第3話 非日常の予感

 光希みつきの話を聞いていた胡桃くるみは、眉間みけんにしわを寄せた。

 写真を撮る意味。そんなこと、考えたこともなかった。


 むむむっと黙っていると、光希は空気そっちのけで吹き出した。

「先輩、何笑ってるんですか?」

「なんか面白くて」

「真剣に考えてたのに……」

 頬をふくらますと、またも光希は声を出して笑った。


「ごめんごめん。……そういえばさ、望月もちづきはなんで写真部に入ろうと思ったの?」

 突然の質問に胡桃はドキリとする。わけもなく前髪をさわった。

「あ、ある人の写真にかれて……」


 ある人、とは光希のことである。高校の学校説明会に来たとき、展示されていた光希の写真に強く惹かれたのだ。そんなことは恥ずかしくて言えないけれど。


 そっか、と柔らかく微笑む光希を横目で見る。胡桃も問い返した。

「先輩はどうして?」

「俺もある人の写真に衝撃を受けたから、かな。まあ、ある人っていうのは瀬川せがわ先生のことなんだけど」


 思わぬ名前に目をまたたく。

「瀬川先生、ですか?」

「そ。まさか、先生やってるとは思わなかったよ」

 先輩は目を細めて笑った。


『あーあー、えー、下校時刻十五分前になりました。部活動を終え、片付けを始めてください。繰り返します……』

 放送部による下校アナウンスが始まった。この学校はやたら下校時刻に厳しく、間に合わなかった部活にはちょっとしたペナルティが課せられるのだ。とはいえ、学園祭の時期になると、その校則はすごくゆるくなるのだが。


「俺らも帰るか」

「はい」

 バタバタと玄関に押し寄せる生徒たちにまぎれながら、胡桃は光希の背中を眺める。

 入学する前から、どんな人かなと期待に胸を膨らませていた。実際に会ってみたら想像以上に素敵な人だった。会うたびに心がはずみ、ドキドキする。


 引退する前に言わないと。

 胡桃は胸の前でこぶしにぎり、一人気合を入れた。


 光希、ひかる夏鈴かりん。三人にとって、最後の学園祭が近づいてきた。


 ――六月のインターハイが終わると、運動部の三年はぞくぞくと引退していく。一方、文化部は学園祭と同時に引退する人が多い。


 どうやって告白しよう、と胡桃は学園祭準備をしながら、一人頭を悩ませていた。


「……さん! 望月さん!」

「は、はい!」

 クラスメイトの呼びかけにびっくりして声がうわずる。


「そこのゴミ、捨てるの頼んでもいい?」

 口調は優しいが、案に胡桃が邪魔なだけだろう。要領も愛想も悪く、友達はあまり多い方ではない。わかった、とうなずいて一人教室を出た。


 学園祭準備期間は学校がすごくにぎやかになる。

 切り絵。新聞。Tシャツ。出店。旗。ステージ発表。これらは毎年、在校生や教員、来場者による投票が行われ、優勝を競う。また、全校生徒で協力して作成するアーチやモザイクアートなどにも毎年力を入れていた。

 授業中も内職をして教室の飾りを作ったり、放課後には廊下にまで模造紙を広げ、クラス制作に没頭している。


 そんな光景を横目に廊下を進んでいった。

「胡桃ちゃん!」

 階段を下りていると上から声をかけられ、足を止める。声の主は夏鈴だ。軽快な足取りで胡桃のそばまで来る。


「こんなにたくさん、重いでしょ。一緒に行こ」

 夏鈴はそう言って、胡桃が右手に持つゴミ袋をひょいと取った。

「あ、ありがとうございます」


 裏門にあるゴミ捨て場へ二人で行くと、見知った先客がいた。輝は相変わらずのふにゃふにゃとした笑顔を向ける。

「お! まっきー、くるみん、お疲れー」

「お疲れー」

 夏鈴は片手を上げておうじた。持っていた袋を『可燃ごみ』と書かれたスペースに置き、パンパンと手を払う。胡桃もその上に乗せた。


「二人のクラスは何やるの?」と輝。

「私のクラスはお化け屋敷。三年目にしてやっとできる」

 お化け屋敷は毎年やりたいクラスが多く、競争率が高い。各学年一クラスという制約のもと、夏鈴のクラスはじゃんけんで勝ち取ったそうだ。


「へー、良かったじゃん。俺は怖いの無理だから行かないけど」

「はぁ~? なんでよ、来てよ。私がいるっていうのに」

 抗議に耳をふさぎながら、輝は胡桃に視線を向ける。


「くるみんのクラスは?」

「縁日、です」

「おお、いいじゃん。遊びに行くね」


 夏鈴はいまだに何か言っているが、ねた様子でため息をつくと、話に加わった。

「縁日ってことは輪投げとか射的?」

「はい。割りばしで作ってました、鉄砲とか」


「へぇ! 楽しそう」とポニーテールを揺らし、微笑んだ。「山岸のクラスは何やるの?」

「俺? かき氷屋さん」

「へぇー」

「ちょっと、くるみんに対するへぇと全然テンション違うじゃんか」


 二人の会話を隣で聞いていた胡桃は「仲良しですね」と笑う。否定されるかと思ったが、すんなり「「まあね」」と返された。

 やっぱり二人は付き合っているんだろうか。それに、もしかしたら光希にもそういう相手がいるかもしれない。


「くるみんさ、ミツにはいつ告るの?」

 心を読んだかのように、輝は声を上げた。

「山岸はすぐそうやって人の恋路に首突っ込む」

 夏鈴が難色を示す。


「だってさ、あの大人気な笠原かさはら光希ですよ? 最後の学園祭だし、告白する子多いでしょ」

「まあ、たしかに……笠原くんのファンは私のクラスにも沢山いるけど」

 そう言いながら二人は胡桃の様子をうかがった。


「そ、そんなに人気なんですか……?」

 クラスに馴染なじめていないため、そういった情報にはうとい。下級生の中にもファンがいるのだろうか。


「試験では常に学年トップ三だし、運動神経も抜群だし、それに加えてあの顔! 同性から見てもカッコいいんだよなぁ」

「それそれ、ほんとなんでもできるよね。どこに欠点あるんだろ」

 光希の話で盛り上がる二人。

 そんなに人気なのにどうやって告白すればいいんだ、と胡桃は再び頭を抱えた。


「あれ、噂をすればミツじゃん。先生もいるし」

 廊下の窓際で話す光希と瀬川を発見した。

「何話してるんすか?」と輝。

「あー、それがな、写真部が展示する予定だった写真がなくなったんだよ」

 瀬川は大きく肩を落としてこたえた。


「え、盗まれたってことですか?」と夏鈴。

「うーん、俺が笠原から受け取って、職員室で保管してたんだけど、気づいたらなくてな……」

 瀬川への信頼度が下がっていく。生徒の疑わし気な目に、瀬川はさらに落胆した。

「申し訳ない……」


「でもさ、誰が好き好んで写真なんて盗むんだよ。もしかして、ミツのファンとか?」

「ファン?」と瀬川が首をかしげた。

「さっきその話で盛り上がってたんすよー。ミツはモテモテだから」

「笠原くんファンが多いんですよ」


 二人の言葉に瀬川は光希を上から下まで眺め、納得の表情を浮かべる。

「へぇ……さすがだな笠原」

 当の本人は少し不快そうに眉間にしわを寄せると、一言零した。

「なくなったのは俺のだけじゃない」


「「え? そうなの?」」

 輝と夏鈴の声がピッタリ重なる。

「俺のも望月のも。それから、米山よねやま相田あいだのも」

「そうなんだ……それにしても、相変わらず行事にはちゃんと参加するのね、その二人」

 部長の夏鈴はあきれ顔だ。


 米山と相田は胡桃と同じ二年生の写真部員だが、部室には全く顔を出さない。いわゆる幽霊部員だ。イベントや大会には参加するが、それ以外はあまり交流がなかった。


 ――とりあえず、クラスの人にそれぞれ聞き込みしてみようということになり、その場は解散した。教室に戻る途中、胡桃は一人、写真の行方を考えていた。


 風で飛ばされたら気づくだろうし……やっぱり盗まれたのだろうか。

 頭をひねりながらのろのろと廊下を歩いていると、女子生徒とぶつかってしまう。


「ごめんなさい!」

 あわてて謝罪する。

「いや、こっちこそごめんなさい。前がよく見えなくて」

 ぺこぺことお互い頭を下げていると、彼女の抱える大きな模造紙が目に入った。


「ん?」

 思わず声が出ていた。「どうしました?」と不思議そうにする彼女の声は、胡桃には届いていない。うーんとうなり、頭を回転させた。


「……モザイクアートだ!」

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