第3話:魔の森

森の中、一人の少年が走っていた。

涙と汗で顔をぐちゃぐちゃにして、がむしゃらに腕を振り回し、もつれそうな足をそれでも必死に前へと出し続けた。


本来ならまだ眠っている時間。

深夜に起こされ、母親と別れてからずっと走りっぱなし。

五歳の子供の体には、もはや体力など欠片も残っていない。

気力すらも使い果たした。


- 生きろ。

  俺の分まで


いつも見てたあの大きな背中。

その背中越しに言われた父親の言葉

父親の、最後の願い。


- 先に行って

  お母さんも後から行くから


いつも優しく抱きしめてくれた柔らかな腕。

そっと押してくれた優しい腕と、交わした母親との約束。

母親との、最後の約束。


少年にあるのは、父親の願いと、母親と交わした約束。


だから走る。

走り続ける。

後ろを振り返る事なく、ただ前だけを見つめて少年は走り続ける。


それから、どれだけ走っただろう。

少年はついに、約束の場所へと辿り着いた。


「・・・あった」


息も絶え絶えにそう呟き、少年は目の前の小屋を見つめた。


それは、ごく平凡な小屋だった。

丸太をつみ重ねて建てたような簡素な小屋。

おそらくは森の木々を利用して建てたのだろう。

大きさだけは十分で、数人でも住めるだろう。


少年がもう少しこの森の事を知っていれば気付いたかもしれない。

魔の森というこの世界で最も危険な場所にあって、何年もの間放置されてきた小屋。

にもかかわらずどこも荒らされた形跡は無く、当たり前のように形を保っている事の違和感に。


魔物の脅威にさらされる事なく、ゴブリンなどの多少知恵のある魔物が住処とする事もなく。

魔の森の中、いづれ訪れるであろう何者かをただ待ち続けるかのように存在する小屋。


それがこの小屋を建てた賢者の結界によるものだという事を、少年は知らない。

分かっているのは、これが母親が言っていた小屋だろうという事だけ。


そして・・・この小屋で待っていなさいと、後から母親も来てくれると、そう約束した場所。


心身ともに疲れはて、重く苦しい体を無理やり動かし、少年は小屋の中に入った。

小屋の中はいくつかの部屋に分かれていた。

そのうちの一室、入ってすぐ右手にある部屋に入ると、少年は座り込んだ。


深夜に起こされ、そのままひたすら走り続けた少年。

気力も体力も使い果たし、休むというより意識を失う様に瞼が落ちていく。

それでも少年は必死になって起きていた。


ここが安全な場所だという事はなんとなく分かった。

魔術はおろか魔力を感じる事も出来ない少年だが、それでもこの小屋の周囲が森の中とは明らかに違うのは分かるのだ。

母親が安全だと言ったのは、多分こういう事なのだろう。

この場所ならきっと、魔物に襲われる事なくいつまでも母親が来るのを待っていられるに違いない。


だから少年はここで待ち続ける。

後から行くといった母親を。

必ず来ると約束した母親を。


少年はただ、待ち続ける。


――――――――――


それからまた、わずかな時が流れた。

夜の闇に覆われていた森に日の光が差し始めた頃、少年は小屋の外から聞こえる足音に気がついた。


「母さんだっ!」


眠りそうになった頭を強引に起こし、少年は疑う事なく小屋の入り口へと向かった。

そこから見えたのは、数十匹のゴブリンの群れだった。


「う、うわぁ・・・」


小屋から外に出ようとしていた少年は、慌てて小屋の中へと戻った。

何度か深呼吸し、今度は見つからないようこっそり顔だけ出し、改めてその群れを見た。


自分より頭一つ大きい体躯に緑色の肌。

頭には角、口からは牙が見える。

手にはそれぞれが様々な武器を持ち、飛び跳ねるようにしながら移動している。


その群れは小屋の近くを移動していた。

結界のおかげで小屋の中には入ってこれないが、そんな事を知らない少年は見つからないよう精一杯体を隠しつつその群れの様子を伺う。


数十匹のゴブリンは、それぞれが様々な物を持っている。

ふと、その中の一匹が持っていた物に、少年は気付いた。


「あ・・・あれ」


少年は自分の目を疑った。

それは、自分の母親がつい先ほどまで持っていた、母の愛用の杖に良く似ていた。


(そんなはず無いっ!

 だって母さんは元冒険者だって・・・

 父さんと一緒にいろんな場所を旅してたって

 怒ると父さんより強いって

 だから、だからそんなはず無い・・・)


(約束、約束したんだ。

 きっと来るって。

 絶対、絶対来るって。

 だから、だからあの杖は違う)


(そうだ、母さんの杖はもっと白くて綺麗で。

 父さんが母さんのために取ってきた聖樹の枝から作った杖だって。

 だから白くて綺麗で。

 あんな、あんな汚いはずないんだ!)


少年は自分が見た物を心の中で必死に否定した。


記憶の中の杖と、目に映る杖との違いを必死になって探す。

だが、どれだけ違いを探そうともゴブリンの持っている杖は確かに母親の杖だった。

記憶の中の杖より汚れていても、あれは確かに、母親が大切に扱っている杖だった。


それでも違うと、そんなはず無いと、少年は睨みつけるようにゴブリンの群れを見る。

そして、少年はさらなる現実を突きつけられた。


杖を持つゴブリン。

その少し後ろにいたゴブリンが持っていたモノ。

ゴブリン達が手にもち、時に噛り付いていたモノ。


それは・・・人の腕だった。


薄汚れ、血にまみれたそれは、一見するとただの棒切れのようだった。

だが、よく見ればそれは確かに人の腕であった。


ゴブリンが持っていた母親の杖、そして人の腕。

単純に考えれば答えは一つ。


だが、少年はそれを必死に否定した。

否、頭がそれ以上を考えないようにした。


だが・・・


「あ・・・あぁ・・・」


その腕についている指。

その指にはまってる見慣れた指輪。

それを見た瞬間、少年の頭は真っ白になった。


- これはね、お父さんとお母さんが結婚する時にお揃いで買った指輪なの


指に光る奇麗な指輪。

それに興味を持った少年に、母親が笑顔で語ってくれた。

二人の馴れ初めは何度も聞いている。

それを語る母親の幸せそうな笑顔が、少年は大好きだった。


ひとしきり語った後、母親は指輪のはめられた手で少年を撫でてくれた。

その手が、そしてその手から伝わる温もりが、少年は大好きだった。


今、目の前にいるゴブリンが持っている棒きれの様なモノ。

その腕にはまっているのは、間違いなくその指輪だった。

少年が毎日見て、触れていた腕と、その指にはまっていた指輪。


いつも優しく撫でてくれて、時折叩かれる事もあったけど、それでもその手は暖かくて。

色白で細かったけど、料理や洗濯などでかさかさであかぎれていたりもするけど。

それでも少年が世界一大好きな、母親の腕。


(あれは何?母さんは?

 あいつらが持っているのは?

 あいつらが食べてるのは何?)


(絶対来るって言ったんだ。

 だから違う。

 あれは母さんじゃ・・・でもあの腕は・・・)


「う・・・うわ・・・うわぁーーー!」


目の前の全てを、この世界の全てを否定しようと少年は叫ぶ。

叫んで叫んで、そして目の前の現実を振り払おうとゴブリンの群れへと突撃した。

わずか五歳の子供が、自分より一回りほど大きい魔物に向かってがむしゃらに腕を振り回した。


叫び声とともに小屋から出てきた少年を、ゴブリンの群れは嬉々として迎えた。

先ほどこの魔の森では珍しい人族の雌を仕留めたばかり。

意気揚々と巣へと帰還する途中だった。

そんなところにもう一匹の人族の獲物が現れたのだ。

大人の雌とはいえ一匹では食いでが足りないところだった。

そんなところに現れた人族の子供。


ゴブリンにしてみれば、御馳走が向こうからやってきた事になる。

嬉々として捉え食らいつこうと、ゴブリン共が沸き立った。


変化が起きたのはその直後。

小屋の周囲、魔の森の魔物が近づけない結界の範囲外へと飛び出してきた少年の体が輝きだした。


それは最初、ほんのわずかな輝きだった。

だがそれは、すぐさま直視できないほどに眩くなった。


変化はそれだけではない。

飛び出してきた少年の速度が爆発的に増したのだ。

少年とゴブリンの群れまでの距離は数百歩以上。

その距離を、少年が一瞬の内に移動した。


そして、少年から溢れでる輝きに目を眩ませていた一匹のゴブリンに、少年の振り回す腕が当たった。


体術などではない。

ただむちゃくちゃに振り回した腕が、たまたま近くにいたゴブリンに当たっただけ。

たったそれだけの事で、そのゴブリンが爆散した。


「ギ、ギィ?」


目を閉じていたゴブリン達は何が起きたか分からなかった。

森の中にある家から人族の子供が飛び出してきたと思ったらその子供が輝きだした。

その眩しさに目を瞑っていたら、近くで何かが爆散する音がした。


端的にいえばこうだ。


だからこそ、ゴブリンの群れは訳も分からずただ騒ぎ始めた。

眩しい、見えない、何があった。

ゴブリンの言葉が分かったなら、多分そう聞こえただろう。


もし、眩しさに目が眩んでいなければ、あるいは輝きの中からあふれ出す爆発的な力に気付いたなら・・・。

彼らは一目散に逃げたに違いない。

ゴブリンとて魔物、知能は低くとも生きる本能はある。

見た目でしか判断できない魔物であっても、それが絶対的に敵わぬ強者だと分かれば、何が何でも逃げ出そうとしただろう。


だが、ゴブリン達の視界は塞がれている。

普段から薄暗い森に住み、どちらかと言えば夜行性であるゴブリンにとって、少年の輝きは目の前に突然太陽が現れたようなものだった。

一向に視界が戻らぬ中、ただわめき散らしでたらめに武器を振り回すゴブリン。

それは、母親の死を受け止められず暴れる少年にとっては、ただの的でしかなかった。


少年が腕を振るう。

その腕がゴブリンに当たるたび、ゴブリンが爆散する。

目の前のゴブリンが爆散したのを確認するより前に、別のゴブリンに腕を振るう。

繰り返しただゴブリンに腕を振り続け、気が付けばゴブリンの群れはこの世界のどこにもなくなっていた。


「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」


目の前の全てを破壊した少年。

後に残ったのは、母の形見たる赤黒く汚れた杖と、ゴブリンの食べ残した母の腕だった。


「あぁ、か、母さん」


杖と腕を手に取り、強く懐に抱きしめる。


「母さん、母さん、かあ・・・」


「あ・・・あぁーーーーーーー!」


形見の杖と、ぬくもりの失せたその腕を強く抱きしめ、少年は泣き叫んだ。


約束をしたのに。

自分は約束通り小屋で待ってたのに。


母は来ない。

母はもう、この世にはいない。

あの優しい声も、大好きな笑顔も、温かいぬくもりも。


少年は、全てを失った。


「ーーーーー!!

 ーーーーーーー!!!」


少年は泣き叫んだ。

涙を流し、喉が張り裂けんばかりに声を上げた。

悲しみも、怒りも、苦しみも、体中の何もかもを出し尽くそうと、ただただ泣き叫んだ。


そうして泣き叫び続けた少年に、次第に変化が現れた。


父親譲りの赤い髪は、まるで少年が体内の全てを出し尽くした証の様にその色を失くし、やがて雪のように真っ白になった。

体から溢れる光は、少年の叫びに呼応するように輝きを増し続け、純白となった髪を黄金色に輝かせた。

いつしかその光は黄金の粒子となり、周囲を太陽の様に照らしつつ、少年の叫びと共に空へと上がっていった。


まるで、母親の魂を空へと導くように・・・。

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