第32話 癒しの時間




 もう告白されるのはごめんだ。

 モテ期だと嬉しがれるほど、俺は楽観的ではなかった。むしろ危機感しかない。

 恋愛にかまけている場合でもないし、告白してきた相手も相手だ。恋人になるつもりはない。


 しかし、全員諦めの悪い人ばかりだ。断ったとしても、しつこそうな様子が目に浮かぶ。思わず、深いため息が出てしまった。


「にぃ、どうしたの?」


「あ、ごめん。ちょっと疲れちゃって。心配しなくても大丈夫だからな」


 ちょうどそのタイミングで見られてしまったらしく、弟が俺の膝に寄ってくる。


「ほんと? いたいいたいじゃない?」


「痛くないよ。痛くないから大丈夫」


 大丈夫だと言っても、心配そうな顔は変わらなかった。俺が無理をしていると思っているらしい。全く無理をしていないと言えば、確かに嘘になる。

 この間濃厚な時間を過ごしたせいで、精神的には疲れ切っていた。一応、ほぼ解決したのにも関わらずである。恋愛的には解決していないからかもしれない。

 連絡先を交換した四人とは、定期的に連絡が来る。最低限だけ返しているが、それが四人となると負担がかかっている。


 後は、この前会った刑事と会わないように気をつけているのも大変だった。今のところ会ってはいないが、たまにどこからか視線を感じる。俺のことはバレているだろうから、監視されているのは確実だった。話しかけられる原因を作らないために、品行方正な生活を意識している。

 弟の手本になりたいから、悪いことをするつもりはないが、それでも監視されていていい気持ちにはならない。


 そういった小さなことが積み重なって、そろそろ限界を迎えていた。

 弟の前で疲れを出すつもりはなかったけど、さすがに追い詰められていたようだ。


「にぃ、だいじょうぶ?」


 膝にすり寄っていた弟が、上に乗ってきて頭を撫でてくれた。それだけで、だいぶ回復する。癒しの力が凄い。


「はるが心配してくれるだけで、随分と楽になったよ。ありがとうな」


「むぅ。まだたいへん」


 お世辞ではなく本心だったけど、弟からすると満足いかないらしい。頬を膨らませたかと思えば、俺に横になるよう訴えてきた。

 抗うことなく横になると、弟が胸の辺りに抱きついてきた。


「ぼくがぎゅってする。にぃはいつもがんばってるから」


 天使だ。俺は弟を抱きしめながら、感動で叫びだしたい気分だった。しかしグッとこらえる。


「……ありがとう」


「にぃ、いいこいいこ」


 家事は一段落していて、少しぐらい休んでいても仕事に支障はない。なによりも、弟の優しさを全身で受け止めるのが俺の役目だ。

 子供体温の温かさを抱きしめているうちに、いつの間にか眠気が襲ってくる。寝ちゃ駄目だ、そう思うと余計に眠くなってきた。

 ちょっとだけ、ちょっとだけ、そう自分に言い訳しながら目を閉じる。


「少し……ねるけど。なにかあったら、ちゃんとよぶんだぞ」


 途切れ途切れに言葉にすれば、返事をするように頭を撫でられる。これではどちらが兄なんだと、不甲斐なく感じながらも意識が闇に沈んでいく。落ちる瞬間、弟が何かを言った気がしたが、俺の耳には入って来なかった。



 十分ほど眠るだけのつもりだったのに、気がつけば一時間以上経っていた。

 目を覚まして、すぐに弟の所在を確認した。どこかに姿を消していることはなく、胸の中で一緒に寝ていたので本当に良かった。

 しっかりしているとはいっても、一人だと危険な行動をしてしまうかもしれない。俺が寝ていたせいで事故にでもあったら、なんて考えたくもない。これからは気をつけよう。


 俺は弟を起こさずに、そっと抜け出す。離れた時に顔を歪めたのでひやっとしたが、すぐに元の表情に戻ったので安心する。

 寝ている間に、少し仕事を片付けるか。休んだおかげで、体も軽く頭もスッキリしている。

 大きく伸びをしながら、弟の姿が視界に入る位置でノートパソコンをひろげた。キーボードを打つ音で起こさないように注意を払いつつ、仕事を始める。


 それから、また一時間ほどが経った。集中していて時間を気にしていなかったが、視界の隅で弟が動くのが入った。


「にぃ?」


 起きてまっさきに俺がいないのが分かり、とても寂しそうに呼んでくる。あまりにも悲しそうな声を出すので、仕事を放り出して駆け寄った。


「ごめん。びっくりさせたな。一緒にいれば良かった」


 ぐずりそうな体を抱っこして、落ち着かせるために背中を叩く。一定のリズムで続ければ、体から力が抜けた。


「にぃ、もうだいじょうぶ?」


 俺の首にしがみつきながら、そんな質問をしてくる。こんな状態でも心配してくれるなんて、優しい子である。


「はるのおかげで、すっかり元気になったよ。こんなことだって出来るぞっ」


 そう言って、体を持ち上げて高い高いをする。突然の浮遊感に最初は驚いていたが、すぐに楽しそうに笑い出す。

 これで、元気だという言葉も納得してくれた。弟のおかげで、身も心も回復した。

 悩んでいたせいで、睡眠不足だったのかもしれない。やはり、睡眠は大事だ。問題は残っているとしても、悩みすぎるのも良くない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る