星の引力
浴室の方から葉月さんが出てくる音が聞こえる。慌てて見てしまったものを引き出しにしまう。
「綾乃ちゃん、どうかしたか?」
「ちょっと指切っちゃって。全然、大丈夫です」
「おいおい、気を付けてくれよ」
葉月さんが心配して怪我の具合を見てくれる。お風呂上がりの葉月さんは相変わらずラフなTシャツとハーフパンツ姿で、とても母子手帳を持つような体型には見えなかった。
「……何だよ。じろじろ見て」
「い、いえ。その……葉月さん、スタイル良くて羨ましいなー、って」
嘘はついてない。何でスタイルを見てたかは言えないが。
「はは、そうか。まあ独り身だから誰かに見せることも無いけどな」
独り身、と言ったのが何だかわざとらしく聞こえてしまう。
いや別に葉月さんが誰とどんな関係だろうが自由だというのは承知の上なのだが、桜来ちゃんや永愛ちゃんがどう思うか……というのは私の野次馬根性の言い訳だろうか。
「葉月さんって、結婚とかは……」
つい口からこぼれた言葉が葉月さんに届く直前、着信音がそれをかき消した。
「悪い、ご飯はラップかけて置いといてくれ」
そう言うと葉月さんは携帯を持ってベランダに出てしまった。私に聞かれたくない話なのだろうか。電話の相手はあの男性なのだろうか。どうも嫌な胸騒ぎがした。
――――――
「……それで、何でうちに来るんですか」
葉月さんの部屋を出てからやっぱり電話の内容が気になってしまい、私は伊織ちゃんの部屋を訪ねた。耳のいい伊織ちゃんなら電話の内容を聞いているかもしれない。
「葉月さんが話してた内容、聞いてたかなって思って……」
「ヘッドホンしてたんで聞いてないです。ていうか気になるなら本人に聞けばいいじゃないですか。本人に聞けないことを私に聞かないでください」
「そうなんだけど……」
そうもいかないから困っているのだ。私の用事が済んだと思ったのか、伊織ちゃんがドアを閉めようとしてしまう。でもここで食い下がっても迷惑かなと思っていると、部屋の向こうから香里ちゃんが出てきた。
「あれ、綾乃さんじゃないですかー! どうしたんですか? あ、上がってってくださいよ!」
「香里ちゃん、何で……?」
私が驚いていると、伊織ちゃんが何やら慌てだした。
「あーっ! 高梨さん、お菓子食べるならティッシュの上でって言ってるじゃないですか! 食べながら歩かないでください!」
「ごめんごめん。綾乃さんもポテチ食べます?」
何かよく分からないまま、香里ちゃんに連れられ伊織ちゃんの部屋にお邪魔することになった。
「高梨さん、夏休み入ってからほぼずっと居座ってるんですよね……。たまに染谷さんも呼ぶし。今日は明雪さんまで……」
伊織ちゃんの部屋には初めて入ったが、本棚が壁一面、天井まであって圧迫感がすごい。私と同じ間取りに住んでいるとは思えないほどだ。そんな中でも香里ちゃんは平然とお菓子を食べている。
「ごめんね、伊織ちゃん。突然お邪魔しちゃって」
「全然気にしないでくださいよ! 伊織ちゃんも賑やかで嬉しいもんね?」
伊織ちゃんより先に香里ちゃんが元気よく答える。伊織ちゃんはため息こそついたが不満は言わないので大丈夫と捉えておこう。
「でもその電話の相手、絶対この間の男の人ですよね。どんな関係なんだろ。やっぱり付き合ってたりするんですかね?」
「どうなんだろう……。この前見かけた雰囲気とか、さっきの電話の感じだと葉月さんは別に会いたがってるようには見えなかったけど」
嫌がっているようにも見えなかったが。なんというか、仕事相手のような、それにしては親しげな気もするが。
「もしかして元カレで復縁迫られてるとか……!? はたまた、不倫とか?」
「いや、さすがにそれは……」
葉月さんに限ってそれは無い。と思いたい。
二人であれこれ話していると、それまでパソコンに向かっていた伊織ちゃんが呆れた顔で振り返った。
「よくそこまで他人のゴシップで盛り上がれますね。世の中から迷惑なマスコミがいなくならない理由が分かりましたよ」
伊織ちゃんの鋭い指摘に言葉が詰まってしまう。たしかに、少し下世話過ぎたかもしれない。
「でもさ、伊織ちゃんだって目の前で知り合いが男の人と会ってたら気になっちゃうでしょ? 風花さんのときだって怒ってたじゃん」
「あれは相手の人があまりもだったからで……」
「じゃあ私がもし誰かと手繋いでるとこ見たらどう思う?」
「どうでもいいです」
「えー、ひどい! じゃあじゃあ、美怜ちゃんは? 美怜ちゃんが誰かと手繋いで仲良くしてたら?」
その質問は伊織ちゃんに響いたらしく、固まってしまった。そして恐らく具体的にしてしまった想像を振り払うように頭を振り、声を荒らげた。
「そ、それは話が別でしょ。家族とは。だいたい、美怜はそんな変な人に騙されたりしないです」
「変な人じゃなくてちゃんとした人と付き合うかもしれないじゃん」
「う、うう……。それは……いや、まだ早いですよ。美怜はまだ子どもなんですから……」
「高校生なら全然ありえるよー。あの子たちかわいいし、クラスの男の子たちから絶対人気あるだろうし」
それまで他人事のように聞いていたが、香里ちゃんの言葉で急に意識が引き戻された。桜来ちゃんのことはかわいいとは思っていたが、やっぱり客観的に見てもかわいいらしい。しかも、そういえば、教室には同い年の男の子がたくさんいる。桜来ちゃんがその中の誰かに意識されている可能性だって十分ある。
話題から逃げようと、思い出したように立ち上がった。
「あー、そろそろ桜来ちゃんたちのご飯用意しないとだから、戻ろうかな」
ちょっとわざとらしかったかなと思いつつ、実際嘘ではないのでそのまま部屋を出ようとする。
「今更ですけど、毎日ご飯用意してるのってすごいですよね」
「伊織ちゃん、結局風花さんに用意してもらってるもんね」
「高梨さんだって便乗してるでしょ。明雪さんって永野さんと元々知り合いだったんですか?」
「いや、ここに来るときに知り合ったよ」
そういえば私がここに引っ越してくる経緯は話したことが無く、改めて二人に私と葉月さんたちとの出会いの話をした。
「そうなんですね。でもそれで何でわざわざ宮下さんたちのご飯まで用意することになったんですか? 実際、楽じゃないですよね」
「それは……その、そういう条件で安く住まわせてもらってて……」
年下の子たちに言うのは恥ずかしいが、そうしてもらわないと生活が大変なのも事実なので、正直に言う。だからといって嫌々ご飯を作っているわけじゃないが。
「綾乃さんも安くしてもらってるんだ。私もですよ」
「香里ちゃんも?」
「はい。私、高卒でそのまま上京して劇団入って。寮はあったんですけどお風呂が無くて、そしたら葉月さんがここに住んだらいいって」
サラリと言われたが、なかなかに壮絶な話な気がする。
「そ、そんなあっさり呼ばれたんだ」
「一応、うちの劇を見たことあったみたいです。それで偶然会って。事情を話したら、なんか夢を追う若者割引だとかでお安くしてもらってます」
話す内容と普段の香里ちゃんの性格がかけ離れていて、驚いてしまう。伊織ちゃんもさすがに言葉が見つからないのか、視線が泳いでいる。そんな空気を察してか、香里ちゃんが慌てて語気を明るくした。
「ちなみに、伊織ちゃんは? 綾乃さんがここに来るちょっと前に引っ越してきてたけど」
「私も話す流れですか……。私は前の家の家賃の更新のときに引っ越すか悩んでたら、永野さんにここを勧められました」
「葉月さんとは偶然会ったの?」
「偶然、というか……前は大学の近くの学生寮に住んでたんですけど、こういう性格なので他人との生活が上手くいかなくて。どっかに良いとこないかなと思って不動産屋を見てたら声かけられたんです」
「え、怪しくない? よくそれで引っ越したね」
「そりゃ、私も最初は相手にしなかったですよ。でもこのアパートまで見せられて、契約書にもおかしい点は無かったですし。ギリギリまで疑ってましたけど」
「そうなんだ……」
二人の話を聞いて、何か引っかかっていた。二人も不自然さを感じているのか、考え込んでいる。そして、香里ちゃんがその違和感を口に出した。
「なんか、意図的に葉月さんが私たちを集めたみたい?」
確かに、私もそんな気がした。しかしそうだとすると、おかしい点がある。
「でも、私は葉月さんと会ったのは本当に偶然なんだよね」
「そうなんですかね」
伊織ちゃんの言葉に私も香里ちゃんも引っかかる。伊織ちゃんは考え込んだ表情のまま言葉を続けた。
「明雪さんも、必然的にここに来たんじゃないですか?」
「ここか? 美怜」
「うん。ね、すごいおしゃれじゃない?」
美怜が近くに良い雰囲気の喫茶店ができたと言うので、皆で行ってみることにした。小ぢんまりとした外観は住宅街の景色に溶け込んでいる。
「一人だと緊張しちゃうから……皆が一緒に来てくれて良かったよ」
「桜来は大丈夫? こんなお店入ったことないから緊張しちゃうんじゃない?」
遥香がからかうように私に言う。仲良くなったのはいいが、こういう軽口を叩いてくるのはムカつく。
「遥香だって無いでしょ。慣れてる雰囲気出してるだけで。この前だって飲み物のサイズが分かんなくて店員さんに聞いてたくせに」
「あ、あれは……桜来だって適当に頼んでやたらクリームたっぷりにされてたじゃない!」
「先入ってるぞ。店内では騒ぐなよ」
亜衣が呆れた様子で私たちを置いていこうとするので私たちは睨み合いつつ後を追いかけた。
「こんにちはー……」
美怜が恐る恐るドアを開けると、店内からはコーヒーとタバコの混ざった匂いがした。他にお客さんがいる様子は無く、いくつか並んだテーブル席はどれも空いていた。
「いらっしゃい。初めましてかな?」
カウンターの向こうから顔を出したのは背の高い女性で、私たち見ると優しく笑いかけ、テーブルに案内してくれた。
それぞれ注文を終え、カウンターに戻っていく女性を見送ると、遥香がひそひそと話し始めた。
「店長さんかしらね。素敵な人だわ」
「そうだな。若く見えるが仕草は大人っぽく見えるし、こういうお店を持てるくらいには経験のある人なんだろう」
「……桜来ちゃん、どうかした?」
私がぼんやりしていると、美怜がそれに気づいた。
「あ、いや……なんでもない」
カウンターで飲み物を用意する店長さんの姿から、私は何か不思議な雰囲気を感じていた。以前も、どこかで感じたことがあるような……。
「残念だが、私はそんな出来た人間じゃないよ」
会話が聞こえていたのか、店長さんは飲み物を持ってくるとそう言った。
「店を持つのも初めてだし、年齢だって君たちの親でもおかしくないくらいだ」
「そうなんですね。とてもそうは見えなかったです」
「ありがとう。じゃあ、ゆっくりしていってくれ」
それからしばらく四人で話していると、美怜が壁に貼ってある紙を見つけた。
「ここ、アルバイト募集してるんだね」
「美怜、バイト探してるのか?」
「あ、うん。ちょっとだけ……。お母さんとお父さんは、しなくていいって言ってるんだけど」
多分、天崎さんも心配するだろうなと思っていると、美怜が思いついたように私を見た。
「そうだ。桜来ちゃんも一緒にやらない?」
「え、私も?」
「うん。友達と一緒なら心配ないと思うんだけど……ダメ、かな?」
考えてみると、私はもう高校生なわけで、バイトでお金を稼ぐことはできる。いつまでも永野さんに頼り切りなよりも、少しくらい自分のことは自分で出来るようになるべきかもしれない。
「……とりあえず、永野さんに聞いてみる」
「ありがとう、桜来ちゃん」
「永野さん、って誰?」
遥香が不思議そうな顔をする。そういえば遥香は明雪さんのことは知ってるが永野さんとは会ったことがない。
「うちの大家さんで、色々お世話になってる人」
「桜来と永愛にとっては、親代わりみたいな人だもんな」
亜衣にそう言われて、先程の違和感の正体が分かった。店長さんから感じた雰囲気は、永野さんと初めて会ったときにも感じたものだ。
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