Crystal jam : リズの話
枯野時雨
第1話 エピローグ
「まだ、咲きたくない…」
綻びかけた小さな蕾が涙を流していた。
「へぇ、そんなことを望む蕾もいるんだね」
蕾は男とも女ともとれない、不思議な声を聞いた。
「面白いんじゃない?親切なボクが君の願いを叶えてあげる」
姿の見えない声の主に、蕾は懇願した。
「あの子に、会いたいの…」
声の主はケタケタと乾いた笑い声をあげた。
「醜い!キミはほんとに醜い花だね。そんな醜い花、ボク、見たことないよ。…いいよ、会わせてあげる。でも、どうなっても知らないよ?」
蕾の視界はパッと明るく広がっていった。
光に目が慣れたときにはすでに、目の前に声の主はいなかった。
✳︎
「…ッた!…!?」
前を歩いていたリラが急に立ち止まったので、ミミはリラが肩に担いでいた傘の柄に口元をぶつけた。
「リラ、どうした?」
ミミは口元を抑えて、くぐもった声で尋ねた。
リラは眉間に皺を寄せて「う〜ん…」と唸った。
「悪いヤツがいる感じする。」
「へ…?」
「悪い…ヤツ…!!」
ミミはやれやれと首を振った。
時々リラは常人にはわからない”感覚”の話をする。またその類だろう。
「…リラ、前見て歩いてね。」
「あ、うん!」
リラは先ほどから熱心に読んでいた書物に再度目を落とし、歩き始めた。
リラが夢中になって読んでいるのは、道中拾った人間の日記だ。幼い文字が並ぶ日記はほんの数ページしか綴られていないにもかかわらず、リラにとってはこの上なく興味深いものである様子だった。
森の中は日中といえど薄暗く、足元も平坦ではない。
リラが文章を読みながら歩いていられることが不思議だった。
「リラ、ちょっとズレてきた、こっち」
ミミは胸で淡く光る磁針で方向を確認しつつ、時折リラの歩く方向を修正しながら目的地を目指して歩いた。
「ねえ、ミミ!!!」
「…ッつ!?」
ミミは再び傘の柄に口元をぶつけた。
もう我慢ならない…と眉間にしわを寄せながら、ミミはリラが担いでいた傘を奪い取り、自分のリュックに差し直しながら、「今度はどうした?」と聞いた。
リラが好奇心に満ち溢れた目をしてこちらを見ている。
青くて虹彩は金と銀、光の具合では時々紫色にも見える不思議な目。寝癖で外側に跳ねたままの金色の前髪。
「みて、”アイスクリーム”だって!!」
リラが嬉々として日記の文字を見せてくる。
なんだまだ2ページ目か、と思いながらのぞき込むと、確かに”アイスクリーム”と書かれていた。
「…食べ物?」
ミミも知らないものだった。
「甘いんだって!それから、冷たいんだって!!!!」
リラが嬉しそうにしている。そして期待を込めた目でこちらを見ている。
リラの思いつきはこの旅のエッセンスだ。無駄なことを楽しみながら歩く旅をミミは気に入っていた。
「いいね、食べに行こう。」
「うん!」
リラはワクワクとした表情で頷いた。
どれくらい歩いただろうか。
太陽が傾きかけて、辺りが少しオレンジがかってきたころ、ミミは胸元の磁針が光を増しながらガタガタ震え始めたのを見て「そろそろかな」と思っていた。
しばらく歩いていると、前方でガサガサと生き物が動く気配を感じた。
前を歩くリラも気づいたのはミミと同時だったようで、日記から顔をあげ、茂みをじっと見つめた。
二人で警戒しながら前方を注視していると、動いているものの正体が現れた。
痩せてボロボロになった裸の少女が、歩くのもやっとな様子で必死に前を目指していた。
*
ボロボロの少女を見た時の二人の反応は対照的だった。
ミミは少女が倒れないように慌ててリラの横をすり抜け駆け寄ろうとした。
リラは警戒したギラッとした目で後退りし、身を硬直させ、自分を押しのけて駆け寄るミミの腕を捕まえようとした。
ミミは突き出されたリラの腕の下をスッとくぐり、少女へ手を伸ばした。
少女はミミが伸ばした腕にヘナヘナと倒れ込み、気を失った。
「ミミ、危ないよ。」
リラは警戒の消えない目で少女を睨んだ。
「わたしはそいつを”知らない”。」
世界のほとんど全てを知っているリラがそれでも「知らない」ということは、この少女は「この世界に存在しているはずがない」ということとほぼ同義である。
しかし、リラが知っている【世界】は、厳密には全てではない。
「リラが天界にいたのは2年前でしょ。その間に何か変わったのかもしれないよ。」
「変わらない。」
リラはミミの言葉を遮った。
「運命は、変わらない。」
リラは再び毅然とした態度で言い切った。
リラ自身の旅の動機と矛盾した発言に思わずふっと笑いながら、ミミはリラに問いかけた。
「…そうだとしたら、わたしがあと数年で死んじゃうってのも変わらないの?」
「…。」
リラはぎゅっと目を瞑り、苦悩の表情を見せ、首を振った。
「そうならないようにわたしは動いてる。」
ミミはリラの様子を見て「ふふっ」と笑うと、
「じゃあ、“わたしがお父さんとお母さんに会えるように”、これからも頑張ってね。」
と言って、少女の右腕を自分の首に回した。
「違う。“死なないように”、だ。」
リラは諦めたような不機嫌な顔でそう言ってミミの反対側に周り、少女の左腕を自分の首に回した。
✳︎
頭がガンガンする。目を閉じているのに世界が回っているように感じる。
今まで感じたことのない不快感。無意識に唸ってる自分の声が聞こえて、蕾は驚いて目を開けた。
「おや。気がついたかの?」
顔を横に向けると、人の良さそうな、やたらと小柄なお爺さんと目が合った。マグカップを両手で挟んで椅子の上にちょこんと座ってこちらを見ている。白い髭の先に一滴分のココアが乗っかっている。
身体を起こそうとするとお爺さんは慌てて「これこれ!だめだめ!」と言い、片手をマグカップから放して宥めるような仕草をした。すると、お爺さんの手は触れていないのにも関わらず、優しく身体がベッドに押し戻される不思議な感覚がして、蕾は再びベッドに横になっていた。
「しばらくは休んでないといかんよ?慣れてないじゃろその身体。」
お爺さんの言葉を聞いて蕾はハッとした。
今まで当たり前に動かしていたが、この「手」は何だ?この「脚」は何だ?
蕾は何があったかを思い出そうとしたが、自分がどうやってこの姿になったのか、どうしても思い出せなかった。
「まあまあ、しばらくは難しいことは考えず、休んでおいで。あの子たちももう少しで帰ってくるはずだから。」
お爺さんはニコリと笑うと、椅子からふわりと飛び降り、部屋から出て行ってしまった。
周りを見回すとここが小さな小屋であることがわかった。棚には木彫の小さな動物たちが飾られていた。
薄いカーテンから柔らかな陽射しが透けていた。暖炉には薪がくべられていて心地よい暖かさだった。
身体を起こしてベッドから足を下ろし、床につけて体重を少しだけかけてみる。
誰からもらったかもわからない足は、同じく誰からもらったかもわからない人間の肉体を、想像よりもしっかりと支えようとしていた。
思い切って立ち上がってみたが、足は信用を裏切ることなく、平然と自分の役割をこなしてくれていた。
転ばないように慎重に一歩ずつ歩き、木彫の何かの動物の飾りで留められていたカーテンに手をかけ、横に引いた。
目の前には枝と、空が広がっていた。
ここはどこなのだろうか…窓から見える範囲を眺めてみたが、さっぱり見当がつかなかった。
ぼんやりと窓から外を眺めていると、玄関でバタンと扉が開く音が聞こえた。
「ただいまキノじぃ〜!」
元気な女の子の声が聞こえる。バタバタと走り周っている。そしてその足音はこちらに向かっているようだった。
蕾はなんとなく慌てた。他人の家で勝手に立ち歩き、カーテンを触ってしまった…。蕾は急いでカーテンを元通りに閉め、自分が寝ていたベッドに滑り込んだ。
それとほぼ同時に、いきなり部屋の扉が勢いよく開いた。
蕾は勢いで頭までかぶってしまっていた毛布から顔を出し、扉の方を見た。
扉の前では金色の前髪をあちこちにハネさせた子が「キノじぃ~?」とキョロキョロしていた。
そして、その子と目が合った。
蕾は最近「目」を手に入れたので、「人間」を見たことがない。(先ほどお爺さんを見ているが、蕾には「人間」と認識できていなかった。)
ましてや、「神さま」なんて、見たことあるはずがなかった。
しかし蕾は咄嗟に、その子のことを「神さま」だと思った。それほどその子は美しかった。
蕾が一瞬見惚れている間に、金髪の子は蕾と目が合うや否や、瞬時にバタンと扉を締めて、向こう側に隠れてしまった。
蕾が唖然としていると、落ち着いた足音と優しい話し声が聞こえてきた。
やがて再度ゆっくりと扉が開くと、今度は先ほどの子と比べるとよほど人間らしい女の子が顔を出した。茶色の髪の毛を肩のあたりで切り揃えた、色白の女の子だ。小柄な身体にゆったりとした茶色のローブを纏っている。
全てが平凡に見える第一印象の中で唯一、胸元に淡く光る針のようなペンダントだけは明らかな存在感をもっていた。腕時計の短針のような大きさと形だが、その針が放つ淡い光りには実体があるように見えるので、どんな形のペンダントかと問われたら多くの人が球体だと答えるだろう。針が浮いているのか、光に実体があるのか実際にはわからないが、針は胸元から離れた不自然な位置でクルクルとゆっくり回転していた。
女の子と目が合った。髪の毛と同じく茶色の瞳は、カーテンの隙間から差す光が映って淡くキラキラと輝いていた。光をよく反射をする美しい瞳だったが、彼女の瞳に、蕾は違和感を覚えた。
その違和感は「不安」を覚える類のものであったが、蕾は「気のせいかも」と思い直した。それほどまでに、微々たる違和感…。
─そして蕾は不思議な瞳の違和感の正体に、最後まで気がつかない。
「こんにちは。」
女の子はすぐには部屋に入ろうとせずに、扉を自分の姿が見える分だけ開いて声をかけた。
彼女の背中の方には、チラチラと金色の髪の毛が見えていた。
これが蕾にとって最初で最後の、「友だち」との出会いとなる。
これは、蕾が花となり、散っていくまでの物語だ。
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