第12話 『雪の王都奇襲』

 季節はちょうど暖かな日差しが雲間からのぞく時間が増え、あたりの雪がわずかに溶けるような気配を見せ始めるころでした。

 常に極寒と雪の中にあるこの領域にあって、それは『暖かい季節』になるのですけれど、それでも雪が完全に溶けて土の地面が見えることはなく、王都を目指す私たちの歩みは、泥濘でいねいに足をとられるような、遅々としたものになっていたのです。


 私は知らないあいだに精霊信仰の中心みたいなものになっており、シンシアが布教活動によって集めた人たちにあいさつなどし、これを先頭に立って率いることになっていました。


 どう考えても力不足なのです。因果がちっともつながらないのです。


 シンシアが精霊信仰を広めるあいだに私がしていたことは、シンシアによって用意された小屋の中で、申し訳程度の家事をして、用意された食事をとって、それから眠っていただけなのです。


 シンシアは出かける時に小屋の外から鍵をかけて私を出られないようにしてしまうものですから、こうして外の景色を見たのさえ、実に久しぶりなぐらいだったのです。

 あの小屋には、外を見ることのできる小窓さえも、なかったのですから。


 だから精霊信仰の信徒たちと引き合わされ、彼らを率いるようシンシアに言いふくめられた時、私は『それはきっと、認められないだろう』と思っていました。


 精霊信仰の信徒たちは、シンシアの呼びかけに集められたのです。

 銀色の髪を持つ、美しい精霊子せいれいご。昼の加護も夜の加護も受けられないとされた金銀の『混ざり目』を持つこの少女は、人々のあいだでほとんど精霊そのもののように扱われていました。

 また、冒険者としての実力も、人がシンシアに布教されるまま精霊信仰を受け入れた大きな理由の一つでしょう。


 美しく、強い。

 そしていかにも無垢そうな少女である。


 シンシアのすべての特徴が、人に精霊というものを信じさせる力を持っていたのです。

 その彼女が代表者ではなく、今まで接したこともない、私のようなものが、シンシアに『代表者です』と紹介され、人の前に立つ。

 受け入れられるわけが、ないでしょう。そして私も、受け入れてほしいとは、ちっとも思っていなかったのです。


 人を率いるというのが、向いていないのでした。


 多くの人の前に放り出されると、私は逃げ出したくなってしまうのでした。


 吟遊詩人などしておいてなにを、と思われるかもしれませんが、吟遊詩人も、そして私が北国に逃れるきっかけとなった精霊信仰礼拝堂で上位神官めいたことをしていたのも、すべて『私の力』で人を集めた実感があったからこそ、人前に立てたのです。

 しかし、今はシンシアの力により集められた人たちの前に、代表者として立たされる……


 私はどうにも、誰かの力で得たものを押し付けられる時、どうしようもない居心地の悪さを感じる性分なのでした。


 努力のともなわない結果がおそろしいのです。実感できない大きな力を突然放り渡されても、もてあまして、扱いかたがわからず、困り果てて立ち尽くし、気持ち悪さから逃げ出したくなってしまうのです。


 だって、そこには、私の知らない『決まりごと』『暗黙の了解』みたいなものが、あるに決まっているではないですか。なにをしたら自分に視線を向けている人たちの機嫌を損ねてしまうのかが、全然、想像も及ばないのです。


 私は人におびえました。


 しかし、こういう時にはなぜだか、私はすんなりと受け入れられてしまうのでした。


 おびえ、震え、自分には過ぎたものだと思っていた『精霊信仰の代表者』という立場は、なぜか人々に歓迎され、中には私の姿を見て感涙にむせぶ者までいるのでした。


 こうなるともういよいよ恐怖のあまり一歩も動けなくなり、逃げ出しても死よりおそろしい報復をされる心地がして、私はけっきょく、愛想笑いを浮かべ、彼らの期待に沿うようなことを言い、彼らの望む『代表者』のような演技をして、必死に彼らの恨みや怒りをかわないように振る舞うしか、できないのです。


 人形。


 精霊王のことを記し、語ったものは多くありますが、そのどれも、精霊王は時機を読み、あるいは精霊からのお告げを聞き、人をまとめ、扇動し、まるでなにかに導かれるように正しい行動だけをし続けたというようになっていました。


 もしも私がなにかに導かれて行動していたのだとすれば、それは、『人の幻想の中にある自分』に他ならないのです。


 私は礼拝堂でたくさんの人とかかわった経験から、昨日まで明るく笑いかけてくれた人でも、なにか一つ機嫌を損ねると、いきなり怒り狂って敵対するようになるのをよく知っています。

 むしろ、私によくしていた期間が長く、私へ向けた優しさが深いほど、『期待はずれな行動』に対する怒りも深く、その報復も激しくおぞましいものになると、わかっていたのです。


 ですから私はそうなるともう、期待通りに行動するように全身全霊をかたむけるしかなく、その結果として、どうにか、痛みや屈辱を味わわされることなく、これまで生きてこられたのでした。


 人形。


 私は、人形となることが、唯一の処世術だということを、この時点でそろそろ、ぼんやりとわかり始めていました。

 そして私にはどうにも、誰かの思い描く理想の自分になりきる才能があったらしいのです。


 ぬかるんだ雪にとられるような歩みの中で、村に立ち寄るたび、精霊信仰の信徒は増えていきました。

 邪教である精霊信仰を、当時のご時世の中で信じようと思う人など、決して多いわけがないとたかをくくっていたというのに、私の期待、希望とも言えるその予想は見事に裏切られ、私たちは王都につくころにはもう、鎮圧されても文句が言えないほどの、大集団となっていたのです。


 その国の王都はいかめしい城壁に囲まれており、高く重厚な石の門の前に立った時点で私は、自分の未来に『死』しかないことを悟りました。

 それもきっと、むごく、苦しく、痛い死に決まっているのです。

 だって、昼神を強く信仰し、邪教を苛烈に弾圧する王のお膝元に、精霊信仰の徒を増やし、引き連れ、現れたのです。

 きっと見せしめのために拷問され、はりつけにされ、殺される……国の正規軍や昼夜の神殿が抱える神官戦士団に勝てるなどと思っているはずもなく、私は自分の暗い未来を思って、夜も眠れないほどだったのです。


 いっそ、流れ矢に頭を貫かれて死んでしまいたい。


 この時になっても、私は自分で自分の命を終わらせるという選択をすることができませんでした。

 なぜなら、私が自決してしまうと、それは私の責任になってしまうのです。これだけの人をたきつけ、率いて、それで責任もとらずに自決したならば、きっと死後にひどい目に遭わされるような、そういうおそれがあったのです。


 誰かに殺してほしかった。


 私は自分で死ぬ勇気もないし、痛みや苦しみに耐える覚悟もなかったのです。

 これだけ大騒ぎをしてなお、私が望むものは、穏やかで満ち足りた生活でしかなかったのです。大きなことを成し遂げようという気概はなく、ただただ話が大きくなっていくのを、他人事のような心地で、面倒くさいなと思いながら観察していただけなのでした。


 しかも私たちに、具体的なプランなど、なかったのです。


 精霊信仰の信徒集団を率いて、昼神教に狂信的かつ邪教への弾圧がすさまじい情勢の国の、王都門前に立っている。

 だというのに、私たちは、そこでなにをするか、具体的なことをなにも決めていませんでした。


 世に言う『雪の王都奇襲』の真実は、このようなものなのです。


 奇襲情報が漏れなかったのは、我々がなんらプランのないまま、流れに従って人を増やしながら、目的もなく王都まで歩いてきただけだからなのでした。

 食料も武装も人数も、私のあずかり知らぬところで勝手に集まっていただけで、そもそも、私は王都を攻める気など、なかったのです。

 存在しない奇襲計画が漏れるはずもなく、我々の行動は、確固たる目的がなかっただけに、とても素早かったのです。


 また、当時の私は知らなかったことなのですが、この時ちょうど、私の故国の公爵が軍を率いてこの国に入ろうとしており、正規軍はそちらの対応に追われていたのでした。


 のちの世では私とルクレツィアが秘密裏に計画を共有し連動していたとされているのですが、監禁されたまま顔を合わせることもできず、私からの手紙も届いているかどうかわからない状況で、なにか計画を練って共有できるはずもないのです。

 そもそもオデットに連れ出されるまで、私はこの国に来ることも知らず、シンシアに言われるまで、この国の抱える問題、邪教に厳しい情勢も、知らなかったのですから。


 そういうわけで、いつまでも門前で突っ立ってる私の背中に、『早く王都に入らないのか』という視線が突き刺さるのを感じましたから、私はいかめしい門をくぐり、王都へと入りました。


 そして流れのままに王城へと向かい、王と正規軍が不在だったそこを、占拠してしまったのです。


 無血、なのでした。


 こうして精霊王の初戦にしてもっとも名高い戦いは終わり、私はシンシアに勧められるまま、玉座に就くことになりました。


 わきたつ『同志』たちを見る私の心は、困惑と不可解さで冷え切っていました。

 彼らのあげる歓声はひどく耳障りで、私はその中で困って微笑むぐらいしか、できなかったのです。

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