第13話 妃

「隣国公爵が精霊王に御目通り願いたいと遣いを送ってきました」


 このころから私は『精霊王』という名で呼ばれ始めていました。


 その名はいかにも重苦しく、そう呼ばれるたびに私は激しい運動でも強いられたかのように疲れ果て、投げやりに、肯定とも否定ともとれるうめきをもらすしかできなくなっていました。


 さて、私が精霊王となるにあたって多大な働きをし、実際に血を流した公爵軍ですが、そもそも彼らがなぜ軍を率いて攻め込もうと思ったかというと、それは、私をこの国から奪還するためらしかったのです。


 神殿も貴族も騎士も、とにかく大きな組織はメンツというものを大事にします。


 公爵は私がこの国にさらわれたものと思ったらしく、自邸に侵入を許し、娘の夫を誘拐されたまま黙って引き下がったとあっては、公爵のメンツが立たず、結果として軍を率いて攻め込むということになったようでした。

 もちろん、公爵家の抱える兵力と、この国にもともとあった兵力を比較し、勝利の目が高いと踏んでのことであるのは、言うまでもないでしょう。


 私はといえば、事情を説明する公爵に対し、真実を告げることはできませんでした。


 私を連れ出したのはオデットであり、この国はただ逃亡先に選ばれただけで、そもそも私などを公爵私邸に侵入してまでさらう動機が、この国にあるとも思えません。

 ですがそれを正直に述べれば、私が公爵のメンツを潰すことになりますし、なにより、公爵の説明の裏に『言葉にせぬ真実』があるのを見てとったのです。


 ようするに公爵は、邪教の異常弾圧と監視社会化によって混乱期にあるこの国をどさくさに紛れて手に入れようと狙っていたのです。

 どのような不毛な寒い土地でもダンジョン資源というものがあり、すべての健康な肉体を持つ者は冒険者になりうる可能性を秘めています。

 つまるところ、作物の育ちにくい雪に閉ざされたこの土地であろうとも、ダンジョン周囲さえ手に入ったならば、充分な利潤を産むのです。


 しかしなんの大義もなく隣国に攻め込んでは、国からも、神殿からも、冒険者組合からも、糾弾されます。


 そこで、私なのです。


 今にして思えば、牢につながれていた私がルクレツィアと結婚した話になっていたのも、公爵の仕込みなのではないかとさえ疑ってしまいます。

 とにかく私の存在は公爵に大義名分を与えました。シンシアが動いたことは後付けで『冒険者組合の後押しもあった』ということにされました。


 精霊信仰という邪教を掲げて国をとっただけに、昼夜の神殿からはなにかあるだろうと忠告されましたが、それでもこの国をとった私を正式に国主と認める旨を告げ、即位に対するお祝いを、私などにひざまずいて述べたのです。


 王家に連なる家のおかたにそんなうやうやしい態度をとられた私はといえば、動悸が激しくなり、指先は震え、呼吸が荒くなるのを隠すのに必死の努力をせねばなりませんでした。


「そういえば、ルクレツィアとの式が先延ばしになっておりましたな」


 今思い出した、というように公爵が語るので、私はその白々しさに、怒りのようなものさえ、覚えたのです。

 先延ばしもなにも、なぜかそういった流言があっただけで、実質的に私は罪人扱いで監禁されていたはずなのでした。

 手紙も届いたかどうかわからず、顔を見ることもできず、きっと婚約も取り下げられているだろうと思っていたぐらいなのです。


 それをさも『結婚はしていました』というような口ぶり……

 私は怒り、あきれ、しかし同時に『この図太さがなければ、身分の高い立場というのは、やっていけないのだな』と、学ばされたような気持ちにもなりました。


「我が娘が精霊王のきさきとなるなど、これほど嬉しいことはございません。わたくしどもも、精霊の国の繁栄のため、微力を尽くさせていただく所存です」


 公爵はよろこびの言葉の中に国家の運営にかかわる意思を潜ませて、そうして去っていきました。

 それに対して私は、どうでもいいような気持ちでいました。


 国家の運営も、それによって生まれる利益も、どうだっていいのです。

 私はたしかにマントをかぶり、豪華な服を着て、玉座にいます。王冠もないのは王としてなんとも情けないところですが、それもいずれ、『新しい国家の王冠』ができあがるまでのことです。


 しかし、この玉座のまわりには、大量の問題が転がっているのでした。


 この国の正規軍は居城を落とされたことに混乱し公爵軍に蹴散らされましたが、そのすべてが討たれたわけではなく、いくつかの部隊は逃げ、雪深い山の中に潜んでいると言います。

 しかももともとこの玉座にいるべき、この国の王……『聖女王』と名高い、昼神教からの覚えめでたいあの王さえ、取り逃がしているというのです。


 なにより昼夜の神を崇める人々は世界中に多く、この国にも神殿がいくつも存在します。

 私は精霊という邪神を崇めていると表明してしまっていますから、これらの宗教からの厳しい対応にさらされることでしょう。


 任せられるなら、公爵にすべて任せて、私は野に降りたいのです。

 富も名誉も、騎士山脈に積もる雪のように限りない数々の問題にとりくまねばならないことと比べれば、とうてい釣り合わず、すべてを捨てるだけで目の前の問題のいっさいが私の手を離れるならば、喜んで私はすべてを捨て去ることができるのです。


 けれど、そうはならないのです。


 私は王になり、精霊を崇めなければなりません。


 そういう私を演じないと、私についてきた者たちは、きっと私を許さないでしょう。公爵が私をこの玉座におきっぱなしにしたのですから、公爵も、許してはくれないでしょう。

 特にシンシアの『お兄様』は、その慈愛たるや限りなく、深謀遠慮果てしなく、勇敢なること英雄のごとく、人々を精霊の名のもとに救い、すべての苦しみを取り除き、一人でも恵まれない子供を減らそうとしているらしいものですから、私が玉座を降りては、彼女の『お兄様』とはなはだしく乖離かいりしてしまいます。


 そうなった時、シンシアが私にどのような行動をとるのか、想像もつかないのです。


 彼女が私に向ける優しさは深く、そしてシンシアが七歳のあの日、私が台所の隅でうずくまる彼女を部屋に連れ込み言葉を教えた時からずっと、私を信望しているらしいのです。

 これを裏切った時のことなど、想像することさえできないほどおそろしく、私はシンシアのひどい報復におびえ、ますます『お兄様』を演じなければいけない状況に追い込まれていたのでした。


 もはや私の人生は私のものではないのです。


 いっそ、私の意識がどこか神の御許みもとにでも引っ立てられて消え去り、『お兄様』が私の体を操って残りの人生をすませてくれたらいいとさえ、私は願いました。

 しかしそんなうまい話はないのです。精霊も神も、加護など与えてはくださらないのです。


 罰。


 加護をあたえる存在はおらずとも、罰をあたえる存在だけは、実在を確信できるのです。


 それは人をもてあそび、人生を破滅させる精霊そのものでした。


 夜神信仰を表明していた父が精霊子せいれいごの伝説に怯えたように、私もまた、罰を与える存在としての神や精霊だけは、信じていたのです。


「お兄様、ルクレツィアとの婚約は解消なさったほうがよろしいと、シンシアは思います」


 シンシアは私の前でだけ自分のことを名前で呼びます。

 そういう時、彼女の声は人に向けるよりわずかに高く、甘えるような、この年頃の少女らしい響きがあるのが常でした。


 しかし発せられた声音は予想よりかたく厳しく、私はその金銀の瞳に、太陽に照らされた雪原のような、直視できないギラギラした輝きを幻視したのです。


「お兄様、ルクレツィアとの婚約は解消し、シンシアと結婚いたしましょう。家族になろうとおっしゃってくださいました。シンシアはその約束を励みにしていたのですから、今こそ、家族になりましょう、夫と、妻に」


 シンシアは私がなにか言葉に出してはっきり返事をするまで決して目を逸らさないという様子でそこにたたずんでいるので、私はうめきました。弱り果てて、口から声が漏れてしまったのです。


 けれど、私のうめき、あいまいな態度、なんとも言えない表情はすべて、シンシアやルクレツィア、オデットなどには、彼女たちのいいように解釈されます。


 私はまたしても、失敗したのです。


『自分の意思をはっきり表明するのを避けたがる』という私が次なる問題の渦中にこの時まさに立たされたのを、私はのちに、知ることになります。


 しかも、この日のやりとりをすっかり忘れるほどあとに、不意打ちのように、この時の対応が、私を背後から突き刺すのでした。

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