弐拾漆・魔絆転写

 ニカのこの真剣な覚悟の眼差しを受けて、エマも覚悟を決めることにした。

「ニカ、リック、決めたよ。王室での階級と二コラ王太子のハートを手に入れるためにねっ」

 二匹に微笑みかけて、キリっと真剣な目線を地層に送る。

「魔術覚醒——魔絆転写」

 ビッカーッと地層からオレンジ色の強烈な光が放たれる。

 ピーッとどこかで車の音がした気がした。

「……あ、待って」

 鏡に神聖文字が写し出されている。

 ニカにうなずきかける。相手はボロボロのハサミを重々しく持ち上げた。頑張れ、というように。

「……いくよ」

 そっと、鏡の上に手をかざした。赤丸に白い三角の再生ボタンが現れた。ニカの強い気持ちを受けて、この病院の過去をドワーフ王国のために。寒さなのか緊張なのか悲しみなのか、震える手で赤丸ボタンをポチっとタップした。




 ***


「おはようございまーすっ!」

 二千二十年代。落ち葉が積もった隣の空き地を過ぎて、動物看護士の宝屋千宙たからやちひろは元気よく挨拶をして出勤した。

「あ、おはようございます宝屋さん」

 受付の後輩がメモ帳から目をそらし、ヒョイと手を上げる。

 スタッフルームのロッカーに貴重品や弁当などのものを預け、宝屋はまた別のロッカーへ向かう。

 牧島動物病院は大きな病院だから、入院する犬猫もいるのだ。

「おはよっ、テン君」

 その中で、私の担当する年を取ったチワワのおじいちゃん、テン君だ。

 チワワだから、年を取ったと言ってもやっぱり小さい。この十メートル四方のロッカーがものすごい余っている。

「キャンキャンキャン!!」

 おじいちゃんとは思えぬくらいのけたたましい鳴き声で宝屋へ向かってきた。


 テン君は一見入院する理由がないように見えるが、ものすごい問題を抱えている。ズバリ、心臓病だ。正確に言うと、心臓腫瘍。

 飼い主さんは大阪のお好み焼き屋さん「難波の力持ち」の初代、米田英秀よねだえいしゅうさん。彼のお好み焼きはめちゃめちゃ旨いことで有名だ。現店主の息子もものすごい旨いらしい。

 だから、手術をするのにも金があるため、大切な家族として手術を切望されている。百五十万円程するのだが、それはさすがに厳しいと大阪人らしく値切ってくる。そして、それは出来ないというとキレる。

 だが、テン君はそんな飼い主に似ず、お利口さんなのだ。


「タカラさーん、患者さん来ましたよー」

「何ー? 誰やー?」

 外の後輩と会話して、宝屋は院長、牧島心造まきしましんぞうの息子、医師の牧島瑛心まきしまえいしんが待つ第一診察室へ急いだ。




「おはようございまーす」

 やってきたのは大森優奈おおもりゆうなさんというおばあさんとその飼い猫、ナナちゃんだ。

 ナナちゃんは病院嫌いのため、結構手こずる。

「それじゃあまずは心臓見ますね」

 瑛心の声で、私はナナちゃんの元へ行く。

「シャーッ!」

 ナナちゃんは宝屋に対し、威嚇をする。

「ほら、しっかりー」

 宝屋は右手をナナちゃんの前でヒラヒラさせる。左手はお腹に当てて、そっと体が動かないようにする。これを保定という。

「……OKです」

 そのまま色々と健康診断をして、何事もなく大森さんは病室を出て行った。

「さよならー」




 そのまますぐに次の患者が来た。

「おはようございまーす」

「……ます」

 聞き取れないくらいの小さな声で相手の女子高生、結城由奈ゆうきゆなさんとお母さんの茉奈まなさん、そして今日、尿道結石の手術を行うパピヨンのシルクちゃんが入室してきた。

「それでは、説明しますね」

 今は手術医の心造はいない。詳しい説明は宝屋一人でしなければならないのだ。

「今回の手術は尿道にある大きな結石をとる手術になります。手術時間は……」

 と、十分くらいペラペラとうんちく臭い説明をしていた。


「お値段は二十万円ほどになるかと思います」

 と、ここで何かウズウズというか足をバタバタさせていた由奈さんが取り乱した。

「……もう少し少なくならないんですか?」

「それは難しいですね……開腹手術になりますし」

「無理ですよ! そんなの払えません! 由奈そんなにお金持ってないし、大学に行かなきゃいけないんですよ? 無理ですよ! どうにかしてください! そんなので病院は儲けてるんですか? おかしいでしょうがっ!」

「こら、由奈……」

 なんで由奈さんが払うということになっているのか分からないが、結城さん宅はかなり貧乏な家らしいのだ。

「お母さんもうやめようよ! 無理だよ! どうにかしてよーっ! シルクで何円うちの夜ご飯が粗末になるのか分かってるのっ?!」

「……はぁっ?」

 この一言で宝屋の怒りを招いてしまった。

「シルクで何円って……あなたはワンちゃんをなんだと思ってるんですか?」

「そんなのさ、癒してくれる最高の存在だと思ってるよ!」

 関東から引っ越してきた彼女はこの標準語。これがまた癪に障る。


「あのね、癒してくれるなら人形でも何でもいいわけでしょ。人形も犬も抱いたら答えてくれるし癒してくれる。ものすごい心強い存在やんな。けどねぇ、違うのが、犬は生きてるの」


 この一言に、彼女はハッと何かを気づいたような顔になった。

「シルクちゃんの手術をお金のせいでやめるって、必死に育ててくれたお母さんが病気した時、その手術お金ないからやめるっていうのと一緒。命に格差はないねん。分かる? それぐらい分かるよな? 止めるって言ったら私たちは止める権利はない。けどな、本気で今まで一緒にいてくれたかけがえのない存在を見捨てることは無いって、私は信じてるから。お金はまた院長と相談してみますね」

 言いたいことを全て吐いて、フゥッと一息をつく。と、その時。

「ちょっと、宝屋君。あんた、この部屋からもう出て行って。患者さんにこれじゃあだめだわ、あんた」

 ドアからものすごい怒りの形相をした心造が声を震わせながら宝屋の担当失格を告げた。


 ***




「えぇっ? 看護師さんが普通に命の大切さを告げただけで失格になるの? おかしくない? 変でしょ!」

 ニカはブルブルと体を震わせながら鏡を見ていた。

 チラッと私は塀の向こうの病院を見る。今の院長も、こんな酷いことをしているのか、と憎しみの眼差しを向けて。

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