第15話 誕生日祝い

 私はマントを脱ぎ捨ててオデットに導かれるまま王城を出て、そうしてとある寂れた村の小屋に閉じ込められました。


「やっぱり、外に出したのがよくなかったんだ。ずっとここにいよう。あたしが全部、世話をするから。あたしの家に、ずっといてよ」


 オデットは相変わらずほがらかな笑みを浮かべていましたが、その言葉がひどく追い詰められていて、私はつい、反論を差し控えました。

 私の願った通りに私を連れ出してくれた彼女を頼もしく感じていましたが、それだけに、おそろしさも感じていたのです。


 怒りにふれてはならない存在を『精霊』と述べるなら、まさしく私にとってオデットは精霊なのでした。

 私が困っている時にふらりと現れ、知識や経験を与えて私を導いてくれる精霊。

 そうして導かれた先で私は数奇な運命に出会い、苦しみ、その人生の袋小路とも言うべき場所であたりを見回せば、また手を差し伸べてくれる、そういう存在……


 オデットの存在は私にとってあまりにも都合がよく、また、公爵邸や、王城にさえ忍び込んだ手腕はとても人間めいては思えず、私はこの、日焼けした、少年のような体つきの、赤毛の女性を、この時ほとんど『怒りをかってはならない、超自然の存在』のようにみなしていました。


「あたしも、しばらくここにいるよ。外に行かない。あたしが守るから」


 彼女はどうにも、それなりにまとまったお金を持っているようでした。

 なんでも彼女は宝物の蒐集を趣味としていたらしく、その、半生かけて集めに集めた財宝を、私のために売り払ったというのです。


 その心遣い、優しさに、私が胸をつぶされそうなほどの恐怖を感じたのは、言うまでもないでしょう。


 私は優しさをおそれているのでした。無償の愛を信じられないのでした。

 半生をかけて蒐集した(しかも、それはきっと遵法じゅんぽう的手段によってではないでしょう)宝物を売り渡し、私の身の安全を確保する。ここまでしてもらう動機がまったく思い当たらず、私はいったいこれから先、なにを彼女に差し出せばいいのか、そればかりを考え、おそれたのです。


 保身。


 けっきょくのところ、私が不安に思い、気にするのは、自身の身の安全以外にないのでした。

 私が望むものは『心安らかな暮らし』であり、それは玉座の上にも、そしてどうやらオデットに用意してもらったこの小屋にもないのです。


 私を悩ますものは、いつでも『人と人との関係』のあいだに生ずる目に見えない圧力であり、負債なのです。


 女たらし。


 不意に、冒険者時代のあだ名が頭をよぎりました。

 それはいかにもうわついていて、人生をうまくやり、女性を能動的に騙して言うことを聞かせる、幸福で俗っぽいものに聞こえます。


 私の半生はたしかに、女性によって救われ続けたものなのでしょう。

 しかし私を困らせるのもまた、女性なのでした。かかわらなければ、もっと平穏な運命をたどることができたかもしれないと私に思わせる存在は、その全員が女性なのです。


 女たらしというのは呪いのように私の人生にからみついた言葉で、私はしかし、彼女たちを万が一にもたらしこんでしまい、なにもかもを差し出させてしまうのがおそろしく、むしろ距離をおこうとしているぐらいなのでした。


 けれど、それは、うまくいったことがありません。


 私には『一人で生きていく力』がないのです。関係性を結んだり続けたりすることで発生する負債に怯えながら、彼女たちに甘えて生きていくしか、ないのです。


 ああ、きっぱりと、誘惑を断るだけの強さが、私にあれば。


 いわゆる『生活力』というものが少しでもあって、若き日に肥大した自尊心ぐらい『自分の実力』というやつがあったなら、私はきっと、もっと、はっきりものを言い、自分の希望を語り、彼女たちの申し出を跳ね除ける強さを身につけることができていたでしょう。


 しかし、ないのです。私は無力で、そして努力や苦しみを嫌い、さらに人生で起こる事態はいつも、私のちょっとした努力や自尊心などではなんともならないぐらいの状況ばかりを私に運んでくるのでした。


 私はオデットに連れ出された先で、しばらくの時間を過ごしました。


 オデットは最小限の買い物だけをし、それ以外はずっと、私と仕切りのない粗末な小屋で過ごしたのです。

 私は彼女に笑いかけ、彼女も楽しそうに私と過ごしました。

 もちろん私の内心にはずっと、尽くしてもらうことへの恐怖みたいなものがこびりついていました。

 よくしてもらえばもらうほどふくらむ恐怖。彼女の好意をまっすぐに受け取ることができない罪悪感。

 夜、彼女が寝静まった時など、私は彼女の寝顔を見ながら必死に『この女性に尽くすことが、自分の余生の使いかたなのだ』と言い聞かせ、その息苦しさに胸を抑え、一睡もできないことも、数多くありました。


『どうしてそこまでしてくれるのか』


 このたった一言が言えないゆえの、苦しみなのです。


 救われたいけれど、救いの手を疑ってしまうのです。自立する力もないくせに、人に頼る状況をおそれているのです。

 だから私はいつも、彼女たちが私に尽くしてくれている原因が『ない』のだと気づかせるのがおそろしく、彼女たちが尽くしてくれている理由について問いかけることができないのでした。

 正気に戻った彼女たちが、私に尽くしてくれていたことを後悔し、怒り、報復することをおそれているのです。

 そうされて当然の人生を送ってきたというのに、私は苦しみをおそれて先延ばしし、責任を遠ざけ、寿命か、あるいは暗殺かなにかで死んで、一生責任をとらないでいたいとしか願っていないのです。


 精霊王の醜く矮小な本心が、ここにあります。


 だから私は、精霊王が賞賛されるたび、『それは自分ではない、誰かの話だ』という、どこか他人事のような気持ちでその話を聞くようになってしまいました。


 あるいは、この粗末な小屋で人生を終えていれば。


 王は向いていませんでした。冒険者もやれませんでした。神学校を卒業して神官になる道は閉ざされ、魔道もおそらく、精霊信仰などというものをかかげた時点で、その先に道はないのでしょう。

 私にはしかし、吟遊詩人という拠り所が、まだ、この時もあったのです。それはきっと、世にいる多くの吟遊詩人に聞かれれば笑われてしまうぐらい非才で、怒られてしまうぐらい努力が足りないけれど、吟遊詩人ならば、こんな努力が嫌いな私でも、努力できるような、そういう気がしたのです。


 しかし、私にはもう、歌さえも作れなくなっていたのです。


 どのような旋律も、どのような歌詞も、実際に浮かべてみるとまったくしっくりこないのでした。

 あの日、私が私の実力で手にしたささやかな成功……帽子をとって頭を下げ、拍手をもらった時の記憶に、遠く及ばないのでした。


 もはや、なぜ生きているのかも、わからない。


 けれど、自分で自分の命を絶つほどの勇気もない。


 私がおそれているのは死ではなく、その途中にある痛みと苦しみなのです。そして、死を失敗した先にある人生なのです。


「もうすぐ君の誕生日だね」


 気付けば私は十八歳になろうとしていました。


 魚の塩漬けとお湯だけのスープ、それに酸っぱくて硬いパンが乗った食卓を挟んでそんな話を切り出すオデットは、とても安らいでいて、とても幸せそうでした。


 彼女のその笑顔の理由には、きっと、私の存在があることでしょう。

 ほとんどここで過ごしている彼女がそんなふうにいい笑顔を浮かべるならば、そこには間違いなく、私との暮らしの楽しさがあるに決まっているのです。それは、どうしようもない客観的な事実なのです。


 けれど私は、彼女が幸福そうであれば幸福そうであるほど申し訳なく、おそろしく、すっかり縮こまってしまうのでした。

 もはや指先の細かな震えは私の人生にすっかり癒着して止まることなく、力も入らず、私はパンをちぎることさえ、彼女の助けなしではできないほどでした。


「なにがほしい? 君の欲しいものなら、なんだって用意するよ。君が私だけの宝物になってくれるなら、なにを捨てたって惜しくないんだ」


 その言葉に、甘えてしまいました。


 私は、こう述べてしまったのです。


「もう、生きてたくない」


 なにもなせない人生。なにもできない、できるようになろうとさえ思えない自分自身。


 このまま寒い小屋で閉じこもって終えるだけの一生は、私にとってもったいないぐらい幸福なものでした。

 ただ彼女が横にいて幸せそうにしてくれているというだけで、私が私の実力で得られるものをはるかに超えた望外の喜びと感じるべきでした。


 しかし、私はおそろしいのです。


 彼女の心変わりがおそろしいのです。

 彼女がふと『気付いて』私を捨てた時、私は極寒の街に一人で放り出されることになる。その時になにもできず、死ぬことさえもおそれて、飢えながら朽ちていく未来がおそろしいのです。


 幸福そうに微笑む彼女がおそろしいのです。

 彼女とともに一生をここで過ごすことになったとして、彼女が私なんかとともにあることで幸福そうに微笑むたびに叫んで逃げ出したいような心地になり、こうして食べているパンも魚もすべて彼女の半生にも等しい宝物を売り払ったお金であることを思うと、食欲もわかず、しかし食べないのも申し訳なく、無理やり硬く酸っぱいパンを詰め込むしかないのです。


 オデットに捨てられても、捨てられなくても、私の人生にもはや喜びはありません。

 生きていれば生きているだけ負債がふくらみ、息苦しく、眠れない夜ばかりが増えていくのでした。


 だから私は、死を願いました。眠るような苦しみのない、自分の手によるものではない死こそ、私がこの世で一番欲するものだったのです。


 オデットはさすがにピタリと動きを止めましたが、それでも、彼女の顔に貼り付く笑みがかげることはありませんでした。


 彼女は数瞬間の停止のあと、私をさらいに来た時のように、なにげなく、こう応じました。


「じゃあ、そうしようか」


 いつものようにもそもそと食事を終え、身を清め、眠り、翌朝目覚めたあと、オデットに連れられて小屋を出ました。


 久々に出た外の景色は、この国でもっとも厳しい、雪深いものへと変化していたのです。

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