第18話 二十日目

 明日には東京に戻らなくてはいけない。

 俺は泥のようにベッドの中に沈み込んでいた。全裸だったが、もう、動く気力がなかった。


 明け方、ようやく、うとうとしていると、インターホンが鳴った。

 カーテンの隙間から見ると、あの夫婦だった。

 慌てて服を着こんで、ドアを開けた。それどころではないのだが、無意識に体が動いていた。


「おはようございます。どうしましたか?」

「すみません。朝早く。実はまた猫がいなくなってしまって・・・」

「ああ、そうですか。心配ですね。俺も探してみます・・・明日、東京に戻るので、お力になれれば」

「いえ、そんな。悪いですから・・・。せっかく最後の日ならゆっくりなさらないと」

「いいえ。やることがなくて」

「明日お帰りになるなんて、残念ですけど。お仕事でしょ?」

「はい」

「いらっしゃらない?今晩でも」

「ありがとうございます。でも、ちょっと風邪気味で」

「そう。お大事に。この辺は、寒いからね」

「ええ。猫ちゃんを見かけたら連絡します。見つかるといいですね」

 俺は白々しくそう言って慰めた。でも、目の前の人たちは本気で猫を心配している。気の毒でもあった。

 

 それより、俺は子どもの遺体をどうにかしないといけない。


 そのまま放置して東京に戻ったら、うちに清掃に入る、管理会社の人が発見することになる。どこかに捨てに行こう。穴を掘って埋めれば発見されないかも知れない。


 風呂場には、裸の子どもが横たわっているはずだ。棒のように硬直した死体が。

 あそこはどうなるんだろう。不謹慎だが、固いんだろうか。

 俺はそれを確かめてみたかった。


 俺は恐々、風呂場の戸を開けた。



 あれ?


 しかし、少年ではなく、そこにはシャム猫の遺体が横たわっていた。

 生きていれば宝石のようにきれいだが、

 毛並みがボサボサで平べったくなっていた。

 毛がしっとりと濡れていた。


 やばっ。

 俺は声を出した。


 俺が殺したのは、人間じゃなくてシャム猫だったんだ!

 俺はホッとして泣いた。


 あー!よかった〜ぁ!!

 人を殺したんじゃなかった!

 よかった!!


 それから、俺は嬉々として、猫の遺体をスーパーのビニール袋に入れた。

 そして、外に着て行ける服に着替えると、歩いて夫婦の家に向かった。

 車もあるけど、歩きたかった。

 すべてが終わったという、すがすがしい気持ちが俺を開放的にしていた。


 あんなに心配していたのだから、たとえ死体でも戻ってきた方が絶対いいだろう。何て言ったらいいか。


 うちの軒下で死んでました。

 そうだ、そう言おう。


 俺は夫婦が住む三角屋根の家にたどり着いた。遠くから見ると赤い屋根が印象的だが、バブル期に建てたものなのか、近くで見ると古い。壁にはびっしりと緑の苔のようなものが生えていた。俺は緊張しながらインターホンを鳴らす。笑っているように見えたらどうしよう。


「はーい」

 奥さんの声がした。家の中で言っているのに、外まで声が聞こえた。

 インターホンと言ってもカメラが付いていないタイプのものだ。

 不用心だと思うが、きっと治安がいいんだろう。

「すみません。上田です」

「あ、上田さん?今行きます」

 明るい声だった。感じのいい人だ。

 俺は奥さんが出て来るのを待った。

「どうされました?」

 笑顔で迎えてくれた。

「あの、これ、、、猫を見つけたんで」


 俺はいたたまれない思いで死体の入った袋を差し出した。

「え?」

 奥さんはそれを受け取って中を見た。

「猫・・・亡くなってました」

「え?あ、あれ・・・?うちの子は、さっき家に戻ったら、帰ってたんですよ」


 声が震えていた。

 俺の顔をまじまじと見ていた。


「え?」


 俺は自分が変なことをしてしまった気がした。

 そして、自分が持って来た袋の中を覗いてみた。

 人の髪の毛が見えた。一瞬かつらかと思う。


 俺が持っていたのは、子どもの生首だった。

 丸い頭はずっしりと重かった。


 俺の手も血まみれだった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る