素顔のままで

 夏休みが開けて、二学期がはじまった。今年の夏休みは何だかあっという間だった気がする。今までは何もすることもない休みが延々と続くばかりだったが、今年は亜衣や美怜と遊んだり宿題をしたり、外に出ることが多かった。去年まではのろのろと歩いていた夏休みを今年は駆け抜けたようだ。

 夏休みが終わっても夏はまだ名残りがあり、日差しは強くその存在を主張している。永愛の忘れ物が無いか確認して家を出ると、明雪さんが誰かと話しているのが見えた。

「明雪さん、おはようござ……」

「げっ、宮下」

 そこにいたのは神崎だった。私を見て露骨に嫌な顔をする。多分私も同じ顔をしてるんだろう。

「……じゃあ、いってきます」

「ま、待って待って。桜来ちゃん」

 さっさとその場を去ろうとしたが、明雪さんに引き止められてしまう。渋々立ち止まると、神崎と目が合った。睨まれたので睨み返し、その間に明雪さんが立つ。

「桜来ちゃん、前に話した通り神崎さんにも色々事情があってのことだったから。神崎さんも、これからは桜来ちゃんと仲良くしてくれたら私も嬉しいな」

 はい、握手。と明雪さんが私と神崎の手を合わせようとしてくる。お互い抵抗してプルプルと手が震えていたが、明雪さんが少し悲しそうな顔をしたのを見て力が緩んだ。

「ま、まあ。明雪さんがそこまで言うなら……」

「綾乃さんが言うなら……」

 神崎と同じことを言ってしまい、また睨み合ってしまう。しかし明雪さんの手前握手だけはして、その場は収めた。

 永愛を小学校に送り届けた後、わざわざ神崎と並んで歩く必要も無いし向こうもそう思っているらしく、間隔を空けて学校に向かう。とはいえ目的地は同じなので常に視界の端に姿がチラついてしまう。

 間隔を調整しようとして早く歩こうとすると向こうも早く歩いてきて逆に遅くすると向こうも遅くしてくる。そこで私も神崎も諦め、距離を取って並んで歩く。そうしているうちに交差点で亜衣と美怜に会った。

「桜来、おはよう」

「亜衣、美怜。おはよう」

 神崎も二人に気づいてチラリとこちらを見た。しかし特に声はかけずまた歩き出す。二人も神崎のことは気にしてないようだ。

「なんか、夏休み明けだけど二人とは久しぶりな気がしないや」

「そうだね。たくさん遊んだもんね」

 話しながら歩いているうちに周りに生徒が増えてきて、神崎のことは気にならなくなってきた。しかし、神崎の声が聞こえ意識がそちらに向く。

「……あっ、おはよう!」

 神崎は男子生徒に駆け寄りあいさつをしていた。が、声をかけられた男子は神崎の顔を見るとそそくさと歩いていってしまった。それを見て周りの生徒たちが何かこそこそと話しはじめた。おそらく夏休みの件で神崎の悪い噂が流れ始めたのだろう。

 亜衣と美怜も異変を感じたのか不思議そうな顔をしている。これに関しては神崎は悪くないとは思うし、話してもいいのかなと考えているとこちらを睨む神崎と目が合った。その表情には「余計なことを言うな」としっかり書かれていた。

「桜来、どうかしたのか?」

「えっ、いや。なんでもない」

 別にわざわざ話して神崎を庇う必要は無い。今朝は明雪さんの手前仕方なく取り繕っただけだ。いや、別に明雪さんのためにとかそういうのじゃない。本当に。

 始業式で校長の長い話を聞き、教室で担任がそれを短くまとめたものをまた話す。中だるみという言葉を飽きるほど聞いて夏休み明け初日の学校は終わった。

 帰り支度をしていると美怜が教室を覗き込んでいるのが見え、私と亜衣も美怜のもとに向かう。しかし美怜はどこか挙動不審で、隣をチラチラと伺っている。誰かいるのだろうかと教室を出てみると、美怜の隣には神崎が立っていた。

「えっ」

 亜衣も神崎に気づき不審な顔になる。

「……天崎さん、やっぱり私は帰るわ。ごめんね」

「ま、待って……! 神崎さん」

 立ち去ろうとした神崎の手を美怜が掴んだ。たまたまそこにいたわけではないらしい。

「あの……亜衣ちゃんと桜来ちゃんに、お願いがあるの」

――――――

 校内では何かと目立ってしまうので、神崎を連れて四人で帰り道を歩く。その間も神崎は私たちとは少し離れて歩いていた。

「それで、私たちに頼みっていうのは?」

 亜衣が聞くと、美怜は神崎のほうを見てからおずおずと語り出した。

「うん……。あのね、神崎さんと、友達になってほしくて……」

「……え?」

 予想外の言葉に、私も亜衣も目を丸くしてしまう。美怜も私たちの反応を予測していたのか、慌てて言葉を続けようとする。

「ご、ごめんね、急に。その、さっき教室で……」

「天崎さん。いいよ、もう」

 またも神崎は美怜の制止を振り切りその場を去ろうとする。美怜の提案に初めは驚いたが、今朝のことを思い出しあることが頭に浮かんだ。

「もしかして……神崎、クラスで何かあった?」

 つい口走ってしまった言葉は当たりなようで、神崎はあからさまにうろたえた。

「桜来ちゃん、知ってたの?」

「知ってた、っていうか……」

 言っていいのかと神崎の様子を見ると、私が話すと思ったのか神崎は私を止めようとした。が、それより早く亜衣が神崎の前に立った。

 動揺して大きな目を揺らす神崎と冷静に状況を見る亜衣は少しの間黙って睨み合っていた。

 そして、亜衣がその沈黙を破った。

「……全く話に着いていけないんだが、どういうことなんだ?」

――――――

 神崎が学校の近くは嫌だと言うので仕方なく永愛を迎えに行くのに付き合ってもらうことにした。小学校の近くまで来ると同じ高校の生徒の姿は見えなくなった。

「なるほどな……。それを都合よく言いふらされて、クラスでも孤立したわけか」

「神崎さんは妹さんを庇っただけなのに……」

 夏休みに明雪さんと神崎の間に起きたことを話し、美怜からクラスでの神崎のことを聞くと、話が繋がった。思った通り、神崎の家に押しかけていた男子が腹いせに悪い噂を流したらしい。元々女子生徒からは疎まれていたこともあり神崎は学校内で女子からも男子からも避けられるようになってしまった。

「……これで分かったでしょ。私がどんな人間か。あんたたちも私といるとこ見られたら同じ目に合うわよ」

 突き放すようなことを言っているが、神崎の表情はどこか寂しそうに見えた。

「……本当は、辛いんじゃないの?」

 立ち去ろうとした神崎の背中に、つい声をかけていた。驚いて振り向いた神崎に、そのまま勢いで口を動かす。

「私も……一人だったから、分かる。けど、私はそれを周りのせいにして壁を作ってたから……。神崎みたいに演じたりは出来なかった」

「……何? それで結局、宮下は友達がいて私は一人になったって言いたいの?」

「違う。神崎がそこまでして一人にならないようにしてたのは、さびしかったからでしょ」

「そうよ! ちょっと弱いフリしてれば可愛がってもらえたから、演じてたの! 一人に、なりたくなかったの……!」

 神崎の声が大きくなり、震えている。私が上手く言葉にできないせいで言い争いのようになってしまう。次の言葉を考えていると、亜衣が私たちの間に立った。

「もう、一人じゃないってことだろ。私たちがいるんだから」

 亜衣の一言で、場が静まり返った。美怜も亜衣の言葉を肯定するように頷いている。そうだ。私が言いたかったのはそういうことだった。

 神崎の姿が、過去の私と重なって見えた。周囲の人間が信用できなくて、遠ざけて、なのに一人でいることが怖くて仕方がなかった。

「本当に……いいの?」

「明雪さんにも言われたでしょ。仲良くしろって」

 明雪さんを言い訳に使ってしまうところに自分の素直じゃなさを感じつつ、神崎に手を差し出す。

「仕方ないわね……。でも、ありがとう」



 時は遡り、桜来と遥香を見送った後の事。

「葉月さーん。そろそろ起きてください」

 ドアを軽く叩いて声をかけるが返事は無い。昨晩は帰りが遅かったようなのでまだ寝ているのだろうか。

 ふと、先日見かけた男性のことを思い出す。葉月さんと親しげで、二人で車に乗って街中に消えていった。あれ以来何度か葉月さんは帰りが遅い日がある。桜来ちゃんもさすがに怪しんでいるようだが私も偶然見てしまったものを話していいのか分からず曖昧な返事しかできずにいた。

「ああ……綾乃ちゃん。おはよう」

 考えてる間に葉月さんが起きてきて、ドアが開いた。恥じらう様子も無く乱れた寝巻きのまま私を迎え入れる葉月さんの姿を見て、つい昨晩何があったのかを想像してしまう。

「さ、昨晩もずいぶん遅かったみたいですね」

「まあ、そうだな……」

 曖昧な返事にそれ以上追求できず、そこで会話は終わってしまう。

「朝ごはん食べます?」

「いや、もう昼とまとめちゃっていいよ。先にシャワー浴びてくる」

 葉月さんは浴室に向かい、私はキッチンを借りてお昼の用意をする。

 桜来ちゃんと遥香ちゃんは仲良くしてるかな、と余計なことを考えていたせいか、洗った包丁を片付ける際に指先を切ってしまった。野菜を切ってるときじゃなくて良かったなと思いつつティッシュで指先を抑えながら絆創膏を探すために引き出しに向かう。

 葉月さんは部屋を整理するよう言ってもとりあえず引き出しに詰め込むだけで片付けたと言い張ってくる。桜来ちゃんは反面教師にしてくれているが永愛ちゃんはそういうところを真似してしまうのでやめてほしい。

「絆創膏、どこかな……。あ、あった」

 引き出しの奥に手を突っ込むと、絆創膏の箱が出てきた。それを引きずり出すと釣られて手前の書類などが落ちてしまう。

 ため息をつきながら落ちた物を回収していると小さな冊子が紛れているのに気づいた。何となく気になり表を見てみた。

 それは、母子手帳だった。

 



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