第16話 “あの子”
部屋に入ると見たことのない煮込み料理の皿が人数分並べられていた。
「いつも3人しかいないから、少し窮屈だけど…」
と、アリシアの母親トリシアは言った。
「あれ、おばあさんは…?」
リズは部屋を見回しながら言った。おばあさんがいなかった。
「母は疲れてしまったみたいで、2階で寝ています。」
トリシアは言った。
「だから、母に代わってわたしたちでお礼をさせてください。」
さあどうぞ、とトリシアは食卓の椅子に座るようにミミたちを促した。
アリシアが「荷物と上着、預かりますよ!」と手を出している。
ミミとリズは「ありがとうございます。」と上着をアリシアに渡した。
「荷物は私が持っていくよ。」
リラがぶっきらぼうな様子で両手を突き出した。
ミミは「ありがとう」と言って荷物をリラに渡した。リズも戸惑いながら「ありがとう」と言ってリラに鞄を渡した。
アリシアに荷物を置く場所を案内してもらっているリラをチラチラ見ながらリズは、
「リラ、何か怒っているの…?」
とミミに言った。
「いや、怒ってはいないよ。あれは、”怖がってる”んだ。」
ミミはクスクスと笑って言った。
アリシアとリラが戻ってきて食卓についたので、みんなで揃って「いただきます」をした。
初めて食べる煮込み料理は、不思議と食べれば食べるほどに空腹を実感する味だった。
味が良いのか香りが良いのかはわからないが、魔法でもかかっているのではないかと思うほどに魅惑的な味だった。
「ふふ…喜んでいただけているようでよかったわ。」
トリシアは口の周りにお弁当をつけているリラを見ながら嬉しそうに言った。
リラはトリシアと目が合って、恥ずかしそうに前のめりだった姿勢をまっすぐに正して口の周りを袖でぬぐった。
「ああ…!袖でぬぐったら汚れてしまうじゃない…!!」
トリシアは立ち上がって食卓を超えてリラの手を押さえて黄色っぽくなった袖を見ながら、
「あーあ…せっかく白くてきれいなお洋服なのに…今夜のうちに洗っておくから洗濯に出して…」
と、ここまで言ってハッとし、笑った。
「ごめんなさい、アリシアが小さかった時のことを思い出してしまったわ。」
トリシアは優しく微笑んだ。
「もう、お母さんったら…すみません…。」
アリシアも困ったように笑って言った。
「素敵なご家族ですね。」
リズは言った。
「うふふ、ありがとう。久しぶりに楽しくご飯が食べられて嬉しいわ。あなたたちのおかげね。」
トリシアは言った。
「え…?」
リズは首を傾げた。
「どういうことですか?」
トリシアは困ったよう笑いながら言った。
「母が1年ほど前から頭の病を患ってしまって、アリシアとわたし、どちらかは常に母を見守っていないといけない状態で…。だから、こうしてゆっくりご飯を食べるのは久しぶりなの。」
リズは「そうだったんですね…。」と悲しそうに言った。
「おばあさんの病気、良くなるといいけれど…。」
トリシアはまた困ったように言った。
「歳をとったらみんなそうなってしまうから、もう治らないかもしれないわね…でも、あなたたちのおかげで今日は母、とても穏やかに眠っていたわ。ありがとう…。」
トリシアはそこまで言って不思議そうに顎に手を添えて言った。
「それにしても、あの時計、よく見つかったわね…。」
奇跡って本当にあるのね、とトリシアは言った。
「数年前に無くしてしまっていたんですよね?」
リズがそう言うとトリシアは手を振って言った。
「数年前どころじゃないですよ。何十年前、わたしが生まれる前に失くしたものです。父からもらった時計らしいのですが、とっても大事にしていたのにある日突然無くなってしまったと…。」
「お父さんから?」
「はい、母にとっては”夫”ですね。時計職人だったそうで、いつも自慢していました。なんでもプロポーズの言葉は“俺と一緒に時を歩んでほしい”だったとか。その時に例の時計をもらったそうです。」
トリシアはプロポーズのセリフを言うときに少しはにかみながら言った。
「わたしも父に会ってみたかったです。」
「トリシアさんはお父さんに会ったことがないんですか?」
「はい、残念ながら。父はわたしが生まれる前に亡くなってしまったので…。」
リラは空になった皿を前に腕組みをしながら眉間にしわを寄せて話を聞いていた。
「お代わりいりますか?」
トリシアはリラの皿が早々に空になっていることに気が付いて言った。
「うん…。」
リラは上の空で答えた。
トリシアはリラの皿をとって立ち上がり、調理台の上に置いてある鍋に向かった。
「…どうして亡くなってしまったんですか…?」
これまで黙って話を聞いていたミミが訊いた。
「戦争です。…父は魔法が使える人だったようです。」
トリシアは料理をついだ皿をリラの前に置きながら言った。
「昔はまだ“魔族”なんて言葉もなくて、チカラを持った人とチカラを持っていない人の垣根は今ほど高くはなかったそうです。だからチカラを持たない母とチカラを持った父が結ばれることになったのですが…。」
トリシアは悲しそうに言った。
「二人にとってはちょうど時代が悪かったの。その頃、ある事件をきっかけに、魔法を使える人たちは過剰に恐れられることになってしまって…そこから彼らへの差別が始まったらしいわ。」
「ある事件って…?」
ミミは訊いた。
トリシアは「ごめんなさい、わたしも詳しくは知らないのだけど…」と言って続けた。
「“魔族至上主義”を掲げた恐ろしい宗教の団体が、ひとつの集落を…その、“皆殺し”にしたとか…とにかく、その事件をきっかけに、“チカラを持たない人間たち”は、“チカラをもった人間たち”を迫害するようになった。…父も、迫害にあっていた。」
トリシアは悲しそうに言った。
「“潔白ならば、それを示せ。さもなくば、穢れた魔を宿す子どもを母体共々、殺処分とする”と言われたそうよ。
父は、母のお腹の中にいたわたしと母を守るため、前線に出て国のために戦うことで“潔白”を示して…そのまま帰って来なかった。」
トリシアは2階へ通じる階段の方を向いて言った。
「母は、父の帰りをずっと待っているの。わたしの幼い頃からずっと、“お父さんは出かけているの。きっともうすぐ帰ってくるわ”って言ってる。何十年経った今でも、帰ってくるって信じて待ってる。玄関に夜光花を飾ってね。」
リズはハッと息をのんで言った。
「“夜光花”…?」
「そう、夜光花。父が好きだった花だそうよ。」
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