前説『感想書くなら、読者視点か? 創作者視点か?』

 今回の投稿は、第十回に投稿予定の作品の前説として準備しておりますが、本章のみでも意味は通じるようになっております。

 内容は「感想文を書くとき、その立場や視線は読者としてのものがよいのか? 創作者としてのものがよいのか?」です。


【読者としての視点、創作者としての視点】

 私は読者の立場もありますが、創作者としての立場も、一応持っております。

 そのため「作品を読み、感想を残すときに見る目、立場をどう取るか」は重要な問題です。

 なぜなら、取る視点によってその作品の鑑賞の仕方が若干変化してしまうものだからです。


【読者視点】

 読者としての視点に立てば、次のような鑑賞の態度になると思います。

●純粋に感情のおもむくままに読む。

●面白かったか、面白くなかったか、なにも感じなかったか、読後感が判明する。

●読後感に対し「なぜ私はそう感じたのか」を作品から振り返る。


 読んで、感じて、考える(FF14?)。


 読者視点と書きましたが、全ての読者が自然に行っていると思います。

 なぜそう感じたんだろう、という内省まではしないかも知れませんけれども。


【創作者視点】

 創作者の立場となると、もう少し物語の構造や文章そのものに踏み込んだ視点を自然に取りがちになると思います。


●世界設定、人物設定はどうか?

●文体はどうか?

●構成はどうか?

●文章はどうか?

 ……etc.


 もちろん創作未経験でも、設定や構成などに興味を持ち、そこを味わう読者もたくさんいらっしゃるでしょう。

 ですが、やはり創作経験があると、作品の構造的な視点の解像度が桁違いに上がるのも確かです。

 そして、この上がった解像度がもたらす悪い影響が「アラばかり見える」「自分ならこう書く」という感情ですね。


 思う分にはかまいませんが、それを作者様にぶつけてしまうと、読み手も書き手もあまりいい結果になりません。


【面白くするとは?】

 私は第十回の作品に関して、すでに作者様へ読後の感想をお知らせしました。もともとツイッターで感想を募集なさっていたからですね。

 そこで「だいぶ以前に公開済みの作品について、改めて感想を求めておられるその理由は何ですか?」とお伺いしたところ、「いかに作品を良くするか」というブラッシュアップをしたくて求めているとのお答えをいただきました。


 読者としては読んで、感じて、考えて、それをお伝えするだけですが、「ブラッシュアップ」となるとちょっと話が変わります。


 ここ最近作者様とそのやりとりをさせていただき、特に序盤や設定で気になった点を詳細に読み込みました。

 そこで「自分の思考の整理」「浮かんだ疑問」「作劇上の指摘事項」などの検討を加え、その内容をそのまま作者様に書き送りました。


 そうした草稿めいた諸々の文章を書き、その総括した感想を現在書き起こしているのですが、作劇の技術はさておき、大きな疑問が立ちはだかりました。

 それは、


「面白くするとはどういうことなのか?」


です。


 わからない部分を明快にしたら面白くなるのか?

 矛盾している点を解消すれば面白くなるのか?

 作劇上のテクニックをきちんと踏んだら面白くなるのか?


 この疑問に答えるのは不可能です。

 しかし次のように疑問を立てれば、答えるのは簡単です。


◆Q:言われたとおりに改造して面白くなる保証はあるのか?

◆A:ない。


 どんな主語でも答えは「保証できない」です。

 プロ作家が、プロの講師が、読み専読者が、創作仲間が。

 ただし、例えば次のような「試み」は可能だと思います。


●わからない部分を明快にした上で、わざとわからない点を残す

●矛盾はわかっているので、上手く物語で吸収する文章やシーンを追加する

●矛盾自体を解消して読者が理解しやすいように改変する

●作劇上のテクニックは劇で鑑賞者を楽しませる重要なノウハウなので、的確に吟味する

●あえて全部放置する


 つまり、読んだ人間が出来るのは「私という読者からはこう見えている」と作者様に詳細にお知らせする。


 これだけです。


 作者様はそれらを検討、吟味し、改編の参考になさるか、あるいは捨てていただく。

 作品を提供し、面白がらせるお手伝いは作者にしかできません。

 外野の感想や意見がどうであっても、作品を制作するのは作者の意志です。

 そしてできあがった作品を面白がるのが読者です。


 それ以外にはありません。


【作品への思い入れと客観性の狭間】


 作者様がご自身の作品にどんな悩みを持ち、どのように見つめ、「自作への思い入れ」と「他人が読むという客観性」の狭間で苦しんでいるか。


 私も作者の端くれですから、同じように悩んでいます。

 どのように読まれているのか。どの程度の人々がご鑑賞くださっているのか。どのような読後感だったか、どのような感想を持たれているのか。そもそも全部読んでくださっているのか。


 作品は本当にこれでよかったのか。


 悩みはつきません。


 そのような中で、私は作品を精読するに従って「そもそも作者様はどうお考えなのか?」が知りたくてたまらなくなりました。

 私の読みや指摘、疑問点はとっくに作者様が気づいているのでは? くだらない指摘や質問でただお手を煩わせているだけでは?

 と思ったからです。


 私が作るわけでもないのにおかしな話で、自分の創作勉強と好奇心でしかないような気もしますが……。


 ともかく、「作品をよくしたい」という作者様の思いに少しでもお応えできたらいいな、とずっと作品を眺め続け、分解し続けていました。

 そして、たどり着いたのは「果たしてこれは意味のある作業なのか?」という身もふたもない自問でした。


 ここに書いてあるし、読み取れるだろう。

 作者がそのように書いたのだからそう受け取るべきだろう。

 つまずくところも大筋に関係ないし、指摘しなくていいだろう。

 誤字はあるけど意味はとれるし直さなくてもいいだろう。


……と、こうなってしまいました。


 これはとても悪い兆候です。

 ちょっとくらい大丈夫だろう、と慣らされることで肝心の部分を見逃しかねないからです。

 せっかく精読しているのに情けない話ですが。


***


 ちょっとだらだら書きすぎましたが、感想を書くときには、読者として純粋に楽しみ、楽しかった部分を感想として残しながら、同時に「アレはよくわからなかったな」という部分を試しに伝えてみる。

 それだけで十分な気がします。


 もしも物語の内容を客観的に観察して評価したくなったら、あくまでそれは自分の中の作業、興味とし、公表しない方が無難ではあると思います。

 作者に求められた場合でも、すでに作者は検討済みであるという前提に立ち、「自分からはこう見えた」という詳細な視点を報告をするに留めるのが良いと思います。


 第十回の投稿では、純粋な読者として鑑賞し、創作者の目線で色々こねくり回してみた結果、生まれた感想を記す予定です。

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