第16話 ヒーローの背中

スティグマが去った後、ユナはオオカミとたった二人で残されて、この状況をどうしたら打開できるかを考えあぐねていた。

オオカミは意識ももうろうとしていて、息も絶え絶えな状態。体の大きなオオカミを引きずって歩くことなどユナにはできないし、万が一できたとしても血を流しているオオカミをそうすることはよくないことのように思えた。

ユナにできることといえば、オオカミがこの世から離れてしまわないように、声をかけ続けることだけだった。

「シンヤ、シンヤ!しっかりせぇ、大丈夫や」

「……揺らすな。脚が……痛む」

「悪い。でもシンヤ寝てまうやろ放っといたら」

「そうか……そうかも……」

「だから起きろっていうとるんよ!なぁ、せっかく二人なのにこんなのあんまりや。お願いだから起きてな、な?」

オオカミは頷くが、その勢いも徐々に失われていく。何かできることはないのか。何も無いのだ。ユナには、何も。

ただ、叫ぶことしか。

「こんなん、オオカミ!オオカミシンヤ!違うやないか」

彼の根幹を為す信条に、語りかけることしか。

「約束と違うやないか……!どんなときでもあたしのことを、守って、幸せにしてくれるんやなかったのか。守って。抱きしめて。お願いやから、ねぇ!」

「……ああ」

オオカミは、体を動かすのもままならない中で答えて、ユナの言うとおりにその小さく細い体を抱きしめてくれた。今までのオオカミなら、決してしなかったことだったから、ユナの方が面食らってしまって、狼狽える結果になった。

「し、シンヤ」

「スティグマが……教えてくれた。ユナ、悪かった」

「何がよ」

「俺が何を約束していたのか……俺は最初から、約束を守るために約束をしていたところがあった。だけどそれは違うんだ。やっと気づけた。お前に何をしてやれるか。そのために俺は約束を」

オオカミは痛みのあまりに、顔を背けて嘔吐した。

「済まない」

「……その通りやんな。やっと気づいたんか。あたしはオオカミがいてくれたらそれだけでよかったのに」

ユナは、オオカミの胸に顔を埋めて、必死に泣かないよう堪えていた。なぜならそうしてしまったら、オオカミに約束を破らせることになるから。オオカミが必死に守ろうとしてくれた約束を、何度も破らせることになるから。

今度は、ユナが努力する番だった。せめて、死に際くらいは。オオカミにつらい思いをさせないように。

「……胸が、痛いんだ」

「やられたんか。苦しいんか」

「スティグマにもらった傷だ……あいつも、苦しんでた」

その時、表通りの方から最初の銃声が、けたたましく鳴り響いた。

スティグマが戦い始めている。時間の猶予はいかばかりか。きっとほとんど無いに違いない。

「……そうだ、メタモルフォーゼ。アイディアル、勝てたのか」

オオカミが呼びかけると、アイディアルがその巨体をオオカミの前に現した。

「逃走を許したが、この場では勝利と言えるだろう」

「これがシンヤの言うとったヒーローなんか。……ドーナイザーの連中が注意しろってしこたま言うとった、シンヤの力か」

「ああ……。あんたがまだいるってことは、どうやらいよいよおしまいみたい……と俺は思ってるみたいだな」


「いや。私の役目は、どうやらそろそろ終わりらしい」


アイディアルはなんのてらいも無くそう言った。そして足元から光の粒となって消えていくのだった。

「役目が終わり……?どういうことだ。お前は俺のヒーローなんじゃないのか」

「もう、君は助けられる無力な存在ではなくなったということだよ。見てみたまえ、君の脚を」

「そういえば……痛くない」

オオカミもユナも、あまりに凄惨な有様だったので目を逸らしていた脚の傷に目をやる。するとその、もはや破壊と呼んでも差し支えない負傷は、急速に元に戻りつつあった。ねじられたのを逆回しにするかのように、元の通りに。

「つまり、もはや君が絶望する要素はどこにもない。私の役目も終わりというわけだ」

それに覆い被さるように、二度目の銃声が鳴り響く。

オオカミはその瞬間、自らが得たものがなんなのかを理解する。



「スティグマ……この胸の痛み。そうか……この力までおいていったのか」


「シンヤ、力って何のことね」

しかし同時に、それは自らが失ったものを示唆することでもある。

「……行こう、ユナ。スティグマの最期のあがきを無駄にしないためにも」

「あがき……まさか、オオカミのところに不死身の力をおいていったん。じゃあ!」

「そうだ。急いで逃げなきゃならない」

「スティグマは」

「……あいつとは、結局最期までそりが合わなかったが」

オオカミは胸に手を当てて、そこにある痛みを優しく抱きしめていた。

「あいつとも最期に約束した。この想いを抱いていくこと。お前を二度と泣かさないこと。俺の心に刻みつけていった。だからアイディアルは今いなくなろうとしてるし、俺は、今立ち上がれる」

オオカミは、ゆっくりと立ち上がった。立てるのかどうか半信半疑ではあったが、脚は普段の通り動いた。

「スティグマ……ふがいない奴ですまなかった。ありがとう」

そしてオオカミはユナの手を取った。

「行こう、ユナ。いろんな奴と約束して遠回りしてきたけれど、今度は……これからはずっと、お前との約束を守る。お前を絶対に一人にしない。お前を絶対に泣かせたりしない」

「……っ。あったり前や。今度からそんなことあったら本当に許さへんからな。他の女にばっかりうつつ抜かして」

「夫婦漫才はその辺にしておけ。来るぞ」

アイディアルが、体が消えかかりながらも格闘戦の姿勢を取る。

「できる限り時間は稼ごう。その間にできるだけ遠くに逃げるんだ」

「……分かった。ありがとう、俺のヒーロー」

オオカミは、目を袖で乱暴に拭った。

そして踵を返して、ユナと共に走り出した。

「ありがとう、じゃあな」

アイディアルは振り向かなかった。その必要が無かったから。

オオカミにはもうヒーローは必要なく、故にアイディアルにも未練は何もなかった。


「それでいい。か弱かった子どもはいつか、自分で約束を守れるようになるものだ」


新たなヒーローの覚醒に、幸多からんことを。

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