第14話 使節団

 隣国からの外交使節団が私にもたらしたのは、父母の安否の情報と、この国に向けたさまざまな契約を含む外交文書と、それから、神学校からの除籍の旨でした。


 つい、おどろきが顔に出てしまったように記憶しています。なにせ私は、自分が神学校の生徒であったことなど、この瞬間まですっかり忘れていたのですから。

 むしろ、『まだ除籍されていなかったのか』という気持ちさえありました。


 使節団にいた昼神の神官は、私が神に背いたことを責め、加護を失った私の未来に不幸があると予言し、あとなにごとか、神学校で習う昼神の言葉を記した聖書に由来する文言だったと思いますが、そういうものを騒ぎ立てて、他の使節より早く、怒るように足音を立てながら、謁見の間をあとにしました。


 私は昼神教の信徒が行ったその怒りの表明に、笑いそうになっていました。

 あまりに、大仰なのです。それが政治的に必要な、自分の役割を示すパフォーマンスであることはわかっていますけれど、いかにもすぎて、つい、吹き出しそうになってしまったのです。

 声をおさえることはできたけれど、頬が動くことまでは、制御できなかったでしょう。


 むしろ私がおそれたのは、昼神教の信徒が出て行ったあとの空気のほうでした。


 今のようなパフォーマンスは他の使節との擦り合わせなしに行われた、いわば昼神教の独断らしく、他の使節たちが困ったような、胃が痛いような顔をするのを見て、私は顔を覆って逃げ出したくなるぐらいの居心地の悪さを感じたのです。


 半生において三度あった、もっとも居心地の悪い、緊張感を強いる空気というのの、最後の一つがこれなのでした。

 とはいえ当時の私は、これ以降もきっと、この時のような居心地の悪い、緊張する、なにか一つでも誤ればすさまじい屈辱と羞恥を覚え、人生が終わるような場が、幾度もおとずれるものと想像していたのです。


 結果として、そのような空気を味わう機会がなかったことを喜ぶべきか、それとも、自分が順調に権力者らしい図太さを身につけていっていることを、嘆くべきか……


 こうして過去を振り返ると、私は、自分の中に確かにあった『若さ』というものが、どんどん目減りしていっている事実に打ちのめされます。

 若かった私は、多くの年寄りが『若者』という群像に望むような溌剌はつらつさも、瑞々しさも、あくなき好奇心も、挑戦を好む気持ちも、なにも持ち合わせていませんでした。

 けれど、なにもかもが、今よりもよかった気がするのです。ふと、なにかエネルギーが必要な事態に直面した時、『もう少しでも、若かったならな』と、つい、思ってしまうのでした。


 使節団の話に戻れば、私の両親は禁書庫番の役割に再びつき、捕らえられることもなく壮健に暮らしているという話でした。

 さすがに隣国の王に御目通り願うには、外交の役割を持ってもいない子爵家では格がよろしくないとのことで、使節団とともにこの国には来なかったようです。


 もちろん私はその言葉を額面通りに信じることはできませんでした。

 きっと両親は私に対する人質の役割があり、なにか少しでも隣国の意向に背いた国家運営をしたならば、矢面に立たされ、ひどい扱いをされるに決まっているのです。


 使節たちが言葉のはしばしに呪言ことほぎを混ぜ込み、どうやって調べたのか、私の行いをいちいち賞賛するのを聞いて、私はどんどん、使節たちの言葉が信用できず、うかつにうなずいたり、また首を横に振ったりしては、なにか付け込まれてひどい目に遭うような気がして、ぴくりとも動けなくなっていったのです。


 私は賞賛を信用できないのでした。祝われると裏を疑うのでした。

 むしろ私は、こうして謁見の間に残って笑顔を浮かべ、新たなる王の誕生を祝う使節団よりも、先ほど文句を叫び怒ったように出ていった昼神の神官の言葉のほうに、真実を感じるのです。


 私は常に自信がなく、自分を認めることができないのに悩まされているものですから、人から褒められれば褒められるほど、その様子は私にとって疑うべきものに映るのです。


 公爵邸に監禁されていた時のことを思い出しました。


 あの優しくしてくれたメイドたち。いっしょに逃げようと言ってくれたあの女神のようなかわいらしい女性たちよりもむしろ、つっけんどんな少年執事のほうに、私は安心を覚えたのです。


 そのころから、私はちっとも成長していません。


 それは、この使節団を迎えている当時のみならず、その時のことを思い出しながらこうして文字をしたためている現在まで、成長していないのでした。


 私はけっきょく、使節団が帰るまで、顔に笑みを貼り付け、袖の中に隠した拳をかたく握りしめたまま、一言も発さず、歓迎するとも歓迎しないともとれる態度をとり続けたのでした。


 使節団はこの謁見で私から言質をとろうとしていたようですが(あるいはそれもまた、私の醜く弱い心が生み出した妄想かもしれません)、私がなにもはっきりしたことを言わないため、ついにあきらめて、深々と礼をしたあと、謁見の間から去っていきました。


 私はどっと疲れて玉座に深く背をあずけ、長い長いため息をつきました。


 昼神の神官の不吉な予言がまったくおそろしくなく、むしろその大仰さに笑いそうになってしまったのも、彼の予言した罰がすでに降っているからなのかもしれません。


 謁見の間に一人になったほんの短い時間、私が思い出していたのは、神学校の入学式でした。

 あの美しい桃色の花をつけた木々のあいだの、真っ白な石畳の道。たくさんの生徒が期待に胸をふくらませた顔をしていて、私もまた、同じように、自分の未来がこの景色のように明るく美しいものだと、疑わずにいられたあの日。


 おそらくもう、人生であれほど無邪気に自分の幸福な未来を信じられる日は来ないのでしょう。

 そう思うと不意に切なさがこみあげ、私は涙を流しそうになるのです。


 誰かに連れ出してほしい。


 私は神のご加護を信じてはいませんが、罰だけはおそれているのです。私が私の意思でこの玉座から降りた時、神も精霊も、待ちかねたように私に厳しい罰を降すに違いないと、それだけは確信しているのでした。


 誰かに殺されてしまいたいと思わない日は、もう、このころには一日たりともなかったのです。


 痛みも苦しみも想像するのさえ嫌でしたが、死だけは、私にとって唯一の救いであるかのようにきらめいて感じるのでした。

 自分の意思でこの責任から逃げてはきっと、死後であろうが厳しい罰が降るに決まっていますから、私は誰かの意思で、不意に、死にたいのです。それだけを救いと思って、それだけに希望を抱いているのでした。


 だから私は、私を警護する兵というものを、置いていません。


 これもまた『精霊王の立派な行い』として人口に膾炙かいしゃしてしまっているものではありますが、私が私一人を守る、いわゆる『近衛兵』を置かないのは、精霊の加護が自分を守っているという確信からでも、我が身をかえりみず国家と臣民に尽くしているからでもなく、ただの破滅願望からなのでした。


 この破滅願望は現在まで叶っていないどころか、私しかいない玉座に忍び寄ることができた者さえ、半生で一人しかいないのです。


 オデット。


 どこにでもするりと現れ、誰とでもすぐに親しくなる彼女は、王城の謁見の間にさえ、侵入してみせました。


 そうして、私に手を伸ばしたのです。


 私はその手こそ、私をこの不自由で身の丈に合わない席から引きずりおろしてくれるものに思えて、つい、彼女の手を取りました。


 今で言う『精霊王の失踪』は、世間で言うような隣国の陰謀でも、元王の襲撃でもなく、こういった事情で始まったのです。

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