第21話 銀の蕾
おばあさんのそばで激しく泣いているリズが、もう癒しのチカラを使おうとしないのを見届けて、ミミは部屋を出た。今度はリラはミミを止めなかった。
ミミは階段を降りて食卓のある部屋へ入った。
トリシアもアリシアもいなかった。
ミミはハッと気づいて、2階のおばあさんの部屋に移していた食卓の椅子を食卓へ移動させ、元通りの位置にきれいに並べた後、そのうちの一つの椅子に座ってぼんやり考えた。
どうしてリズはあんなに泣いているのだろう。
キノジィがいなくなった時、ぽっかりと大事なものを失ってしまったと思って呆然とした。そして、「もう、キノジィの言いつけを守らなくていいんだな」と思うと、特にうれしくも悲しくもないはずなのに、涙が出た。胸が苦しくなって、息がうまくできなくなった。
リズも今、そんな気持ちなのだろうか。
ぼんやり考えていると玄関の扉が開く音がして、トリシアとアリシアが部屋に入ってきた。
「あら、ミミ。一人でどうしたの?」
トリシアはミミが一人で食卓にいるのを見て少し驚いたように言った。
「…。」
ミミは何となく、おばあさんが亡くなったことを伝えづらく感じて口を閉じたままトリシアの目を見た。
「…どうしたの…?」
トリシアは再び訊いた。
生き物が死んでしまうのは当たり前のことだ。
キノジィの家でも毎日、虫が死んだり小鳥が死んだりしていた。
だから、特別なことではないはずなのに、トリシアやアリシアにおばあさんの死を伝えるときにこれだけ気が重くなるのはなぜなんだろう。
ミミはそう思いながら言った。
「おばあさんが、亡くなってしまった。」
「…え…?」
「今はリズとリラが見ていてくれてる。」
アリシアは「おばあちゃん…」と言って2階の方を見て、「わたし、行ってくるね」とトリシアに伝えて階段をのぼっていった。
トリシアは口を覆っていたが、「…そう。」と優しく言った。
「あなたたちが最期に一緒にいてくれたのね。ありがとう。」
*
結局3人は、おばあさんのお葬式が終わるまで、イミルラに滞在することにした。
さすがに連日宿を借りるわけにはいかないので、おばあさんが亡くなった日、トリシアの妹夫婦が到着したのと入れ替わりで、3人はおばあさんとトリシア、アリシアにお礼を言って家を後にした。
おばあさんのお葬式は翌日、つつがなく終わった。
参列者は驚くほど多く、子どもから大人までいた。
「母はね、先生をしていたのよ。」
トリシアは言った。
「何を教えていたんですか?」
ミミが訊いた。
「外国語よ。
母はね、戦争が起こってしまうのは、お互いのことがわからなくて疑心暗鬼になるからだって信じてた。
人間は本当はやさしくて、そしてとても臆病な生き物なんだって。話し合いさえできれば、誰もが誰もにやさしい世界になるんだって、そう信じてた。」
トリシアはミミに向かって言った。
「魔法使いと、魔法を使えない人たちとの間の争いも同じ。今、瞳の色が赤かろうと黒かろうと同じ人間同士が仲良くしているように、魔法使いと魔法を使えない人たちが普通に仲良くしたり喧嘩したり、そんなことができる時代がきっと来るわ。そんな未来を担っていくのは、あなたたちのような子どもたちよ。」
トリシアは微笑みながら言った。
「私の母と父のような人たちが共に添い遂げられるような未来を、つくっていってね。」
別れの時、トリシアはリズを手招きで呼び寄せた。
そしてリズの首に、きれいな花の模様の描かれた銀色の時計をかけた。
「…これは何ですか…?」
リズは時計を手のひらに乗せて訊いた。おばあさんの大切にしていた金色の時計によく似ていた。
「あなたのもっていた時計を母に返してくれたでしょう?そのお返しよ。」
少し申し訳なさそうに言った。
「全く同じものはなくて申し訳ないのだけれど…。」
リズは時計を光にかざした。きれいに磨かれていて、精巧な花の彫金が光を反射して輝いている。
「きれい…。」
「これは、わたしの父の作った時計なの。」
トリシアは時計に描かれている植物の絵を指さして言った。
「これを見て?わかりにくいけれど、これ、夜光花なの。」
トリシアはクスクス笑いながら言った。
「本当に夜光花が大好きだったみたいね。どの時計にも夜光花が描かれていたそうよ。」
自分の作品全部に好きなものを描いてしまうなんて、子どもみたいな人よね、と笑った。
リラもリズの手元の時計をのぞき込んで、そして言った。
「でも、なんでこの夜光花は蕾なんだろう?」
時計に描かれた夜光花は大部分が葉で、その葉に守られるように小さな蕾が描かれているデザインだった。言われてみなければこれが夜光花だと気づくのすら難しい。
トリシアも不思議そうな顔をして頷いた。
「そうなのよ。この時計の夜光花は、蕾なのよ。でも母いわく、父が一番気に入っていた時計はこれだったそうよ。わたしを育てるために父の時計は一つずつお金に変わっていってしまったけれど、母はこの時計は最後まで売らなかったわ。今家に残っている時計は、これが最後。
ごめんなさいね、元の時計と同じ、花の方がよかったわよね…。でも街ではなかなか似た時計を見つけることが出来なくて…。」
トリシアは困ったように言った。
「これで許してくれるかしら…?」
リズは唇をかみしめて震えながら言った。
「ありがとうございます…とても…うれしいです。一生大切にします…。」
「『クリスタル・ジャム』。」
トリシアは言った。
「え…?」
リズとリラはトリシアを見た。
「母がよくお話してくれた物語なの。知ってる?」
リズは頷いた。
「おばあさんから聞きました…。」
「そう。」
トリシアは「わたしも最後に聞きたかったわ。」といいながら微笑んだ。
「もしもよかったら、母と父の物語を、あなたたちの心の瓶の中に加えてほしいの。飴玉として。」
トリシアは微笑みながら言った。
「人はあんな風に、あっけなく亡くなってしまうものよ。母はあなたたちのおかげでひとりで旅立ってしまわずに済んだけれど、このご時世、誰がいつ突然旅立ってしまうとも限らない。もしかしたら、いなくなってしまってもすぐには誰にも気付いてもらえないこともあるかもしれない。
でも、その人の生きた時間は確かに存在していて、その人の生きた証、その時間の
あなたたちが母と過ごした時間はとても短かったし、父に至っては出会ってすらいないけれど、彼女たちの生きた時間があなたたちの中で何かしらの意味を持ってくれたら、とてもうれしいわ。」
ミミはメトを頭に乗せながら、少し離れた場所から話しているトリシアとリズ、リラを眺めていた。
「あなたの瓶は壊れていそうだね。」
ミミは頭の上にいるメトに言った。
するとメトは鼻で笑って応えた。
「あなたに言われても…としか言えませんが。」
メトは尻尾を振りながら続けた。
「壊れているのはあなたなのでは?私はあなたが思うよりもずっと通常ですよ。」
「どこが通常なの、キノジィを酷い目に合わせたくせに、何の罪悪感ももっていないじゃない。」
「罪悪感!あなたにもそのような複雑な感情がわかるのですね。」
メトは冷たく言った。
「少なくとも親の仇を呑気に頭に載せているあなたの方が異常なのは間違いありませんよ。」
ミミは何も言えず、黙って3人を眺め続けた。
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