第2話 願い
蕾は茶髪の女の子の「こんにちは」に対して自分も言葉を返そうと口を開いた。
「こんに…けほッ」
喋ろうとすると、喉が振動するビリビリとした感覚がくすぐったくて咽せてしまった。
茶髪の女の子が心配そうに身を乗り出した後ろから、金髪の子の心配そうな青い目もチラリと覗いた。
「大丈夫…?」
茶髪の女の子が声をかけてきたので、蕾は出来るだけ元気に大きく頷いた。
茶髪の女の子は安心したように頬を緩めて続けた。
「そう、元気そうでよかった。言葉も通じているみたいだし。」
茶髪の女の子は、蕾の顔をジッと見ながら言った。
「そんな髪の色、見たことないし、お顔もどこの国の子かなって思っちゃった。」
少々無遠慮な彼女の後頭部を、後ろにいる金髪の子がコツンッと、軽くとがめるようにこぶしで小突くがチラッと見えた。
小突かれた女の子は後頭部をさすりながらも気にする様子はなく、話を続けた。
「わたしは、ミミ。後ろにいるのはリラ。」
ミミは、自分の隙間分だけ開いていた扉を大きく開けて、後ろにいるリラを自分の横に立たせた。
「…。」
リラはむっとした表情で蕾を一瞥し、そっぽを向いてしまった。
蕾にはその様子が何だか子どものようで、可愛らしく見えた。
先ほど一瞬見た時には「神さまみたい」とまで思ったのに、今見たらただの13歳くらいの、幼さの残る女の子だった。
金色の長い髪は柔らかそうで、あちこちに寝癖と思われる癖がついている。白いシンプルなワンピースに白いフード付きのポンチョを着た姿がより一層リラの美しさと可愛らしさを際立たせていた。
ミミはそっぽを向いたリラをその場に放置し、「入っていい?」と口では言いながらも蕾の返事を待たずにスタスタと部屋の中に入ってきた。
蕾は慌てて毛布から足を出し、ミミたちに向き合う方向に足を下ろしてミミたちに対面した。
ミミはベッドから出た蕾の細すぎる脚を見て「あー…。」と言いながら、ベッド脇に置いてある椅子に腰かけた。
リラは不機嫌な顔のまま、腰をかけたミミの隣まで歩いてきた。そして、ミミと同様蕾の脚を一瞥した後、「うーん…。」と唸って部屋を出ていこうとした。
ミミは「あ、待って、ここに…。」と、リラに両手を差し出した。
そこには驚くことに、救急箱が乗っかっていた。
部屋に入ってきた時にはミミは手ぶらだったはずなのに…。
リラはさらに不機嫌な様子で眉をひそめ、咎めるようにミミを睨んだ。
その視線を受けてミミは何も言わず肩をすくめた。
そして、その様子を見た蕾が首をかしげているのに気づいて、蕾に向けて言った。
「ああ。リラは、むやみやたらに魔法を使わないようにって言ってるんだよ。危ないからね。」
「……?」
蕾は首をさらに傾げた。それを見てミミは少し驚いた顔をした。
「あれ?魔法、知らない?」
ミミは救急箱を指さして言った。
「それは、魔法で持ってきたよ。わざわざ階段を降りて1階まで取りに行くのは面倒でしょう?」
ミミは蕾が聞きたかったこととは少しズレた内容を一方的に話し、話し終えてしまった。
リラはそんなミミのことを無視して、ベッドのそばにかがみながら、蕾に向かって声をかけた。
「脚を。」
てっきり不愛想に声をかけられるかと思っていたが、リラの声は思ったよりも低くめで落ち着いていて、柔らかかった。
蕾は、リラの方に脚を差し出した。リラは蕾の脚を左手で受け、右手で消毒液をかけた。消毒液が沁みて始めて、蕾は自分の脚が傷だらけであることを自覚した。
ミミはリラが蕾の傷を手当する様子を眺めながら、蕾に尋ねた。
「ところで、キミはこんな傷だらけになってまで、どこに行こうとしていたの?」
蕾はミミに尋ねられ、混乱した。
自分は何のために歩いていたのか。いや、それ以前に、自分は何なのか。
人間の身体には違和感を覚える。しかし、自分は確かに人間であるはずで…。
蕾は自分の手のひらを見つめた。
全く見覚えのない、人間の手のひらだった。
ミミは尋ねたあと、「あ…!」と思いついたように小さく言った。それを聞いたリラは、先ほどまでミミに向けていた不機嫌な顔はそのままにスッと立ち上がり、黙って部屋を出て行った。
驚いた様子の蕾にミミは面白そうにクスクスと笑いながら、「不機嫌な顔をやめてくれたら本当にかわいくて良い子なんだけどね」と言った。
しばらくするとリラは手に温かいミルクの入ったマグカップを一つもって帰ってきた。そしてそれを蕾が腰掛けているベッドの脇にある小さなテーブルに置いた。
「ありがとう。」とミミが言うとリラ相変わらずむっとした表情のまま、「ん。」と応えた。
ミミはそのミルクの入ったマグカップをテーブルから両手で包み込むように持ち上げ、しばらく目を閉じたあと、「さあ、これを飲んで?少し喉が楽になると思うよ」と蕾に差し出した。
蕾は身体を手に入れて初めて、口の中にものを入れて「味」を知った。「温かさ」も知った。ミルクは少し甘くて、優しくて、なぜだかわからないが蕾は初めて泣いた。
蕾の涙を見てミミはゆっくりと蕾の膝の上に手を置いて「大丈夫だよ」と言った。
リラも心配そうにこちらを見ていた。
ひとしきり泣いたあと、蕾は話し始めた。
「あ…ありがとう…ございます。わ…わた…わたしは…」
辿々しく喋る蕾の話を、ミミとリラはじっと聞いていた。
「な…なまえ…は…なくて…わたし…自分が“何”なのかも…わかってなくて…」
「ただ…会いたい人が…いるの…わたしは、“あの子”に会いたいって…祈って…」
「そしたら…な、なんか…"こう"なってて…」
「あ…ごめんなさい…さっき自分が”何”なのかわからないって言ったけど…わたし…何かの蕾だったの…」
「自分がどんな姿だったか…とか、どんな花になる…とか…そういうの全然わからなくて…」
「わたしね…光が怖くってね…ずっと種の中に隠れてたの…生まれてからずっと…」
「外に出るのが怖くて…ずっと種の中でいいって思ってた…そしたらね、“あの子”がね、わたしを土の中に埋めてくれたの…」
「土の中はね…安心したの、暗くて、柔らかくて…そして“あの子”は、いつもわたしを見ていてくれて、水をくれて、話しかけてくれて…だからわたし、勇気をもって外に出ることにしたの。」
「わたしが芽を出したらね、“あの子”は本当に喜んでくれたの…それがわたしも本当に嬉しくて…わたしは、『花を咲かせて“あの子”に喜んでもらいたい』って思った…それが自分が生きている意味だと思った…だって“あの子”がいなかったら今ごろわたし、種の中で死んでいたから…」
「でもね…いつからか…“あの子”は会いに来なくなった…」
「わたしは“あの子”のために花になろうとしてきた。わたし、“あの子”に『ありがとう』って伝えたい。“あの子”に会えないまま、花になって散っていくのは嫌。わたしは最後に、“あの子”に会いたいの…“あの子”に…見てもらいたいの…」
✳︎
「ふーん…」
男はマドラーがぐるぐるとひとりでにかき回るミルクティーのカップを眺めながら、興味なさそうな返事を返した。涙ボクロのある涼やかな目は、普段から少し垂れ気味ではあったが、関心のない話を聞く時にはさらに目立って垂れ目だった。
「僕はねーアレが気に入らないんだよ。何だよ『花になりたくない』ってさあー」
垂れ目の男の向かいに座った、やたら派手な少年が不満気に、しかし面白そうにそう言った。
「『まだ』花になりたくないって言ったんだろ、花になりたくないわけじゃない。」
垂れ目の男は未だ関心が無さそうに言った。
「ちっがうの、わかってないなあベルは。」
派手な少年はクリクリとした金色の瞳を呆れたように見開いて言った。
「花ってのはね、摘まれようが踏まれようがお構いなしで、『花になるんだ』ってすっごい強い意志もって生きてるのが美しいんだ。それを『まだ』とか言って他の存在の時間軸に自分の命の時計を合わせようだなんて、まるで人間だよ。美しくないね。」
ベルと呼ばれた男はミルクティーを飲みながら、なおも関心がなさそうに言った。
「そんなあんたの好みだけでおもちゃにされちゃってる“その子”が哀れでならんな。」
「えー?それはないでしょ、アレをどうにかしろって言ったのはベルじゃんか。」
ベルと呼ばれた男は片方の眉を吊り上げた。
「…“アレを”ってのは“夜光花を”という意味だったんだが。」
「…へ?」
「だから、そんな一輪の花のことはどうでもいいんだって。夜光花全部をどうにかしろって言ったんだよ。」
「…は?無理でしょそれは。」
派手な少年は意地悪そうに笑った。
ベルは、この少年がわざと自分の指示を無視してはぐらかしたことを悟って「やれやれ…」と背もたれに背をつけ、ミルクティーを啜った。
(まあいい。コイツが言うことを聞くなんて、最初から期待してない。)
しかし、失敗すれば犠牲者が増えるであろうことは明白になってしまった。何とか事が起こる前にカタをつけなくてはならない。
ベルはカップの底に溶け残った砂糖をじっと見つめ、そしてそれを自分の口の中に流し込んだ。甘ったるく口当たりの悪いジャリジャリとした液体がしばらく口の中に残っていた。
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