絶対絶命 その1
「うわぁー!」
トスン。
アルスの叫び声と共に、華麗に地に降り立つエバン。
はぁ、はぁ……何ともない。
アルスは自身の手足を交互に見て、何処にも損傷がない事を確認し、ホッと息を吐く。
前世では、あの高さから飛び降りるのは骨折の一つは覚悟が必要だったけど、今は前世の常識が通用しない世界。武力が高い者ほど身体能力は向上していき、化け物じみた能力を発揮していく事になるからだ。
そう言えばエバンも化け物の領域へと片足を突っ込んでいたんだった。
……そうだ! あの人たちはどうなった?
アルスは一階に降り立った目的を思い出し、襲撃者たちがいる方向へと振り向く。
「あ……」
するとそこには、剣を自由自在に操り、襲撃者を一人一人撃破していくエバンの姿があった。
「……」
アルスの視界に映る人物は既に見知った者ではなくなっており、ただ淡々と襲撃者の息の根を止めていく殺戮マシーンと化していた。
相手の隙間を縫うように通り、脇を過ぎ去る瞬間に剣で一太刀。ある程度の実力者がいたのか、一撃では終わらずとも、2撃目、3撃目と手を止めず、相手を血で染め上げる。
初めて見る姿。
それが仕方ない事だと知っていても、目の前で人が死ぬという事に対して足がすくんでしまう。
そんなアルスは呆然とその光景を眺め、その戦闘が終わるのをじっと待つ。
「ふぅ。あ、アルス様! 終わりました!」
実に鮮やかな幕引き。
最後の一人となった襲撃者の首筋を一振りで切り割き、地に伏せるのを細目で確認したエバンは、どこからともなく布の端切れを取り出し、自身の愛剣を拭く。そして、鞘にしまうと、すぐにアルスへと振り向き、パァッ! っと花を咲かせたような笑みを浮かべ、近寄ってくる。
「あ、あぁ。お疲れ様……」
歯切れの悪い返事。
アルスの表情を目の当たりにしたエバンは足を止める。
「……アルス様?」
そこには怯えた目をするアルスがいた。
まるで、悲惨な殺人現場に居合わせた子どものように……まるで現実を受け止めきれていない。
その事にいち早く気がついたエバンは自分事のように苦しい顔をし、アルスへと近寄る。
俺は覚悟していなかった……。目の前で人が死ぬという意味を。
俺は分かっていなかった……。これから進もうとしている道を。
俺は甘かった……。ここはゲームなどではない。簡単に命が散っていく世界……つまり、現実なのだと。
アルスは徐々にこの世界の本質を理解していく。
ハハッ。そう考えたら足が震えてきた……。
怖い……怖いな。
アルス視界がぼやけ、呼吸が荒くなる。
もし、あの刃が俺に向かってきたら?
もし、何処からか狙われていて、想像を絶する痛みを今から味わうんだとしたら……
もし……を考えるだけでも、恐怖が体を支配し、その場から動けなくなる。
ど、どうすれば……そ、そうだ! 早くここから脱出を……
もはや冷静な判断が出来ず、軽くパニックに陥るアルス。
そして、目的なく歩き始めようとしたその時。
「アルス様!」
っ!
エバンがアルスに抱き着く。
「まずは冷静に……軽く深呼吸を挟んで私の顔を見てください。分かりますか?」
そしてアルスの肩を掴み、顔を見る。
全体は飲み込めていなくとも、断片的に言われたことは分かるのか、数度深呼吸を繰り返し、エバンの顔を見る。
怯え……それに震えている……無理もない。
今考えればアルス様はこれが初めての人の死だったはずだ。それを私は考えも無しに突撃し、無駄に怯えさせてしまった……
何たる醜態……アルス様の従者としてとても自分が情けなく感じる。
ここを脱出したらいくらでも怒って頂いても構わない。
……一生顔を見たくないと言われてもその時は潔く認め、アルス様のもとから去ろう。
だが……
今だけは……この危険な場所から避難するまではどうにかいつものアルス様のままでいてほしい……
そうしないとこの場から無事に脱出する事は難しくなるだろうから。
エバンは己に怒り、主人に正気に戻って欲しいという願いを目に込める。
暖かいモノを感じる。
……とても懐かしい何かを。
アルスは虚ろな目に光が戻る。
……ここは?
周囲は荒れ果て、目の前には絶大な信頼を寄せる従者の姿。
「……エバンか?」
「はい! そうです! エバンです!」
「そうか……俺は?」
「先ほどまで……その……」
返答に困るエバン。
「あぁ、思い出した。すまない。心配をかけたな」
するとアルスは徐々に状況を思い出し、労るように声をかける。
思い出した……
内心、覚悟できていたはずの人間の死というモノを目の前で見ただけでここまで動揺してしまうとは……
ゲームとはかけ離れた感覚。
前世だったら画面越しからその光景を眺めるだけで何も感じることはなかった。しかし、今は目で見て、体で現場を感じ、鼻で匂いを確かめることのできるリアルな世界。何もかもがゲームの時とは違う。
くそっ。すでにゲーム的な考えを捨てきったはずだったのにな……
アルスに覚悟が芽生える。
今ここで適応しろ!
俺が進むと決めたこの道は何千、何万もの人の命がのしかかってくる事になる。こんな場所で落ち込んでいたらこの先、進んでいくことは不可能。
そしてアルスは決意する。
今後、目の前で人が死ぬ事になっても皆に心配かけるような醜態を見せないと……
「よし……」
また一つ、殻を破る事に成功したアルス。
冷静さが戻り、いつもの思考力が帰ってきた事を感じ取りつつ、次の行動へとつなげる為、一手を打つ。
「エバン。状況報告を」
「はい。敵5名を撃破。また、味方とみられる兵は全員、息をしていないとみられます」
「そうか……」
やはり遅かったか。
この状況に気づいたときにはすでに半数の兵が倒れ込み、動きを止めていた。
アルスは戦闘があった場所まで歩いていき、味方一人一人に軽く手を合わせていく。
「遅れてすまなかった……」
この言葉を聞く者達は既にいない。
「お前たちが守ろうとした命。アルザニクス家次期当主。アルス・ゼン・アルザニクスが命を持って守り切ると誓おう」
そして、戦士として散っていった者達の前で右手を心の臓の位置へとあて、役目を引く次ぐ。
兵たちが守っていたこの場所……
アルスは後ろへと振り向く。
一見、何もないかのように見えるが、ここにとっておきの隠れるスポットがある。
兵たちが背を向け、必死に守っていた場所。ドレープカーテンをめくったこの先。
アルスは分厚いカーテンを両手でめくり上げるとそこには……
「い、命だけは……助けてください……」
「あ、貴方様は……」
身を丸める様に体育座りで隠れる……
「キルク・ハーゼム・リングリープ様ですか?」
王位継承権第3位。キルク・ハーゼム・リングリープがいたのだった。
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