夢の中へ

 丸い鍋の中で人参、玉ねぎ、じゃがいも、豚肉がぐつぐつと煮えて味が染み込んでいく。それを眺めながら私は先日のことを思い出していた。桜来ちゃんとはあれ以来話せてない。

 意識が遠のいていくような感覚が、インターホンの音で引き戻された。ドアを開けると葉月さんが立っていた。

「綾乃ちゃん、調子は……って、まさか寝てなかったのか?」

「もう、大丈夫ですから」

 あの日、雨に打たれたのが原因で私は風邪をひいていた。それもあって桜来ちゃんと会えてなかったのだ。しかし桜来ちゃんたちのご飯の面倒を見る条件で住まわせてもらっている以上、いつまでも休んでいる訳にはいかない。

「まだ熱あるだろ……! 休んでなって」

「だ、大丈夫ですって……。わ、っとと」

 少しふらついてしまい、葉月さんに支えられる。

「ほら、まだ調子悪いじゃないか」

「いえ、全然……。桜来ちゃんたちのご飯、作ってあげないと……」

「それは私が何とかするから、綾乃ちゃんは休んでろ」

「でも……!」

「……今は、そっとしておいてやってくれ」

 そう言った葉月さんの表情は苦しげで、私は無力感に苛まれた。

「私……迷惑ですかね」

「そんなことない。また元気になったら面倒見てやってくれ」

「でも、私、桜来ちゃんに嫌われちゃってますよ」

「いや、桜来は……!」

 葉月さんは一瞬言葉に詰まって、少し考えてから何か言い直した。

「……綾乃ちゃんのこと、信じたいと思ってるはずだ」

 葉月さんのその言葉を信じられる自信が、私には無かった。

「そう、ですかね……」

 葉月さんと別れ、言われた通りベッドで休もうとしたが目を閉じるとあの日の桜来ちゃんの顔が瞼に浮かんでくる。

『あ……。ご、ごめんなさい……ごめんなさい……』

 あのときの桜来ちゃんは、私に怯えていたというより何かトラウマを刺激されたような反応だった。それが両親がいないことと何か関係あるのだろうか。

 考えていると、私自身の記憶も刺激されてしまった。踏み込みすぎたらあのときと同じように無責任に傷つけてしまうかもしれない。もう「いい人」である必要はないのに、ここに来てからもその癖は抜けない。

 いや、今は演じてるというより心から助けになりたいと思っている。その理由は、きっと……

 少し眠りかけていると、携帯電話の音で意識が引き戻された。ベッドから起き上がり携帯の画面を見ると、意外な人物の名前が表示されていた。



「桜来、もうすぐ夏休みなのに浮かない顔だな」

 放課後、帰り支度をしていると亜衣が私の顔を覗き込んできた。たしかにあの日以降、私の気分は曇っている。

「そんなこと、ないよ」

 明雪さんは今まで関わってきた大人たちとは違う。永愛もあんなに懐いている。それは分かってるのにどうしても本心から信用できず近づかれると突き放そうとしてしまう。

「……桜来?」

 ぼーっとしてしまい、亜衣に肩を叩かれ我に返った。

「ご、ごめん。帰ろっか」

 美怜を迎えに教室を出ようとするとちょうど廊下を歩いていた人とぶつかってしまった。

「わっ」

「いたっ……きゃっ!」

 ぶつかった女子生徒はわざとらしく大きく倒れ、尻もちをついた。

「桜来、大丈夫か?」

「う、うん。私は大丈夫だけど……」

 実際、それほど強くぶつかってはいない。けれど目の前の女子生徒は未だ起き上がらず床に座り込んだままだ。

「いたぁーい! びっくりしちゃった……」

 やたら耳に響く高い声で被害を訴えてくる。さすがに不憫に思えて、手を貸してやることにする。

「あの、大丈……」

「何、どうした?」

 騒ぎを聞きつけたのか、隣の教室から男子生徒が出てきた。

「この人が遥香にぶつかってきたの〜!」

 その言葉を聞いた男子生徒は私を睨んだ。敵意に満ちた目。暴力を行使しようとする目だ。

「ねぇ、立たせて〜」

 遥香と名乗った女子生徒は男子生徒の手を借りて立ち上がると、私を馬鹿にするように横目で嘲笑していた。

「おい、お前。ぶつかっといて謝罪もねえのかよ」

「えっ……」

 男子生徒の鋭い目が私を写している。その目が記憶と重なり、痛みが、恐怖が蘇る。

 この目は、人間に向ける目じゃない。

『お前らみたいな捨てられた奴らにはな、何の価値もないんだよ』

 やめて。わたしにも、私にも……

「さっきのはそっちも不注意だった。そちらも謝るべきじゃないか?」

 呼吸が浅くなっていたのが、私の前に立った亜衣の言葉で戻ってくる。

「……ちっ。うぜえ」

 亜衣と男子生徒はしばらく睨み合っていたが、男子生徒のほうが折れ背を向け歩き去った。去り際、女子生徒は振り向いて私たちに舌を出し睨んでいった。

「あ、亜衣ちゃん、桜来ちゃん。大丈夫……?」

 隣の教室から美怜がこそこそと出てきた。先程の生徒たちと美怜は同じクラスらしい。

「ああ、私は大丈夫だ。桜来は……」

――――――

 永愛を迎えに小学校に向かう。夏が近づき空は綺麗な青に染まっていたが、私はその青から目を背けるように俯いて歩いていた。

「……いつまでそうしてるんだ。桜来」

 それまで隣を歩いていた亜衣がいつの間にか後ろに回り込んでいて、私の肩を掴み無理やり背筋を伸ばされた。急に視界に現れた太陽に目が眩んだ。

「び、びっくりした……」

 驚いて振り返ると、亜衣が優しく微笑んでいる。

「あんな奴のことは気にするな。私たちは桜来の味方だ」

 亜衣の隣では美怜も首を縦に振っている。これ以上ないくらい頼もしい友達だ。思わず目頭が熱くなってしまったのを隠したくて、私は足早に前を歩いた。

「しかし、あの遥香という女子はどういう人なんだ?」

 亜衣が聞くと、美怜は少し困ったような顔をした。

「えっと……あんまり女の子たちからはよく思われてないみたい、かな」

「いじめられているのか?」

「そ、そういうのじゃないよ。神崎さん、神崎遥香さんっていうんだけど……いつも男の子たちといて女の子には冷たいんだよね」

 ということは、あの男子だけが特別なのではなく美怜のクラスの男子はほとんどがあの神崎遥香の味方ということか。しかしわざわざ女子に冷たくする理由が分からない。

「何か先入観を持っているのかもな。それだけであそこまで露骨に態度に出すのはどうかと思うが」

 先入観。亜衣のその言葉が引っかかった。私も、同じじゃないか? 大人というだけで先入観を持って、明雪さんのことをちゃんと見てないんじゃないか? 大人を信用するんじゃなく、目の前の明雪さんのことをちゃんと見るべきなんじゃ……

「桜来、どうした? 着いたぞ」

「あ、うん」

 いつも通り校門を抜け学童の先生に挨拶をしに行くと、先生は私の顔を見るなり困った様子で話しかけてきた。

「丁度よかった。桜来ちゃん、ちょっと……」

「何かあったんですか?」

「それが……とりあえず、来てもらえる?」

 まさか永愛が怪我でもしたのだろうかと思ったが、そういうことではないらしい。教室に入ると永愛が駆け寄ってきた。しかしその顔はどこか不安げだ。

「皐月ちゃんが一緒に遊びたかったみたいなんだけど、永愛ちゃんは塗り絵に夢中で気づかなくて……皐月ちゃんのこと怒らせちゃったらしいのよ」

 教室の端を見ると、たしかに皐月が一人で黙々と本を読んでいた。永愛の手にはくしゃくしゃになった塗り絵が握りしめられていて、その顔はどうしたらいいか分からないという様子だ。

「永愛……」

 とにかく不安を和らげてやろうと屈んで抱きしめるが、私もどうしてあげればいいか分からない。けど、せっかく永愛にできた友達だ。出来れば仲良くしていてほしい。

 永愛の表情がどんどん曇っていき、私もかける言葉を見失っていると美怜が私の隣に屈んで永愛と目を合わせた。

「永愛ちゃん。私も一緒に行くから、皐月ちゃんに謝れる?」

 美怜が優しい声色でそう言うと、永愛は不安そうに私を見た。永愛も怖いんだ。

「……大丈夫。行ってきな」

 美怜と手を繋ぎ皐月のもとに向かう永愛の背中に、私は答えを見つけた気がした。

――――――

「明雪さんには、謝れそうか?」

 無事に仲直りして美怜と皐月と遊ぶ永愛を眺めていると、亜衣が私の心を見透かしたようなことを言った。

「なっ、何で……!?」

「やっぱりか。この間の観劇以来、桜来の様子が変だったしお弁当も持ってこなくなっていただろう? だとしたら明雪さん関連だろうなと思ったんだ」

 バレていたのか。その上で深く聞いてこなかったのは亜衣の優しさか。

「……謝るのが、怖いんだ」

 少し声が震えてしまう。人に話すのは初めてだ。

「今まで、謝っても許してもらえることなんて無かった。けど、謝るしか、永愛を守る方法が無かったから……ずっとそうしてた。だから、一度間違えたらもう終わりなんだって思ってたんだけど、謝ったら、明雪さんは許してくれる、かな?」

 自分で言ってて、支離滅裂だと思う。抽象的で、何が言いたいのか伝わらないだろう。けど、亜衣は黙って聞いてくれて、私の頭を掴んで抱き寄せてきた。

「大丈夫だよ。桜来が間違えても、私たちは桜来の味方だ」

 亜衣のさらさらとした髪が頬に触れてくすぐったい。その手の温もりはとても優しく、安心した。

「何なら、私も一緒に行こうか?」

「い、いいよ。別に、大丈夫」

 亜衣と顔を見合わせ笑っていると、永愛たちがこっちに来て私に先程まで書いていた絵を見せてきた。そこには黒く長い髪の女性がフライパンを持っている姿が描かれている。

「これ……」

「あやの!」

 得意げに絵を掲げる永愛の頭を撫で、決心した。綾乃さんに謝って、ちゃんと話そう。大人としてじゃなく、一人の人間として、向き合おう。



「ごめん、お待たせ!」

 軽快なベルの音と共にドアが開き、スーツを綺麗に着こなした女性がレストランに入ってきた。

 最後に会ったときは目の下にはクマができて疲れきっている表情だったが、今目の前にいる彼女はバリバリのキャリアウーマンといった様子だ。……この表現はもしかしたら古いかもしれないが。

「ううん。そんな遅れてないし、大丈夫だよ」

「そう? ありがとう。綾乃、元気そうでよかった」

 彼女の名前は深田紫帆。私が以前勤めていた会社の同僚であり、私が仕事を辞めるきっかけになった人でもある。

「じゃあマルゲリータと……これに合うワインってどれですか?」

 紫帆は手際よく注文を進めていく。流れでスルーしてしまったが、ワインを注文していたことに少し動揺する。

「え、ワインとか飲むんだ?」

「最近ちょっとね。綾乃も飲むでしょ?」

 そう言われると断りづらい。元々、お酒はあまり好きではない、というか飲み会特有の雰囲気にあまり馴染めずそれによってお酒そのものにも苦手意識があった。けど、こういう場でなら大丈夫だろう。

 ワインが運ばれてきて、二人でグラスを合わせ一口飲む。久しぶりのアルコールが脳に響く感覚がしたが、思いのほか嫌ではない。

「それで、何とかあのクソ上司を追い出せたのよ」

 杯が進み、顔を赤くした紫帆が少し呂律の怪しい口調で事の次第を話してくれた。

 私たちが新卒で入社した頃、会社には親会社から出向してきた上司の問題行動が多発していた。親会社で問題を起こしたらしいその元上司は私たちや周りの社員に八つ当たりをするのはもちろん、自分の業績を回復させたいが為に無茶な仕事を持ってきては社員たちに法外な労働を強いていた。何より質が悪かったのが、他の社員のルール違反や自分への陰口を報告するとそれを成果として仕事を減らすなどの報酬を与えていたことだ。初めはそんなことを報告することなどしない。皆で助け合って仕事をしようという空気だったが、誰か一人が抜け駆けをした。いや、あるいは何か賄賂で動かされたのかもしれない。するとそれまでの仲間意識は瞬く間に崩れ、社内は常に緊張感が漂う空間になった。

「あのときは本当にごめん。綾乃だけは最後まで皆のこと信じてたのに……」

「ううん。紫帆も、皆も大変だったんだから、気にしないで」

 信じていた、というのは少し違う。私は紫帆や他の社員を疑うのが怖かっただけだ。そしてそれは、信じることからも逃げていたということだ。聞こえのいい言葉を並べて自分を守っていただけだ。

 そして、それは今も変わらない。桜来ちゃんと永愛ちゃんと、もっと仲良くなりたい、二人のことをもっと知りたいのに、私は上辺だけ心配したようなことを言って、踏み込むことを避けている。所詮、自分なんかには何も出来ないと思って、気遣っているふりをしている。でも、それじゃダメなんだ。本当に助けたいなら、力になりたいなら、傷ついても踏み込まなくては。

「ていうか、綾乃もうちの会社戻ったら? 今コンビニでバイトしてるんだっけ、それじゃ将来やばいだろうし」

 気づくと、私はなみなみに注がれたワイングラスを紫帆の頭の上から傾けていた。私があまりに堂々としていたせいか、紫帆を含め周囲は何が起きたか理解できていないようだ。かなり遅れて、紫帆が騒ぎ始めた。

「……は!? な、何すんの!?」

「心配してくれてありがとう、紫帆。でも私は今の生活のほうがよっぽど幸せなの」

 慌てておしぼりで全身を拭く紫帆は私の話を聞いているのか分からなかったが、構わず話し続ける。

「あの上司のこと嫌いだったけど、それに流された皆のことも嫌いだったよ。お金、置いてくね」

 状況が理解できてきたのか、紫帆が何か叫んでいるが私は無視して店を出た。

 出て、しばらく歩いて、立ち止まり、蹲る。

「や、やってしまった……」

 お酒の勢い? いや、紛れもなく本心だ。その証拠に、心の中は後悔より達成感が勝っている。しかしお店にも迷惑だったしもっと大人らしい解決策があったはずなのに……。

 今からでも戻ってお店の人に謝るべきか、しかし紫帆にまた会ったら何をされるか……。なんてことを考えながらぐるぐるしていると、聞いたことのある声が聞こえた。

「あれ、綾乃さん?」

「か、香里ちゃん!」



「綾乃ちゃんなら、昔の知り合いとご飯食べて来るって出てったぞ」

 気合いを入れて、さあ話すぞと帰宅すると明雪さんは不在だと永野さんから告げられた。さっきまでの気合いを返してほしい。

「……綾乃ちゃんと話す気になったか?」

 永野さんが見透かしたようなことを言うので、つい反射で誤魔化してしまう。

「べ、別に、なんでもないです」

「ふうん。綾乃ちゃん、ご飯は作り置きしといてくれたみたいだぞ」

 永野さんがそういうと永愛は嬉しそうに駆け回った。

「ほら、永愛。そんな焦らなくてもご飯は逃げないぞ。……桜来は食べないのか?」

「た、食べますけど」

――――――

 結局、そのまま明雪さんは帰ってこないまま寝る時間になってしまった。永愛を寝かしつけて自分もベッドに入るが、頭の中を思考が渦巻いていて寝付けない。明雪さんにぶつけるはずだった言葉が私の中に残っている。

 真っ暗な部屋で考え事をしていると、どうしても嫌な方に思考が進んでしまう。永愛と二人きり、この世界のどこにも、私たちの居場所が無いんじゃないかと思っていたあの頃と同じように。

 もしかしたら、明雪さんは私に見切りをつけてここを出ようとしているんじゃないか。あんな態度をとってしまったんだから、その可能性は大いにある。そもそも、昔の知り合いって誰なんだろうか。ここに来る以前の明雪さんのことを、私は何も知らない。どんな学生で、どんな仕事をしていたのか。そこでの人間関係も、何も知らない。もしかしたら、付き合っている人と会っているのかもしれない。そしてその人と暮らすため、ここから出ていく……。

 そんな想像をしていると、外から話し声が聞こえた。遠くて聞き取れないが、永野さんと高梨さん、そして、明雪さんの声だ。

 気づくと、私は家を飛び出していた。夏の夜のジメジメした空気の中、高梨さんに担がれた明雪さんがそこにいた。

「あっ、桜来。今は出てきちゃ……!」

 永野さんが私に気づいて焦った顔をしたが、すぐに飛びついてきた明雪さんで視界は覆われた。よろめきながら、何とか明雪さんを支える。容赦なく全体重をかけてくる明雪さんの身体はやたら熱く、変な匂いもする。お酒だろうか。

「さくらちゃん……うう、ごめんね……」

 飛びついてきたかと思うと、明雪さんは突然泣き出した。しかも結構しっかり大号泣だ。大人がこんなに泣いてるのを見たのは初めてで、驚く。

「いや、え……?」

 明雪さんは抱きつくというよりもはや私を倒そうとする勢いで体重をかけてきて、私はただひたすら支えることに注力した。そうでないと、他のことに意識を向けたらおかしくなりそうだった。お酒の匂いに混ざって微かに香る、明雪さん自身の匂いや、全身に感じる柔らかさとか、そういうものを意識から必死に遠ざけた。

「おい、綾乃ちゃん。やめろって」

 後ろから来た永野さんに引き剥がされ、ようやく明雪さんと離れられた。高梨さんはいつの間にか部屋に戻ったらしい。

「うう、ごめんなさい……。わたし、さくらちゃんととあちゃんのこと、だいすきなの……だから、離れたくない……」

 尚も子どものように泣きじゃくる明雪さんはとても私が恐れていた「大人」の姿とはかけ離れていた。いや、初めから違ったはずなんだ。私が見ようとしなかっただけで。

「……すまん、桜来。大人はたまにこうなることがあるんだ」

 永野さんが気まずそうに謝り、明雪さんを引きずる。

「ああ……さくらちゃん、行かないで……」

「うるさい! 早く寝ろ!」

 部屋に放り投げられていく明雪さんを見送り、私も自分の部屋に戻った。思っていた形にはならなかったけれど、思っていたのと違う感情が胸の中を支配していた。



 やたらと眩しい日光で目が覚めた。酷く頭が痛い。服も昨日のまま……意識と共に記憶が徐々に蘇る。携帯を見ると、紫帆からとんでもない量のメッセージが届いている。それを削除し、連絡先をブロックした。これでよし……よし。何も無かった。

 それより、問題はその後だ。香里ちゃんに会ったのは覚えている。そしてやたらと飲んだ。ひたすらに飲んで、桜来ちゃんへの懺悔をして……夢で桜来ちゃんに謝った気がするが、感触がリアルだった気もする。夢なんだけど。絶対。違ったらまずい。

「……あ、お、おはよう」

 玄関を開けると、ちょうど桜来ちゃんたちが学校に行こうとするところだった。私を見ると桜来ちゃんはさっと目を逸らした。これは……どっちだ?

「えっと……そうだ、お弁当って大丈夫?」

「……永野さんから、預かってます」

 目が合わない。距離も取られてる気がする。やっぱりまだ解決できてない……し、昨日のあれは夢だったんだ。

「あ、あの。桜来ちゃん」

 私が近づこうとすると、桜来ちゃんはばっと手を出して私を制した。

「……それ以上、近づかないでください」

 あのときの記憶が蘇る。どうしよう。やっぱり私には、何もできないのだろうか。

 いや、できるかどうかじゃない。そう決めたじゃないか。昨日の決意を思い出し、足を踏み出す。今度は、私も逃げない。

「いや、あの! ほんとに、やめてください」

 桜来ちゃんが今度は両手で私を拒む。それでも踏み込もうとしたが、どうも桜来ちゃんの様子がおかしい。永愛ちゃんが不思議そうな顔をして私たちの間に立っている。

 桜来ちゃんをよく見ると、あのときと違い拒絶というより恥ずかしそうな……顔も何やら赤い。まさか、昨晩のあれは。

「……もしかして、夢じゃない?」

 私の呟きに対する桜来ちゃんの沈黙が全てを物語っていて、いつの間にか出てきていた葉月さんに肩を叩かれたことで確信に変わった。

「……綾乃ちゃん。しばらくは禁酒だな」

「え、ええ!? ほんとに!? うわ、ごめん、桜来ちゃん!」

 私が近づこうとした気配を察したのか、桜来ちゃんは永愛ちゃんの手を取って走り出してしまった。やってしまったと後悔していると、遠くで桜来ちゃんが振り返った。

「一応、それとこれとは別なので……謝っておきます。失礼な態度とって、ごめんなさい!」

 それだけ言うと、桜来ちゃんは行ってしまった。

「……とりあえず、結果オーライですかね?」

 葉月さんは苦笑いするだけで、答えてはくれなかった。

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