隣の部屋のお姉さんが何かおかしい。
遠野紫
隣の部屋のお姉さんが何かおかしい。
春からの大学生活のために、
ピンポーン
来客を示すチャイムが鳴る。時間は夜の8時過ぎ。こんな時間に人が訪れることに疑問を抱きつつ、弘人は玄関へと向かう。
「どなたですか?」
「隣に住んでいる天童です。少しよろしいですか?」
弘人が扉についている覗き穴から外を確認すると、隣の部屋に住んでいる弘人よりも少し年上の女性である
弘人は鍵を開け、扉を開く。
「すみませんこんな時間に」
「いえいえ、それで俺に何か用ですか?」
「はい。実は……」
紬は持っていた鍋を差し出した。
(これは……まさかアレか!?)
弘人の脳内に溢れ出る記憶。隣に住んでいる一人暮らしの女性が、作りすぎてしまった肉じゃがやシチューを分けてくれるという良くあるアレ。
(本当にあるとは……!)
こんなことがまさか本当に起こるとは思っていなかった弘人にとって、今の状況は驚く他無かった。
「つい作り過ぎてしまって。貰ってくれませんか……白米」
「……ん?」
紬は差し出した鍋の蓋を開ける。そこには白米が敷き詰められていた。
「白米……?」
目の前で起こっていることに理解が追いつかない弘人は混乱する。この状況では鍋の中身はおかずが普通では無いのかと、想定していた状況と現実との乖離に危うく背景が宇宙になりかけていた。
「はい、白米です。私、ご飯が大好きなんです。でも今日は少し作りすぎてしまって……」
「はい……はい?」
そうして紬は弘人に鍋を渡し、帰っていった。
「こういうので白米貰うってどういうことだ……? ……というかめちゃくちゃ美味い」
自らご飯好きだと言うだけあって、適量の水で適切な時間炊かれていたその白米はとても美味なのだった。
そして数日が経ったある日、またもやチャイムが鳴った。
「すみません、良かったら貰ってくれませんか?」
白米の時と同じ鍋を持った紬が、弘人の部屋へやって来たのだった。また白米なのでは無いかと弘人は身構える。
「思ったよりも量が多くて。貰ってくれませんか……イースト菌」
「……????」
紬の口から出たのは、弘人には聞き馴染みの無い単語だった。パンを作る時に発酵させるために使うイースト菌。それを紬は持ってきていた。
「最近パン作りに目覚めてしまいまして。調子に乗ってたくさん材料を集めたら、イースト菌だけいっぱい余っちゃったんです」
紬はイースト菌の入った鍋を弘人に渡して帰っていく。今回ばかりは目の前で起こったことに対して、弘人の思考は追いつかなかったようだ。そのまま玄関でしばらくの間立ち尽くしていた。
週末、弘人は貰ったイースト菌でパンを作った。
「硬ってぇ!? なんだこれ食いもんの硬さじゃねえぞ」
弘人が初めて作ったパンは分量を間違えたのかとてもパンと呼べるものでは無かった。どこのご家庭にもある硬度測定器で硬さを測った結果、その硬さは金属に匹敵するのだった。それはパンと呼ぶにはあまりにも硬すぎた。
それからまた数日後、チャイムが鳴った。
「すみませんこんな時間に」
「なんでしょぅお!?」
扉を開けた瞬間、弘人の視線は一点に集中される。紬が持っていたのは見慣れた鍋では無く、ごっつい兜だったのだ。しかし弘人が驚いたのは紬が兜を持っているという事だけでは無かった。棘のような装飾が施されたその兜に、見覚えがあったからだ。
「それってハンティングライフに出てくるローズヘルムですよね?」
「そうなんです。作ったのは良いんですけど頭のサイズが合わなくて……貰ってくれませんか?」
「ええ……うごっ」
弘人は紬に強引に兜をかぶせられる。
「ふふ、似合ってます」
「そうですか……?」
ラフなTシャツにごつい兜を被っているという異質な姿の青年が、そこにはいた。はたから見れば不審者でしかない。少なくとも弘人にとってこんなことはそうたくさん経験したいものでは無かった。
だが、異質な貰い物はこれだけでは終わらない。何と弘人は全身分の装備を貰ったのだ。むしろなぜここまでサイズの合わないものを作ってしまうのか。弘人は疑問に思うのであった。
ローズ装備を貰ってから数週間が経ち、弘人が油断していた時にチャイムは鳴った。
「すみません、これ貰ってくれませんか?」
「これは……! ってあれ……?」
弘人の部屋にやって来た紬が持っていたのは肉じゃが……の食品サンプルだった。
「作りすぎてしまって」
「食品サンプルを作りすぎるってどういう状況ですか!?」
弘人が当然の疑問を投げかけるものの、それを無視して紬は弘人に肉じゃがの食品サンプルを手渡す。
「……クオリティ高いですね」
「ありがとうございます。肉じゃが大好きなので、上手に作れた時はすっごく嬉しかったんですよ」
常に柔らかい笑みを浮かべている紬は、弘人に褒められ普段以上に表情を緩ませる。その様子に弘人は言葉を失うのだった。
(紬さん、変わってはいるんだけどすごく美人さんだよな……。変わってはいるけど)
今まで女経験の無かった弘人は、紬と関わるうちに彼女に対して好意を抱いていた。しかし何分変わり者だと言うこともあり、その心の内を本人にぶつけることは出来なかったのだ。
「それでは私はこれで」
紬は自分の部屋へと帰っていった。
そしてまた数日後、チャイムが鳴る。
「今度はなんです?」
「今日はこれを」
紬はそう言ってメモを差し出す。
「これは?」
「世界を作りすぎてしまって……半分貰ってくれませんか?」
「世界……?」
「仮想空間に世界を作ったんですけど、ちょっと作りすぎて管理できなくなっちゃいまして」
「どういうことですか!?」
「ふふ、世界の半分を分けるなんて魔王みたいですね♪」
「紬さん?」
自分の行動に勝手にツボる紬に、弘人はもはや付いて行けなかった。
紬が帰った後、弘人はメモに書かれたURLにアクセスした。そこはとある仮想現実サービスであり、管理用アカウントを示す表示が成されていたのだった。
「何者なんだ紬さん……」
そうして数日後、またもやチャイムが鳴った。もはや当然のことのように弘人は玄関へと向かう。
「すみませんこんな時間に」
「いえいえ。それで今日は何の用なんですか?」
「ええっと……」
紬はそこで口ごもる。
「紬さん?」
「きょ、今日は……私を貰ってくれませんか……?」
紬は顔を紅潮させモジモジしながらそう言い放った。
「……うん?」
聞き間違いかと思う弘人だったが、紬のただならぬ様子にそれが聞き間違いで無いことを理解する。
「え、それって……」
「だって弘人さん、これだけアプローチしても私自身に全く興味を示してくれないから……」
「アプローチ……だったんですか」
今までの彼女の行動を振り返る弘人。しかしどこを思い返しても変わり者なんだなという感情しか浮かび上がってこない。だがそれはそれとして、弘人が紬に対して好意を抱いていたのは事実だった。
「ただの隣同士ですけど、一目見た時から弘人さんの事が気になっていて……だから少しでも振り向いてもらえないかと色々と試行錯誤していたんです」
「なるほど今までのアレはそういう……。でもまさか紬さんがそんなことを思っていただなんて。その、俺も紬さんのこと……美人さんだなって。話している内に、変わり者だけど良い人なんだなって……思ってました。だから……」
弘人は紬の手を握り、目を合わせる。
「俺で良ければ、是非」
「ありがとうございます……! これからもよっよろしくお願いしますねっ」
自分の意思を伝え終えた弘人と紬の二人は、頬を赤らめながらしばらくの間立ち尽くす。
「そ、それじゃ今日は遅いですし帰りますね」
「は、はい……おやすみなさい」
「こうして二人の関係が始まったのだった……ていうお話考えたんですけど、貰ってくれませんか?」
「ちょっと待ってください理解が追いつかない……」
紬は持ってきた同人誌の朗読を終え、それを弘人に渡す。
「生モノってレベルじゃありませんよねこれ!?」
「本人に手渡すというのも乙なものですよね♡」
「変わり者と言うか変態の域に入っていません?」
こうして今日も、弘人と変わり者のおかしなお姉さんである紬の奇妙な関係が続いていくのだった。
隣の部屋のお姉さんが何かおかしい。 遠野紫 @mizu_yokan
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