第3話 魔法の遺書(3)

 伯爵に案内され向かった先は、ウォルリッジ伯爵邸の別館だ。

 一つのフロアがまるまる図書室になっているようで、小さな図書館のようにも思える。

 図書室には掃除をしていたメイド数人がいて、まさか客人が来るとは思っていなかったのだろう。

 エリーゼたちが現れたことで慌ただしく掃除道具を片付けてくれた。

 仕事を中断させてしまって申し訳ないと思いつつ、ありがたく捜索をさせてもらう。

 数人のメイド以外には、この時間は他に誰もいないようだった。


「で、この中から探すのか」


 やけに静かな図書室で、ダリウスはそう呟いて、壁一面に広がる本棚を眺める。

 ぎっしり詰まった本は様々な種類のものがあり、背表紙を見ていくだけでも目が追いつかない。


「本当に大丈夫ですか?他の遺書が本の中に隠されているとは限りませんし、もしかするとそんなもの無いかもしれませんよ」


 伯爵は見つからなかった場合、ダリウスを怒らせてしまうのではないかとおろおろしている。

 しかし、エリーゼはそんな伯爵を落ち着かせるかのようににっこり笑ってみせた。


「大丈夫ですよ。必ず見つけてみせますから」


「しかし……」


「まあ黙って見ていろ。すぐに分かる」


 まだ渋っている伯爵を、ダリウスが制する。

 途端に黙ってことの成り行きを見守る伯爵。


「それでは、失礼して───────求めるものは光の先にクラルス・ノクス


 エリーゼがステッキで、トンと床を一突きした。

 一瞬、張り詰めたような冷気が辺りを包む。

 エリーゼは少しの間目をつぶって、魔力の気配を探した。


「い、今のは?」


 エリーゼが目を開いたタイミングで、伯爵が不思議そうに聞く。


「魔力だけを探せる探知魔法です。闇雲に探すより、こうやって対象を絞ることでそこそこ広い範囲を探せるのですよ」


 暗闇の中に、ぱっと光るものが見えるような感覚とエリーゼは形容している。

 その代わり、複数の対象を組み合わせて探すことや動くものは探せないというデメリットはある。

 探知魔法としてはあまり良いものでは無いのだろうが、エリーゼとしては魔法が探せるのならそれでいい。


「ははぁ、そんなことができるんですね」


「私は魔法が大好きなんです!そこに魔法があるのなら、地の果てまでも追いかけますよ」


 ふふん、と嬉しそうに語るエリーゼ。

 彼女が魔法鑑定士という稀有な職業についているのもそこに理由があるのだが、今は伯爵相手に魔法を語るよりも依頼を遂行することが先だ。


「まずは一つ、ここに」


 エリーゼは図書室の奥へ進み、目的の棚の前でしゃがむと、一番下の棚から迷わず一冊の本を抜き取る。

 ずいぶんと古い本だが、エリーゼの眼は溢れ出る魔力を感じ取っていた。

 ぱらぱらとページをめくると、目的のものは確かにそこに。


「おお!本当にもう一枚あったとは!」


 伯爵が感嘆の声を上げた。

 はらりと中から出てきた一枚の紙は、遺書とそっくりの作りで、同じ一文から文書が綴られていた。

 そして、これは一枚だけではない。

 エリーゼの魔法は、また一つ別の方向を示しだした。


「まだ複数枚あるようですね」


「他はどこにあるんだ?」


「三つ隣の棚の、四段目に……!」


 エリーゼがそう言って本棚から取ろうとすると、背後からダリウスが手を伸ばして先に取られた。


「確かにあるな」


 わざわざ細かく言わずとも正しいものを選んでいるということは、ダリウスも多少は見えているのだろう。


「見えてるんじゃないですか」


「いや、近づかないとそこまで分からない。エリーゼに一つずつ教えて欲しい」


(わざとだ……)


 エリーゼにくっつきたいだけだろう。

 人の家にまできて何をやっているんだか、と思ったが、ここなら公爵家の家臣たちに見られることはないのでそちらの方がダリウスにとっては都合がいいのだろう。

 正直、公爵家の家臣の中でダリウスがエリーゼと親しくするのをよく思っていない人は少なからずいる。

 後々政略結婚する際にエリーゼの存在が邪魔になるから口煩く釘をさしたがるのだろうが、エリーゼとしては邪魔する気は毛頭ないので勘弁して欲しいところだ。


「わざわざお二人にやって頂かなくても、うちの者に取らせますよ」


 公爵が本を抱えるのを見て、慌てて伯爵が端で控えていたメイドたちに促すが、ダリウスは首を振り、はっきり言う。


「俺が、やりたい」


 伯爵が明らかに困惑した顔をしている。

 これは付き合うだけ面倒なことになりそうだ。さっさと終わらせて何事もなかったかのように振る舞う方がいいだろう。


「で、では私もお手伝いします。我が家のことですから、任せっきりというわけにもいきませんし……」


「まあ、そうだな。仕方ない」


 何が仕方ないんだ。

 二人きりでくっつく為にここに来たんじゃないぞ、とエリーゼは視線を送る。

 微妙な空気が漂う中、エリーゼは作業を続けることにした。


「それじゃあ、この棚の上から四番目の……」


「これか?」


「そうです。あとは、ここの……」


「これだな」


 そんな感じで、結局全部先回りして取ってもらった。

 エリーゼが背伸びをして手を伸ばす度に、後ろから持ってかれていく。

 なんだか、師匠の元で学んでいた頃にそうやって手の届かない場所にあるものを取ってもらっていた事を思い出すようだった。

 集まった遺書は、全部で五枚。

 ちゃんと伯爵にも手伝ってもらった。

 合わせて六枚になったが、そのどれもに魔力の編み込まれたインクは使用されている。

 さてこれらをどのように組み合わせるべきか。

 エリーゼが考えようとした時、ふと、何か引っかかるようで振り返った。


「あら、これは……」


「どうした、エリーゼ?」


 本棚の端の方にあった、古びた分厚い本が妙に気になる。

 もう一度探知魔法を使って見ようかとしたが、近づいただけでここにも魔力があることがわかった。


「まだあったみたいですよ。今開いてみますね」


 本はずっしりとしてかなり重たい。

 留め具を外して開こうとするが、妙に魔力の量が多い気がする。

 これは、何かがおかしいような……。


「エリーゼ、待て!」


 ダリウスの言葉に顔を上げる。

 その瞬間、エリーゼの頬のすぐ真横を何かが通った。


「え?……っ!」


 慌てて本から距離を取ろうとする。

 ようやく違和感の正体に気づいた。

 これはただの本では無い、魔法書だ。

 それも、ちょっとした魔物が封じられているタイプの。


青焔の剣アルドル・イグニス!」


 エリーゼを庇うように片腕で抱きしめたダリウスの手が、瞬く間に青い炎を纏う。

 青く煌めく宝石のような輝きを持つその炎には実際の熱は無く、氷のように凍える冷たさだけがある。

 光を放ちながら本の中から出てこようとする黒々とした魔物は、魔法書でよく見る存在よりも気性が荒らそうに見える。

 エリーゼに標的を定め襲いかかってこようとするが、青焔は瞬く間に魔物を飲み込むと、ゆっくりとダリウスによって押し込まれていく。


「消え去れ。物語の奥底で眠るがいい」


 ダリウスが冷たい声でそう言った。

 魔物は消え失せ、光は収束していく。

 エリーゼはダリウスの腕の中で、彼の体温を感じながら驚いていた。

 心臓がどくどくと高鳴り、少し手が震える。


「びっくりしました……」


 エリーゼが魔法を視ることを専門としているのなら、ダリウスは戦うための魔法を専門としている。

 今の青焔も、彼がよく使用するもので特に魔族に有効であり、帝国内に出没した魔獣を狩る時には大いに役に立つ。

 彼が公爵として武勲を上げているのはこの魔法の力にもよるが、本人の気質もあり、冷酷公爵の名を定着させるにはこの力を一目見れば十分だった。


「気をつけろ。まったくお前は、弱いくせに魔法ときたらすぐに飛びつくな」


「はい、すみません……」


 本当に反省してるのか?と頬を摘まれた。

 エリーゼは、はははと誤魔化しながら笑いつつ、安全になった本に手を伸ばす。


「五十年ほど前のものでしょうか。古い魔力を感じます。長い間閉じ込められできたことで、変質しかけてるのかもしれません」


「そんなものが我が家に……!?」


 ページをめくって見ると、ふいにエリーゼの手から離れてひとりでにページがめくられていった。

 吹いていないのに風に煽られたかのように、バタバタ音を立てるそれは、ある一つのページで止まる。


「ああ、なるほど。ここのページを修繕して欲しかったんですね。きっと、元々は大人しい魔法だったのにこれが原因で怒ってたんだと思います」


「お、大人しい魔法ですか……」


 誰かがめくった時に破れたのか、ページに傷がついている。

 こんな魔法書をわざわざ読むとしたら、彼の祖父か、もしくは誰かが掃除の際に気付かぬうちに傷をつけてしまったのか。

 原因は分からないが、魔法書が苦しんでいるのは伝わったのでエリーゼができることはただ一つだ。


「魔法にも色々あるんですよ。それで、伯爵。この本、私がお預かりしてもいいでしょうか?」


「もちろんですとも!私共では扱いが分かりませんから、是非ともあなたに預かっていただきたい」


「ありがとうございます。丁寧に修繕させていただきますね。あ、もし他に魔法書が見つかったらすぐに私に教えて下さいね!」


「ええ、ぜひそうさせてもらいます」


 貴重な魔法書が誰にも読まれることなく置かれているだけなのは勿体ないことだ。

 魔法が大好きなエリーゼとしては、それは見過ごせないことだった。

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