第6話 誕生日の魔法石(2)
ダリウスが帰ったあと、やっぱり気になって鏡の前で一人、衣装を試着していた。
どれも素敵なデザインだが、やはり、ダリウスが最終的に選んだ青色のドレス。
「やっぱりあの人、自分の色を私に着せたいんですね……」
この青は、ダリウスの瞳の色だ。
そして、彼の魔法の象徴でもある青焔の色でもある。
これでは見る度にダリウスのことを意識してしまう。
いや、むしろ彼はそれを狙って仕立てさせたのだろう。
(まったくあの人は……)
しかし、呆れる一方で彼の気遣いには感謝をしたい。
贈られたドレスの袖は全て、腕が半分隠れる程の長さだった。
それは単純に、エリーゼの肌を他人に見せたくないという思いだけではない。
エリーゼの腕には消えない傷がある。
肩から二の腕あたりにかけて、大きく切り刻まれた痕があるのだ。
その傷のおかげで、エリーゼは半袖の服は着られないし、普段から着込んでいるのだが、ダリウスはそれを分かっていて何も言わずにこの長さに仕立ててくれた。
口に出すとエリーゼが傷付くとまだ思っているのだろう。
確かに昔は、この傷痕を見るのは辛かった。
家族を永遠に忘れることのできない、鎖のようにエリーゼに重くのしかかっていた。
エリーゼの実家は、スミスター男爵家というとある貴族だ。
エリーゼの母は、かつて男爵の愛人だった。
父と関わりがあったのは、まだ父が結婚する前のことだったが、それは男爵夫人にとって絶対に許せないことだ。
その上、娘までいるのだから。
母は男爵家と縁を切るかのように姿を隠してひっそりとエリーゼを育てていたが、母が亡くなり孤児院へ入った時、突然男爵が迎えに来た。
父親が貴族だなんて知らなかったエリーゼは驚きつつも、優しそうな父の笑顔に安心して、男爵家へ引き取られていった。
これから待っているのは、新しい希望に満ちた未来だ。
エリーゼはそう思っていたが、現実は酷いものであった。
男爵家で待ち受けていたのは、人間以下の扱いだった。
「たかが平民のくせに、思い上がらないで」
それが夫人の口癖だった。
エリーゼは男爵家の娘として扱われることはなく、使用人として扱われた。
もしかすると、使用人以下、奴隷に近い扱いだっただろう。
エリーゼは満足な食事も与えられないまま、来る日も来る日も働かされた。
同じ年頃の男爵令嬢が毎日綺麗に着飾って、家庭教師に勉強を教えて貰っている傍ら、エリーゼはぼろを着たまま、庭で雑草を抜き、汚れた床を磨いていた。
桃色の髪は煤と埃にまみれ、本来の色とは違う薄汚れたものになった。
水を飲むことすら許されないので、深夜に人目を盗んで水を飲み、厨房で残飯をあさるしかできなかった。
見かねた他の使用人が食事をわけてくれる時もあったが、それが夫人に見つかると罰を受けるので、エリーゼに同情する者は誰もいなくなった。
どうして、エリーゼはあんな目にあったのか。
それは、男爵夫人がエリーゼのことを嫌っているからだけではない。
表面上なんともないように振舞っているが、実は男爵家は困窮していた。
そんな時、男爵はかつて自分に娘がもう一人いたことを思い出したのだ。
彼はその娘を、娘としてではなく、給金の要らない使用人としてこの家に迎えることを決めた。
当然、男爵夫人や令嬢は嫌悪感を示したが、なにぶん金がないので仕方がない。
腹が立ったのなら殴って虐げればいいと、日頃の憂さ晴らしをするかのように好き放題エリーゼを傷つけた。
いくら働けど、他の使用人たちのように給金が出るわけでもないので、食料も買うことも、新しい服を買うこともできない。
当然、この日々を抜け出すことも出来ない。
一度だけ脱走を試みたが、衰弱したエリーゼの脚では遠くまで逃げることなどできず、すぐに捕まって仕置きをうけた。
その時の傷が、未だにエリーゼの腕に残っているのだ。
男爵夫人は敢えて消えないように、深く深く切りつけた。
そのおかげで、今もエリーゼの古傷はじくじくと痛むことがある。
痛くても苦しくても誰も助けてはくれない。
ならば、この人生は一体なんのためにあるのだろうか。
エリーゼが師匠とであったのは、全てを諦めた、そんな時だった。
今でもあの日のことは鮮明に思い出せる。
──────────────
「お父様!ようやく魔法使い様が来てくださる日ね!」
その日は、朝から男爵家の令嬢、ニーナが一段とはしゃいでいた。
それもそのはず、とある魔法使いが「男爵家の娘は素晴らしい魔力の持ち主」だと言って、面会の申し出があったのだ。
「きっとあの日のパーティーよ!あの時に魔法使い様がわたくしを見初めてくださったのだわ!」
魔法使いはこの国では尊敬されている。
帝国の魔法研究機関もあるが、そこに所属しない魔法使いは古くからの伝統と秘法を受け継ぐ存在として、機関からも一目置かれている。
そんな彼らに認められたとなると、弟子にしてもらい、将来有望な魔法使いになれることは間違いない。
「しかし、お父様は寂しいなぁ。お前がこんなに立派になって、魔法使いの弟子になるなんて」
「うふふ、これもお父様が育ててくださったおかげよ」
と、そんな会話を繰り広げている親子を横目に、掃除を終わらせようと必死になっていた時。
通りすがったエリーゼに気づいたニーナが、わざと近づき足をひっかけてエリーゼを転ばせた。
「あっ……!」
バシャン、とエリーゼは持っていたバケツをひっくり返してしまい、頭から水を被ることに。
「あら、なんて汚らしいのかしら。今日はお客様が来る大事な日よ、さっさと掃除を終わらせて、失せなさい。このゴミ屑」
「申し訳ございません……うっ!」
べたべたになりながら、エリーゼは土下座をするも、ニーナに踏みつけられる。
「ははは、いいじゃないかそんなのに構わなくても。ほらおいで、ニーナの綺麗な靴が汚れてしまうよ」
「お父様ったら!」
血を分けた娘が暴行を受けている様を見て、男爵はただ笑っていた。
去っていく親子を見つめるエリーゼは、失意の中掃除を続ける。
ニーナに転ばされたことで広がった水を丁寧に拭き取り、少しの汚れもないように必死だった。
(……どうして、どうしてあの日、この人の手を取ってしまったのだろう)
その後も、魔法使いが来る予定の時刻にまでに仕事をこなし、客が来ている間は男爵たちの目に入らないように狭い物置小屋で息を潜めていた。
エリーゼに部屋は与えられていない。
ここへ来てから、この埃っぽい物置がエリーゼの新しい家だった。
(魔法使いさん、早く帰って欲しいな……)
魔法使いがニーナを連れて行けば、エリーゼを殴る人が一人減るのでちょうどいい。
客が早く帰ればエリーゼもここから出られるので、ひたすら空腹と喉の乾きを我慢するしかなかった。
一方で、エリーゼの微かな息の音しか聞こえないほど静かな小屋とは違い、男爵家は大いに賑わっていた。
「ようこそお越しくださいました、魔法使い様」
男爵が恭しく頭を下げ、夫人とニーナも礼をする。
現れた魔法使いは、目の覚めるような白髪の男性だった。
肩の上で切りそろえた白髪は純白で、その瞳は宝石のように煌めいている。
神秘的な雰囲気を持っていて、その美しい顔は妖精のようにも見えた。
「初めまして魔法使い様。わたくしが、スミスター男爵家長女のニーナでございます」
「さあ、魔法使い様、どうぞこちらへ……」
夫人がそう言って、魔法使いを客間へ案内しようとした時だ。
「娘はどこにいる」
その言葉に、その場にいた全員が唖然とする。
「……え?」
今しがた挨拶したばかりのニーナは、何を言われているのかよく分からないと困り顔になる。
「な、何をおっしゃいますの魔法使い様?娘のニーナはここにおりますわ」
「魔法使い様は面白い冗談を仰る方だ!」
男爵がそう笑って場の雰囲気を和ませようとするが、依然として魔法使いは険しい顔のままだ。
「もう一度聞く。娘は、どこにいる」
先程よりも強い口調でそう聞かれ、彼らは狼狽える。
「ま、魔法使い様!ニーナは目の前におりますぞ!」
「そうですわ魔法使い様、よくご覧になって!わたくしがあなたに認められた男爵家の娘でございますわ!」
どういうことだと、ニーナは必死になって魔法使いに詰め寄る。
「黙れ。お前に用はない」
吐き捨てられた言葉に、ニーナは呆然とした後、キーッと金切り声を上げて憤る、
産まれてからずっと甘やかされてきたニーナにとって、そんな口を聞く人間は初めてだったからだ。
「これはどういうことなの……!」
魔法使いとこちらに認識の違いがあるとようやく気づいたらしい両親は震えている。
「ま、まさか……」
ニーナ以外の「娘」となると、そんなものは一人しかいない。
「そうか。答えられないのなら、好きにさせてもらうぞ」
くるりと踵を帰した魔法使いは、玄関を出て庭を堂々と歩いていく。
「お、お待ちください魔法使い様……!」
「そちらには何もございませんわ!おやめになって!」
その先にあるのは物置小屋だ。
両親が必死になって引き留めようとしても、魔法使いは一切聞く耳を持たない。
このままでは、エリーゼと魔法使いが対面してしまう。
そうなると、ニーナのプライドがズタズタに引き裂かれるのは間違いなかった。
「あんたなんなのよ!魔法使いだからって偉そうに!」
どうにかして止めようと前に出て、ニーナは魔法使いに怒鳴る。
この男がこの国でどれほど偉い相手なのか、微塵も理解していないのだろう。
「ニーナ!やめなさい!」
真っ青になった夫人が、ニーナの口を塞ぐも時すでに遅し。
「……偉そうだと?当たり前だ、この私を誰だと思っている」
「っ!」
魔法使いに鋭く睨まれて、ニーナは何も言えなくなった。
魔法使いを怒らせてしまった。
夫人も男爵も揃って震え上がり、もはや誰も手出しはできなくなる。
魔法使いは物置小屋の扉を開けた。
中にいたエリーゼが、驚きで目を見張っている。
「ここにいたのか」
魔法使いは、ニヤリと笑った。
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