オーバーロード
「あ、伊織ちゃん」
バイトの帰り道、伊織ちゃんの背中を見つけ声をかけた。何か考え事でもしていたのか、私が肩を叩くと伊織ちゃんは驚いた顔をした。
「わっ、明雪さん……。どうも」
「そういえば今日、桜来ちゃんたちのバイト先に行くって言ってたよね。どうだった?」
「え、あー、そう、ですね」
伊織ちゃんの返答はもごもごして要領を得ない。
「もしかして、あんまり良くなかった?」
「いえ、そういうわけでは……」
そんな話をしているうちに家に着いた。家の前では何故か風花さんと香里ちゃんが永愛ちゃんと遊んでいる。珍しいな思っていると永愛ちゃんも私に気づいて駆け寄ってきた。
「あやのー」
「永愛ちゃん、ただいま。えっと……二人とも、何かあった?」
風花さんも香里ちゃんも何故か深刻そうな顔をしている。
「ごめんなさい、綾乃ちゃん。もうここには住めないの」
――――――
「葉月さん、本当によかったんですか?」
運転席の金田がバックミラー越しに後部座席の私を見て話しかけてくる。
「しつこいな」
それだけ答えて私はタバコに火をつけた。
「タバコ、やめられたのでは?」
「もうやめる理由が無くなった」
車の窓を開け、煙を吐く。外では多くのビルの明かりが夜を覆っていた。
――――――
「詳しい話は移動しながらするわね」
桜来ちゃんが帰ってくると、そのまま風花さんに車に乗せられた。永愛ちゃんは疲れてしまったのか眠っていたが、私と桜来ちゃんは風花さんに説明を求めた。
「……葉月さんはお家の事情で、管理人を続けられなくなってしまったの」
「事情、って……?」
「ごめんなさい。私もそれは知らないの。けど皆のことはちゃんと頼まれてるから、安心して」
「永野さんには、会えないんですか?」
「そうね……また落ち着いたら連絡が来ると思うから、それまで待ってましょう」
疑問は何も解消されなかったが、私も桜来ちゃんも状況を飲み込めずそれ以上は聞けなかった。そのまま車は走り続け、どこかのマンションの前に停まった。
「車を置いてくるから、ちょっと待っててね」
降ろされた先のマンションを見上げると、かなり高い。出入りする人の雰囲気からも明らかに私とは生活水準が違う人の住む家だとわかる。
しばらくすると風花さんが戻って、マンションに入っていく。その後に続くと風花さんは当たり前のように鍵を取り出しオートロックを開けた。
「え、もしかして風花さんの実家とか……?」
上品なイメージはあったが、まさかお嬢様なのか。しかしだとしたらあのアパートに住んでいた意味は……?
などと余計なことを考えていると風花さんが吹き出した。
「まさか、違うわよ。ここはお姉ちゃんの家」
「お、お姉ちゃん……?」
だとしてもすごいことに変わりは無いと思うが。溢れ出る高級感に押し潰されそうになりつつ風花さんの陰に隠れてエレベーターに乗る。中ほどの階で降り、廊下を少し歩いた部屋に通された。
「ここが、お姉ちゃんの家。……桜来ちゃん、こんな形で紹介することになっちゃって、ごめんなさい」
「え……?」
風花さんは何か小さい声で呟いて、鍵を開けた。風花さんが中に向かって呼びかけると、部屋の奥から人が出てきた。
その人を見て、桜来ちゃんが目を見開いた。
「て、店長……!?」
――――――
明雪さんたちを乗せた車を見送り、一息つく。これでとりあえずは一安心と、部屋に戻ろうとしたが高梨さんの腕が私の肩に回る。
「伊織ちゃん。説明」
いつもの砕けた態度とは違う。真面目な声色。どうせならいつものようにいてくれれば、ごまかせたのに。
「……さっき染谷さんが説明してくれたでしょう。永野さんがここを手放すから、明雪さんと宮下さん姉妹は染谷さんのお姉さんの家にひとまず厄介になる、と」
「じゃあ何で私たちはここに残ってるの?」
「私ももうすぐ実家に帰りますよ。高梨さんもそうしてください」
「私は帰る場所なんてここ以外ないよ。伊織ちゃんもでしょ?」
高梨さんのまっすぐな目はまるで私の嘘を見透かしているような気がした。
「……部屋で話しましょう」
「おっけー。あ、お酒持ってくからちょっと待ってて」
――――――
「改めて、風花の姉で桜来のバイト先の店長。染谷天音です。どうぞよろしく」
わざとらしく丁寧にお辞儀をされて、何だか慌ててしまう。
「え、えっと……。明雪綾乃、です。桜来ちゃんと永愛ちゃんのご飯とか、作ってます……」
自分で言いながらそんな関係性あるかとつっこみたくなる。天音さんもおかしく思ったのか、緩んだ口元を抑えている。
「あはは、変ですよね……」
「いや、ごめんね。そうじゃなくて。顔はそっくりなのに性格は全然違うんだなって」
「そっくり、ですか……?」
誰に、と私が聞くより先に天音さんが答えた。
「ああ。宮下桜綾に」
「宮下、って……!?」
私は理解が追いつかず呆然としていたが、桜来ちゃんのほうが声をあげた。それもそうだ。桜来ちゃんの家族は永愛ちゃんだけ。これでたまたま同じ名字とは思えない。
「……宮下桜綾は、桜来と」
「そう。桜来ちゃんのお母さん」
天音さんの言葉に風花さんが繋げた。風花さんは永愛ちゃんを寝かしつけてきてくれたらしい。
「私の、お母さん……」
風花さんの言葉と桜来ちゃんが呟いた言葉が引っかかる。
「永愛ちゃんのお母さんでもある、ってことですよね……?」
天音さんに聞いたつもりだったが、桜来ちゃんのほうが先に答えた。
「私と永愛は、血は繋がってません」
「え……。そ、そうなの?」
「明雪さんには言ってなかったですけど、永愛は私がいた施設に生まれてすぐ預けられて、私にしか懐かなかったので施設の人が同じ名字にしたんです」
じゃあ、桜来ちゃんの肉親は、もう……
「その、桜綾さんって……」
生きてるんですか、とはとても言えなかったが、天音さんは私の言葉を察して答えた。
「桜来が生まれてすぐ、交通事故で夫婦共に亡くなっている」
あまりに衝撃的な事実に、私は何も言えなかった。桜来ちゃんの両親がこの世にいないことは何となくわかっていたが、それを目の前に突きつけられると何も言えない。
「……あの、話が見えないんですけど。店長は母とどういう関係だったんですか。それと永野さんに、何の関係があるんですか」
桜来ちゃんの発言は冷静なように見えたが、机の下で握られた拳が震えているのが見え、私は無意識にその手を握っていて、驚いた顔の桜来ちゃんと目が合う。離そうとしたが、今度は桜来ちゃんのほうから握り返された。その手は震えていて、冷たい。
「……悪いけど、あと二つ前提として言わなきゃいけないことがある。私と葉月、そして桜綾は同じ高校の同級生だった」
「えっ……」
また私は衝撃を受けてしまう。だって、桜来ちゃんのお母さんと同い年ということは、天音さんも葉月さんも……。とても、見えない。
「それは話の流れでわかってました。明雪さん、いちいち驚かないでください」
「ご、ごめん」
言葉と裏腹に桜来ちゃんが繋いでいた手の指先をきゅっとつまんできて、大事な話をしているのに余計なことを考えてしまう。
「で、桜来の父親は葉月の兄、永野雪翔。これで前提は終わり」
「……え、えええ!?」
これには私も桜来ちゃんも驚いて声をあげた。
「二人とも落ち着いて。永愛ちゃんが起きちゃう」
「葉月は言わなかったんだね」
「はい……。聞いたことなかったです。でも、何か……しっくりきます」
確かに、葉月さんが桜来ちゃんと永愛ちゃんにたまに見せる世話焼きな面や、永愛ちゃんとやたら似ているのにも納得がいく。いや、永愛ちゃんと桜来ちゃんは血が繋がってないから永愛ちゃんと葉月さんも血は繋がってないのか。けど……
何かが引っかかっていたが、天音さんが話を続けていたので慌てて耳を傾ける。
「ここからが本題。今、葉月の父が経営している会社が後継者を探している」
「葉月さんのお父さん、ってことは……桜来ちゃんのおじいちゃん?」
「そう。本来は息子の雪翔が継ぐ予定だったが、空席のまましばらく続いていた。葉月は元々父親と反りが合わなかったらしく、会社を継ぐ気は無くこのままやり過ごすつもりだった」
「ちなみにその会社、綾乃ちゃんが前にいたとこの親会社なのよ」
「えっ、そう、なんだ……」
あまりいい思い出が無い会社だったので、不安感が強まる。
「会社には一族経営を続けていくべきという社長派と、一族経営から脱却すべきという脱社長派がいる。そして最近、脱社長派に桜来の存在がバレたという情報が入った」
一気に背中に寒気がした。最近葉月さんが見知らぬスーツの男性と会っていたのは、その情報を得ていたからだったのか。そして、葉月さんがいなくなったのは……
「私の存在を隠すために、永野さんは一人で行ったんですか……?」
「うん。葉月が後継者として名乗り出れば、脱社長派のターゲットは葉月になる。社長派も無理して桜来を会社に入れようとはしなくなる。そして葉月の狙いは……自分諸共、会社を終わらせること」
想像がつかないほど壮大な話になっていて、理解が追いつかない。しばらく無言の間が続いた後、桜来ちゃんが口を開いた。
「じゃあ、私が行けば、永野さんは戻ってくるんですか……?」
「それは違う」
天音さんは桜来ちゃんの提案をすぐさま否定した。
「けど……! これは、明雪さんと永愛……それに、天崎さんとか高梨さんには関係ない……。永野さんがいればみんなはあの家に住めるのに、私のせいで……」
「それは違う。葉月は自分の兄と親友が守りたかったものを守ろうとしている。その気持ちは、踏みにじらないであげてほしい」
「そうだよ。私たちだって桜来ちゃんのこと守りたいんだから、関係ないなんて言わないで。誰も桜来ちゃんのせいなんて思ってないんだから」
「明雪さん……。ありがとう、ございます」
「それに、葉月だってタダで転ぶ奴じゃない。策はあるはず」
――――――
「……というのが、私が染谷さんのお姉さんから聞いた話です」
高梨さんは最初の方こそ大きくリアクションをとって話を聞いて、お酒も進んでいたが途中から一気に静かになっていた。少しの沈黙の後、氷が溶けきって薄まっているであろうグラスを飲み干し高梨さんが口を開いた。
「いや……びっくりだね。そっか……宮下桜綾さん、か……」
「染谷さんのお姉さんからはこっちで何とかするから私たちは待機してろと言われたんですが……どうします?」
答えはわかりきっていたが、聞いた。そして高梨さんは想定通りの返答をした。
「もちろん、受けた恩は返さないとね」
――――――
天音さんが貸してくれたベッドはホテルのような寝心地で、本来なら疲れを忘れて熟睡できるのだろうが、あんな話を聞いてしまった後では頭が落ち着かず眠れない。隣の部屋では桜来ちゃんと永愛ちゃんが眠っている。二人は慣れない環境に振り回されて疲れているのだから、せめて今だけはゆっくり休んでほしい。
少し水でも飲もうとゆっくりベッドから出て、そーっと部屋から出る。リビングの方にはまだ明かりがついている。天音さんの姿が見え、向こうも私に気づく。
「綾乃ちゃん、どうかした?」
「ちょっと、眠れなくて……お水いただいてもいいですか?」
「うん。どうぞ」
天音さんはグラスを用意してお水をいれてくれた。そのグラスが天音さんの座っていた場所の隣に置かれたため、必然的に私と天音さんが並んでソファに座ることになる。何か話したほうがいいのかと思考を巡らせ、思いついたことを口走る。
「そういえば、私と桜来ちゃんのお母さんって、そんなに見た目似てるんですか?」
言ってからあまりにも不躾な質問をしたと気づき慌てるが、天音さんは笑って答えてくれた。
「うん。見た目は本当に瓜二つだよ。性格は……似てるとこも、あるかな」
「桜綾さん、って……どんな人なんですか?」
「……天真爛漫を絵に描いたような、笑顔の絶えない人間だった。綾乃ちゃんみたいにオドオドしてる姿は見たことがない」
「そ、そうですか……」
「桜綾自身が病弱だったから、他人の弱さにも凄く敏感だった。けど、自分の弱さは、人に見せたがらなかった……」
天音さんの目がどこか遠くを見つめている。
「――――――」
「え……」
天音さんの言葉に、私はまた言葉を失ってしまった。後から疑問が追いかけてきて、そのまま口から出る。
「だ、だって、そしたら……!」
天音さんの答えは全くの予想外で、私の理解を超えていた。そして、少しずつ全部が繋がっていく気がした。
「……綾乃ちゃん、綾乃ちゃん! 起きて!」
いつの間にか朝になっていた。風花さんが私を起こそうとしている。ゆっくりと意識が覚醒していく中、風花さんの言葉で私の意識は無理やり叩き起こされた
「桜来ちゃんがいないの!」
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