休憩『感想を書くとは、感情を吠えること』感想を書く行為に私が思っていること

 今回の投稿は、休憩と称し、タイトル通り「感想を書く行為」について、筆者が思っていることを放埒に書き綴ります。


◆感想文てなんなのさ


 一体、感想文ってどういう文章なんでしょう。

 筆者も定義をよくわかっておりません。なので「好き勝手、放埒に語る」宣言を小説情報に記述し、活動を開始しました。


 一般に感想とは、

 心に生じた思いや考えです。


 感想文とは、

 それらを文章にしたものです。


 作品を読んだ結果そう思った、そう考えた。作品をきっかけにして、読者の心や頭の中に浮かんだ。これが感想です。

 感想を持つ。

 これは誰にも止められませんし、止めてはならない、自然な心の発露ですよね。


 しかし、持った感想を「書く」のは、止める止めないが選べます。

 感想文をなぜ書くのか。そして投稿するのか。

 ずらずらと考えてみました。


◆感想文を書くメリットとデメリット


 私は感想文を書くメリットを次のように考えています。


【感想文を書くメリット】


1:鑑賞眼が鍛えられる

2:読書経験に意味がでる。より深く鑑賞できるようになる

3:自分の考えを筋道立てて持てるようになる

4:他人の考えを自分なりに解釈して理解できるようになる

5:安易な否定に走らなくなる


 考えればもっとたくさんあると思います。

 全て関連しあっていますが、実感としては2がかなり大きいです。


◆読書経験を積み重ねるとどうなるか


 読書経験が積み重なると、例えば同じ作者のほかの作品との比較や、同ジャンルの別の作家の作品との比較を通して、面白さの違い、テーマの違いなどを楽しめるようになります。

 蓄積した経験がただの読書体験の枠から飛び出して、次に読んだ作品の中にすっと生きてくる。


 作品を鑑賞して感想を抱くのを「道を歩くこと」と例えるなら、枠から飛び出すのは「道路網を行き来すること」です。

 交わりあったり並行して走ったり、幹線を乗り換えたり。新しい刺激が生まれ鑑賞の幅が広がります。

「こう思った」だけでなく、ほかの作品との関わりからもっとこう読めるのではないか、この作品を通して自分はどう考えるのか、など思考がどんどん発展するのですね。


 それはやがて作品に対する考えから、自分自身の考えとして定着し、他人へ表明する思想にすらなり得る、と。


 思考や感想を記すとさらに深く敏感に感じ取り、考えるようになる。ゆくゆくは根拠のない思いつきで終わることなく、また安易な否定に走らなくなる、と期待されると思っています。

 もっともこれは半分期待をこめているだけで、本当にそうなるかはわかりません。


【安易な否定、マイナスの評価、批判に走る理由を考える】


◆駄作は駄作、傑作は傑作?


 作者の皆様は、作品に対するコメントの中で批判や否定、罵倒や、きちんと読んでくれているかわからない批評などを書き込まれた経験はおありでしょうか?

 ツイッターを見ていると、鼻息の荒い威圧的なコメントや過度な批判を受けて気分を害されたり、創作をやめてしまったりといった内容を時折みます。


 主語が大きい批判や、物語の期待が叶わず罵倒してしまう行為、技法や構成に対する修正アドバイスなど、感想とかけ離れた「感想の枠を利用した御意見、批判、批評」は後を絶ちません。


 エスパー魔美『くたばれ評論家』から引用すると、

「飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作」

「どんなに心血を注いでもかいても駄作は駄作」

 という台詞があって、それはその通りです。


 また、書家の王羲之おうぎしが草稿を起こした「蘭亭序らんていじょ」という文章では、彼はこれを書いたときに酔っ払っていて、しらふのときに何度清書しようと、草稿以上の書の出来にならなかったといわれています。

 めちゃらくちゃらにきれいな楷書です。まさしく「飲んだくれてかいても傑作は傑作」です。


◆批判は思わずしたくなるもの?


 では、読んだ作品を駄作と感じたとして、駄作と決める根拠はなんなのか。


 自身が鑑賞してきた作品、そしてまだ鑑賞していない作品にかけて、駄作と言い切れるのか。どのくらい比較検討したのか。

 自分の読みは作者の考えとどのくらい離れているのか、明確に説明できるほどきちんと見えているか。

 感想を抱いたとき、そもそもその作品を最大限鑑賞しきったと言い切れるのか。

 面白くない作品があったとして、なぜ面白くなかったか、理由がいえるのか。

 同時にそれは嫉妬心や妬みなどの八つ当たり的な感情が含まれていないのか。


 私はなんとなく思うのですが、批判というのは「思わずしたくなるもの」なのではないでしょうか?

 作品に対してものを申せる場がある。コメントを残せるシステムがある。

 これは、かなり人を攻撃的にさせる装置のような気がしてしかたがないのです。


◆鑑賞者を権威的にし、過激化させる仕組み


 作品が制限なく公開されたとき、これは全ての人々が鑑賞できます。

 作品は作者の著作となりますが、鑑賞する人の手に委ねられ、読者は鑑賞の責任者となります。

 責任者ですから全責任を負うのですが、これは同時に作品を好きに扱ってよい、という権威も同時に与えることとなると思います。

 権威を持った場合に人々がその作品に対してどのような態度にでるかは、二つにわかれます。


 つまり、なんでもやっていいと過激化するか、そうでないかです。


◆ある芸術家の話


 芸術家マリーナ・アブラモヴィッチの「リズム0」というパフォーマンスがあります。

 これは「パフォーマーが全責任を負うので、裸で横たわったパフォーマーに対して、六時間、側に置いてあるアイテムを用いてなにをしてもよい」というものでした。

 パフォーマーが全責任を負い、作品の取り扱いを全て鑑賞者に委ねたのです。

 鑑賞者たちはパフォーマーたる人間にいろんなことをし始めました。

 そしてだんだんと過激化し容赦がなくなり、アイテムのひとつであるナイフで肌を切ったり、拳銃に弾をこめて銃口を向ける人まで現れ、それを止める人とで喧嘩になったそうです。


◆ある実験の話


 また「ミルグラム実験」では、責任者が全責任を負う条件で「職務」を遂行するよう通告すると、人はどんな拷問的な「職務」も実行してしまうという結果がでました。

 事前アンケートでは、死ぬかもしれない罰など与えるわけがないと回答しておきながら、いざ実験が始まると、権威者からの圧力がかかったとたん、死ぬかもしれない罰を皆が与えてしまいました。


 これらから私は、公開された作品に「コメントをつける機能がある」のは、鑑賞者を権威者と錯覚させ、批評や批判、否定的なコメント、マイナス評価という責めじみた行動のを外してしまうのではないか…と考えました。


 よほど慎重にならないと簡単に批判や否定に走ってしまう恐れが否定できない。そう思います。


【辛口な感想とは?】


◆褒めないで問題点は指摘するnot辛口


 辛口な感想というのももちろんあります。


 私も辛口な感想を残したお作がありますので、人のことはいえません。

 しかし、私はこの「辛口」というのがいささかよくわかっていないところがあります。

 というのも、


 単に「褒めない」のを「辛口」とはいわないのでは?


 と思うのですね。


 感動した部分や褒めるところがあったにもかかわらず、それは書かずに面白くないところだけ指摘する行為。

 作者が見せてくれる表現や物語や、登場人物たちの喜怒哀楽が自分と相容れない場合に、自分の鑑賞眼だけをごり押しして「なってない」などと作品を通して作者のアイデンティティを否定する行為。

 こういうのは、辛口ではなくただの誹謗中傷なのでは、と思うのです。


 もちろん鑑賞した結果生じた感情は大事ですよね?

 ならば「感動して心動かされた部分」を書かないのはなぜでしょう?

 作品に対して全く相容れないときは? なぜ相容れないのか内省し、自分はこう考えて共感できない、こう感じたと書けばいいだけですよね。

 相容れない作品やその思想の主たる作者様を否定する必要はありません。


◆わからないnotつまらない


 感動した部分があり、納得できない部分がある。面白い箇所があり、つじつまがよくわからない箇所がある。必ずありますよね。

 また、自分に理解できないイコールつまらない作品、ではありませんよね。

 自分の理解力を超える作品に出会ったなら、自分の読書経験を疑ったり、どうして理解できないのか考えたりと、やることは一杯あります。日本語だから理解できて当たり前という思考に陥ると、結構危険だと思います。


 例えば映像をそのまま見るだけでは理解できない映画だってあります。いくつかのストーリーが錯綜し、シーンの振り分け順序が時間順でない作品なんていうのもあります(クエンティン・タランティーノ監督『パルプ・フィクション』)。


 わかる部分、わからない部分どちらにも目を向け、作品を文字通りしゃぶりつくして鑑賞しきった人だけが持つ率直な感想。これこそ「辛口」に近いのではないかと思います。


【表面だけなぞって書かれた感想】


 表面だけなぞって残す感想も、それはそれでありだと思います。

 であれば、正直な感想の表明として「表面だけなぞり読みしたのでそんなに読みこんでいません」と書いてこその率直な感想であろうと思います。


 感想なのですから感情の発露を正直に書くべきであって、偏りを持って書き綴るのは感想文ではないと私は思います。


 さて、感想文を書くデメリットもあります。


【感想文を書くデメリット】

1:書くのに時間がかかる

2:感想を書くために鑑賞するようになる

3:いっぱしの批評家になった気がしてくる


 2:はきわめて深刻で有害だと思います。

 次々鑑賞するうちにだんだんと自然な感情の発露ではなくなって、「感想をこう書いてやろう」「ここはいいけどここは悪い」と、自己流で作った感想文のフォーマットにあわせた見方や評論めいた内容になってしまい、結局は「感想といいつつ見方のゆがんだなにか」になってしまうんですね。

 これが3につながってしまうのが恐ろしいところです。前述した、鑑賞者が権威者になってしまう瞬間ですよね。


 それなりの作品数を鑑賞すれば目が肥えてくるのは当然です。

 作品を比較するなどしてより楽しめるのも確かです。

 でもあくまで感想を書くところから逸脱してはいけないのでは、と思います。


◆批評、書評、私の「感想」という逃げ


 感想の眼目は「こう楽しんだぞ」という感情とその理由なのですから、「この作品はここがこう良くない」「この作品はここがほかより優れている」という評価は必要ないですよね。

 それは批評文の仕事であって感想文の仕事ではありません。


 書評には多少この視点が必要ですよね。

 まだ鑑賞していない人に向けて作品をどうお奨めするか考えたとき「ほかより優れた部分」を探り当てる目が必要ですから。

 しかし感想は書評ではないです。そういう側面があるのも理解はしますが、目的は「自分に湧き起こった感情を上手く説明する」ことです。


 なので私の感想文は割と逃げに回っていて、「小説家になろう」のコメント投稿の仕組みをまねています。良かった点、気になった点、一言、というように、批評めいた内容になる可能性があります。

 元々そういうコンセプトで始めましたので、これまで書いてきた感想うんぬんと違うじゃないか、といわれてもしかたがありません。

 なるべく、作品から思ったこと考えたことを全部出し切ろう、というのが感想文企画の本質です。


◆批評は最も読書経験を問われる行為


 いずれにしても「感想を書くために鑑賞する」という主客転倒は気をつけるべきですし、批評はもっと気をつけた方がいいと思います。

 ここがよくない、ここが優れていると批評するとき、ではなにと比べているのか? 自分の読書経験がものをいいますし、それこそ断じるに当たって誰にも文句をいわせないくらいの説得力と深い知識、比較検討が必要なのはいうまでもありません。

 最も分析的で、かつ根拠資料の多さを求められるのが、批評という方法だと思います。


【相手を傷つけるかどうか】


 感想を書けたとして、それを表明する際「作者様を傷つけてしまわないか」は、感想を書く人なら絶対に感じると思います。

 私も常に考えていて、感想を投稿するこの企画はやめた方がいいとさえ感じます。

 以前、私は読み専をしていました。なので作品を拝見し感想を書き綴っていましたが、あるときふと思い立って、感想を書くのも読み専もやめました。

 理由はだいたい次の通りです。


1:感想を書けるくらい自分はちゃんと読んだか? をどこまでも内省したこと

2:作者様にダイレクトに届く感想を残すくらい、鑑賞経験が豊富なのか自問したこと

3:作者の制作意図を読み取れるか、読解力が豊富なのか自問したこと

4:気になる点について、傷つく人がいたこと

5:読むのは勝手だが、感想をつけるのが作者様によろこばれるとは限らないこと

6:感想とは感情を作者に吠える行為であること


 読書経験の豊富さ、読解力などは、読むことと感想をきちんともつことで磨き続けるしかありません。

 作品は公開されているなら誰かに読まれます。が、感想文を必要としない人もいるかも知れません。


 感想を投稿する行為自体が微妙だと思うのですね。作品は作品として存在するけれども、感想の投稿は相互に関わりあうSNSの仕組みにすり替わってしまうから、だと思います。

 よっぽど親しい人でもない限り、SNSではネガティブな意見をぶつけるなんてしませんよね。

 でもコメント欄は開きっぱなしです。作品は開放され、鑑賞が読者のものである以上、権威的なコメントが投稿されるのは仕組み的にあり得るのは前述の通りです。


◆私は感想をもらうとうれしい、ありがたい


 私は感想をいただくと、まずもって「ありがたい、うれしい。涙が出る」こんな感慨にふけります。

 人気作などと違って、読者様の目にとまるかどうか、読んでいただけるかどうか、その確率自体が極めて低いからです。

 そして内容の確かさに感じ入ることが多く、優しい読者様に読んでいただけて光栄ですし、しあわせだな、と思っています。

 筆の不確かさ、なってなさは自分で解っていますが、では読者様にはどう見えているのかを知る機会は非常に少ないです。

 よりよい作品を作りたい気持ちがあるから、いただく感想のありがたさがいつも身に染みます。

 至らない部分を指摘される悔しさももちろんあります。とても悔しいです。


 でも、それは改善するべき箇所であって、自分は正しいと相手を否定するものではないです。

 自分の作品と向き合う本当にいい機会だと思います。むしろそういう客観的な立場の意見がないと、言い訳に終始してしまってちっともその後の成長がなくなってしまいます。

 物語やキャラクターをもっと輝かせて、楽しく読んでいただきたい。そのためのご助力をいただいている、と私自身は考えております。


◆感想を書いたときの失敗談


 そして、4です。つまり私が感想を書いた中で「気になる点」について傷つく人がいたのは、大きい意味がありました。

 小説を読もうの検索で日付順に短編を読んでいたのですが、ある短編で前後関係や人間関係にわからない部分があったため、気になる点としてそう書きました。

 すると、別の長編と関わりのある独立した短編なので細かい設定の説明は省いているとのことでした。

 いわば番外編やスピンオフにあたる短編だったわけです。


 気になる点の指摘はかなり心外だった旨が返信にあり、検索で見つけた私は、飛んだ勇み足をしてしまったのですね。

 作者様にとって私は、とんちんかんな感想を投げ込む読み手だったと。

 私は潔く、読み専も感想投稿もやめました。読み専をやめた理由はほかにもありましたが…。


 なかなか難しい問題ではあると思います。


 先日投稿した『第五回『花の少女は美しく微笑む(URL:https://kakuyomu.jp/works/16817139557910036091)』感想文』でも、カクヨム甲子園の短編での字数制限について規約を私は知らなかったため、それを踏まえない感想になってしまい、作者様にはご迷惑をおかけしてしまいました。


◆感情のぶつけ先


 なぜこんなにも気をつけなければならないかといえば「感想文を投稿するとは、自分の感情を作者様に向けて吠えること」だからです。


「私はこれを鑑賞してこう思った」という感情を作者様に向けて投稿するのですから、ある意味批評や書評などよりよっぽどたちが悪いともいえます。

 極端にいえば理由を書く必要すらないですからね。「面白くない」「つまらない」「まぁまぁ面白い」「めちゃくちゃ面白い」これだって感想には違いないのです。


 吠えかかるのですから、大部分の方が投稿ボタンを押すのをためらうはずです。吠えられて気分のいい人はいないでしょう。

 吠えるにしても良いところだけを取り上げるなら、多少はましなのです。しかしそうすると、お人によっては「本当の感想じゃないんだな」と感じる方もいらっしゃると思います。

 それに自然な感情の発露なら、その心を押し殺して当たり障りない部分だけ伝えるのは果たして読者、作者双方望むことなのでしょうか。


 感想の投稿とそれを見て返信を返すというやりとりは、やはりSNSでのお付き合いの範囲のお話となってしまい、感情的にとてもややこしいのですね。

 なんならチャットや通話でじっくり会話するくらい時間を使わないと、お互い納得いかないのではないか、とさえ思います。


【作者様のスタンス】


 感想を書くとき、作者様が一体どういうスタンスで小説を書き、発表しているのか。そしてどういった反応を欲しがっているのか。

 これがわからない限り、感想を投稿するのは非常に危険な気がしています。


 そこで私は「感想を公表する条件で読みます」と公言して、作品を募集しました。

 なので少なくとも「御作の感想が世にでるのを納得してくださった方」まではわかります。これがわかっているだけでもだいぶ感想は書きやすくなりました。


 が、いまでも私は読解力がないと思っていますし、隅々まで気を遣っているかといえばそんなことはないです。

 ならなぜ書くんだといわれると何もいえないのですが、なんというか、読みたい気持ち、読み解きたい気持ち、楽しみたい気持ち、好奇心、そして書きたい気持ちがどうしても顔をもたげてしまうから、としか言いようがないです。


 現在、作品を制作中のため感想文企画はお休みしておりますが、感想を書く行為に対して考えたことがたくさんあったので、今回はそれについてずらずらと書いてみました。


 作者の皆様の意欲、創作した世界のすごさは本当に感じ入ります。

 そしてそういう世界を垣間見せてくださることに、最大限の感謝をいたします。ありがとうございます。


 私も復帰したアマチュア作家の一人として、今後も活動を続けていきます。


 それではまた。

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