第20話 よく分からない状況





 キスからようやく解放された時には、俺は息もたえだえになっていた。奪われた酸素を取り戻すように深呼吸をすれば、二方向から笑う声が聞こえてくる。


「な、んで笑うんですか」


 蓮司だけではない。入口の辺りにまだ立っている男も、小さくではあったが笑った。キスしている間に帰っていてほしかった。むしろ、どうしてまだここにいるんだ。人のキスシーンなんて見て、何が楽しいんだろう。趣味が悪すぎる。


「いや、慣れていないんだな。こういうの。もしかして初めてか?」


 蓮司が馬鹿にした笑みを浮かべているから、完全に頭にきた。


「そ、んなわけないでしょう。初めてじゃないです」


 とはいえ、相手は弟だった。言い訳をさせてもらうとするならば、俺からしたわけではない。弟が二歳の時に、抱っこをしていたら突然奪われたのだ。その後話を聞いたところによると、テレビで観たのを真似したらしい。

 恋愛ドラマなんて観せた覚えはないが、片時も離れずにはいなかったので、知らない間にやっているのを見たのかもしれない。

 俺にとっても、弟にとっても初めてのキス。とにかく弟への申し訳なさでいっぱいだった。俺は別にいい。しかし、成長した弟がこの事実を知ったら、ショックで口をきいてくれなくなるのではないか。そう思って、俺の胸にしまいこんでおくことに決めた。


 そういう経緯もあり、蓮司とは初めてではなかった。弟とのキスはノーカンだとしても、言わなければバレない。

 それで初めてではないと言ったのだが、何故か場の空気が冷たくなった。蓮司の眉間に深いしわが寄っている。


「えっと」


「誰としたんだ」


「別に誰でも」


「誰か教えろ」


 いや、なんでそんなに気になるんだ。とてもじゃないけど弟だなんて言えない。言ったら絶対に馬鹿にされる。目をそらせば、腕を掴まれた。

 蓮司かと思ったら違った。後ろに体を引かれ、無理やり立たされる。気分はとらわれた宇宙人だ。


「わ、とと」


 体勢を崩したが、ずっしりとした体に受け止められる。まるで壁みたいだ。それぐらいしっかりしていた。


「おい、何してるんだ」


 目の前にいる蓮司が、俺の後ろにいる男に対して鋭い視線を向けた。殺意すらも感じる。しかし、俺を立ち上がらせた犯人はどこ吹く風だった。

 ものでも扱うぐらい雑に俺の体を回転させると、視界いっぱいに顔。あまりに近すぎる距離に、俺の顔は引きつった。


「あ、あの」


 隅から隅まで、顔を観察される。なんだ。なんなんだ。そんなに人の顔を見て、何が楽しいんだ。そこまでまじまじと見られると、何かついていないかと心配になってくる。顔をそらしたくても、許さないというオーラを出されていた。

 しばらく観察して満足したのか、一度頷く。


「……いいな」


「はい?」


「……俺のところに、来ないか?」


「はっ?」


 何言っているんだ、こいつ。俺が訝しげな表情を向けた瞬間、すぐ脇を風が通り抜けた。急な突風ではない。蓮司の蹴りから発生した風だった。


「調子に乗ってんじゃねえぞ、てめえ!」


 殺気を放って、怒号を浴びせた。ブチギレている。何に対して。俺が関係していることだけは分かる。

 蹴りは誰にも当たらなかった。俺を抱きしめながら避けたからだ。しかし、その動きが余計に怒りを増長させた。


「さっさと離せ」


「……何をそう怒る。……お前の恋人なのか?」


 怒っている蓮司とは対照的に、あくまでも冷静だった。首を傾げて、俺をさらに抱きしめた。わざとだとしたら、ものすごい煽り方である。俺は腕の中で状況に追いつけず、ただただ目を白黒させていた。


「ああ、そうだ。俺の恋人だ。だから手を出すんじゃねえ。殺すぞ」


「……物騒だな。……余裕のない男は、嫌われるぞ。な?」


 な。と俺に言われても。

 どう答えたとしても、面倒なことになりそうだ。あいまいに笑っていれば、蓮司がブチ切れた表情のまま手を伸ばしてくる。


「こっちに来い」


 それは俺に命令していた。何様だこいつ。いや、二人ともおかしい。俺の扱いが、ペットや物みたいだ。本当に馬鹿にしている。

 行くのも嫌だし、このまま抱きしめられているのもごめんだ。俺はもう耐えきれなくなって、軽く本気を出して振り払った。俺を弱いと思っていたのか、簡単に抜け出すことが出来た。驚いた様子は、だいぶ自分の力を過信していたかららしい。


「ふ、ざけないでくださいっ」


 なんとか敬語を使えた。しかし、これで俺のことをただの一般人とは思えなくなったはずだ。警戒をにじませている。


「……今の動き……ただものじゃない……あんた、何者だ……?」


 鋭い視線に、俺は挑発するために笑った。そうすれば、何故かそばにいた蓮司の目が光る。ペロリと唇を舐めて、獲物を見定めたみたいだった。その表情に寒気を感じた。


「俺が何者なのか、それは関係ないでしょう。今日はもう、うんざりなんです。関わりたくなんかない。これで失礼させてもらいます」


 ここにいる理由なんて、のんきに見定めている場合ではなかった。俺は吐き捨てると、そのまま立ち去ることにした。





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