第8話 再会、何度でも〜神に祝福されしものたち〜(本編END)

真っ暗闇の中で目を覚ましたテオは辺りを見回した。

洞窟の中だろうか、声がどこまでもこだまするように響いており、あたりには建物も人かげも見当たらない。

(ここはどこ……?)

そこへ、どこからともなくジルカースとデオンが現れる。

『あんたほど人を殺してきた奴なら、ボクのこの乾きが分かるはずだ、戦いを、殺しを求める、この心が……!』

『やめろ!俺はお前などとは違う、俺は』

『どんな偽善を言おうが、暗殺者は所詮ヒトゴロシさ』

テオの前に居るのは、精神を破壊される手前まで追い詰められたジルカースだった。

似たような光景を、以前にも山賊の根城で見ていた。

その時テオは特別な力など無かったと言うのに、ジルカースはテオのおかげだと後々言ってくれたのだ。この力は何なのだろうか、とテオは思い至る。

『俺は己の存在に反して取り返しのつかないことを犯してしまった、俺には生きる価値など……』

精神崩壊しそうなジルカースが目の前にいる現在に、テオは皆の前から一方的に姿を消したことを改めて悔いていた。

特にジルカースのことに関しては何度も後ろ髪を引かれる思いで、けれど彼らの平穏な日常を犯しているのは自分なのだという事実が申し訳なく、テオは逃げ出すように彼らの前を去ってしまったのだ。

「そんな事言わないで……あなたがどれだけ優しい人か、悩みを重ねてきた人か、今なら私にはわかるわ」

『俺は一時でも君すら忘れて敵意を向けたんだぞ……!そんな優しい言葉を掛けられる価値は俺には……』

「そうやって悩めているあなただからこそ、あのとき私はあなたを思い出したのよ。大丈夫、あなたは優しい人よ」

テオはジルカースの手を握り、神力など微塵もないはずの額に当てるようにして祈った。

(君は……人にしておくには気丈で慈悲深すぎる…俺などより君の方が余程……)

その瞬間ジルカースの深い心の内が流れ込んできて、自分は今まさにジルカースの精神世界に居るのだとテオは気付く。

『あなたが新しい神の母体になるんだ』

どこか聞き覚えのある少年のような子供のような声が響いて、次の瞬間、世界に眩い閃光が煌めいた。

『テオッ!!』

同時にジルカースがテオの名を呼ぶ声が聞こえて、テオは反射的にその手を差し出していた。


「ジルカース!」

テオは平穏な宿屋の一室のベッドの上で目を覚ました。

まだバクバクと落ち着かない胸を抑えながら身を起こす。

そこにはジルカースがテオのベッドにもたれかかる様にして眠っていて、見覚えのある外の景色に、今自分は南の共和国に居るのだと気付かされる。

(どうして、私はみんなの前から去ったはずなのに)

ふと腹部に暖かな温度を感じて身を起こすと、テオの腹から現れた眩い光が幼子の身を結んだ。

「どうやら無事に落ち着いた様だね。ここはぼくたちの力によって、あなた達が元いた時空から少し過去に戻った世界」

現れた幼子はどことなくジルカースに似ていた。テオはにわかには信じ難い言葉に戸惑いながらも問い返す。

「過去?じゃあ、ここは私が東の国へ去る前の……?」

「そう、この事を知っているのは、ぼくとあなたとジルカースだけ。そしてぼくはこの世界の唯一の神である、あなたとジルカースの思いの欠片によって生み出された、人ならざる存在」

そこでテオは少年の面影がどことなく”自分たち”に似ている事に気付く。

少年は自らをゼロと名乗った。

「急に、そんな事を話されても」

「信用できないのは当たり前だよね、でもぼくは現にこうしてここに存在している、母さん」

そこで目を覚ましたジルカースは、ゼロを見てすぐさま事態に”気付いた”ようで、確認するようにテオを見遣ると再びゼロへと視線を戻した。

「ジルカース、いや父さん。ぼくはあなたたちを照らす新たな光となるために生まれたのかもしれない」

「……どういう事だ?」

「もう辛い未来を繰り返さぬために、ぼくはあなた達と共に新たな道を切り開こう」

そう言って手を差し伸べたゼロに、いまひとつ親と言われてもしっくり来ないジルカースとテオは、顔を見合わせて戸惑いを見せた。

そこへ丁度買い出しを済ませたキスクとアイラが戻ってくる。

新たに現れた、どこか知人の面影のある見知らぬ少年に、二人は疑問を抱いた。

あらぬ疑いをかけられても面倒だと、先に正体を明かしたのはジルカースの方だった。

「……俺の息子だ」

「……えっ!?」

腕組みをしてこれ以上なにも聞くなという空気を醸し出すジルカースに、”誰との⁉︎”と容赦なく聞き返すキスクへ、テオがおずおずと”私です”と申し出た。

「えっ!?」

次に驚いたのはアイラの方だった。普段は至って冷静で、あまり驚きを見せないアイラであるため、この時ばかりは心底予想だにしない展開だったのだろう。

「まさか……いや、そんな……でも二人に面影はあるな……まさか隠し子!?」

「水臭いじゃないか!どうして話してくれなかったんだい」

問答でごちゃごちゃしはじめる一行に、ゼロはただひとり無邪気にニコニコと笑っていた。


翌朝、ジルカース一行は神殺しの剣を手に入れるという話になったが、時空を転移して来たジルカースはすでに神殺しの剣を持っていたのである。

この状況をどう説明しようか迷ったところで、ゼロがこんなことを言い出した。

「ぼくは父母とは隔離された環境で育ったんだけど、その家に代々伝わる刀が神殺しの剣だったんだ、ぼくはそれを父に渡すようにと預かって来た」

「……そうい言うことだ」

「「ええっ!!?」」

驚いたのはキスクとアイラだけではない。

急な帳尻合わせにジルカースも戸惑ったものの、他になんと言ってみようもなく。少々座りが悪いが、ここはゼロの言い分に乗っかることにした。

「どうして時空を転移してきたことを明かさないの?」

小声でそう問いかけるテオに、ジルカースはひそひそ声で返す。

「再び時空を歪める原因になってしまうかもしれないからな、黙っておくのがいい」

「……ちょっとちょっと、なに二人でこそこそ話してんだよ〜妬けちゃうな〜まったく」

「男の嫉妬は醜いよ、キスク」

アイラにそう突っ込まれて笑ってごまかすキスクに、ジルカースがどことなく安堵した表情を見せたのを、テオは見逃さなかった。

かくして、ジルカース一行は神殺しの剣を携え、レビィの計画を阻止するべく、再び東の国へと乗り込む事になった。


一方で、ゼロが幼体として新たに目覚めた事で、それまでの神の遺体が突如として姿を消した東の国は、厳戒態勢が敷かれていた。

南の共和国にも朧気にその噂が及んでいたため、ゼロは北の国にあると噂される“輪廻転生の玉“を探しに行ってはどうか、と提案した。


この世界の昔語りにある“輪廻転生の玉“は、時空を歪める程の強大な力があり、人の手には余るとして、人が入り込めぬ北の大地の何処かへ封じられたらしかった。

それがあれば、厳戒態勢を敷かれた東の国へ空間転移の力で秘密裏に潜り込む事もまた可能ではないか、と。

「父さんが持っている神殺しの剣があれば、きっと玉の在処を示してくれるはず」

「そんな事ができるのか……お前一体何者なんだ?」

キスクの問いにゼロは、”ただ神殺しの剣を預かってきた、ちょっとばかり歴史に詳しい子供だよ”と、茶目っ気を覗かせて笑った。


***


そうして一行が再び北の国カンキを訪れると、街の闇ギルドの前に酔いつぶれているグライドに出くわした。

「この馬鹿師匠……またこんな所で」

「おう!なんだ、懐かしい声がするじゃねぇか」

ジルカースはいつぞやのようにまたグライドを回収し、北の国カンキの闇ギルドへ踏み入った。

酔ったグライドの世話をキスクに押付けたジルカースは、それらしい噂話はないかチップを片手に闇ギルドのマスターに聞いた。

それによると、以前の世界線で神殺しの剣が封じられていた遺跡の更に奥へ、厳重な封印が施された入口があるらしく、そこに玉があるのではないか、という情報を得た。

また、この時空では神殺しの剣は誰かがすでに封印を解いた、という事になっている情報も得る。

「この方が父さんのお師匠様ですか」

「父さん?じゃあなんだ、ジルカースお前所帯持ちになったのか!ハハッ、こいつは傑作だ!」

「そうなんだよ!相棒の俺も全く知らなくて!」

「なんだなんだ、お前が相棒なのか!こりゃ面白ぇ!」

ゲラゲラと上機嫌なグライドと、収集のつかないキスクに、もう突っ込むのも面倒になったジルカースは構わず先を急ぐ事にした。

事情を知って“ついて行く“と上機嫌なグライドを伴って、ジルカースたちは再び雪景色の遺跡を訪れた。

遺跡奥の床下には、さらに奥へと通じる封印があった。

『この玉をも求められるという事は、あなた方に相当な危機が迫っていると察する』

ジルカースの脳内に響いた守り主の声に呼応するように、その腰に装備した神殺しの刀がカタカタと震え出す。

柄に連なるようにあしらわれた蒼の宝玉が、流星が流れるようにきらりと光ると同時、遺跡の封印が解かれた。

『これよりあなたの覚悟を確かめさせて頂く』

守り主の声に誘われるように、冷えきった遺跡の地下へ足を踏み入れる。

程なくして、ジルカースの意識に様々な世界線のものらしき記憶が流れ込んで来た。

テオと夫婦になっている世界線

キスクと二人で生きている世界線

アイラ達と出会わなかった世界線

ゼロがもっと早く神殺しの剣により殺された世界線

そして皆が死亡している世界線

ジルカースの精神を深く痛めつけてくるものもあったが、覚悟を決めていたジルカースはすぎてゆく記憶たちを臆することなく見守っていた。

その時、ジルカースの背に不意に暖かな体温が触れた。

わずかに神力が流れ込んでくることから察せられたのは、その手のひらの熱がテオとゼロのものだということ。

“俺はもうひとりじゃない、テオたちが、キスクたちがいてくれる“

流れてゆく記憶の濁流の中でなお、ジルカースが正気でいられたのは、テオたちの助けがあったからである。

武力による助けではない、心を支え合うという、人と人としての助け。

ジルカースはそれにより今までにない“強さ“と“勇気“をもらった気がしていた。

「偽善だと笑うかもしれない、だが俺は己の為でも誰の為でもなく、この世界の皆ためにこの玉を望む」

『心得た』

ジルカースがそう答えると暗闇の中に眩い光が現れる。

『あなたの覚悟が本当であれば、玉はその手中に姿を現すでしょう』

導かれるように光の中へと手を伸ばす。

一瞬、大きな蒼い狼の姿が見えたかと思うと、ジルカースの手中にずしりとした重みが伝わってきた。

光が消えたあと手元を見やると、その手中に輪廻転生の玉はあった。

緻密に螺鈿細工が施された、仏具のような眩さを持った宝玉だった。

その玉の裏側には、勇ましげな狼の姿が彫られていた。

「ジルカース、大丈夫?」

意識を取り戻すと、すぐさまテオの心配げな表情が視界に入ってきて、ジルカースは無意識に”ああ、大丈夫だ”と微笑んで返していた。

「あのジルカースが笑ってやがる……さすが嫁さんになるだけはあるな」

「ほんとほんと、二人とも俺の知らないうちに仲良くなっちゃってまぁ」

「はいはい二人とも、手に入ったからにはとっとと出るよ!」

遺跡を出るジルカースたちに続いて、アイラはグライドとキスクをぐいぐいと押し出した。


遺跡を出ると、ジルカースにとっては三度目の出会いとなる男が待っていた。

雪景色の中で目深に被られた黒いフードが外される。

その表情はいつもの底知れない笑顔ではなく、珍しく無表情だった。

“デオンの記憶をのぞき見た時の表情と同じだ“とジルカースは気づく。

「やぁジルカース、待っていたよ」

神の遺体騒動が露見した事により、レビィの計画の詳細を知ったデオンは、ジルカースの噂を聞きつけ北の国まで単独でやってきたらしかった。

「デオン……!」

すかさず武器を構えようとするジルカースたちに、デオンは珍しく覇気を封じたまま視線を落として言った。

「神子、知っていたかい?ボクの死期は過去の信託の儀式、つまりあんたによって予見されていた、ギロ家は”暗殺者J”の手により後継を失う、とね」

「それは……あなたに悪意があってのことでは無いわ、あくまで信託のひとつであって、私たちはその一言を告げただけ」

「分かっているさ。思えばパパはそれを恐れて僕を強い人間にしようとしたんだろう。けどボクの心はそれに耐えられるほど我慢強く無かったってこと」

独り言のようにそうこぼしたデオンへ、ジルカースは以前の世界線で流れ込んできたデオンの過去を思い出した。

デオンは己が家系の奴隷だと言われて育った過去があるのだ。

ジルカースは奴隷と扱われた事こそ無かったが、実質的には神という名目で天界に縛られた奴隷の様な存在では無かったかと思い至る。

そう思うと、途端にデオンという存在が他人には見えず、哀れに思えてしまった。

「デオン、貴様死ぬつもりでここへ……」

「分かってるなら話が早い。ジルカース、ボクの災厄よ、決着を付けようじゃないか!」

ジルカースとデオンが飛び出したのはほぼ同時だった。

以前の世界線では、執念や怒りと言ったけばけばしい感情をぶつけていたと言うのに。

死を覚悟した途端こうも人が変わったように冷めた切っ先を向けてくるのかと、ジルカースはデオンという人間の意外な脆さに気付かされる。

もし違う世界線があるならあるいは、こんな形ではなくデオンという脆い人間をもっと理解できていたのかもしれない。

「ボクはねジルカース、あんたみたいな強いやつになら、倒されても構わないって思っていたんだ。でもどうしてだろうね、今になって勿体無いよ、もうこれが最後にしなきゃいけないだなんて」

“ずっと戦っていたかったなぁ“

刃を交えながらそうこぼしたデオンに、ジルカースはそれまで無言だった口を開いて応えた。

「正直、癪に触る奴だったが……俺も、お前のような強い人間と戦えてよかった」

「ふふ」

ジルカースの言葉に笑って返したデオンの口元に、ようやくいつもの笑顔が戻る。

壮絶な刃の応酬の後、ばきんと音を立てて先に折れたのはデオンのナイフだった。

刃先が雪景色の空に舞って、ジルカースの神殺しの刀が振り下ろされる。

壮絶な戦いの後、命を絶たれたデオンは血を吐いて白雪の中へと倒れ込んだ。

「ボクの命もここまでか……君に出会えてなかなかに悪くなかったよ、ジルカース」

そう笑ったまま事切れたデオンに、以前の世界線でグライドが言っていた言葉を思い出す。

(死が救いになることもある、か……それを鼻で笑っていたデオンが、まさかこんな最期を迎えるとはな)

デオンの死が実際のところどんな意味があったのかは、今となっては知る術はない。

だがその死に顔が微笑んで居ることから、少なからず彼の救いになっていれば良いと、ジルカースはひとりの好敵手として願った。

「こいつの埋葬は俺に任せて、東の国へ急げ」

グライドへそう促され、一行は輪廻転生の玉を手に東の国へと乗り込んだ。


***


輪廻転生の玉の空間転移能力により、ジルカース一行は東の国へと赴いた。

噂によれば、レビィが病死した幼い王子の骸を贄に、何やら新たな儀式を執り行おうとしている最中らしかった。

喪に服しているのか街はしんと静まりかえっており、野良犬の姿しか見当たらなかった。

そのまま空間転移の力により玉座の間の手前へ降り立った一行だが、早々に城の衛兵に見つかってしまった。

「なんだお前たちは!?ここは下層の民が入って良い場所ではない!」

騒ぎ立てられ数多の衛兵たちに阻まれた所で、キスクとアイラが”先にいけ”と道を切り開く。

そのままテオたちを守りながら玉座の前まで駆け上がったものの、そこに王妃らしき者の姿はなく、仮の国王であるレビィと死した王子の姿があるのみだった。

「レビィ!今度は何をする気だ!」

「穢れたただの人の身で成せることなどたかが知れている。この人間の身をもって、この世界をリセットするのですよ」

「お前は神の補佐官の身でありながら出しゃばりすぎた、今度こそお前の好きなようにはさせない」

そう言ったジルカースとレビィが刀を抜くのは同時だった。

二刀流のレビィと刀銃使いのジルカースの戦いは、周囲に風が巻き起こらんばかりの激しい打ち合いとなった。

レビィもまた神力を有する神の補佐官という身の上であることから、ジルカースのように人間界のものごとを驚異的な速度で吸収し、この地位まで上り詰めたのだろうと思われた。

血反吐を吐くような重圧のある環境で、追い立てられながら育ったデオンからすれば、レビィのような才能の塊はさぞや鬱陶しい存在であっただろう。

しかしそんなレビィのような人間を利用してでも、父を見返してやるという反骨精神でデオンは生きて、そして運命に従い禊ぐように死んだのだろう。

そう考えると、目の前で神の代行者を気取る男が、ジルカースにはとても胡散臭く思えてしまった。

「レビィ、貴様だけは俺の手で決着を付ける!」

一際強くかち合ったレビィとジルカースの間に、空気が反響するような激しい光が巻き起こった。

「これは、新たな時空の裂け目か…!勝機だ父さん!」

そうジルカースの背で叫んだゼロの声に呼応するように、テオが両手を合わせ祈る。

ゼロもその隣でジルカースへ向けて祈りを捧げ、二人の神力は共鳴するように甲高い音を鳴らした。

その瞬間、テオの所持していた水鏡の盆が光を放ち始める。その呼び掛けに応えるように、神殺しの剣と輪廻転生の玉が光り輝き始めた。

「これは再臨の鏡……!母さんが持っていたのか!」

世界に秘められた三種の神器が意図せず揃ったことで、驚異的な速度でジルカースたちの神力が増幅されてゆく。

「これは……やはり堕ちた身とは言え、神を凌駕するのは易くはなかったか」

そう呟いたレビィの体に神殺しの一太刀が入り、ばきりと音を立て空間ごと亀裂が入った。

呻きのような音を上げ口を開けた裂け目から、怒涛のごとく湧き出した光に飲み込まれ、レビィは虚空の塵と化した。

「……終わったのか」

その瞬間一瞬の静寂が訪れる。

ふと不思議な空気の流れを感じ振り返れば、ゼロの体が掻き消えていく最中だった。

「そんな、どうして……」

驚いた声でそう嘆いたテオは、震える両手を胸に当ててゼロを見守っていた。

「ぼくの体は父さんと母さんの思いによって生じた、仮染めの人ならざる存在……これより先の時空までは共には行けない」

泣き出すテオを抱きしめたジルカースは、もう時間的余裕も暇もないゼロと視線を合わせ、そっと頷き合った。

「ありがとう……拓かれた新たな世界で、いずれまた会おう、父さん母さん」


***


それから数年後、暗殺者を辞めたジルカースは、テオと夫婦になっていた。

世界に蔓延る奴隷制度からの根本的な解放の傍ら、用心棒や護衛のキャラバンとして、キスクとアイラの夫婦、そしてライや子供たちと共に慌ただしい生活をしていた。

「テオももう臨月だ、しばらくはここを拠点にしよう」

ジルカースの言葉により南の共和国に滞在する事にした一行は、町外れの泉のほとりにテントを張った。


月夜の晩、ジルカースは泉のほとりで神殺しの剣を抜き、ひとり物思いにふけっていた。

これまで見てきた様々な世界線、そして様々な者の記憶に思いを馳せる。

戦いから間もない頃は、思い返すたびに精神を削られていたが、テオたちと落ち着き時を置いた今では、少しは離れた視点からものごとを考えられるようになっていた。

(もう誰も不幸にはしない、俺の手の届く限り、たとえ堕ちた神の身であろうと、未来永劫守って行く)

その時テオの苦しげな声が聞こえて来て、ジルカースははっとして背にしていたテントに飛び込んだ。

腹を抑えて呼吸を早めているテオに、産まれる時が近いと悟ったジルカースは、すぐさまアイラたちを呼びに隣のテントへ向かった。


「いいよ!はい、吸って、吐いて​……!」

程なくして大きな産声と共に生まれてきた赤ん坊は男の子だった。

テオにもジルカースにも似た、懐かしい面影をした赤子。

確かに見覚えのあるその面影に、ジルカースは”おかえり、ゼロ”と呟き、自然と泣きながら微笑んでいた。

「また会えたわね、お帰りなさい」

そう微笑んだテオと、生まれて間もない息子を、ジルカースは守るようにそっと両手で抱きしめる。

「ありがとう、もう大丈夫、ずっと俺が守っていくからな」

自分の手のひらよりも一回り小さい手のひらと、白い小花のように小さな小さな手のひらとを握って、ジルカースは微笑みながらぼろぼろと涙をこぼした。


~END~

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