五倍速の季節
照りつける日差しの熱で遠くの景色が揺らめいている。鳴り響く蝉の声が暑さを余計に加速させているような気がする。
夏とはこんなに暑いものだったかと思ったが、よく考えると去年までは暑さが深まる夏休みの時期に外出することなんて無かったから知らないのも当たり前だった。
夏休みに友達と遊ぶというのも初めてで、そのことを永野さんに話したらわざわざ夏服を用意してくれた。受け取れないと言ったが永野さんは「はしゃいで汚すなよ」としか言わなかった。
待ち合わせ場所に着くと亜衣と美玲が既に到着していた。小走りで近づくと二人も私に気づいた。
「ごめん。お待たせ」
「大丈夫。しかし暑いな……。早くファミレスに入ろう」
いつもクールな印象がある亜衣は何となく暑さとは無縁そうなイメージがあって、Tシャツの襟をパタパタと仰いでいる姿は少し新鮮だった。
「そうだね。桜来ちゃんも暑くない? 日陰歩いたほうがいいよ」
美玲に促され日陰を歩かせてもらう。白いワンピースに日傘をさす美玲の姿は夏がよく似合っていた。いや、この二人なら冬でも画になるだろうが。
「桜来、その服いい感じだな」
ファミレスに入りテーブルに向かうと、亜衣が私の来ていたジャケットの裾を掴んでヒラヒラさせた。
「あ、ありがとう。永野さんが買ってくれたんだ」
恥ずかしくて目が泳いでしまっていると、亜衣はそのまま肩のほうに手を伸ばしジャケットをはだけさせてきた。中にはキャミソールだけなので私の肩が露になる。
「お、大胆だな」
「ちょっと!」
慌ててジャケットを着直す。着る前から恥ずかしいと思っていたけど、せっかく貰った手前着ないのも失礼なので思い切った。そんな私を見て亜衣と美玲は楽しそうに笑っていた。
「いい人だね。永野さん」
「まあ……永愛の面倒も見てくれるし、お世話にはなってる、かな」
実際はかなり色んなことをしてもらっているし不思議と警戒心は湧かないのだけれど、そう言うのは恥ずかしくて言葉を濁してしまう。
「……永野さんと明雪さんとは、どういういきさつで知り合ったんだ?」
そういえば、二人にはその辺りを話したことはなかった。明雪さんとの出会いはちょっと複雑というか特殊で説明が難しかったが、永野さんと出会った日のことはしっかり覚えている。
――――――
私と永愛は中学の頃は養護施設で暮らしていた。永愛は今よりもっと感情を表に出さず、ずっと私のそばを離れなかった。私も大人たちに対する警戒心が強く、施設の人たちもそれを分かってか私たちに必要以上に関わろうとはしてこなかった。
中学三年生のある日、卒業を間近に控えた冬の日だった。私と永愛が施設に帰ると職員の人に呼ばれた。
「桜来ちゃんと永愛ちゃんにお客さんが来てるわよ」
私たちに会いに来る人なんて想像がつかず、不思議に思いながら応接室に向かった。
扉を開くと、暖房の熱が漏れ出てきた。応接室では院長が誰かと親しげに話している。院長が私たちに気づき名前を呼ぶと、話していた人も振り返った。肩より少し長い、癖のある茶髪の向こうの目が私たちを捉え大きく見開かれた。
「桜来ちゃん、永愛ちゃん。この方は永野葉月さんだよ」
名前を言われてもピンと来ず、私は返事もせず永野さんと視線を合わせないよう睨んだ。初対面の大人。愛想など向けられなかった。
「……初め、まして……。永野葉月だ」
「実は、桜来ちゃんの中学校の制服や教科書は永野さんが買ってくれたんだよ」
「え……」
驚いた。てっきり施設の人が用意してくれたと思っていたからだ。
「あ、ありがとうございます……」
お礼を言いつつ、私の中には不審感と恐怖が湧き上がっていた。見ず知らずの子どもに制服と教科書を買い与える。そして今更目の前に現れた理由。何か対価を要求されるのではないか。様々な考えが頭を駆け巡っていると、院長が口を開いた。
「それで、桜来ちゃんが中学校を卒業したら二人を預かりたいらしいんだ」
預かる、とは。手元に置いて好きに働かせようというつもりだろうか。それかどこかに売り飛ばすのか。
私が俯いて答えられずにいると、永野さんが私の前に立ちしゃがみ込んだ。身長が私とあまり変わらないので、しゃがむと永愛と同じくらいの目線まで下がる。
「一緒に暮らそうと言ってるわけじゃない。アパートの一室を君たち二人に分けたいって話だ。もちろん、家賃はいらない」
「……何で、そんなことするんですか?」
あまりにも都合が良すぎて、疑わずにいられない。安全な施設からわざわざ出る必要があるとは思えなかった。
永野さんは答えに迷っていたようだが、院長と目を合わせるとまた私に向き直った。
「君、の……お母さんとは学生の頃仲良くさせてもらっていて、その恩を少しでも返したいんだ」
私の、という言い方。それだけで確信した。この人が嘘をついていない、少なくとも、私と永愛のことを知っているのは事実だ。
両親の記憶はもう何も残っていないが、恐らく本当だろう。
それまで私の後ろに隠れていた永愛がゆっくりと永野さんの前に出てきた。永愛が自分から私のそばを離れたことに驚いた。
「永愛……」
名前を呼ぶと、永愛はすぐ不安そうに私のほうに戻ってきた。永野さんは私と永愛の顔を交互に見て、改めて言った。
「桜来、永愛……。私と、一緒に来てくれるか?」
本当にいいのか。私と永愛の事情を知っているからって、信用できるのか。
私が迷っていると、永愛が永野さんに一歩近づいた。
「……はづ、き……」
名前を、呼んだ。永愛が、自分から他人の名前を。そして永愛から歩み寄り、手を伸ばしている。
永野さんも驚いていたようで、目を見開いてから俯き何かを堪えるように深呼吸して、顔を上げ永愛の手を握った。それを見て、私は決心した。
「……分かりました。永野さん、よろしくお願いします」
――――――
「そんな感じ、かな」
「なるほど……」
私が話し終えると亜衣も美玲も少し引っかかったような顔をしていたが、料理が運ばれてきたためそこで会話は途切れた。
少しの沈黙、何となく空気が重たくなった気がする。その原因は確実に私で、さっきの話の中の違和感だろう。隠すことでもないし、二人になら話してもいいと思う。が、言い出せない。
店内の喧騒の中にぽっかり穴が空いたような私たちのテーブルで、美玲が耐えかねて沈黙を埋めた。
「そ、そういえば桜来ちゃん。明雪さんと仲直りできた?」
「えっ?」
何で美玲がそのことを知っているんだろう。以前、亜衣からは指摘されたけれど。
思いがけない言葉に驚いていると、亜衣が気まずそうな顔をして美玲もしまったという顔になった。
「……悪い。実は美玲から桜来と明雪さんの間に何かあったんじゃないかと言われて、探りを入れたんだ」
「あ……そうだったんだ」
「ごめんね、桜来ちゃん。余計なことして……」
「全然。むしろ私こそ心配かけてごめん」
謝りつつ、内心美玲の人を見る力に驚いていた。登下校は一緒とはいえクラスが違うし関わる時間は決して長くはないのに、よく見ている。
「その様子だと、無事解決したみたいだな」
亜衣が微笑んで美玲と顔を見合わせた。解決、と言っていいのか。あの日のあれは。
「うん。まあ、そう、かな……?」
思い出してしまう。全身に受けたお酒の匂い、火照った体温、そして、柔らかさ。
「桜来ちゃん?」
美玲が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。慌てて顔を逸らしたが、自分でも分かるほどに頬が熱い。それを誤魔化すため席を立った。
「ちょ、ちょっと飲み物取ってくる」
「……? 桜来、どうしたんだ?」
「桜来ちゃん、もしかして……」
真夏のコンビニとはオアシスのようなもので、駅から離れていて普段は閑散としているうちのコンビニもどこからか現れた暑さにやられた人々の憩いの場となっていた。
飛ぶように売れる飲み物やアイスをレジで捌きながら、いつもと違う隣のレジをちらりと見た。
「ありがとうございました! またお越しください!」
その女の子は忙しい中でも常に笑顔を絶やさず一人一人のお客さんに対応している。お客さんもその笑顔に力をもらえるのか、あの暑さの中に戻るというのにその顔は晴れやかだ。かく言う私も力を分けてもらっていて、何とか忙しい時間帯を乗り切ることができた。
「明雪さん、すごい大変でしたね」
「うん、そうだね……。でも、神崎さん仕事早くて助かるよ」
「そうですか? えへへ、嬉しいです!」
可愛らしく笑う彼女は神崎遥香さん。私と同時期にアルバイトに入った子で、高校生らしい。多分桜来ちゃんと同い年くらいだろう。
神崎さんが入る時間は主に夕方で私とはあまり被ることが無かったが、今は夏休みで同じ昼の時間に働いている。にこやかで明るくいい子だ。
桜来ちゃんもこのくらい愛想がよければ……と思いつつ、しかしあの警戒心の強い目がたまに緩むところが可愛いところでもある……と、考えてから慌てて思考を振り払う。以前の行いをふまえると本当に洒落にならない。桜来ちゃんは高校生なんだから、距離感に気をつけないといけない。
「明雪さん、あと何かやることあります?」
「じゃあ、外のゴミ回収してもらおうかな」
了解しました! と、明るく手を振る神崎さんの背中を見送り私も自分の仕事である品出しに集中する。
客足も落ち着いてのんびりと仕事をしていると、外から少し大きな声が聞こえてきた。視線を向けると神崎さんが男性と何か話している。神崎さんの表情を見るとあまり良い雰囲気じゃなさそうだ。
「じゃあバイト終わるまで待つから、それでいいだろ!?」
「だからそういうんじゃなくて……。家は、ダメなの」
「何でだよ。お前遊んでても夕方には帰るし、ノリ悪いんだよ」
同級生だろうか。高校生の男の子ともなると大人と背丈もほとんど変わらず少し怖い。それでも勇気を出して近づく。
「あの……何かご用でしょうか?」
こっそり神崎さんに店内に戻るよう伝えその場から逃がす。男の子は大人が出てきたことに怯んだのか、目を逸らして舌打ちをするとその場から去っていった。
――――――
「明雪さん、すみません。ありがとうございました」
バイト終わり、ロッカーで着替えていると神崎さんに頭を下げられた。
「私は全然平気だよ。神崎さんこそ大丈夫? 何かおかしなことに巻き込まれてたり……」
そこまで言って、私はまた無闇に首を突っ込む自分の悪い癖が出たと思った。けど放っておけないとも思ったんだから、これは正しいと言い聞かせる。
が、神崎さんは言葉を濁した。
「あー、まあ。大丈夫です。よくあるんで」
「よくあるって、それ……」
大丈夫じゃないんじゃ、と言おうとしたが神崎さんに話を遮られてしまう。
「ていうか! さっきの明雪さんすっごくかっこよかったです!」
「そ、そんな……私は何もしてないよ」
「いやいや、バッと私の前に立って守ってくれたじゃないですか。とっても素敵でしたよ!」
キラキラ輝く目でそう言われると、何だか満更でもない気がして頬が緩んでしまう。
「そうかな……。そう言われると、ちょっと嬉しいかも」
着替えを終えてコンビニを出た。夏場の夕方でまだ明るいけれど、さっきのこともあって神崎さんを一人で帰すのは少し心配で送っていくことにする。神崎さんは私が送っていくことを少し渋っていたが一応納得してくれた。
「帰りにスーパー寄っていいですか? 夕飯の材料を買いたくて」
「もちろん。私も買いたかったからむしろ助かるよ」
神崎さんのご両親は忙しく、ご飯は神崎さんが用意しているらしい。ますますいい子だなと思う。
「……本当はあんまり人に家を見られるの嫌なんですけど、明雪さんになら、大丈夫です」
そう話しながら到着した神崎さんの家は私の住んでいる家とも近い場所にあった。割と築年数が経っていそうなアパートで、オートロックも付いていない。話し声が聞こえたのか人の気配を感じたのか、一部屋から小さい子どもが二人出てきた。こちらは永愛ちゃんと同い年くらいだろうか。出てきた男の子と女の子は神崎さんのほうに駆け寄ってきた。
「ねえちゃん、おかえり!」
「陽斗、遥輝。ただいま。明雪さん、私の弟と妹です」
神崎さんが挨拶を促すと、二人はぺこりと頭を下げた。その頭を神崎さんが撫でる。微笑ましい光景に頬が緩んだ。
「仲良いんだね。私もお姉ちゃんいるけどこんなに仲良くはなかったかな」
大抵私が振り回されて後始末をして、姉はいつの間にかどこかに行ってしまっていた印象がある。
「そうなんですか。私も兄がいるんですけど、今は夜までバイトしてるんです」
「じゃあ四人きょうだいなんだ。私の知り合いにも神崎さんたちと同じくらいの姉妹がいるんだけど、その子たちも仲良しで見てると癒されるんだ」
まあ、姉のほうにはバッチリ警戒されてしまっているんだけど。
「明雪さんがそう言うなら、とっても素敵な人なんでしょうね」
「……そろそろバイトだ。じゃあ、またな」
亜衣が時計を見てそう言った。外は日が傾き始めている。そのまま解散になると思い席を立とうとすると、何故か美怜に引き止められた。
「え、どうしたの? 亜衣、行っちゃったけど」
「桜来ちゃん、もうちょっとだけいい?」
不思議に思いつつも断る理由も無いので了承し、しばらく美怜と話すことにする。少し時間が経つと店員さんが近づいてきた。さすがに長居しすぎたかと思い店員の顔を見ると、何とそれまで一緒にいた亜衣がファミレスの制服に身を包んで立っていた。
「あ、亜衣!?」
「お客様、店内ではお静かに」
「え、あ、すみません……?」
思わずかしこまっていると、亜衣が堪らず吹き出した。美怜もつられて笑っている。
「悪い。騙すつもりはなかったんだが、ちょっとしたサプライズでな」
「びっくりした……。亜衣がバイトしてるのってここだったんだ」
見慣れない格好の亜衣は新鮮だった。そのまま亜衣に会計をしてもらい美怜とファミレスを出た。
「バイトか……」
私が呟くと、美怜が反応した。
「桜来ちゃん、バイトしたいの?」
「えっ。いや、まあ……。いつまでも永野さんに甘えてばっかりなのもよくないかなって」
「私もやってみたいんだけど、お父さんにまだ早いって言われちゃって」
そう言って美怜はため息をついた。永野さんはどうだろう。私がバイトをしたいと言ったら許すだろうか。そう考えて、別に許可なんて貰う必要は無いような気がした。けれど何故か永野さんには言わなくちゃいけないような気もする。
考えながら歩いていると、隣を歩いていた美怜の足が止まった。
「……美怜?」
美怜は驚いた表情で前を見ている。美怜の視線を追うと、明雪さんの姿が見えた。誰かと話している。その子の周りを小さい男の子と女の子が走り回っていた。
「あ、桜来ちゃん、美怜ちゃん」
明雪さんが私たちに気づいた。一緒に話していた人も振り返ってこちらを見る。その顔を見て、私も美怜と同じ顔になった。
「か、神崎遥香……!?」
以前、私と教室の前でぶつかって嫌な態度をとってきた神崎遥香だ。それが何故、明雪さんと親しげに話しているのだろうか。
「げっ……。あ、天崎さんまで……」
神崎遥香は私たちを見ると眉をしかめ、慌てた様子で明雪さんに向き直った。
「す、すみません明雪さん。私はこれで。ほら、陽斗、遥輝。帰るよ」
そのまま素早くアパートの中に入っていき、私たちは取り残された。明雪さんだけがきょとんとしている。
「二人とも……神崎さんと知り合いなの?」
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