第10話 二つの宝石

パウロはミミとリラの後ろを歩きながら、アルの安否を案じていた。身体ではなく、心の安否である。


ミミとリラは、時々立ち止まって「精霊の声」を聞いている。その声に従って歩いていて、見つけたのだ。あの男の死体を。


これをやったのは、アルに違いない。

魔法を使ったのだろう。


パウロは、今すぐアルを抱きしめたい、と思った。

そして、抱きしめられる自分でありたいと思った。


パウロには魔力がない。

アルに魔力があると気づいた時、9歳だったパウロは咄嗟に「アルに魔法を使わせてはいけない」と思った。


理由は二つある。

一つは、「魔法が使える」というだけで凄惨な人生となることが見えていたから。

奴隷であるという時点で冴えない人生だが、魔法が使える者は奴隷でなくても見つかればその時点で人権などないようなものだ。

戦争で活用するために捉えられ、無理に“繁殖”させられ、戦争で死ぬまで自由はない。

それならば今の奴隷生活の方がずっとマシだ。

絶対にアルが魔法を使えることは隠さないといけない。そのためにはアルに魔法を使わせてはいけない、と思った。


もう一つの理由は、怖かったからだ。

パウロは、アルの持つ未知の力が怖かった。アルはこの幼さでどれだけのことができるのだろうか。もしかしたら人を殺すこともできるかもしれない。

アルを未知の存在として恐れる一方、「もしあの男を殺してもらったら、二人で逃げられるのではないか。」と少しでも考えた自分も恐ろしかった。

弟であるアルを恐れつつも都合の良いように利用しようとする。ずっと蔑んできた「卑しい人間」が自分の中にもいる。

アルの魔法の力を目の当たりにしたらその卑しい人間が自分を乗っ取るのではないか。怖かった。


そして今、あの男の死体を見た時、パウロは思ってしまった。「嬉しい」と。「よくやってくれた」と。


そう思ってしまった一方、アルの心も心配だった。

当然、アルは人を殺したことはない。虫も無闇に殺さない優しい子だ。今ごろショックを受けているのではないだろうか…。

幼い子どもが背負うにはあまりにも重たい罪を負わせてしまった。こんなことが起きるとわかっていたら、その役目は自分が負うべきだった。


アルと再会した時、もしかしたら自分は、アルの「人を殺せる力」を恐れるかもしれない。しかし、その恐怖は置いておいて、まずアルを抱きしめたい。不安に襲われているであろうアルを安心させられる兄でありたい。そう思った。


たとえそれが、弟の力を便利だと思ってしまった「卑しい人間」の面を隠すハリボテの願いだったとしても、そういう自分でありたかった。


「パウロ。アルの居場所がわかった。」

立ち止まって精霊の声を聞いていたミミがパウロに声をかけた。

「この先の街にいる。」

ミミは前方を指差して言った。

「リズも一緒みたい。二人とも無事だって。」

ミミはリラに向かって言った。リラは「うぅ…」と言って涙ぐんだ。

「アルが守ってくれたんだって。小さな子どもなのにすごいね…ありがとう。」

ミミはパウロに頭を下げた。リラも目を擦りながらパウロに頭を下げた。

パウロは「いやいや」と手を振りながら言った。

「あいつのこと、オレも尊敬するよ…すげえな…」

パウロは嬉しそうに言った。



先に目を覚ましたのはリズだった。

慌てて辺りを見回すと、隣のベッドでアルが眠っているのを見つけて心から安堵のため息をついた。


街にたどり着くまでの間の約2日間、3回襲われた。いずれも2〜4人の少人数で、アルが誰か一人を空中に浮かべたり、誰かの手のひらを貫通するように枝をテレポートさせたりすれば恐れて逃げていった。

一回一回の襲撃は、アルにとっては大したことはなかったが、「いつ襲われるかわからない」という恐怖に常に気を張っていたのが辛かった。アルもリズも初日は夜通し歩き、次の日の夜も眠っていない。

アルは街の入り口にたどり着いた時に倒れてしまった。リズ自身も朦朧としていたのであまり覚えていないが、アルを背負って歩いていて、綺麗な音楽が聞こえてきて…恐らくそこで自分も倒れたのだろう。気がついたらここにいた。


もしもアルがいなかったら、自分は今ごろどうなっていただろうか…。

リズはベッドを降り、安らかに寝息を立てて眠っているアルの方へ向かって歩いていった。

「アル…本当にありがとう…。」

リズはアルのベッドの横に部屋の中にあったイスを移動させてそこに座り、アルの手を握った。



アルが目を覚ましたのは到着から丸一日経った昼だった。

目は開くが、身体が重くて動かない。アルは頭を横に向けてみようとしたが、少し動かそうとして痛くてやめた。

布団が良い匂いでふわふわで、気持ちが良い。また眠たくなって目を閉じていると、部屋のドアがゆっくりと開く音がした。そしてコツコツとゆっくりと歩く音がして、枕元に備え付けられている小さなテーブルの上に何かが置かれる音がした。とても美味しそうな匂いだったのでそれが食べ物だとすぐにわかり、急にお腹が空いた。


「そろそろ起きたか?」


目を開けて少し顔を横に傾けると、垂れ目の男と目が合った。ものすごい色男だと思った。男の人としては少し長めの黒髪は、ウェーブがかかっていて艶やかだ。同じく黒かと思った瞳は光が当たると赤だとわかる。

しかし、アルが一番気になったのは、左耳だ。髪はかきあげられていて、切れ込みが入った耳が露出している。しかもそこには二つの宝石の装飾がついていた。耳たぶを貫通するように、小さな赤い宝石と、キラキラした小石のような白い宝石が留められていた。


「自分で食えるか?」

アルは何となくこの人の前では格好をつけたくなり、静かに頷いた。

「そっちの方がいいよな、無理矢理腹ん中に食べ物入れられるよりか。リズちゃんが作った飯だし、味わって食べてあげな。」

男は立ち上がりながら言った。

「俺の連れいわく、あんたの兄ちゃんも無事にこの街に到着してるようだ。俺は今からそいつらを迎えに行く。」

またな、と男は部屋から出て行ってしまった。


アルは「兄が無事だ」と聞いて心底安心した。もう少しで再会できると思うと力が湧いてくる感じがした。

空腹も味方にして、アルはゆっくりと上体を起こした。頭の中で太鼓が鳴っているような酷い頭痛を覚えながら、アルは置いてあるスプーンを手に取り、盆に乗っている二つの皿を見た。一つは煮込んだ肉の料理。もう一つはミルクの中にパンが浮いている料理だった。


アルはミルクをスプーンですくい、啜りながら考えた。


あの男の人は、奴隷なのだろうか。


アルが何度も「これがなければどれだけ良かっただろうか」と思っていた左耳の切れ込みを、あの人は隠しもせず、綺麗な飾りをつけていた。


奴隷の証である切れ込みと、裕福な暮らしを想像させる宝石の耳飾り。


アルは彼のことをまだ何も知らなかったが、「かっこいい」と思った。強烈な憧れを覚えた。そしてなぜか涙が止まらなくなって、アルは泣きながら蜂蜜味のミルクを啜った。

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