフ!」
「何? そんな焦ってどしたの」
「ヴェフヴァヴェフ!」
どうする! どうする! と言っていることだけは分かるのだが……解せない。何かの時間が迫っているとかだろうか。
「八時四十九分二十秒……え? そろそろ牧島動物病院から何かの連絡が来るとか? 何があったっけああぁぁっ!!」
考えているうちに、ふと思い出したいことは脳裏に出てくるものだったか……。
「璃子さん、駐車場に来るんじゃないのっ! 待ってヤバい!」
エマはアワアワと荷造りをしだした。グゥゥと腹の虫が騒ぐ。
「もういいやこれで!」
荷造りのついでに、病院でもらった肉まんというグルメを一口口の中に放り込んだ。
「うぐっ!」
ほぼ噛まずに飲み込んだから、喉に少し詰まらせた。
「璃子さん……」
「あれ、ホントに来てくれた! 信じてましたよっ」
東京出身らしい璃子さんは普通に敬語とため口が混ざった変な標準語で車からピョンと飛び降りてきた。
「それじゃあ、行くよ。乗って乗って。はっきり言っとくけど……覚悟しといてください、あんまり良いところじゃないから……」
ノリノリでキラキラだった璃子さんは急にキリッとした、真面目な表情へと様変わりした。
「え、はい、分かりました……」
「トリマ、車だからさ、はい、あ、ほら、コラー! 勝手に降りようとするなー!」
と、黒いワゴン車から茶色のワンちゃんが降りてきた。クルクルしたモッフモフの毛にクリクリとした人形のような目。
「はい、この人エマさんって言うんだって。今日一緒にセンター行く人。写真撮ったり雑誌書いたり色んな経歴あるらしいんだけど、これに興味持ってるんだってーチョコ、嬉しいねー!」
「クゥ~ンクゥ~ンワンキャンキャンキャン!」
か、かわいいっ。
「エマさん、この子チョコって言うんですけどね。この子は……保護施設から私が引き取ったんです。子供の頃、東京にいたころに一回引き取ったことがあって。その子はさすがに死んじゃったんですけど……この仕事に巡り合ってチョコみたいな子が酷い環境にいて。それで引き取りました。本当にね、可哀想でした。あっちに行っちゃうギリギリで引き取ったんですよね……子供の頃みたいに。まあそういう経歴がある子なんですよ。私は子供の頃どんなことがあったかっていうとね……」
このままじゃ璃子さんが止まらなくなってしまうと直感で感じ、急いで止める。というか、保護施設って何?
「あの、取りあえず車乗ってから話聞きますよ。どこに行くのか知りませんけど……」
「あ、そだね。うん、分かった分かった、乗って乗って」
「キャンキャン!」
チョコちゃんは短い尻尾を振って一番にワゴンに飛び乗った。
「取りあえず、この子は全然人見知りでも何でもないから大丈夫なんだけどね、ワンちゃんは人見知りもいて、懐かないからって可愛がられないワンちゃんもいるんですね……」
乗ってすぐに、そんな話が始まった。
敬語とため口が混じっているのは、他人から友達への格上げの時の癖らしい。我慢してくれと、そういうことだ。
「可愛がられないワンちゃんって? そんなワンちゃんいるんですか? こんなにかわいいのに……」
「いるんだよ、それが。それとか、最初の方は可愛くて購入したけど、躾ができないからとか、大きくなって世話できないとか、大きくなってブサイクになったとか……そういうね、下らないバカみたいな理由で犬を捨ててしまう人間がこの世の中に入るんですよね……」
そう言って、黒いワゴン車を運転する璃子さんはポイとスマホを渡してきた。
「えっ」
写真。それは、河原に伏せている、怯えた表情でレンズを見るネコだった……。
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