第8話 罪
ミミが走り去ったあと。
見えない壁に閉じこめられたままのリズとアルは、どうしたものかと頭を抱えていた。
この壁を作ったのはミミだろうから、大人しくこの中で待つべきだろうが、去り際のミミの泣きそうな表情を見ていると、黙って待っているのも辛かった。
おろおろとするリズにアルは声をかけた。
「破ってあげようか?」
リズは「え?」とアルを見た。
アルは少し赤くなりながら言った。
「この壁。破ってあげようか?」
「できるの?」
「うん。簡単だよ。」
アルは得意気に言った。
「じゃあ、お願い!」
アルは腕まくりをして目を瞑り、指先でツンと見えない壁を突いた。
すると、そこから亀裂が走り、卵の殻が割れるように見えない壁が光を反射しながら崩れ落ちた。
「すごい!」
リズは手を叩いて喜んだ。
「ありがとう!!」
リズのキラキラな笑顔を見てアルは照れ臭そうにモジモジした。
「よし、じゃあ、行こう!」
リズはアルに手を差し出した。
「自分で歩けるよ…。」
アルはそう言って、リズの差し出した手を無視し、ミミが走っていった方へ歩き出した。
リズもそれについて行った。
どれくらい歩いただろうか。もうとっくに着いても良さそうなのに、キノジィの家はなかなか見つからなかった。
辺りも暗くなってきた。リズもアルも不安でソワソワしながら、早歩きで目的地を探していた。
しかし、やはりどうしても見つからないので、リズとアルはミミと別れた場所に戻ろうとした。
が、そちらも見つけることできず、2人は途方に暮れた。
「おい、お前。」
キョロキョロとしながら歩いていると、いきなりアルは何者かに強い力で腕を掴まれ、その勢いで転んだ。
しかし腕を掴んだ男はアルの細い腕を鷲掴みにして離さなかった。
アルは腕を掴んだ男の顔を見て凍りついた。薄暗くてもよくわかる。見慣れた醜い顔。“飼い主”だった。
アルが硬直し、ヘナヘナと力を失っていくのを見て、リズは戸惑った。
あの男とアルはどういう関係だろうか。良い関係ではないだろうことはアルの様子から想像できた。
「…離して…」
リズは震える声で言った。
男はリズの言葉を無視して、アルの腕を引っ張り歩き出した。
「離して…!」
リズは震えながらアルを掴む男の腕を掴んだ。
男はチラッとリズを見ると、アルを離して自分を掴んでいるリズの手首を握り、上にあげた。
地面から足が浮きそうなくらいに手首を引っ張りあげられて、リズは爪先立ちをしながら空いた手で自分を掴む男の手を剥がそうともがいたが、手は届きもせず空をかくばかりだった。
震えるリズの顔をまじまじと見ながら、男は黄色い歯を見せていやらしく笑った。
「小汚いが、よく見ると美人だな、お前。高く売れるだろうが、すぐに売るのはもったいない。12月25日まではまだ時間もあることだし…」
男は空いてる手でリズのワンピースの腹の辺りを握り、グイッと引っ張り上げた。
「…ガキっぽいな。好みじゃないが…良かろう。女は女だ、男よりマシさ。」
男は震えながら縮こまっているアルを見て鼻で笑いながら言った。
「お前の兄ちゃんよりゃ良い仕事をしてくれるだろう。なあに、ただの味見さ。少しくらいやったってバレないもんだぜ?」
男はリズをひょいと軽々肩に担いだ。
「お前も勉強させてもらうか?」
男はゲラゲラと下品に笑いながら言った。
「…黙れ…。」
アルは震える声で言った。
「ああ?」
男は意に介さない様子で笑みが残る顔で言った。
「…黙れ…」
「おぅおぅ、黙らないとどうなるんだ?」
「…」
「…興醒めだな、萎えちまった。」
男は股間をいじりなら言った。
「…そうだ、いいこと思いついた。」
男は今まで以上にニヤニヤとした表情で言った。
「前々から思ってたんだよ、どうしてお前らにも服を着せなきゃならないんだって。下賤な”魔物”には服も要らねえだろ?こいつが魔物かはわからんが…まあ良かろう。俺はふいんきが大事だと考える派だ。道中楽しませてくれや。」
男はニヤニヤと笑いながらリズを地面に下ろし、リズの着ているワンピースを引き裂いた。リズはか細い悲鳴をあげて逃げようとしたが、腕を掴む男の力は強く、逃れることは出来なかった。
リズの下着に手がかかった時、ふとリズをつかむ男の手の力が抜けた。リズは慌てて男の手を振り解き、離れた。
男は追っては来なかった。
膝を折った姿勢のまま、ダラリと両手を下ろし、動かなくなっていた。
男の身体の中央には大人の太ももほどの太さの木の枝が貫通していた。
モズの早贄のようだと、リズは思った。
*
「早く勇気が出せなくてごめん…。」
アルは震えながら泣いているリズの肩に腕を回して言った。
人を殺めてしまった。神さまからもらった神聖な力を、邪悪な心で使ってしまった。これでは本当に自分は魔物だ。
そう思いながらも、アルは心の中に言いようのない快感が生まれているのも感じていた。
今まで「人を傷つけてはいけない」「たとえ辱めを受けたとしても、気高く、誇りだけは忘れてはいけない」と教えられてきた。本当の美しさとは何か、本当の強さとは何かを語る兄を尊敬していた。
今自分はその教えを破り、人を殺めた。力を持っていない人間には到底できないやり方で。
今まで散々自分たちを虐げてきた男の死に顔を見て、恐怖よりも興奮が勝った。ダメだと思いつつ、自然と口角が上がった。
震えるリズを抱きながら、アルは多幸感を感じていた。自分は、彼女を守った。今まで何の意味も持たない、自分を慰めるための「誇り」でしかなかった力が、本当の「誇り」に変わった気がした。
アルはリズが裸同然なのに気がついて困った。服の作り方はわかるが、繊維や生地の作り方はわからない。仕方がないので破れて着れなくなったリズのワンピースの残骸を縫い合わせ、(縫い合わせるのは大変な作業だった。繊細なコントロールをイメージするのは難しいので、縫い目は非常にチグハグで大雑把なものになった)リズに着せた。
「行こう。僕、街の場所ならわかるから…。」
アルは立ち上がり、リズに向かって手を差し出した。
「でも…お兄さんが…ミミたちは…」
アルは首を振って言った。
「君を安全なところに連れて行くのが先だよ。」
内心、アルは兄のことが気がかりだった。しかし、アルは自分の中に生まれた新しい誇りに忠実でありたいと感じていた。
“リズを守りたい”
それは人を殺めてしまったことへの言い訳でもある気がして、それを完遂しなければ本当の魔物になってしまう気がした。死に顔を見ながら感じた高揚感を思い出し、身震いをした。
渋るリズを半ば強引に立ち上がらせ、アルはリズの手を引いて森の外を目指した。
*
リラを連れてリズたちを置いて来た場所にテレポートしたミミは、そこにリズたちがいなかったことに気づき少なからず動揺したが、優先すべきことを見失いはしなかった。
リラを横たえると、リラの胸に耳を当てて心音を聞いた。心臓は止まっているようだった。
しかし、リラの場合、心臓が止まっていることはさほど問題ではない。心臓を動かせばまた動けるようになるからだ。
ミミはリラが動けない理由が思ったよりも早くわかったことに安堵しながら目を瞑った。
リラの身体は、特別に丈夫なわけではない。普通の人間と同じ作りをしているから。力加減を間違えて心臓を握りつぶさないように細心の注意を払い、意識を集中させながらリラの心臓を動かし続けた。
しばらくするとリラは目を開けた。
「リラ、動ける?」
「…うん。」
リラは上体を起こして言った。
「闘える?」
「…いける。」
リラはキュッと口を結んで腰のナイフを握り締めた。
「じゃあ、行くよ」
ミミはリラの手を握り、再びキノジィの家に飛んだ。
しかし、そこに家はなかった。
キノジィが宿る、巨木もなかった。
巨木があったはずの場所には、治療をしそびれていた人間の男の子が横たわっていた。
男の子の側には雌鹿が、男の子を見守るように膝を折って伏せていた。
雌鹿は長いまつ毛をあげてミミとリラを確認すると、立ち上がり、去って行った。
ミミは言葉を失ってその場に崩れ落ちた。
ミミにとって初めての感覚だった。
上手く息ができない。だんだんと息が荒くなっていく。呼吸が早くなっていく。苦しい。
背中に感じるリラの手の温かさだけが、異質で、唯一の救いだった。
*
リラはミミの呼吸が治るのを待って、立ち上がった。
(あの子の治療が必要だ。)
キノジィを失った痛みはリラにとっても大きなものだったが、リラよりもずっと長く、親同然に想っていたミミの前では泣くことも許されない気がした。
あの家であの時、何が起きたのかはわからない。しかし十中八九、自分を狙った襲撃であることはわかっていた。
精霊の護りを抜けられる存在は限られている。天界の者か、あるいは力を持った妖精か。純血の魔族なら人間でも破れるかも知れないが、今この世界には完全な純血の魔族はいないはずだ。妖精が襲撃をする理由もないので、無理矢理侵入をしたのは天界の者に違いない。となると、狙われたのは自分だろう。
ミミに助けられた状況を考えると、ミミはあの場にいたのだろう。ミミは最後にキノジィと言葉を交わせただろうか…。
自分が2年前、キノジィとミミが住むあの家に転がり込まなければ、キノジィとミミは今も幸せに暮らしていただろうか…そう考えるとリラはぎゅっと心臓を握られたような苦しみを感じた。その状況で“人間を治療する”必要に気がついたのは、リラの頭が自身の胸の苦しみから逃れようと捻り出した、現実逃避の形だったのかもしれない。
リラはフラフラと人間の側まで歩いていき、跪いた。治療しようとしたが、治療薬も道具も何もなかったことに気がついて、何もできずにその場に座りこんだ。
するとリラの隣にパサッと音がして、新品の薬品や包帯が落ちてきた。
振り返るとミミが膝を抱えて顔を埋めながら言った。
「今くらい、盗んだっていいでしょう?」
おそらくこれらの品は近くの街の薬局から持ってきたものだろう。
「…盗みは…いけないことだよ…。」
リラはそう言って、漏れそうな泣き声を押し殺しながら人間の治療を進めた。
そうしている間に、リラは人間が何かを握り締めていることに気づいた。美しい紫色の原石だった。
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