第9話 変な男





「隠していること、ぜーんぶゲロっちゃった方がいいと思うけど?」


 そう言って首を傾げる相手に、俺は舌打ちで返した。



 話は数時間前にさかのぼる。

 弟を幼稚園に送り、寂しそうな表情をなんとかかわした。俺だって一緒にいたいけど、それは親が許さない。同世代の友達と遊ぶのも大事だ。

 泣く泣く幼稚園から出た俺は、時間を持て余していた。今日は太一が来る予定もなく、図書館に行く用事もない。仕事の締切も余裕があった。缶詰するほどではない。


 さて、どうしたものか。迷って、弟の洋服を買おうと決めた。子供の成長は早いので、すぐ服が小さくなってしまう。遊んでいたり、食事の時に汚したりもするから、そろそろ買い替える必要があった。

 子供服は可愛いものがあるので、選ぶのは楽しい。本当は弟を連れていった方がいいけど、今日買うのはレインコートとかだから大丈夫だろう。弟は、俺が買ったものに文句は言わない。喜んで着てくれる。


 今まで使っていたのはカエルをモチーフにしたもので、フードを被るとカエルになるのが可愛かった。同じような可愛いモチーフのものがいい。レインコートとお揃いの傘も買おう。買いたいものがどんどん増えていく。それが楽しくてたまらない。あれもこれもと考えながら、ショッピングモールに来た。


「ちょっと、そこのお兄さん」


 いつもひいきにさせてもらっている、子供服専用の店に一直線に向かっていたのだが、その途中ゲームセンターの前を通りかかった時に話しかけられた。最初は自分が話しかけられたとは思わず、そのまま進もうとした。


「そこの野暮ったいお兄さんだよ」


 野暮ったいと言われても、自分のことだと思わなかった。変な話かけられ方をしている人がいるなと、頭の隅で考えただけだった。


「無視するのは良くないよね。馬鹿にしてるの?」


 しかし腕を掴まれれば、さすがに自分のことだと気がつく。そして反射的に、その腕を振り払ってしまった。俺の反応は、相手の興味を引いた。

 腕を掴んできた主を見て、俺はすぐさま逃げたくなった。どうしてこんなところで会ってしまったのか。買い物をしようと思った、少し前の自分を殴りたくなったぐらいだ。


「誰だ?」


 人違いであってほしい。さっさと解放してほしくて、俺は低く冷たい声を出した。長居するのは危険だ。時間をかければかけるほど良くない方向に進んでいく。

 どんな理由で俺に話しかけたかは知らないが、まだ正体がバレたわけではなさそうだ。もしバレていたら、すでに俺は敵対チーム全員に囲まれているはずだ。その様子は今のところはない。

 ただ単に興味本位で話しかけただけならば、俺の行動はまずかった。反省しても遅いが。

 振り払われた手を見ながら、口角がどんどん上がっていく。それは俺を窮地に追いやっていた。


「へえ。野暮ったいと思ったけど、なかなかやるね。もしかして、喧嘩の経験ある?」


 どうせ、経験が無いと言ったところで信じないはずだ。すでに答えは決まっている。それなら煙に巻くまでである。


「さっきから何を言ってるのか分からない。それに俺は暇じゃないんだ。あなたの相手をしている時間はない」


 こうしている間にも、弟のものを買う時間は無くなっている。相手にしていたら、さらに面倒なことが起こりそうなので、冷たい態度をとり続けた。

 しかし逆効果だったらしい。


「ますます興味が湧いてきた。ねえ、どこかのチームにでも入ってる? あー。でもそれなら、俺の顔に見覚えがあるはずか。知ってたら、そんな態度とれないもんな。それじゃあ、ただの馬鹿なのかな?」


 もう馬鹿でいいから、早く終わらせてほしい。俺も我慢強いほうではない。さすがにやったら駄目だと分かっているが、拳で解決したら早い気がしてきた。しかし、それをしたら公共の場でもあるので、俺が警察に捕まる。弟を幼稚園まで迎えに行くことが出来なくなる。

 冷静に冷静に。深呼吸をして心を落ち着かせながら、頭を軽く横に振った。


「あなたがどんな人なのか知らない。チーム? というのも、何を言っているんだか。俺はこれから用事がある。もう話を終わりにしてくれ」


 腕を掴まれていないから、このまま逃げておう。向こうは俺を知らないのだ。逃げてしまえば、もう追えなくなる。そう考えて切り捨てようとしたのだが、俺のその考えを読み取ったみたいに声をかけられた。


「あんた。なにか隠し事しているでしょ? うさんくさい臭いがぷんぷんする」


「そう言われてもな。今日出会ったばかりなのに、全てのことを知られていたら怖いだろう」


「ごまかす気なの? なにか隠しているのなんか、ぜーんぶお見通しなんだから。早く言った方が身のためだと思うけど?」


 逃がしてくれる気は無さそうだ。満足してくれるまで解放してくれないだろう。出会ってしまった時点で、すでに手遅れだったみたいだ。運がなかったと諦めるしかない。


「隠していること、ぜーんぶゲロっちゃった方がいいと思うけど?」


 そして、初めの言葉に戻る。ここでの結果によっては、平穏な生活が終わりを迎える。

 弟に危害が加わることだけは嫌だった。




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