第9話 守護者
ベルはポンタの寝室から出るとうーんと伸びをした。
「ほんとに、見境がない男は扱いやすいなあ。」
ベルは口元に薄っすら笑みを浮かべて呟いた。当日の警備責任者の名前がわかって、大満足な夜だった。朝の寝起きも最高の気分だ。
ベルは門番に「奥さまにはわたくしのことは秘密にして差し上げてね?」とキスをして屋敷を後にした。
意気揚々と、街の外にある一座の馬車へ向かって歩いていると、一座の手伝いをしている女の子が小走りでこちらへ走ってくるのが見えた。
「ガーネット…じゃなくて、ベル。早く馬車に戻ってあげて!」
女の子は小さな声で言った。
「何かあったか?」
ベルは男の声で言った。
「死にそうな子がいて…わたし達じゃどうにもできなくて…」
「わかった、今行こう。」
ベルは女の子の手を引いて人目のない細い道へ小走りに入ると、馬車へとテレポートをした。
馬車に戻るとママが慌てた様子でベルに駆け寄ってきた。
「ああ、ベル、お願いあの子たちを…」
「あの子たち?何人かいるのか?」
ベルは馬車の中に入りながら言った。
この馬車は特注品で、この馬車自体がステージになれるほど大きなものだ。進行方向を向かって右側がステージ、左側が居住空間になる。とはいえ一座全員を住まわせるには大きさが足りないはずだが、中に入るとベルの魔法によって空間が広げられていて、外見よりも圧倒的に広い。
ベルは「どこ?」とママに部屋へ案内させながら歩いた。
「2人よ。女の子と男の子。ボロボロで…死にそうで…」
ママは涙目になりながら言った。
部屋の前に着いて、ママが扉を開けると、ベッドの上に子どもが2人横たわっているのが見えた。
ベルはまず身体の小さな男の子から診た。
そしてすぐに女の子を診て、ふぅと息をついた。
「なんだ、全然大丈夫だよこれ。疲れて腹減ってるだけだ、飯でも食わせとけば元気になるさ。」
ベルがそう言うと、部屋の中に入って来て見守っていた一座の女の子たちが嬉しそうにキャッキャとした。
「じゃあ、わたしご飯作ってくる!」「じゃあわたしは身体を拭く準備をしてくる!」「そうだ、服もボロボロだよ、ねえママ、この子たちの服を買って来てもいい?」
安堵したママは力が抜けたようでヘナヘナと壁に寄りかかりながら、嬉しそうに「好きにしなさい」と言った。それを聞いて女の子たちはまたキャッキャとはしゃぎ、「じゃあわたしは女の子の方の服担当ね?」「えー!ずるい!わたしが女の子の服選びたい!」と言いながら部屋を出て行った。
ベルはベッドの側に椅子を持ってきて座りながら、男の子の方を覗き込んだ。左側の耳に切れ込みがあった。
「まだ小さいのにね…。」
ママは寂しそうに言った。
ベルは男の子の手首をツンと突いた。男の子の手首はビクンと動いた。
「魔力があるのか。よく無事だったな。」
ベルは目を丸くして言った。
「あら、その子、あなたと同じだったのね…本当に、よく無事だったわね…。」
ベルは女の子の方を見た。
「こっちは…その…大丈夫だったか…?」
耳に切れ込みはないが、魔力も無さそうだ。
ベルは女の子が着ている雑に縫い合わされたワンピースを見て眉をひそめた。
「ああ…わたしも心配だったけど、安心して。乱暴された様子はなかったわ。」
それだけは救いね、とママは微笑んだ。
ベルは安堵して頬を緩めた。
「その服はこの坊主が縫ったんだろうな、下手くそだ。」
例のアホな次期国王のせいで、ここ一帯は恐ろしく治安が悪い。人身売買も好んで行われている中で、魔力をもたないこの年柄の女の子がここまで無事にたどり着けたのは奇跡に近い。きっとそこの小さな男の子が守りながらここまで歩いて来たのだろう。
ベルは、気を失ったように眠る男の子の腹を布団の上からポンポンと叩いた。
*
ミミとリラは次の襲撃を警戒しつつ人間(パウロという名前らしい)の治療をしながらリズと彼の弟アルの軌跡をたどって歩いていたが、不思議と次の襲撃はすぐには来なかった。キノジィがおそらく何か施してくれたのだろう。
そもそもだが、なぜリラの居場所が天界にバレたのかが謎だった。ミミもリラも、天界が把握する対象から外れているはずで、どこで何をしていたとしてもわかりようがないはずだった。
ミミは切り株に腰掛けてぼんやりと考えていた。
あの時はキノジィが狙われていたから咄嗟に飛び出していったが、リラが天界に戻ることを拒否する理由はない。
リラは気絶させられてはいたが、手荒なことはされていなかった。“ライラ様”と丁寧に呼ばれてもいた。元々リラは罪を犯した罰としてこの世界に堕とされたと聞いていた。罪を許され、天界に戻れるならリラにとって良いことなのではないだろうか。
ミミは人間が握っていたという紫色の原石を手のひらで転がした。
アメジストと名乗った天使は、ミミのことをリラの“罪”だと呼んでいた。リラは何のために『時間の矢』を盗んだのだろう。そして、『時間の矢』とは、一体何だろうか…。
ぼんやりと考えていたらうっかり手で弄んでいた紫色の原石を落としてしまった。
拾おうと腰を屈めると、
「いった!!」
草陰から一匹のイタチが飛び出して来てミミの手を噛んだ。
ミミは反射でイタチを吹き飛ばしたが、イタチはその場で宙返りをし、転がっている原石をパクッと咥えて飲み込んだ。
「…!!」
ミミは咄嗟にイタチを空中に浮かべ、両手で鷲掴みにした。
「…ごめんね、痛いだろうけど…。」
ミミは目を瞑り、イタチの腹の中にあるだろう原石を取り出そうとした。
「いたたたたた、待って待って!!」
「!?」
ミミは辺りを見回した。
ミミは精霊の声が聞こえるので、何が喋ったかわからないことがある。
後ろを振り返ると水を汲みに行っていたパウロとリラが歩いてこちらに戻ってくるのが見えた。
ミミは掴んでいるイタチに目を戻した。
イタチはミミを恨めしげに睨んでいた。
「そっか、君、精霊を宿しているんだね。ごめんね、痛いの、我慢してね…」
ミミが再度原石を取り出そうとイメージを練ろうとすると、イタチは腰を捻り尻尾でミミの手を叩いた。
「…あれ?君、そんな色だったっけ?」
ミミは改めてまじまじとイタチを見た。普通のイタチだと思っていたが、白いイタチだった。瞳の色も紫色と黄色のグラデーションになっている。
「…僕から石を取り出さないで!」
イタチはミミをキッと睨んで言った。
「どうして?」
「僕はあの石を食べて、賢くなった感じがする。このままがいい!」
ミミは迷った。あの石は何となく大事なもののような気がしていたからだ。
イタチを鷲掴みしたまま処遇を決めあぐねて立ち尽くしていると、後ろからリラが「どうしたの?」と声をかけた。
「あ、リラ…。」
ミミはイタチをリラに見せて言った。
「リラにはこの子の声が聞こえる?」
「私はイタチとは喋れないよ…。」
そう言いつつイタチの可愛らしさに心が揺らいだのか、リラはドギマギしながらイタチに話しかけた。
「…イタチ?何か喋って?」
「僕に名前つけて?」
「うわあ!!」
リラは驚いて後退りした。
「…しゃ…喋った…パウロは聞こえた?」
リラは隣で一緒にイタチを覗き込んでいたパウロに声をかけた。
「いや…オレには聞こえなかった。」
パウロは切れ込みの入った左耳をイタチの口元に近づけて、「もう一度言ってごらん?」と言った。
「わーわー!!ねえ、聞こえる?」
イタチは尻尾をピンと踏ん張りながら先ほどよりも大きな声で言った。
「…鳴いてるね。喋ってるの?これ。」
パウロは肩をすくめて爽やかに笑いながら言った。顔の中央にはまだ包帯を巻いていて痛々しい。
「パウロには聞こえないんだ…。」
リラは残念そうに言った。
「この子がね、あの紫色の石、食べちゃって…」
「え!お腹、大丈夫?痛くない?」
リラは心配そうにイタチに言った。
イタチは尻尾を振りながら、
「痛くない!」
と言った。
「良かった…でもきっと身体に悪いよね…ミミ、取り出してあげられないの?」
「それがね、この子が“痛い”“取り出さないで”って。」
「うーん…でも、今は良くても後々絶対身体に悪いし…取り出してあげてほしいな…。」
「そうだよね…よし。」
ミミは再度イタチを目の前の高さまで持ち上げて目を瞑った。
イタチは慌ててまた腰を捻って尻尾でミミの手を叩いた。
「木のお爺さんから頼まれたんだ!!」
「え…?」
ミミは急に手の力が抜けてしまい、イタチは地面に落ちた。イタチは器用に着地して、後ろ足だけで立ちながら続けた。
「ミミとリラを守ってって!そしたら2人が持ってる紫色の石は食べてもいいって言ったんだ!」
ミミは足の力も抜けて、パタンとその場に座り込んだ。
「キノジィが…そう言ったの?」
「そうだよ、ミミたちがキノジィって呼んでた、お爺さんだよ!」
イタチはミミの膝に前足をついて言った。
「だから、僕も連れて行って?」
イタチは鼻をヒクヒクさせながら言った。
「もちろん…一緒に行こう…。」
ミミはイタチの頭を人差し指で撫でた。リラも側にしゃがみ、「よろしくね…。」と言いながらイタチの背中を撫でた。
パウロは、どのような会話が交わされていたかはわからなかったが、2人と1匹の間に優しい空気が流れているのを感じ、穏やかな気持ちで見守っていた。ひとしきり2人がイタチと接してイタチがミミの頭の上に乗っかった後、パウロは言った。
「名前つけてあげたら?一緒に行くのなら。」
イタチはミミの頭の上で尻尾を振って、
「名前、ほしい!」
と言った。
「そうだね、…何がいいかなあ?」
リラはミミに声をかけた。ミミが「うーん…」と言うと、イタチが言った。
「名前は、リラがつけないとだめ!」
「へ?」
リラはポカンとイタチを見た。
「名前はリラがつけて!そうじゃないとダメだってお爺さんが言ってた。」
イタチは尻尾を振りながら言った。
「うーん………なんで?」
リラはミミに聞いた。
ミミは「自分もわからない」というように肩をすくめた。
「わかんないけど…リラがつけてあげて。キノジィが言うなら必要なことなんだよ。」
「じゃあ…」
リラはうーん、と5秒ほど考えて、
「決めた!『メト』にする!」
「『メト』ね、いいんじゃない?パウロはどう思う?」
パウロは自分に振られて驚いたようだったが、「いいと思う。可愛い名前だ」と笑った。
「じゃあメト、よろしくね!」
リラはミミの頭の上のイタチの顎を人差し指で撫でた。
「うん、よろしく!」
メトは気持ち良さそうに目を細めて言った。
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