第9話 サイドストーリー/ジルカースの章

※下界に降り立った頃のジルカースのお話です

※若かりし頃のグライド、キスクも出てきます


新月の夜、中央都市のスラム街に一筋の光が降り立った。

そこに居たのは幾分若かりし頃の、下界に降りた直後のジルカースだった。

服装こそ現世の装束に変えては居たが、その心の内は天界に居た頃の記憶をすっかり失っており、まだ人の悪事を全く知らぬ無垢な精神状態だった。

そこに運悪く現れたのは街で幾度となく悪事を働いてきた盗人だった。貴族の居宅に忍び込んで金品を盗み、人も殺せば女も犯した、外道の世界の人間である。

疑うことを知らない目で自分を見たジルカースに、相手の男は美味い匂いを嗅ぎ取ったようだった。

「兄ちゃん見ねぇ顔だな、どこから来た?」

「……わからない、忘れてしまった」

「わからない?ははっ、面白い事を言うな」

”じゃあ今持ってる有り金全部渡しな、そしたら何でも知りたいことを教えてやろう”

嘘くさい笑顔でそう言った男に、ジルカースは何一つ疑うことなく己の懐を探す。

しかしそこへ現れたのは、ジルカースと同い歳程の二十歳そこらの見た目の、暗い青髪の青年だった。

「お前さん、この世界じゃテメェの命と金品だけは、死んでも他人に預けちゃあダメだぜ」

そう言った青髪の男は、盗人の男を目にも止まらぬ一撃で仕留めた。

リボルバーの銃口から燻したような香の白煙が上がっていて、ジルカースはそれを物珍しげに見ていた。

「俺は暗殺家業をしているグライド、あんたこの街の人間じゃねえな、名は何て言う?まさかテメェの名すら忘れたわけじゃねえよな」

唯一覚えていたジルカースと言う己の名を名乗れば、グライドは”さっきみてぇな気構えじゃ、ここではあっという間に素寒貧になるぜ”と忠告をした。

「ああ、分かった」

しかしそこで盛大にジルカースの腹の虫が鳴る。

間の抜けたそれを聞いたグライドは、吹き出すと腹を抱えて笑いだした。

ジルカースにとっては人の身を得て初めて空腹を実感した瞬間だった。

あまりに頼りないジルカースを見かねたのか、グライドはジルカースに”飯を奢ってやるよ、あんた俺と同い年くらいだろ”と言って酒に誘った。


訪れたのは路地裏の隠れ家のようなバーだった。

そこで初めて酒を飲んで酔うという感覚に出くわしたジルカースは、頭がふわふわとする感覚に驚きはしたが、これはこれで気分がいいと思い至る。

ジルカースが酒を気に入ったのを察したのか、グライドは紙巻の煙草を勧めて来た。

「酒と一緒にこいつをキメれば、嫌なことも全部忘れられるさ」

「そんなものがあるのか」

初めてのタバコに興味を引かれ、勧められるまま吸ったジルカースだったが、初めて口にするその煙たさに、程なく盛大に噎せた。

「ハハッ、なんだか弟分に悪いことを教えてる気分だな!けど、この街の男なら酒と煙草くらいは出来ねえと格好つかねぇぜ」

そう楽しげに笑って兄貴風を吹かせるグライドに、こいつにこの世界のことを聞けばいいのではと思い至ったジルカースは、もっとこの世界の色々なことを教わりたいと頼み込んだ。

「おう、俺で良ければ教えてやるぜ、まぁ他のやつに任せたら、あんたみたいな危なっかしい奴どうなるか分からねぇしな」

そう言って了承したグライドは、その日からジルカースを己の弟子として鍛える事を決めた。


それから二人の少し奇妙な生活が始まった。

グライドは暗殺の技がどんな意味をなすのか、その仔細を教えぬまま、ジルカースに己の知りうる武術の知識を次々と教え込んだ。

しかしジルカースの物事の学習力は驚くべきものだった。

グライドはその吸収力の速さに驚くと同時に、自分はとんでもない化け物を生み出して居るのではないか、という恐怖に襲われる。

またジルカースの傷は驚くほど早く癒え、まるで死する事を許さないかのようだった


しかしそれから二年程が過ぎた頃、グライドが仕事で出払っている間の事だった。

グライドを狙った刺客が部屋へ訪れ、ジルカースを襲ったのだ。

小一時間ほどして、血の匂いでことを察したグライドがあわてて部屋へ入ると、刺客を刺し殺したまま棒立ちしているジルカースと鉢合わせた。

安堵したのもつかの間、初めて人を殺した事をまだ自覚できない様子のジルカースに、グライドは明かした。

「そうさ、お前が学んでいたのは人殺しの剣さばきだ」

物言わぬまま体を戦慄かせて動揺するジルカースに、”驚く事はねぇ、この世界じゃ誰も傷付けてねぇやつの方が珍しいくらいさ、それにこいつも暗殺者だ、死ぬ覚悟くらいはしてたさ”とグライドは言う。

「生きたいと願うなら、この先の未来を願うなら、お前はその武力を生かさなきゃならねぇ、残念ながらこの世の中はそこまでお前の情に甘くねぇんだ」

グライドに言われるまま、ジルカースは己の中に芽生えた恐怖心と動揺に蹴りをつけた。

しかしその晩、落ち着かぬジルカースへ浴びるほど酒を飲ませて寝かしつけたグライドは、リボルバー銃と置き手紙を置いて彼の元を去った。


それからというもの、この現世で唯一慣れ親しんだ人間を探すために、ジルカースは向かう宛もなくグライドを探し回っていた。

西の国で戦乱があると聞き及び、戦いの場に身を置くグライドならば訪れているやもしれないと、ふらりと足を運ぶ。

己が不老不死という事は、ジルカース自信もすでにどことなく察していたが、唯一の知人であるグライドを失った喪失感から、どこかに僅かに死を望む絶望があった事も関係していただろう。

数多転がる屍の中に、まだ息がある者をジルカースは見つけた。

少年はジルカースが自軍(西の国)の者ではないと察した上で問うた。

「……東の国と戦っていたが、騎士団長は討ち取られたか」

「わからんが、東の国の一軍らしい者たちが首級を槍先に去っていくのは見た」

少年はそうかと言ってはらはらと泣く。

「そいつは俺の身代わりになったんだ、弟分みたいに可愛がってたやつなんだが、俺の影武者になると言って聞かなかった……」

”そいつの死に報いる事も叶わず、俺はこんな所で犬死にするのか”と少年は嘆く。

ジルカースはそこまで聞いて、己の身体のうちから不思議な力が、気持ちが湧き上がって来るのを感じていた。

目の前の少年に感じているのは、己と似通った喪失感か、あるいはグライドに望んでいた希望か。

「お前、生きたいか」

ジルカースの問いに、少年は戸惑うことなく答える。

「生きたい、まだやり残した事も、やらなきゃならねぇ事もあるんだ」

名を教えろと言ったジルカースに、少年は己の名を”キスク”と名乗った。

「承知した……キスク、お前に俺の力の一端を託そう」

そう言って、ジルカースは躊躇う事無く刀で己の腕を傷付けた。

驚き口を開いたキスクの口内に、ジルカースの指先を伝って、鮮やかな鮮血が滴り落ちた。


(キスク編へ続く)

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