第7話 偽りの月

数分前−。


リラは、ミミが連れてきた男の子をベッドに乗せて傷の具合を見ていた。

「大丈夫そう?」

ミミは、大丈夫だろう、というような口調で聞いた。

「うん、まあ、死にはしないかな。傷は残るかもだけど。」

「あれ?”死なない”は確定じゃないの?」

ミミは驚いたように言った。

リラは、「ああ…」と言って続けた。

「ごめん、この子も、私の知らない人生を歩んじゃってる。だから正確にはわからない。」

リラは考えるように空中を見ながら言った。

「もしかしたらリズの関係者かもね。リズが”小石”ならこの子たちは”波紋”。リズによって生まれた波紋かもしれないし、別で生まれた波紋かもしれない。けど、そんなにたくさん小石があるもんじゃないし、こんなに近所だったら、多分リズが生まれた影響で運命が書き換わった人間ってことで間違いない気がするな。」

リラは「ん~…」とうなった後続けた。

「運命って結局同じ感じに行きついちゃったりするからなあ…大丈夫だといいけど。」

「どんな結果に行きつく可能性があるの?」

リラはチラリとベッドで横になっている男の子が気を失っているのを確認して言った。

「この子たちはこの後、もっとまともな飼い主のところに仕える予定だった。元の飼い主からお金を盗み出して、逃げ出して。ただ、逃げる過程で兄の方が右足を失うんだ。弟のほうは盗んだお金もって医者にかけこんで兄の傷を手当してもらうんだけど、代金が足りないってことで結局その医者んとこの奴隷になってそこで終わり。」

優しいお医者さんだったから、”奴隷”って感じでもないけどね。とリラは言った。

「ふーん、じゃあ今のところ、”逃げ出したがお金はもってなさそう”ってのと”怪我したのは足じゃなくて顔”ってところが、運命が変わったところ?」

「あとは”手当してるのが医者じゃなくて私たち”ってとこかな。」

リラはそう言った後、「ああそうか、それならいいんだ」とつぶやいた。

「なにが?」

「いや、私は最初この子たちの運命は今、”逃げ出した”の段階かと思ったんだ。だからこの先、足を失う運命にはたどり着いてしまうかもしれない、と思ったんだけど、ミミが言うように今が”怪我した後にたどり着いた場所にいる”という状態なら、もう足を失う心配はしなくてよさそうだね。」

「でも、もともとの運命だと、”助けられた場所で一生を過していく”んでしょう?キノジィの家にずっと置いておくわけにもいかないよ。」

「確かに…。」

リラは「う~ん」とうなった。

「やっぱり、わからないな。足を失う運命がまだ残っているかもしれないし、そこはすでに通過していて、これからはその先の未知の運命を歩むことになるかもしれないし…」

「もしかしたらここで死んじゃう可能性も…?」

「あるね、確かに。”助けられた先で一生を終える”ならね。」

「なるほど…。」

ミミは頷いた。

「”波紋”がなるべく小さく済むといいけれど」

ミミがそう言うとリラはしばらく考えた後、ニヤッと笑って言った。

「いや、そうでもない。大きくしよう。」

「え?なんで?」

「”波紋”は大きくなれば波になる。その波に乗って、ミミの運命のその先に行けるかもしれない。」

リラはいたずらをする子どものように笑って言った。

「父さんたちを困らせる方法が分かった気がするよ。この子に感謝だ。」



ミミが残った弟とリズを連れてくるということで去った後、リラは人間の手当てをしようと薬草を煎じる鍋に水を汲んでいた。


その時だった。部屋に「ポン」という乾いた空気の音が響き、部屋の中央の止まり木に小鳥が現れた。


「ケイコク。シンニュ…」


そう小鳥がしゃべっている最中に小鳥の赤い嘴がカパッとあり得ない具合に大きく開き、そのまま小鳥は絶命して止まり木からポトリと落ちた。

リラはすぐに腰のナイフを抜き、構えたが、遅かった。

小鳥の嘴から白い布の端が出てきたかと思うとそのままズルズルと液体のように床に流れ、そこから湧き出るように白い靄が現れ、部屋中に広まった。その靄のなかでリラは気を失ってしまった。


✳︎


「あらあら、あのお方の”器”のひとりと聞いていましたが、本当だったのでしょうか、あまりにも…その…人間らしいお姿で。」

白い布が盛り上がり、そこから白い翼の生えた男が現れた。

「ねえ、精霊のおじいさん?その方を譲ってくれませんか?私どもでしかるべき処置をしないといけないもので。」

「きみたちのような操り人形に話すことはないのぅ。本当にこの子を譲ってほしければ”本体”を連れてこんか。」

倒れたリラの上にちょこんと座っているキノジィは余裕の表情で微笑んでいた。

「操り人形?傷つきますね、私は”本体”ですよ。」

男は長めの前髪からさわやかな紫色の目をのぞかせて言った。

「私、名前を”アメジスト”と申します。どうぞお見知りおきを。」

男は気取ったお辞儀をしながら言った。

「”アメジスト”は女性の姿だったはずだがのぅ、おかしいのぅ?」

キノジィがそういうとアメジストはフフッと笑って言った。

「酒の神が男色家だったのでしょう?」

「それはそれは、失礼じゃった失礼じゃった。」

キノジィはニコニコと、男の目を見つめた。


キノジィは何も言わずニコニコと、リラの上に座ったままアメジストを見つめ続けた。

アメジストはそんなキノジィと目を合わせては逸らしを繰り返した。


2人の間にしばらくの沈黙が流れた。


「あの…私もあまり手荒なことはしたくないのですが…。」

そう声をかけてもキノジィはニコニコとしているだけだったので、アメジストは痺れを切らして行動に移した。


アメジストはどこからともなく光る弓矢を取り出すと、矢をつがえ、鋭く尖った矢尻を標的に向けた。

凶器を向けられてもなおニコニコと笑っている年老いた精霊に向かってアメジストは最後の警告をした。


「ここに来るのに、精霊への対策を何もしていないとお考えですか。」

アメジストは矢尻をピンと正面に向けたまま言った。

「私が今、矢をもつこの手を離せば、あなたは長い眠りにつくことになるでしょう。」

キノジィはニコニコと笑ったまま答えた。

「長く長く生きて、長く長くいろんなものを見てきたがのぅ、わしが最後に見たこの子たちは本当に可愛くてのぅ?とっても大事なんじゃ。」

キノジィはニコニコと変わらない表情で続けた。

「とっても、大事じゃ…だから、わしがいつまでもここにいてはいけないのぅ。」

ずっとニコニコを崩さなかった精霊が少し寂しそうな顔をした気がして、アメジストの心はほんの少し、アメジスト自身も自覚できないほどわ僅かに揺れた。しかし、つがえた矢は微動だにしなかった。


「それでは、すみませんが。さようなら。」

アメジストが放った矢は一直線にキノジィのもとへ飛んでいった。

しかし、キノジィには当たらなかった。


ミミはキノジィとアメジストの間にテレポートで現れ、鍋の蓋を盾代わりにアメジストの矢を受け止めた。

ミミは間髪入れず、矢が刺さった鍋の蓋を左手で床に投げつつ、弓矢を右手に召喚し、つがえて迷わずアメジストに向かって打った。


アメジストは翼で矢を跳ね返した。

その間、大きな翼はアメジストにとって僅かな死角を作った。


ミミは矢を放つと同時にナイフを召喚し、アメジストの翼が翻る瞬間にアメジストの背後にテレポートした。

後ろをとったミミは現れるのとほぼ同時にアメジストの背にナイフを突き立てる動作をしていたが、結果、ナイフは不可解な空振りをした。そこにアメジストの背はなかった。アメジストはミミの方を向いて立っており、ミミが突き立てたナイフはアメジストの手刀によって叩き落とされていた。


ミミは空振りを確認すると、キノジィとリラを庇う位置にテレポートをした。


「…あなたは?」

アメジストは振り返りつつそうミミに問いかけたあと、ミミの顔を見て眉をひそめた。

「酷い鼻血が出ていますが。大丈夫ですか?」

ミミは袖で鼻血を拭い、黙ってアメジストの観察を続けた。

アメジストはしばらくミミを眺めると、ポンと手を打って納得顔で言った。

「なるほど、あなたがライラ様の“罪”ですか。」

アメジストは目を細め、ミミを見て微笑んだ。

「では、私が清算をして差し上げなくては。ライラ様に逃げられても困りますし。」

アメジストはキノジィに向けたのと同じ、光る弓に矢をつがえ、ミミに向けた。

「まって。」

ミミは初めて口を開いた。

「あなた、“天使”だよね。どうしてリラを連れて行こうとするの。」

アメジストは「リラ?」と小首を傾げ、「ああ、」と言った。

「ライラ様のことですね?こちらではそんな可愛らしい名前で呼ばれていらっしゃるとは…」

アメジストはクスクスと笑って言った。

「どうして連れて行こうとするか、ですか。では逆にお伺いしますが、天界にいるべきライラ様がなぜこんなところにいらっしゃるか、あなたはご存知ですか?」

「…罪を犯したから。」

「では、どのような罪を犯したと?」

「大切なものを盗んだんでしょう?」

「何のために?」

「出来心で…。」

アメジストはそれを聞いて鼻で笑った。

「出来心?それはきっとライラ様がそうおっしゃったんでしょうね。確かに、“出来心”だったのでしょう。でも出来心で『時間の矢』を盗んだわけじゃない。ライラ様は−」

「そこまでじゃな。」

これまでずっと沈黙していたキノジィが、変わらないニコニコ顔で言った。

「ミミや。これは大事なことじゃ。リラに直接聞くのが良かろう…。」

アメジストはそれを聞いてまた鼻で笑って言った。

「ではミミさん。あなたはなぜ自分が死ななくてはいけないかを知らぬまま、“源流”に戻られることになりますね。」

アメジストは会話の間に僅かに下がっていた矢尻を再度ぴったりとミミに向け、躊躇いなく矢から手を離した。


(ミミ、わかっとるのぅ?)

矢がミミまで届くのに、どれだけの時間がかかるだろうか。

一瞬に違いないそのわずかな時間に、ミミはキノジィの声を聞いた。

(アレには、お主は敵わん。アレは生命を操る天使。魂が器に入っている限り、勝目はない。わしらにしか、お主らを守れん。)

(お主がもっているその磁針は、お主の両親から預かっていたものじゃ。その磁針に従って、生きていくのじゃ。きっとお主にとって、より良い道へ導いてくれるじゃろう。)


ミミは未だ気を失っているリラの手を握り、テレポートをした。

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