第7話

千鶴が帰った後、いつもとは違って部屋を静寂が支配していた。窓に近い街灯がチラチラと明滅する音が聞こえるほどだ。いつもなら地縛霊の彼女が一方的に話しかけてくるというのに・・・・・・。

そうしてどれだけの時間が経ったろうか。ふいに彼女の声が聞こえだした。


「先輩・・・・・・、私のことを覚えていますか?」


その声はいつになく神妙な面持ちだった。顔も知らぬ彼女の声が聞こえるようになってしばらく経つが、こんな声色は初めてだ。


「私、先輩に会ったことがあるんです。先輩は覚えていないかもしれないですけど、私にとっては救世主だったんです」


彼女は語り出す。宝物を抱きしめるように。それでいて、少し震えるように。


「あれは2年前の夏頃でした。いつものように高校に向かうために電車に乗っていたとき、痴漢の被害に遭ったんです。満員の電車の中だったので、はじめはお尻のあたりに何か当たっているな、変だなって感じだったんですけど、どんどんエスカレートしていって・・・・・・。気づいたらスカートの中に手が伸びていて、すごく気持ち悪くて。でも、あまりのことに声を上げることも出来なかったんです」


語りながら声に涙がにじんでいく。


「誰かに助けて欲しいのに、被害に遭っていることを誰にも気づかれたくないとも思っていて、どうしていいのか分からなくて・・・・・・」


「でもそんなときに、先輩が助けてくれました」


彼女の声からは、この記憶が辛いだけじゃなく、大切な記憶でもあることが伝わってくる。


「先輩は無言で痴漢の腕をひねり上げて、私からその人を引き離してくれましたよね。そして、そのまま警察に突き出してくれました・・・・・・」


そのときのことは覚えていた。ただ、俺も目立ちたくはなかったし、彼女には怖い思いをさせてしまったのではないかとも思っていた。でも、まさかその彼女がもう亡くなってしまっていたなんて・・・・・・。


「あのときは凄く怖くて、パニックになっていて・・・・・・、きちんとお礼を言えなかったのがずっと心残りでした。でも、その日以来、先輩を電車で見かけることはなくて・・・・・・」


「どうにか先輩にもう一度会いたい、会ってあの日のお礼がしたいって、ずっと考えているうちに、私は先輩のことが・・・・・・」


少しずつ声が尻つぼんでいったと思いきや、耳元でハートマークをつけてささやかれた。


「好きに、なってしまっていました」


これまで彼女の声には気づいていないふりを続けてきたのだが、あまりの破壊力に、そんなふりができなくなるほど照れてしまった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る