第3話 鐘の音

蕾の話を聞いた夜、ミミは泣きじゃくる蕾の頭を優しく撫でながら、蕾が眠るまで側で見守っていた。リラもその横でミミと蕾の様子を見守っていたが、しばらくしてひとり、部屋を出た。


部屋のドアをなるべく音を立てないように締め、暖炉のある部屋へ向かった。

部屋ではキノジィがゆらゆらと揺れる椅子の上で気持ち良さそうに眠っていた。

リラはキノジィとは反対側のソファに座り、暖炉に燃える穏やかな炎の光がちらちらとキノジィの顔の上を泳いでいるのを眺めたあと、大きなため息をつき、両手で顔を覆った。

蕾の魂を見た。純粋で穢れのない魂。元が植物だからだろうか、淀みがなく、真っ直ぐで、素直で…。

だからリラは苦しんだ。どうしてあげたらいいのかわからず、顔を覆って項垂れるしかなかった。

(だから、人間は嫌いなんだ。)

無責任に愛を与え、無責任に消えてゆく。

そんな人間が、リラは大嫌いだった。


しばらくすると、部屋の扉がゆっくり開き、ミミが入ってきた。


「アレ…ねた?」

「うん、寝たよ。疲れたんだろうね、ぐっすりだよ。」

「そっか…」

ミミはリラの沈んだ表情を見てとり、気遣わしげにリラの様子を伺っていた。

しばらくの沈黙のあと、リラが先に口を開いた。

「アレの言ってた“あの子”のことだけど…」

「うん…。」

「もうこの世にはいないよ…。」

「そう…だろうね。」

リラは少し驚いた顔でミミを見返した。

ミミはその顔に応えるように続けた。

「話を聞いたの。リラが出て行ったあと。“あの子”と最後に会ったの、30年以上前だって…。」

リラは「ふっ」と寂しそうに笑って、「随分のんびりとした時間を生きてるねアレは」と言った。ミミにはそれが自嘲に聞こえた。

リラはしばらく項垂れたあと、再び口を開いた。

「じゃあ…どうしようか…」

「どうしようって?」

「アレにこのこと、話す?」

リラに聞かれてミミは不思議そうに首を傾げた。

「え、言わないの?」

その様子をリラはチラリと横目で見て、再び項垂れた。

「だって…アレ、言ってたよ、“あの子のために花になりたかった”って。“あの子”がいないって知ったら、アレはきっともうがんばれなくなる…。」

ミミはリラの言葉を聞いてなおも「わからない」といった様子で首を傾げた。

「もしがんばれなかったとして、それは何かまずいことなの?」

リラは顔をあげ、ミミの目を真っ直ぐに見て言った。

「…がんばれないって、辛いことなんだよ。死ぬな、とか生きろ、とか、そんなこと言わないよ。ただ私は、生きものは生きものらしく、のうのうと馬鹿みたいに、生きることだけ考えて生きててほしい。だって…辛いよ、“がんばれない”って…みんながんばりたいはずだよ…。」

ミミはそれを聞いて首を振った。

「前提の話だけどね。どうしてがんばれないことが辛いことだって思うの?どうしてみんながんばりたがってると思うの?『がんばらない』ってのは、状況に応じて当然考えられる選択肢のひとつだと思うけど。がんばりたいって言うならがんばればいいし、疲れたならがんばらなくたって当然いいはずだよ。それに、生きものに与えられた唯一の避難場所が『がんばらない』ってことだと思うし。その選択を奪われるほうがしんどいよ。」

リラはミミの目をじっと見つめた。同様にミミも、リラの目をじっと見つめていた。

「だから、情報は伝えるべきだよ。彼女の選択を邪魔しちゃいけない。何も知らせないままがんばらせ続けるのは酷だよ。その結果、彼女が『がんばらない』を選択するなら、わたしたちはそれを応援しないと。」

ミミの意志のこもった目を見返しながら、リラは聞いた。

「じゃあ、ミミは、アレが“あの子はもうこの世にいない”って知った時、どんな反応をすると思う?」

ミミはまた不思議そうな顔をした。

「え、想像も何も…『そうなんだ!じゃあもうがんばらなくていいんだね!』じゃないの…?」

リラはミミから視線を外し、俯いた。

ミミは、優しい子だ。傷つく人がいたら自分を投げ打ってでも助けようとするし、涙を流す人がいたらその人が落ち着くまでそばを離れない。初夏の早朝の青空のように、開け放たれた、爽やかで鮮やかな、底抜けの優しさをもっている。しかし、その優しさが何を犠牲にして備わったものなのかを、リラは知っていた。

ミミは、

リラは再び顔を両手で覆って項垂れた。

「…時として…」

キノジィの存在を忘れていた2人は急に聞こえた声に飛び上がった。キノジィは椅子の背もたれにゆったりと身を任せて、優しい笑みを浮かべて続けた。

「時として人は、人を想うあまりに極端に偏った見方をしてしまうものよ。自分のことなら棚にあげられることでも、他人のためを想うと妥協を許せず白黒はっきりと着くまで争ってしまったり、自分を失うまで自身を深く傷つけてしまったり。困ったのぅ?」

リラはムッとした表情でキノジィを見た。

「私、偏ってた?」

キノジィは何も答えず、穏やかな表情でリラを見返した。


リラはしばらく黙り、自分の発言を振り返ってみたが、結局自分の何が“偏っている”かわからなかった。

「…わからないよキノジィ…。」

困った顔のリラを見てキノジィは「ふぉっふぉっ」と愉快そうに笑って、

「お前さん、わしより随分年寄りなのに、かわいいのぅ。」

と言い、また愉快そうに笑った。


話し合いは結局のところ、「話す必要はあるが、今ではない」という結論に落ち着いた。

「では、いつなのか」というミミの問いに対して「アレがまともに歩けるようになったら」という目安もできた。


「3人で、“あの子”のお墓参りに行こう。」


ミミとリラにとってそれが、蕾へ差し伸べた手に対しての、せめてもの責任の取り方だった。


✳︎


「墓参りって不思議な風習だと思わない?」

椅子に座った派手な少年が鏡の乗った机に頬杖をついて、足をプラプラと揺らしながら言った。

ベルは化粧を直しながら「そうか?」と生返事をした。

派手な少年はベルが映る鏡をぼんやり見るともなく見ながら言った。

「だってさ?そこにいないんだよ?死んだ人。」

「…そういやあんたは死んだ人間がどこに行くのか知ってんのか?」

ベルは興味をもった様子で尋ねた。

「お?気になる??」

派手な少年はプラプラさせた足をさらに元気よくプラプラさせながら聞いた。

ベルはその様子を見てなんとなく(聞かなければよかったか)と思ったが、話の中身に関心があったので「おう、気になる」と答えた。

派手な少年は嬉しそうに答えた。

「人間に限らずなんだけどね?身体から抜けた魂はそのまま空中に漂ってるんだ。ただ、“意志”は無くしちゃってるから、きみたちが想像してる“幽霊”ではないよ?会話もできないし。どちらかと言えば“エネルギー”と表現する方が伝わるかな?実際、使おうと思えば扱えるものだしね。」

人間には無理だけど。と派手な少年はケタケタ笑った。

「ほう?じゃあ、やっぱ“天国”や“地獄”ってのはないんだな。」

派手な少年は意地悪そうに笑って答えた。

「天国ねえ…“天界”はあるけど、そんな楽園みたいな場所じゃないよ、“道徳”ってのがない分ここより泥々してんじゃない?」

ベルはふっと笑った。

「あんたは体験済みだもんな。」

派手な少年はわざとっぽく肩をすくめて、

「まあね。うんざりだよ。」

と笑った。

「あ、ちなみにだけど、“地獄”もないって言ったけど、“地獄みたいな最悪な目”ってのはあるからね?悪いやつは“地獄”に行くんじゃなくて、“地獄みたいな最悪な目”にあうんだ。だからベルも気をつけてね?」

派手な少年はニヤニヤと笑いながら言った。

「その裁量も、泥沼と噂のあんたの地元に委ねられてんなら、俺は俺で好きにやらせてもらうさ。どうせ神とやらは、俺の行動は何だって気に入らんだろうよ。」

ベルは口紅の仕上がりを見ながら言った。

派手な少年はケタケタ笑って、それ以上は何も言わなかった。

ベルは立ち上がり、ベールで顔を隠して、部屋を出て行った。


ベルは切れ目の入った左耳を魔法で何事もないかのように見せかけながら、コツコツとヒールの音を響かせてパーティーが開かれている広間へ出た。


この国ではつい3か月ほど前、王宮で大きな火事があり、王が亡くなった。王は子宝に恵まれず、王子は3人しかいなかったが、1番目の王子は病弱、3番目の王子は放蕩息子であったため、2番目の王子への戴冠は自然な形で決まった。

2番目の王子は酷く偏った考え方をする人物で、とことん自分と同じ属性をもつものを愛でて、自分と離れた属性をもつ存在に対しては残虐性も目立っていた。

しかも、王子の戴冠は国の人間上から下まで、ほとんど“満場一致”に近い形で決まったとの噂だ。

3人も王子がいて票が割れずに満場一致とは、不気味この上ない。


今日はその不気味な次期国王へ献金をしている貴族のひとり、「ポンタ」の誕生日だ。(お腹が丸くて目も丸い。そして頭が悪いくせに人を騙そうとする。そんな愛嬌のあるやつだから、ベルは心の中で「ポンタ」と呼んでいた。)

過剰なくらいに明るい広間は、過剰なくらいの装飾(しかも何故か全部金色)で飾り付けられていた。天井からはシャンデリアが垂れていたが、そこにも無意味に金色な妖精たちのオブジェが吊り下げられていて、酷い見た目だった。

広間には300人くらいいるように見えたが、よく見たら9割くらいは召使いや従業員だ。仕事が飽和してする事がなくなった召使いたちが、仕事が発生するのを待ってそこかしこに突っ立っている。

ポンタは広間の奥、一段も二段も高い、ポンタ専用の空間にいるのが見えた。身体に見合わない大きな椅子に座っている。

「ガーネット様、お待ちしていました。」

呼びかけられてベルは後ろを振り向いた。格式高い衣装を着こなした老紳士が恭しく頭を下げていた。

「…始めてもよろしいのかしら?」

「はい。こちらの準備は完了しております。ガーネット様の良い時に、お願いいたします。」

「では、今から。」

ベルは、中央に設けられた円状のステージへ向かって歩いて行った。

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