第2話:日常の崩壊

いつの時代も、平和な日常と言うのは実にあっけなく壊れるもの。


昼間の狩りの付き添い、初めて見た父親の狩りに興奮していた少年は、いつもよりぐっすりと眠っていた。

平時なら朝まで起きなかっただろう少年は、外から聞こえる激しい騒音に目を覚ました。


時刻は深夜。

少年はおろか、村中の誰もが眠りについている時刻。

明かりも無く何時もは真っ暗な村は、何故か真昼の様に明るかった。


「レキっ!」

「母さん!?」


少年が目を覚ますと同時、母親が少年の部屋へと駆け込んできた。

何があったか分からず戸惑う少年を、母親が力強く抱きしめる。

いつもの母親の温もり、いつも以上の力強さを感じ、少年は母親の顔を見た。


母親の表情は、これまで少年が見た事の無いものだった。

あせりと恐怖、悲しみと怒り・・・。

様々な感情、それら全てをこらえて母親は少年を見つめていた。

そんな母親の表情に戸惑いつつ、少年は母親に問う。


「どうしたの?

 何があったの?」


そう尋ねる少年に、母親は焦りながら口を開く。


「逃げるわよっ!」


それは少年の問いに関する回答では無かった。

だが、どこに、なぜ、という更なる問いを少年は発する事が出来なかった。

母親の顔が、これまで見た事のないほど真剣だったからだ。

隣家の少女とこっそり森へと入ったのがばれた時でも、こんな顔をした事は無かった。


「う、うん」


少年が頷いたのを確認するより早く、母親は少年を抱いたまま家の外へと出た。


そこは、まさに地獄のようだった。


明るかったのは、村を焼く炎だった。

家々は燃え、時折崩れ落ちる音が少年の耳に届いた。

そこかしこから聞こえるのは・・・村人の悲鳴だった。


「女と子供は攫えっ!

 野郎と老いぼれは殺せっ」

「金になりそうなものは全部奪えっ!」


それは略奪。


どこかの野盗だろう。

声を上げ、剣を掲げ、村を、家を、人を、ただただ蹂躙していく。

聞こえるのは野盗の声と蹂躙される村人の悲鳴。

壊されていく家。

燃え上がる炎。


昨日までの村はそこにはなかった。

穏やかで優しい平和な村は、今はただの地獄になっていた。

母の胸に抱かれながら、少年は目の前の光景が信じられないでいた。


そんな少年を強く抱き、母親は村の外へと駆け出す。


燃え上がる村。

野盗の叫びと村人達の悲鳴。

そんな中を、母親は命より大事な宝を胸に抱き、村の外を目指した。


「おい、女だっ!

 女がいたぞっ!!」

「子供もだっ!

 親子だっ!」


その声に、少年はビクッと体を震わせた。


野盗の嬉々とした声が聞こえる。

母親が必死に走るも、数人の野盗に追われればいずれ捕まってしまうだろう。

それでも母親に止まるという選択肢はない。

それに。


「大丈夫かレーシャ!

 レキっ!」

「あなたっ!」

「父さん!」


少年と母親には、この世界で誰よりも頼りになる存在がいるのだ。


少年の父親にして母親の夫。

この村唯一の狩人にして、昨日も自分より大きな猪を仕留めた少年の英雄。


父さんが来たからもう大丈夫。

少年はそう思った。


だが。


「行けっ!」


父親は振り向くことなく母子にそう叫んだ。


「父さんっ!?」

「レーシャ、レキを任せた」

「父さんっ!」


「行けっ!

 走れっ!!」

「父さん!!

 父さんっ!!!」


遠ざかっていく父の背中に、少年は必死に手を伸ばした。

だが、どれほど手を伸ばそうとも、父親との距離は遠ざかる一方だった。


「母さんっ!

 父さんがっ!!」


そう叫んだ少年は、父親に背を向け走り続ける母親の横顔を見た。

父さんを置いて行かないで、そう言おうと思った。

一緒に行こうと。

父さんがいれば大丈夫だからと。


そう思っていた少年は、母親の悲痛な表情に言葉を続ける事が出来なかった。


「ぐああっ!」

「父さんっ!?」


背後から聞こえてきたその声に、少年は顔を上げた。

母親越しに見えた光景を、少年は信じられない物を見るかのように目を見開いた。


野盗と戦う父親の背中。

その背中が、今まさに崩れ落ちようとしていた。


「と、父さーーーんっ!!」


母に抱かれながらも、少年は必死に手を伸ばす。

だが、その手が届く事は無い。


少年を抱く母親は、目を潤ませ歯を食いしばりながら必死に走る。

そうしないと泣き叫んでしまうから。

泣き叫んだら、立ち止まってしまうから。


自分は任されたのだ。

愛するあの人から、かけがえのない自分達の宝を。

だから、今はただ村の外へと走らねばならないのだ。


「レーシャ・・・後は頼んだ」


愛する人の最後の声を背に、母親は必死に駆けた。


「レキ・・・生きろっ!

 俺の分までっ!!」


「父さーーーーん!!」


父親の最後の言葉を耳にしながら、少年は必死に手を伸ばし叫んだ。


それが、少年が目にした父親の最後の姿だった。


――――――――――


炎に包まれ、崩れ行く村を背に、母子はひたすら遠くを目指した。


こんな辺境の村を襲うにしては、野盗の人数は多すぎた。


村の財産だけが目的では無い。

男と老人は皆殺しにし、女と子供は攫おうとしていた。

女だけならまだしも、子供を攫うという事はおそらく奴隷として売り払う為だろう。


自分だけならまだしも、まだ幼い我が子を奴隷になどさせるわけにはいかない。

その思いで、母親は必死に駆けた。


子供とはいえ五歳の少年を抱きかかえながら走り続けるなど、普通の女性に出来る事ではない。

だが、少年の母親は元冒険者にして村唯一の治癒魔術士。

失った体力を回復する事もできれば、魔力によって身体能力を強化する事も出来る。

何より、彼女が抱いているのは命より大事な自分の息子。

愛する夫から託された二人の宝を守るためなら、体力と魔力、そして命の続く限り走り続けられる。


そうしてどれだけ走っただろうか。

村を出てからずっと泣き続けていた息子がようやく静かになった。


泣きつかれて眠ったのだろうか?

そろそろ一度休んだほうが・・・。

そう考えた母親だが、背後から聞こえる怒声を聞き、すぐさま考えを改めた。


捕まったら最後、自分はきっと殺されるだろう。

徹底的に嬲られ、女としての尊厳を壊された後、命をも奪われる。

そして、息子は・・・。


自分はどうなってもいい、せめてこの子だけは・・・。


そんな嘆願を聞くような相手ではない事くらい母親には分かる。

むしろ母親のその願いをむごたらしく踏みにじるのが野盗という存在だ。


だからこそ、母親は振り返る事なく走り続ける。


相手は馬に乗って追いかけてきたらしい。

いくら魔力によって身体を強化している母親といえども、馬の脚力には敵わない。


このままではいずれ追いつかれ、捕まるだろう。

そう考えた母親は、前方の森に視線を向けた。


村の傍にある森ではない。

村を出てから数刻走り続けた場所にある、村の傍の森よりさらに深く険しい森だ。


そこは、この世界で最も危険な場所と呼ばれる森。

通常よりはるかに濃い魔素に覆われ、多くの魔物が闊歩する死の森。


魔の森と呼ばれる、この世界でもっとも危険で過酷な場所だった。


母親はその森を見て決意した。


「おい、あの女」

「あ、正気か?」

「ただのやけくそだろ?」

「んでどうする?」

「とりあえず追うぞ。

 どうせ森ん中までは入らねぇだろう」

「入ったらどうすんだ?

 追うのか?」

「そん時ゃ魔物に食われたと思って諦めるしかねぇだろ」

「・・・だな」


村を襲った野盗ですら避ける森。

元冒険者である少年の両親も、普段なら近寄りすらしない森である。

だが、母親はその森を見たとき、一つの賭けに出る事にする。

生き残る為のわずかな可能性を見出し、母親は息子を抱く手に力を込めて森へと入って行った。


「お、おい。

 ほんとに入りやがったぞ」

「仕方ねぇ、お前とお前はこの場で待て。

 あとは村に引き返すぞ」


さすがの野盗も、魔の森に入られては手も足も出ない。

獲物を捕まえるどころか、こちらが魔物の餌になりかねないからだ。


そんな中を入っていった母子。

一か八かの危険な賭けに出た母子に、魔の森の魔物達が牙を向こうとしていた。


――――――――――


森の中を母子は進む。

さすがの野盗も森の仲間では追いかけてこなかった。

このまま、あの場所にたどり着ければ・・・。


そう願う母親であったが、この森はそんな甘い場所ではない。


右手の方から近づいてくる気配に、母親はその歩みを止めた。

眠ってはいなかったらしい息子をその場に降ろし、目を見ながら語りかける。


「レキ、聞いて。

 この森の奥に小屋があるの。

 その昔すごい賢者様が建てた小屋。

 そこはね、この森で唯一安全な場所なの」


若かりし頃、夫と共に冒険者として国中を渡り歩いていた母親。

その冒険者時代に聞いた一つの話。


魔の森には、かつて高名な賢者が建てた小屋がある。


もちろんただの噂ではない。

その噂を確認すべく、少年の両親はかつてこの魔の森に入った事がある。


「だからね、レキはその小屋まで走って」

「か、母さんは?」

「お母さんも後から行くわ、だからレキ」

「い、いやだっ」

「レキ?」

「母さんも一緒じゃなきゃやだっ!」

「レキ、行きなさい」

「やだ、母さんもっ!!」

「レキ!」

「だって!!」


「だって、父さんが・・・」


「レキ」

「父さんが、死んじゃって、でも、生きろって、だから」

「レキ・・・」

「だから、母さんも、母さんも行かなきゃ!」


「レキ、大丈夫、お母さんは大丈夫だから」

「・・・」

「お母さんはちゃんと追いかけるから。

 だからね、レキ。

 先に行って、小屋で待ってて」

「・・・」

「お願いレキ、いい子だから」


「・・・絶対来る?」

「ええ、もちろん」

「絶対、絶対来る?」

「ええ・・・もちろん」

「分かった、約束」

「ええ、約束。

 だからね、レキ」

「・・・分かった」


そうして、母親は息子の背を優しく押した。

息子の脚力などたかが知れている。

だが、このまま一緒にいたら間違いなく息子は助からないだろう。

一抹の可能性にかけ、母親は息子を先に行かせたのだ。


もう二度と会えないと分かっていても・・・。


「ごめんね、レキ」


走り去る息子の背中を見つめながら、母親が静かにそう呟く。


本当は一緒に行きたかった。

いつまでも一緒にいたかった。

だが、それを許してくれるほど、この森は、この世界は甘くなかった。

それでも母親は、わずかな可能性にかけてこの森へとやってきたのだ。

自分はどうなろうとも、せめて息子だけは生かそうと。


遠ざかっていく愛しい背中を見送り、愛用の杖を構えて身構える。


現れたのは数十体の魔物だった。

緑色の体、大きさは人族の子供くらいだろうか。

先ほど見送った自分の息子より頭一つほど大きい程度。

頭には申し訳程度の角、口からは牙を生やし、どこからか手に入れた粗末な武器を持っている。


それは、この世界でも下位に位置する魔物、ゴブリンの群れだった。


"ゴブリン"

この世界でありふれた魔物。

群れで行動し、獲物と見れば嬉々として襲い掛かってくる矮小な魔物。

一匹一匹の力は弱く、駆け出しの冒険者はおろか農夫や木こりですら追い払う事が出来てしまうほど。


事実、少年の両親も冒険者時代には幾度か戦い、その全てで勝ってきた。

たとえ夫がいなくとも、通常のゴブリン程度ならなんの問題もなかった。


そう・・・通常のゴブリンなら。


母親が今いるのは魔の森。

この世界で最も危険な場所。


他の場所に存在する同種の魔物より、この森の魔物は強力な力を持っている。


なぜ魔の森の魔物は通常の個体よりも強力なのか。

それは、この森の魔素が影響しているとも、魔の森の生存競争に勝ち残った魔物しか存在していないからとも言われている。

分かっているのは、通常の魔物より数段上の力を持っているという事実だけだ。


通常のゴブリンは、冒険者ギルドが指定した魔物ランクの、下から二番目の魔物である。

ソードボアより低く、駆け出しの冒険者が最初に討伐するような魔物だ。


そんなゴブリンですら、魔の森ではその力を強くする。

ギルドが指定した魔物ランクでも、「魔の森の」と名が付くだけで、もはや別個体として扱われるほどだ。


「魔の森のゴブリン」もまた、ギルドが指定する魔物ランクでは通常のゴブリンより二ランクほど上がってしまう。

駆け出しの冒険者やそこらの農夫では太刀打ちできないほどに。

一流の冒険者でなければ相手が出来ないほどにだ。


そんな魔物が母親の目の前にいる。

それも数十体。

冒険者を引退してから数年経った今、既に戦う力など失われている。

そもそも冒険者時代は治療を専門としていた母親では、全盛期と言えども勝てなかっただろう。


それでも、母親は息子を逃がす為に留まる事を選んだ。

たとえ勝てなくても、確実に勝てないと分かっていても、せめて息子が例の小屋にたどり着くまでの時間稼ぎをする為に・・・。


「来なさいっ!

 ここから先は通しません!!」


子を思う母親の、最後の戦いが始まった。

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