参拾・転送完了
***
米田さんがテン君を引き取る直前。
どうにか、助かってくれないかなぁとこれまでのテン君との様々なやりとりを思い出す。
あんなに元気だったテン君が、どうして? 手術できるならしたくない? でもお金の都合でできないってどうなの?
宝屋はそんなことを考えながら、必死に涙があふれるのをこらえている。飼い主の前で世話役の看護師が泣いていたら恥ずかしいと思うからだ。
「ほんなら、しっかりテンの最期を見守れるようにな、頑張りますわ。ホンマに、色々お世話になりました。テンは宝屋さんと遊んでて楽しそうやった。ホンマに幸せやったと思う。手術出来へんのは残念火傷、それも一つの運命やと受け入れるわ」
「米田さん……ありがとうございました」
「いやいや、宝屋さんにお礼言われることなんもしてないけどな」
ガッハッハと米田さんは笑う。
テンは宝屋さんと遊んでて楽しそうやった、か。
なぜ手術できなくてうちを恨まないのだろう。いや、本心では恨んでいるのだろうか。それでも、こうやって言われるとグッと来てしまう。
と……。
「クゥン……クゥン」
え?
「クゥン、クゥゲフッ、クゥン」
聞き間違いじゃないのか?
「あ! テンが起きた! テン~良く起きた。頑張れよ、最期まで。ずっと一緒やからな。ほら、宝屋さんもおる」
「……テン君? もう、大丈夫なの?」
「クゥン……」
虚ろな目で苦しそうだったが、腕を振るわせながらコチラへ伸ばしてくる。
トン。
そっと、宝屋の手にテン君の肉球が重なった。
「テン君……ダメだ、私……」
ついに涙腺が大量の水滴を支えきれなくなり、決壊した。ボロボロと大粒の涙が落ちて行く。
「テン君……生きてまたここに来てよね。お願いだから……バイバイ、テン君……」
そっと、テン君の手を離した。
「ほな、また、ね、おぉ……」
米田さんも宝屋のせいか、少し目が赤かった。
「お大事に、なさって、ください……ウゥッ」
米田さんは浅い礼をして、天王寺駅方面へと歩いていった。
「……頼むから、生きて」
一人呟き、床へ倒れ伏した。
「何でぇ!」
そして、宝屋の目は小さな水たまりを作り出した。
***
「え? これで終わり?」
エマは困惑した。これで映像が終わってしまったからだ。
「どういうことよ」
「ヴェフ? ヴクァ……?」
リックにも分からないらしい。だが、確かにこれで終わりだ。
「ん……まあ、取りあえずこれで送ろうか」
一呼吸おいて、呪文を唱える。
「魔術覚醒——転送完了」
あとでニコラ王太子にはどうにか弁明しよう、と秘かに考えていた。
「じゃぁ……行きますかぁ。次どこに行くか考えておく?」
少し地図を広げてみる。この辺りまで拡大されたものを一回一回虫眼鏡でかざしながら縮小していくわけだ。
だが……。
「えぇぇっ?! そんなことあるっ?」
開始二秒で光った。ズバリここだ。
「ここ、今さっき見たばかりなんですけど。そこはもう光らないんじゃないの?」
「ヴェフ、アックィアックィ」
リックは隣の方へ首をクイックイッと振る。
「あ、そゆこと」
ズバリ、その光った場所というのはここ、牧島動物病院“跡”ではなく、牧島動物病院だった。
「あぁ、宝屋さんですね。いやぁ、頑張っておられたと聞いてます。三十年以上も務めておられて、動物の命のために尽力されてました。めっちゃ聞いてますよ。十五年くらい前に百十何歳かで亡くなられたそうなんですけど、とにかくすごくて、看護師の命の接し方とか車椅子になっても来院して厳しく指導されてましたよ」
目の前ではきはきと話すのは、数時間前に出会ったあの若手女性看護師である。そういえば難波の力持ちの創業者さん私見たよ、と言いたかったが怪しがられるので我慢した。
少し前までは生きていたのだ、宝屋さんは。尽力した努力が報われての長生きだろうか。
「そういえば、前に当院で宝屋さんのペットのヤドカリの治療をさせてもらったんです。ちょっと足が取れたとかでしたかね? まあ、宝屋さんの遺志を受け継いでタダでやったわけですよ」
「へぇ、ヤドカリ。すごい」
「ヴェフ!」
と、リックが何か叫んだ。
「え? なんか音しませんでした?」
「え? そうですか? 私気付きませんでしたけど」
「そうですか。じゃあ良いですけど……」
大丈夫、まだバレてはいない。
「ところで、なんでその話を?」
「いやぁ、ちょっと宝屋さんのことを記事にしようかと思ってまして」
前もって考えておいた言い訳を話す。
「へぇ、そうなんですね。あ、ちょっと手術室に案内しましょうか? 宝屋さんゆかりの」
「え、良いんですか! ぜひお願いします」
ここで、小声で魔絆転写を呟いた。
「おぉ、ここで様々な手術が行われていたんですね」
エマは鏡を地層——手術室の床にかざし、手をかざす。もちろん、布覆透体で透明化させている。
「そうなんですよ。宝屋さんのすごいところは……」
と、様々な宝屋情報を教えてもらって、エマはそろそろここを出ることにした。
「じゃあ、そろそろ私も行かせてもらいますね。一日中様々なことに付き合ってもらって本当にありがとうございました。良い記事書きますよ」
「こちらこそ、様々なことを知って下さってありがとうございます。どんどんうちを宣伝してください!」
お互いの手を握り合い、すっかりと暗くなった外へ出た。そのままタクシーを拾ってホテルへと帰る。
タクシーの中でエマは写したものを見ることにした。
再生ボタンポチっと。
***
「えぇ? テン君!!」
なんと、テン君は宝屋の元へ生きてやってきた。
米田さんから一週間前連絡があって、何とか山場は乗り切り安静に暮らしている、と知った。
だが、まさか、この老犬が、私の元へ、生きて、元気に帰ってくるとは思わなかった……。
「良く帰ってきたなぁ……おかえり……」
「キャンキャン」
元気さが損なわれてきたテン君の鳴き声と体を私は胸で受け止め、そっと抱いた。
その二日後、心臓がまた不安定になってきたと知らせが入った。
「手術するなら今しかないな……」
と心造はそう言うが、やはり金が必要らしい。当然、たった一週間で難波の力持ちの収入が手術費に届くほど増えるわけがない。
「あの、院長! お願いがあります!」
手術は成功した。
「キャンキャンキャン!」
腫瘍を取り除き、テン君は元気に駆けまわっていた。
「良かった、ホンマに、まさかテンをタダで手術してくれるなんか夢にも思ってへんかったから、ホンマに太っ腹なことを、ホンマにな、ありがとうございました……ホンマに、ホンマに……どっちみち長くはないですけど、これでもかってほど可愛がります」
米田さんは今度こそ涙ながらに語っていた。
テン君は私の頬を元気にペロペロとたくさん舐めてくれた。
――ペットの命に重さはないんや。いざとなればお金なんか関係ないんや。
二カ月後、病院に電話がかかってきた。
「ホンマに、おかげさんでありがとうございました……」
テン君は米田さんたち家族の膝元で、満開の笑みで穏やかに、というか元気いっぱいに天国へと召されていった、ということだった。
***
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