第7話
「ねえあの人・・」
「近寄っちゃ駄目よ。
孕まされるわよ」
「女子を見る眼がいやらしいのよね。
ねっとりして、何だか気持ち悪い」
「女なら誰でも良いって聞いたぜ?
そんなにやりたいのかね」
「1年の
「毎日誰かをストーカーしているって聞いたぜ?」
「最低ね。
何であんなのがうちの学院に入れたの?」
「授業は寝てばかりなんだと。
一体何しにここに来てるんだよ?」
この1週間、何処へ行ってもあからさまに俺の噂をする奴がいる。
しかも、その噂にどんどん尾ひれがついている。
そのせいで、昼食を取りに食堂に行くと、混んでいるにも拘らず、俺が座ったテーブルから人が離れて行き、若しくは露骨に着席を拒否される。
午後の実習や実技では、合同クラスの相手から、模擬戦や、ペアを組むことを拒絶され、教師陣もそれを咎めない。
お陰で、今まで1度も午後の授業に参加できていない。
同じクラスの奴らは、俺という恰好のネタができたせいで、それまで疎遠だった上位クラスの生徒達から声をかけられることが多くなり、毎日必死になって俺の粗探しをしている。
こんなはずではなかった。
俺が夢見た学院生活、異世界での暮らしは、もっと華やかで、楽しいもののはずだった。
それが何故こうなる?
学院での居場所も、する事もなくなった俺は、登校中はせめて本でも読もうと図書館に行く。
案の定、俺に気付いた奴らが舌打ちしたり、鋭い視線を向けてきたりするが、本を選んだら出て行くつもりだから、敢えて無視する。
これまでの俺なら、そいつらに向けて殺気を放って恥をかかせてやるのだが、今はそういう気分ではない。
この国1番の学院だけあって、3階まである書棚には、蔵書がぎっしり詰まっている。
俺の目的は恋愛もの、学院生活やパーティー内での出来事を、小説風に綴った書物。
魔界でも、そしてこの世界でも得られなかったものを、せめて物語に求めた。
どれが良いかなんて分らないから、とりあえず書棚の端から3冊抜く。
それを貸出係まで持って行くと、応対した若い女性職員に、嫌そうな顔をされる。
職員にまで噂が広がっているのか。
図書館って、私語禁止じゃないのか?
借りた本を持って、今日はもう宿に帰る。
どうせ俺が授業に出ようが出まいが、他の奴らには何の関係もない。
高級宿の窓辺で、俺は1冊の本を手に取り、その表紙を捲った。
最初はほんの違和感を覚えただけだった。
1冊目を読み終え、暗くなった空を星々が彩り始める頃、2冊目に手を出す。
そして空が明るくなる頃には、3冊目を摑んでいた。
まだ昼になる前に、読み終えた本を持って、図書館に出向く。
今度は借りられるだけ借りて、再び宿に戻ってそれを読み始める。
そんな単純作業を不眠不休で3日続けて繰り返した頃には、俺の中で生まれた違和感の正体を確信しつつあった。
更に、全く同じ行動を10日程繰り返す。
風呂に入る以外は食事も取らずに読んでいたから、この2週間で図書館の書棚1つ分の、その約半分を読み終える。
只の本を読むだけなら、【賢者】のお陰でこの数倍は速く読めるのだが、生じた違和感の正体を探り、そして確信してからは、その会話を味わうようにして読んでいたので、これ以上は速くならなかった。
3週間目の終わり、宿の床に読み終えた本が全て積み上がった時、暮れゆく空をぼーっと眺めながら、俺は呟いた。
「・・そうか。
・・俺って、この世界では嫌な奴だったんだな」
魔界では、大事な事ははっきりと口に出して伝えることが当たり前になっている。
忖度なんて言葉は、一部の王宮職員くらいにしか縁がない。
こちらの言いたい事、要求や要望を相手に明確に伝えて、それに対する答えを貰う。
交際を迫る時も、相手に好意を伝える際も、手紙などという間接的な手段は貴族以外には好まれず、面と向かって伝える方が評価される。
何かを告げたい際に、わざわざ遠回りして、意味のない会話を挟んだ後にするなんて、『時間を無駄にするな』と却って相手に嫌がられる。
好意の気持ちを伝えることだって、さすがにいきなり肉体的な行動には出ないものの、好きだという気持ちを隠して、友達から始めて探りを入れるようなことをせず、初対面の相手にも、その場で堂々と思いを伝えるのだ。
そうしないのは、お互いが貴族同士の時だけで、貴族でも相手が平民なら、人が見ていようがお構いなしに口説く。
そして思いを伝えられた相手側も、相手が誰であれ、はっきりと自分の気持ちを口にする。
貴族相手でも、躊躇いなく『嫌だ』、『お断りします』と言える。
それを言われた相手側も、こちらの世界のように、報復や根に持つことをしない。
告白を断られて、それがきっかけで友人付き合いに発展することも珍しくはないが、それはあくまで結果としてである。
戦闘を繰り返すことで性欲が溜まる魔族は、早い内から、そして躊躇わずに行為の相手を確保しようと励むため、誰かに断られた後、直ぐその場で別の相手を口説いても、顔を
そういう世界なのだ、魔界は。
俺はそんな世界でこれまで生きてきた上、”彼女”以外とはろくに会話もしたことがない。
貧民街で【吸能】の相手を探す時でも、いきなり条件から入るのが当たり前だった。
親とのスキンシップなどなく、彼らからかわいがられたこともなく、学校にも通えなければ、家庭教師のような師となる存在すら与えられない。
唯一受け入れてくれた”彼女”は、俺を盲目的に愛してくれたが、俺の言動を批判したのは、『向こうの世界に行きたい』と告げた時だけだ。
その彼女とも、喧嘩してもう3年くらい会っていない。
言い訳かもしれないが、こちらの世界で、これまでの俺の言動が異様に映ったとしても、ある意味仕方がなかったと言える。
暫くの間、ただ意味もなく、空を眺めるだけだった。
何も考えていないのに、ひとりでに流れた涙が頬を濡らしていく。
換気のために少しだけ開けた窓から、俺とは無関係だと言わんばかりに、風が通り抜ける。
夜になり、賑わいを見せる通りから、微かに聞こえてくる人の声。
楽しそうなそれらの声が、より一層、俺が独りだということを実感させる。
これから何をしていこう?
深夜になり、明かりさえ点けない部屋の中を月が照らし込んでゆく中で、やっとそれだけを考えられる。
力ない視線の先には、最後に読んだ本の表紙があった。
何の取り柄もない平凡な主人公が、努力して周囲から認められていく話。
少し都合が良過ぎるが、それでも中々面白かった。
俺は無能でもなければ弱くもないが、この主人公のように生きてみるのも悪くはない。
あからさまに善意を押し付ける気もなければ、
もう魔界には帰れないのだ。
たとえ想像していたような世界ではなくても、ここで生きていく以外に道はない。
少しだけ上向いた気分が、随分長く忘れていた眠気を呼び起こす。
その日、長いこと使われてなくて、皺さえ寄っていないベッドに入った俺は、夢すら見ずに眠りに就いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます