第30話 12月25日

大勢の魔法使いが狭い範囲で同時に魔法を使うと干渉が起きるということを聞いたことがある。

さすがは魔族の村、そのあたりの事情については明るいらしく、干渉の起こらない範囲に術者が散らばり、自分の周りの人員を一緒に戴冠式の会場へテレポートさせる算段だった。


とはいえ、穏健派が抜けた村人は若者からお年寄りを合わせても40人程度で、それほど大がかりなものではなかった。


「さあ、時間だ!!」


リーダー格の50代くらいの男性が声を張り上げた。


「今、まさに、わたしたちの嫁、恋人、そして娘たちが、無慈悲に殺されようと、下賤な人間どもの前に引き出されていると連絡が入った。彼女たちを卑しい目に晒させ続けるわけにはいかない。さあ、行こう!!」


「カウントダウン!5!」


会場に現れるのは同時でなくてはいけない。

バラバラに現れてしまっては、先に到着したグループがハチの巣にされる。


「4!」


テレポートを使わなかった魔族は、着地と同時に煙幕を張る。

会場はコロシアム状で、客席は高い位置にある。矢などの飛び道具で狙われたら厄介だからだ。


「3!」


煙幕の次は、本格的に攻撃が始まる。

生贄に連れていかれた女性たちは、何かしらの薬物を使用されて正常に魔法が使えなくさせられている可能性が高い。

その女性たちを連れて村までテレポートする人員も確保してある。


しかし、一度に全員を移動させることはできない。

だから男たちが、魔物になる覚悟で時間を稼ぐのだ。


「2!」


ミミはチラリと目の端に小さな影がこちらに走ってくるのを見た。

ハッとしてそちらを見ると、メリーとベリーだった。

泣きながらこちらに向かって走ってくる。


「1!」


「おじいちゃん、行かないで…!」

「メリーとベリーを置いていかないで!!」


「0!」



テレポートの感覚があり、ストンと足が地面に着地するのと同時にミミはあたりを見回した。

メリーとベリーは案の定、テレポートの魔法の範囲内に足を踏み入れてしまっていたようで、地面にぺたんと座り込んであたりをキョロキョロとしていた。


ミミは走りだした。メリーとベリーに向かって。


リズの姿は煙幕にかき消されて見えなくなってしまった。

しかし、走り出しが早かったおかげで、メリーとベリーのもとには無事に着くことができた。


「メト!!!!!!」


ミミは今まで出したことがないほどの大きな声で叫んだ。


「リズ、守って!!!!!」


怒声や悲鳴が飛び交う屋外で、自分の声がメトまで届くかはわからなかったが、すでに魔物となってしまっている村人の爪からメリーとベリーをかばいながら、腹の底から叫んだ。煙幕の影響もあり、喉から血が出るような痛さがした。


村人たちからもらった矢除けのマントは、メリーとベリーを覆うのに十分な大きさだった。

しかし毒除けのマスクは足りない。

何かしら魔法を無効化する毒はすでにまかれている可能性が高い。会場の人間たちがいるので致死性の毒物は使われないだろうが油断はできない。一刻も早く二人をこの場から遠ざけなくてはならない。


「メリー。ベリーを連れてテレポートできる?」

毒除けのマスクはメリーに着けていた。

メリーはガクガク震えながら頷いた。

「じゃあ、行って…!村に戻るんだよ、さあ…!」


雨のように降り注ぐ矢の一本が肩の骨に当たってガツンと音を立てた。

脇腹を掠った矢はそのままの勢いで、手をついている地面に突き刺さった。


メリーとベリーが目の前から消えたのを確認すると、そのままミミは気を失った。



「ミミ…?」

リラは煙幕の向こうから、かすかにミミの声が聞こえた気がしてハッと顔を上げた。

「リラちゃん、どうしたの…?」

怪我が癒えきっていなかったリラを介抱してくれた、サラという女性が不安そうな顔をしてリラを見た。

「…友だちの…声が聞こえて…。」

「お友だちの…?」

「リズを…守る…?」

リラはフッと意識を失いそうな感覚がして踏み止まった。

サラは倒れそうになったリラの背中に手を当てた。

「…行かないと…。ミミとリズが…迎えに来てくれたんだ…私が…守らないと…。」

リラはウトウトとしながら言った。

サラはリラを自分の膝の上に横たえながら言った。

「今までわたしたちを守ってくれてありがとう。もう、大丈夫よ、みんなが迎えに来てくれたから。ありがとう…。」

サラはリラの頭を撫でながら優しく撫でながら言った。

リラはスゥと寝息を立てて眠ってしまった。


そして目を開けてスッと立ち上がった。


「ライラ様に気安く触らないでいただきたい。」

金色の前髪をあちこちにハネさせて、柔らかい髪に寝癖をつけて、紫と黄金色のグラデーションのかかった瞳で、リラは言った。

サラはクスクスと笑って「おはよう、メトちゃん」と言った。

メトはリラの身体でフンッと鼻を鳴らし、「あなたたちに“ちゃん”と呼ばれるほど安くはありませんよ。」と言って腕を組んだ。

「今までありがとうね、メトちゃん。わたしたちを守ってくれて。おかげで今まで、誰も酷い目に遭わずに済んだわ。」

メトはグラデーションのかかった瞳を、見下す角度でサラに向けて言った。

「別にあなた方を守ったわけではありません。ライラ様の頼みを聞いただけです。」

メトは、村の男たちのうちのひとりが張った見えない壁越しに、煙幕の中を見た。

「私がここから出るにはこの壁を壊す必要がありますが、そうするとあなた方はこの得体の知れない不気味な外気を吸う羽目になりますね。」

サラは他の女性たちを見回した。

他の女性たちは、肯定の頷きをした。

サラはみんなに「ありがとう…」と言った後、メトに向かって言った。

「大丈夫です。わたしたちには彼らがいますし、魔法が使えなくとも走ることはできます。壁が壊れたら息を止めてすぐに屋内へ走ります。これ以上、あなたとリラちゃんのお世話になるわけにはいきません。」

「勘違いしないでいただきたい。私はあなた方の意見なんて聞いていないのです。ライラ様のために、あなた方に安全でいただく必要があるだけです。」

メトはバッと、大きな白い翼を広げた。すると雪のように白い羽が女性たちの上に降り注ぎ、消えた。

初めて見た美しい姿に、女性たちは息をのんだ。

「これで大丈夫です。それでは。」

メトは翼をひと振りし、壁を破って空に舞った。



派手な少年は高い位置にある客席の座席の背もたれの上を、平均台を歩くように両手でバランスをとって歩きながら、騒動を見物していた。

「へえーやっぱベルってすごいんだなあー。」

ベルは会場全体的に、意識を操る魔法をかけていた。さすがに8千人が入ると言われているこのコロシアム全体を覆う魔法をポンと使うことは無理だったようだが、念入りな準備によって魔法は無事に成功しているようだった。客席の座席に座っていた一般客たちは阿鼻叫喚で何かしらを叫んだり怯えた声を出したりしていた。「こんな悪趣味な見せ物を愉しめる悪趣味な連中には悪趣味な幻を見せてやる」と言っていたが、どんな内容なのかがとても気になる反応だった。

弓矢を用意したり投げ槍を用意したりして「魔族が現れたら一網打尽だ」とヘラヘラしていた兵士たちも、ベルの魔法によってもがき苦しんでいた。


ひとりを除いて。


少年は、「お疲れ!ボクのために働いてくれてるかい?」と、ひとり黙々と矢を放ち続けるひとりの兵士の肩をたたいた。

兵士はぐらっと動いたが、そのまま黙々とある一点を目掛けて矢を放ち続けた。


「咲ーいーた〜咲ーいーた〜チューリップーの花が〜……」

そこまで歌ってひとりでクスクスと笑って、

「チューリップってなんだろなあ、チューリップも可愛いかなあ?ボクの夜光花より可愛いかなあ?そんなわけないよねー。」

と言って、鼻唄を歌いながら“その時”を待った。



毒ガスは空気より重く、煙幕とともにコロシアムの窪みに澱んでいる。

しかし、危惧していた魔力の暴走による虐殺は起こっていない。


夜光花の根の毒の解毒剤の開発は想定通り間に合った。そしてその上で、完全な解毒剤を作るのではなく、弱毒化レベルに止まるように調整をした。

夜光花の毒を吸った魔族たちは無意味にケラケラと笑っているが、魔法を使おうとはしない。脳の主導権の大部分を失った彼らは、脳の痙攣を抑えられずに笑っている。そして今彼らは、わずかに残った理性でそれを抑えようと必死だ。とても魔法が使える思考の状態ではない。これで魔物の姿に変わってしまうほど暴走する心配はない。

とはいえ、毒ガスが放たれる前に暴走した数人のことは、どうしても間に合わなかった。ベルは、魔物と化してしまって笑うことも出来ず怒りに我を忘れて暴れまわる魔族たちをひとりずつ丁寧に鎮めていた。


「…ん?なんだ…?」

動いている者たちへひとりずつ鎮める魔法をかけ直しているときに、ベルは煙幕の中を走り回る存在に気がついた。

動きからして理性的で、魔物ではない。かと言って脳が誤作動したようにゲラゲラ笑っているわけでもない。何かを探すように、息を切らせながら走り、叫んでいる。


「ミミ…リラ…どこにいるの…」


微かに声が聞こえた。


「まさか…!」

あの3人組は結局捕まってしまっていたのか、とベルは唇を噛んだ。

そして今すぐに確認したい、助けたい、と思いかけた頭を振った。


やるべきことがある。

魔物になった魔族たちを鎮めなくては被害が広がってしまう。

そのあとは、あのバカ王子が二度とバカなことを考えないように念入りに痛めつけなくては…。そのチャンスは、今しかない。今やらなければ、この後何人が無惨に殺されるかわからない。


ベルはふぅと息を吐き、雑念を払って魔法に集中した。



「ミミ…リラ…どこにいるの…!!!」

リズは怒声や悲鳴、笑い声が渦巻く中にかき消されないように、声を張り上げた。

しかしミミからもリラからも応答はない。

煙幕で視界が極端に狭い中、ケラケラと笑っている村人に途中途中でぶつかりながら、方向もわからないまま当てずっぽうに走った。


すると上空から羽の羽ばたく音が消え、リズの周りの煙幕がフワッと晴れた。

リズは驚いて立ち止まり、羽の音が聞こえた背後を振り返った。


「全く、あまり歩き回らないでくださいよ、見つけにくいったらありゃしない。」

リズは目の前にいるのが誰だかわからず戸惑った。メトかと思ったが、リラのような見た目をしていた。

「…リラ…?」

リズは「メト?」と聞くか迷った挙句、メトは記憶ではイタチの姿をしていたはずだと思い直し、結果「リラ?」と聞いた。それほど、リズには目の前の人物は「メト」に見えた。

「ライラ様のお身体をお借りしてますが、私はあなたのおっしゃる“リラ”様ではありませんよ。」

「…じゃあ、“メト”…?」

メトは驚いたように目を見開いた。

「よく…わかりましたね。そうです。私はメトです。」

あなた、さては人間ではありませんねとメトは首を傾げた。

「…いや、私の自己紹介などどうでもよいのです。ミミは一緒ではないのですか?ライラ様をあなた方のところへお連れして、必要とあればお二人をお守りしたいと考えていたのですが…。」

「それが…ミミがどこに行ったのか、わからなくなってしまって…。」

「なんと…!あの人形がどうなろうと私には関係ありませんが、壊れてしまったらライラ様が悲しんでしまう。すぐに見つけて差し上げましょう。」

メトは大きな翼をバッと広げ、地に足を使たまま羽ばたいた。

するとその風に乗ってリズとメトを中心にした半径10mほどの範囲の煙幕が晴れた。


「だめだ…いない…。少し移動してもう一度…」

リズはしばらくあたりを見回した後、次の範囲を見に行こうとメトに指をさした。

「…いえ、いましたね。」

メトはリズとは別の方向を指さした。

「え…どこに…」

リズはその方向をじっと見た。

「…まさか…。」


ミミは確かにいた。

しかし、リズが思っていた姿ではなかった。


リズはミミと思われるモノのところへ駆けた。


「ミミ…まさか…ミミ…!!」


近づいてくるほどに、その亡骸は、明らかにミミであった。



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